2013/11/02 - 2013/11/02
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いのたんさん
横浜・山下公園の氷川丸!
氷川丸は日本郵船が1930年(昭和5年)竣工させた日本からシアトル航路用の大型貨客船でした!
多くの日本の貨客船が喪失された太平洋戦争でも沈没を免れた数少ない大型貨客船で、戦後も1960年(昭和35年)まで北太平洋航路で運航を続けた客船です。
そんな古き良き時代から戦争や激動の世の中を見てきた船は、運航終了後は山下公園に係留されているんです。
船内を見学できるということなので行ってきました。
見学は200円です♪
行ってきまーすヽ(^o^)丿
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
-
船内の中は少し揺れています。
この狭い通路を通ると。。。。 -
一等船客の食堂です。
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このディナーの模型は1937年(昭和12年)10月4日の食事だそうです。
秩父宮ご夫妻が乗船された際の特別ディナーが模型となって再現されています。 -
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その当時のメニュー表です!
乳のみ子牛肉・・・・
そ、そ、そんなふうに書かれると、、食べにくいね^^; -
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こちらは社交室。
一等船客の船旅の夜は華やかなダンスパーティーが開かれていたそうです。 -
この鉄の扉は当時のを使っています。
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社交室の出入口にはこんな表示が。。。。(@_@。
「三等船客はご遠慮ください」
タイタニックの映画を思い出します。
青年ジャック(レオナルド・ディカプリオ)はここには入れない。。。。(+_+) -
こちらは喫煙室。
紳士たちの社交の場所でもあったんですね。
葉巻をくわえた紳士が、、、頭に浮かぶ。。。 -
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こちらは一等客室です。
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一等特別室は秩父宮両殿下、チャップリンなど、各国の貴賓や著名人が
利用したスィートルームだそうです。
毛布をご覧ください(*^_^*) -
何かの形に畳んでいます。
この毛布は飾り毛布と言います。
毎日、船のスタッフの手でベットに飾られ船客の目を楽しませていたそうです。
数十種類の飾り方があるらしいです。
お正月などは初日の出、松竹梅や、富士山の形にして飾ったそうです。
お・も・て・な・し ですね(*^_^*) -
一等特別室にはリビングルームもあります。 -
こちらは三等客室です。
三等船客は自由に一等船客や二等船客のエリアに入ることはできませんでした。
一等デッキに行くには見学の申し込みをしないと入れなかったそうです。
どうしてもタイタニックの映画を思い出します。^_^
食事は焼き魚など日本の家庭料理が出されていたそうです。
三等船客の中には長い船旅で親しくなった船員から果物をもらったり、一緒にじゃがいもの皮むきなどをした交流などもあったそうです。(*^_^*) -
シアトルまでの航海中、船客同士も仲良くなって
この部屋の中でアメリカに向かう夢など語り合ったのかなぁ。。。
やっぱりタイタニックみたい♡何度もすみません<m(__)m>
氷川丸は太平洋戦争中は病院船になったり機雷に襲われたこともあったそうですが、戦時中に沈没を免れた唯一の大型貨客船なんですよね(^^ゞ -
当時の氷川丸のパンフレットです。
氷川丸は神戸を出ると国内各港で船客や荷物を載せて横浜に入港します。
横浜港からは一路シアトルに向けて太平洋を渡る13日間の航海が始まります。
1930年(昭和5年)、横浜からシアトルまでの片道運賃は一等船客で500円だったそうです。
当時の日本郵船の初任給が70円だったそうです。
(500円÷70円)×郵船の初任給25万として(わからないけど^^;)=178,5714…28
178万円くらい?
今で言えば横浜からアメリカ(シアトル)まで178万円。
飛行機で言えばファーストクラスで行くようなものかな。。。。(@_@;)?ドカナ。。
今の私には178万円でシアトルまで行くなんて絶対に出来ません(>_<)
当時は1000円で家が建った時代で一等船客での船旅はごく限られた人びとが楽しめる特別な旅だったそうです。 -
資料室にこんなものが。。。。
ダンスパーティや催し物の連絡などはこの用紙で連絡していたそうです。
慰安の集いって書くんですね。(@_@) -
船員たちは船客を楽しませるためにいろいろなゲームやイベントと考えて
長い航海を退屈させないようにしたそうです。
パン食い競争、スプーンレースは昔からあったんですね〜
運動会みたい^_^
豚の目ってどんなゲームなんだろう!?(@_@;) -
これはホグホーン。
霧が掛かって視界が悪い時、船同士の衝突を避けるために使っていました。 -
クロノメーター(船内時計)
-
戦前の氷川丸には約168人の乗務員が乗船し船の安全航行と船客へのサービスの為に24時間勤務体制で働いていたそうです。
中でも船の現在位置を確認する作業は運航上大切な仕事で、
レーダーや衛星航法システムなどない戦前の航海では天体の観測と六分儀などにより船位を確認しました。
目印のない洋上で夜でも嵐でも船位測定をするには日頃の訓練と経験が欠かせなかったそうです。 -
六分儀
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デッキから見る煙突。
煙突(ファンネル)に白地に2本の赤いラインは「二引(にびき)」とよばれる日本郵船のシンボルマークなんです。
飛鳥?の煙突も同じで、今も変わらないんですね♪ -
デッキから見るみなとみらい♪
曇り〜^^; -
船長室。
デスク上にラッパ状の長いものがあります。
これで船長室と操舵室で会話ができます。
「天空の城ラピュタ」で盗賊のおばあさんがこのような物を使って話していたような?(・。・) -
船の心臓とも言える機関室。
-
かつては大きな音を立てて動いていたんですね。。。(・。・)
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2時間かけて氷川丸を見学しました。
思っていた以上に見応えがあったので大満足でした。
氷川丸、当時は豪華客船として活躍していたんですね。
資料も興味深いものが多く、当時の様子が大変よく伝わるように解説してありました。
今は飛行機で太平洋を渡ることができ、半日しないでアメリカには着きますが、
当時は日本から太平洋を渡る為には船が唯一の交通手段だったんですね。
船は13日間掛けての航海。
時には荒波が煙突まで達することもあったそうです。
そんな時は一等船客も三等船客も皆同じように固定物につかまり、ジッと荒波が過ぎるのを待ったそうです。
船客を楽しませる為にいろんなイベントを考え、安全な航海をするために働いた船員や航海士の人たち。
一等船客で船旅を優雅に過ごしながらアメリカに向かう人、友人に会いに行く人、留学生や商人、なんとかお金を貯めてアメリカドリームを夢見て向かう人、さまざまな人達がそれぞれの思いを抱きながらの13日の航海なんですね。
この大型貨客船の中でどんなドラマがあったんだろう。。。。
そんな妄想を抱きながらの見学でした。
タイタニックのDVD・・
見たくなりました(^.^)/~~~
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