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1558 考古学博物館 おもに鉄器時代からローマ時代の展示が多かった.フランス語でよくわからなかったが,墓標が多い.また1世紀の頃からローマの文化がしっかり入っているのがよくわかった<br />1626 外へ,遊覧船に乗ろうと思ったが増水のため運休<br />1636 ストラスブール市歴史博物館へ 神聖ローマ帝国より13世紀自治権を獲得,その後ルイ14世により1681年フランス領に.フランス革命のハブの一つ.ラマルセイエーズのふるさとだ.<br />1870 普仏戦争にてドイツ領へ 1917 再度フランス領<br />1939-1944 ナチスの占領 1945ふたたびフランス領に そして今はEUに<br />その歴史がよくわかった.1749閉館ぎりぎりに見学終了.

2015.4ライン・アルザス旅行19‐考古学博物館 ストラスブール市歴史博物館

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2015/05/03 - 2015/05/03

409位(同エリア705件中)

SUOMITA

SUOMITAさん

1558 考古学博物館 おもに鉄器時代からローマ時代の展示が多かった.フランス語でよくわからなかったが,墓標が多い.また1世紀の頃からローマの文化がしっかり入っているのがよくわかった
1626 外へ,遊覧船に乗ろうと思ったが増水のため運休
1636 ストラスブール市歴史博物館へ 神聖ローマ帝国より13世紀自治権を獲得,その後ルイ14世により1681年フランス領に.フランス革命のハブの一つ.ラマルセイエーズのふるさとだ.
1870 普仏戦争にてドイツ領へ 1917 再度フランス領
1939-1944 ナチスの占領 1945ふたたびフランス領に そして今はEUに
その歴史がよくわかった.1749閉館ぎりぎりに見学終了.

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
友人
交通手段
徒歩
航空会社
ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • 1558 最後に地下の考古学博物館へ

    1558 最後に地下の考古学博物館へ

  • 他の階の装飾博物館や美術館も案内

    他の階の装飾博物館や美術館も案内

  • 先史時代から鉄器時代,ローマ時代にかけて展示

    先史時代から鉄器時代,ローマ時代にかけて展示

  • 古代人の服装と持ち物

    古代人の服装と持ち物

  • 出土品は下に展示する凝りよう

    出土品は下に展示する凝りよう

  • 紀元前750年ころ

    紀元前750年ころ

  • 鉄剣や鉄器,装飾品なのかな,フランス語でよくわからない

    鉄剣や鉄器,装飾品なのかな,フランス語でよくわからない

  • 1世紀 墓石

    イチオシ

    1世紀 墓石

  • ローマ時代の住居 そういえばオーストリアで見学したなあ

    ローマ時代の住居 そういえばオーストリアで見学したなあ

  • ローマ時代のストラスブール 古代名Argentorate

    ローマ時代のストラスブール 古代名Argentorate

  • ローマ時代の兵士

    ローマ時代の兵士

  • 1世紀

    1世紀

  • 1世紀の霊廟  良くわからなかったがローマ文明がここまで来ていて都市が建設されたのは良くわかった

    1世紀の霊廟  良くわからなかったがローマ文明がここまで来ていて都市が建設されたのは良くわかった

  • 1626 大聖堂前の広場に出る 雨が結構降っている

    1626 大聖堂前の広場に出る 雨が結構降っている

  • レストランも雨にぬれる

    レストランも雨にぬれる

  • 遊覧船乗り場に行ったが

    イチオシ

    遊覧船乗り場に行ったが

  • 増水で運航停止.私たちがストラスブールにいた3日間ずっと増水で運航停止

    増水で運航停止.私たちがストラスブールにいた3日間ずっと増水で運航停止

  • 1636 ストラスブール市歴史博物館に行く

    イチオシ

    1636 ストラスブール市歴史博物館に行く

  • 神聖ローマ帝国時代ストラスブールは自由都市だった.13世紀にグーテンブルグ広場に建てられたPfalz House

    神聖ローマ帝国時代ストラスブールは自由都市だった.13世紀にグーテンブルグ広場に建てられたPfalz House

  • そして今はその歴史からEUの首都となる

    そして今はその歴史からEUの首都となる

  • 自由都市はカノン砲で守られていた要塞都市だった

    自由都市はカノン砲で守られていた要塞都市だった

  • allegory of justice 1560<br />

    allegory of justice 1560

  • 二人の兵士が石を城壁から投げている

    イチオシ

    二人の兵士が石を城壁から投げている

  • 兵器と壁で守られていた

    兵器と壁で守られていた

  • すごい武器だね

    すごい武器だね

  • 自治都市の市長はだんだん世襲となっていったようだ

    自治都市の市長はだんだん世襲となっていったようだ

  • そして印刷革命がおこる!

    そして印刷革命がおこる!

