2015/05/15 - 2015/05/15
109位(同エリア365件中)
クッキーさん
6月の一人旅の準備中、息子から、神辺への異動が決まったという電話がありました。
うーん、この年になってもまだ親の手を借りたいのか?とも思いましたが、男親の方が甘いんですね、こんな時。
手伝いに行ってやれと、言うので二泊の予定で行くことにしましたが、折角なので、どこか見所はないかと検索したら、いろいろ新発見です。
さすがに一日目は、引越しの手伝い、即ちお掃除おばさんに徹しましたが、翌日からは気ままに観光を楽しむことにしました。
まずは江戸時代の神辺本陣跡地を訪れ、その後、堂々川の砂留を見て回ることにしました。
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朝から忙しい一日でした。
神辺から福山市内に行き、二人で夕食。
居酒屋で、食べ放題、飲み放題のコースです。 -
シニアプランという文言に惹かれて予約したホテルです。
シングルとはいえ、21?の部屋で、ベッドサイズは150cm、一人で泊まるにはゆとりのサイズです。 -
居酒屋で飲みすぎてしまったのと一日の疲れのせいで、チェックインの後、ベッドで少し休憩のつもりが熟睡してしまったので、朝のシャワーを浴びただけ。
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洗面所が浴室と別なのは初めて。
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冷蔵庫は重宝します。
朝食はいかにも食堂、という感じで種類もあまり多くなく、ちょっとがっかりでした。 -
ホテルまでは車で送ってもらう予定だったので、駅からの距離は気にしていませんでしたが、翌日、駅まで歩くと15分余りかかりました。
国道に面しているせいか、夜中も車の音が気になりました。
車で訪れるビジネスマン向きのホテルでしょうね。 -
今夜の宿泊ホテルに荷物を預け、福山駅から神辺に向かいます。
駅前が綺麗なバラに彩られています。 -
神辺という名前こそ聞いたことはあるものの、見所なんてあるのかしらと思いつつ調べてみると・・これがあるんですよ。
神辺駅から歩いているうちに見えてきたのは、神辺の旧家。 -
なまこ壁。
壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に漆喰をかまぼこ型に盛り付けて塗る工法。その目地がナマコに似ていることから呼ばれたそうです。
防火、防水などの為だそうですが、見た目にも美しい。
菱形の中に、さらに細かい模様が見て取れます。
こちらは楕円窓。 -
大通りを右折してしばらく歩くと見えてきたのが、神辺本陣。
黒塗りの土塀に囲まれています。
広島県内では唯一現存している本陣(西本陣)だそうです。 -
正面の門から中に入ると御成りの間、二の間等と畳の部屋が続くそうですが、
内部の見学は、土・日・祝日の10〜16時に限られているため、今日は中には入れません。 -
こちらの方が正面入口みたいですが。
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江戸時代には、ここ神辺は西国街道(近世山陽道)の宿駅として栄えていました。
広島藩では「御茶屋」と呼ばれる藩営の本陣がありましたが、神辺宿の西本陣は地元の豪商である菅波家(屋号は尾道屋)がその役割を担っていました。
ただし、西本陣は黒田家(筑前福岡)の専属契約のような形で、利用するのはほぼ黒田家のみだったようです。
豪商とはいえ、年間のうち数日しか稼働しない屋敷を維持するのは大きな負担だったことでしょう。 -
今なお個人所有の住宅であるので、建物の内部には入れません。
申し訳なく思いつつも、建物の右側に回り、お庭をこっそり拝見します。
広い敷地です。 -
さらに歩くと、こんな建物が見えてきました。
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角を曲がると、こちらは街道筋の真裏です。
三階館は茶室。
外に見えるのは、堀の名残りなのだとか。 -
本陣の左側。
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本陣前にも、なまこ壁の町家が並びます。
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クロスステッチみたいな模様。
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街道筋の雰囲気を残しているのはこの一角だけなのは少し残念ですが、よく残していてくれているとも思います。
江戸時代には賑わっていただろう一角を離れて、高屋川を渡ると、国道486号線沿いが現在の賑わいの中心地のようで、さまざまなチェーン店が立ち並びます。
その賑わいの手前の田んぼの中に建てられているアパートが今回の引越し先です。 -
荷物はもう運び込まれていたので、各種手続きが終わるのを待って、連れてきてもらったのがこちらの砂留群。
1番砂留。 -
砂留が砂防ダムの事だと判っても、川をせき止めるように建造されているのが、この目で見るまではよく理解できませんでした。
実際に見ても、まだよく判らないのですが・・ -
神辺の外れを流れる堂々川に江戸時代から整備された砂留(砂防ダム)群。
江戸時代は森林伐採が進み山の保水力が落ちたことで全国的に災害が頻発するようになりますが、この堂々川でもしばしば土石流が発生しました。
川の流れる先には備後国分寺があり、西国街道が通り、神辺宿があるため、福山藩内でも防災の必要性が特に高く、藩の事業として砂留が建設されることになったようです。
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砂留のうち8基が国登録有形文化財となっています。
息子には、6番砂留の公園で待っていてもらい、一人で歩いていくことにしました。 -
この角度から見ると、全く川には見えません。
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これは明らかに最近の砂留のようです。
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上流側から?
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堂々川の流れ。
普段はこんな風ですが、一度土石流が発生すると大変なのは、最近の広島市内の災害からもよくわかります。 -
二番砂留。
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本当に、川だとは思えない光景ですが、かろうじて水が流れています。
奥の方には次の砂留が見えています。 -
城壁みたいですよ。
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次々に現れる砂留にワクワクです。
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こちらは狭い階段のようになっています。
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三番砂留です。
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地元の方々の努力のおかげで、蛍も楽しめるという堂々川。
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次の砂留はこれ。
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また少し石積みの方法が異なっています。
修復時期が新しい感じ。 -
四番砂留です。
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上流側は湿原の様相。
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すぐに現れた次の砂留。
横に大きく広がっています。 -
石積みの仕方が様々。
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ここから砂留は、というか川は、道路の右側に移りました。
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五番砂留の表示。
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真横から。
縦方向に撮ると、その高さがよくわかります。 -
五番砂留。
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上流側。
この石積みは川の側面の堤防のようなもの? -
最後の砂留がドーンと。
正面から見てみたくて、河原な中まで入り込みたかったのですが、夏草に阻まれて、これを撮るのがやっと。 -
アップしてみます。
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6番砂留は江戸時代の砂防ダムとしては現存する最大のものとされています。
ただ、どの砂留も明治期以降に改修されており、江戸時代の姿そのままではないそうです。 -
どの構造図を見ても、上流側の川底が高いのはどういう訳なのか、やっぱりよく判りません。
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道路側に戻り、上流方面へ。
整備されて親水公園になっています。
家族連れがポツポツ。暑い夏には居心地が良さそうな公園です。 -
公園の水流が流れ込んでいます。
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高さもあります。
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少し手前の左手に、こんな魅力的な砂留が目に入ってきました。
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道路際に置かれた鳶ヶ迫砂留。
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内廣砂留というのもあるそうですが、もうお昼どきでもあるし、十分満足したので、これで砂留廻りを切り上げます。
約30分の散策でした。 -
お昼を二人で済ませた後、神辺駅まで送ってもらい、福山に戻ります。
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