  • グーテンベルグだ.マインツに生まれここストラスブールに過ごした.1443-44年のことだ

    グーテンベルグだ.マインツに生まれここストラスブールに過ごした.1443-44年のことだ

  • その後印刷業が盛んになる

    その後印刷業が盛んになる

  • 15-16世紀ははなやかなりしところだったようだ

    15-16世紀ははなやかなりしところだったようだ

  • 17世紀 ルイ14世の領土拡張が始まる

    17世紀 ルイ14世の領土拡張が始まる

  • 1681年にルイ14世はストラスブールは併合される

    イチオシ

    1681年にルイ14世はストラスブールは併合される

  • 17世紀中は古い制度は残されたが,19世紀には廃止.しかしパリのファッションなどフランスの華やかな文化が入る

    17世紀中は古い制度は残されたが,19世紀には廃止.しかしパリのファッションなどフランスの華やかな文化が入る

  • 1779-1781 コンデの連隊

    1779-1781 コンデの連隊

  • この時代煙草が新しい産業になる.またフランス領になってもドイツ語の方言が話され,プロテスタントは当初弾圧されるが次第に共存.

    この時代煙草が新しい産業になる.またフランス領になってもドイツ語の方言が話され,プロテスタントは当初弾圧されるが次第に共存.

  • 1727年のストラスブール

    1727年のストラスブール

  • そしてフランス革命 ここは革命の一つのハブであった.

    そしてフランス革命 ここは革命の一つのハブであった.

  • イチオシ

  • Kellermannの肖像 1791年プロイセン軍からストラスブールをまもったアルザス軍司令官

    Kellermannの肖像 1791年プロイセン軍からストラスブールをまもったアルザス軍司令官

  • フランス革命ライン軍の持っていたもの フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、市長ディードリヒの要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したというのが定説である。このとき付けられたタイトルは『ライン軍のための軍歌』 であった。Wikipesia

    フランス革命ライン軍の持っていたもの フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、市長ディードリヒの要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したというのが定説である。このとき付けられたタイトルは『ライン軍のための軍歌』 であった。Wikipesia

  • ラマルセイエーズ!

    ラマルセイエーズ!

  • ジャン=バティスト・クレベール(Jean-Baptiste Kl&#233;ber, 1753年3月9日 - 1800年6月14日)は、フランス革命期の軍人。ストラスブール出身。フランス革命後は共和派となり、ヴァンデの反乱の鎮圧にジャン=バティスト・カリエと共に貢献した。1798年のエジプト・シリア戦役に同行し、翌年ナポレオン・ボナパルトが引き上げると留守をあずかったが、1800年にカイロで暗殺された。<br />クレベールの遺体は一度フランス本土へ送られたが、彼の墓が共和制の象徴となるのを恐れたナポレオンは、遺体をシャトー・ディフに置くように命じた。これはルイ18世がストラスブールへの埋葬を許可するまでの18年間続いた。<br />ストラスブールのグラン・ディルにクレベールの銅像が立っている。Wikipedia

    ジャン=バティスト・クレベール(Jean-Baptiste Kléber, 1753年3月9日 - 1800年6月14日)は、フランス革命期の軍人。ストラスブール出身。フランス革命後は共和派となり、ヴァンデの反乱の鎮圧にジャン=バティスト・カリエと共に貢献した。1798年のエジプト・シリア戦役に同行し、翌年ナポレオン・ボナパルトが引き上げると留守をあずかったが、1800年にカイロで暗殺された。
    クレベールの遺体は一度フランス本土へ送られたが、彼の墓が共和制の象徴となるのを恐れたナポレオンは、遺体をシャトー・ディフに置くように命じた。これはルイ18世がストラスブールへの埋葬を許可するまでの18年間続いた。
    ストラスブールのグラン・ディルにクレベールの銅像が立っている。Wikipedia

  • クレベールの暗殺

    クレベールの暗殺

  • 19世紀からはたびたび国籍が変わる

    19世紀からはたびたび国籍が変わる

  • 1870年以前のストラスブール

    1870年以前のストラスブール

  • 1852年の記者や馬車などをのりついだ,パリ―ストラスブール時刻表

    1852年の記者や馬車などをのりついだ,パリ―ストラスブール時刻表

  • 1870 普仏戦争 ドーデの最後の授業だ.ここでフランス領から,プロイセンドイツ領に

    1870 普仏戦争 ドーデの最後の授業だ.ここでフランス領から,プロイセンドイツ領に

  • プロイセン領だ.プロイセン王ドイツ皇帝ウィルヘルム二世

    イチオシ

    プロイセン領だ.プロイセン王ドイツ皇帝ウィルヘルム二世

  • 第一次世界大戦の結果またフランス領へ

    第一次世界大戦の結果またフランス領へ

  • 戦前最後の自由の繁栄

    戦前最後の自由の繁栄

  • そしてナチの占領

    そしてナチの占領

  • 大学の自由の剥奪

    大学の自由の剥奪

  • ユダヤ人移送

    ユダヤ人移送

  • ドイツの身分証

    ドイツの身分証

  • ヒトラーの訪問

    ヒトラーの訪問

  • ドイツ化

    ドイツ化

  • Kleber像の取り壊し

    Kleber像の取り壊し

  • Karl Roos アルザスの医師 政治家 ナチスに徹底的に利用された

    Karl Roos アルザスの医師 政治家 ナチスに徹底的に利用された

  • 生体解剖 人体実験

    生体解剖 人体実験

  • ナチスの戦犯学者

    ナチスの戦犯学者

  • レジスタンス運動もあった

    レジスタンス運動もあった

  • またフランスへ

    またフランスへ

  • イチオシ

  • そしてEU

    そしてEU

  • 1749 ストラスブールの歴史面白かった

    1749 ストラスブールの歴史面白かった

  • ここのマップ

    ここのマップ

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