2015/05/24 - 2015/05/24
8位(同エリア81件中)
ベームさん
5/24(日)、6日目。5/25(月)、7日目。
今日は2泊したローテンブルクからディンケルスビュールに行き一泊します。距離的にはヴュルツブルクからロマンチック街道のほぼ三分の一をこなしたことになります。
ローテンブルクとディンケルスビュール間は大した距離でもないのに希望する時間帯では鉄道とバス便で大回りして2時間ほどかかる。調べてみるとフランクフルトからフュッセンまで1日で走るヨーロッパバスが13時にローテンブルクを出て50分でディンケルスビュールに着くことになっています。私のスケジュールにぴったりです。これを利用しました。ヨーロッパバスも時間さえ合えば路線バス代わりになります。
ディンケルスビュール:ドナウの支流ヴェルニッツ川沿いの人口1万人ほどの小さな町。二つの交易路、ヴォルムスからプラハに至る東西の道と北ドイツからアウクスブルク、アルプスを越えてイタリアに通じる南北の道が交差する要所で、1130年に街が成立、1274年に帝国自由都市となる。14~15世紀が最盛。
30年戦争では何回も新教、旧教軍の支配が入れ替わった。1632年、当時カトリック派が支配していた町をプロテスタントのスエーデン軍が攻撃し街を焼き払うと宣告した。ローテンブルクの逆です。町の一少女が小さな子供たちを引き連れスエーデン軍の大将に街を破壊しないよう嘆願した。
さしもの大将もいたいけな子供たちを見て心が和み、町の破壊を取りやめた。
この故事が毎年7月に行われるキンダーツェヒェ/子供たちへの振る舞いのお祭りです。
こうして30年戦争にも先の大戦にも難を逃れ、19の塔門を持つ城壁や建物がほぼ当時のままの姿を遺しています。
写真は民族衣装を着て踊る若者たち。
一日ずっと曇りであまり綺麗な写真がありません。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ヴュルツブルクから地図一番下のディンケルスビュールまでロマンチック街道のほぼ三分の一。
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城壁の○印は塔。大きな門と合わせ19あると云います。
ヨーロッパバスは地図の右上、アム・シュタオフェルヴァルのバス停に着きました。 -
ローテンブルクのホテルで荷物を受け取り早めにヨーロッパバスの発着所シュランネン広場に行きました。するとバス停の時刻表に紙が貼ってある。見ると「5月22日から25日までバスは鉄道駅に発着」とあります。お祭り期間旧市街地に乗入れしないのです。10日ほど前にインターネットで調べたときそんなことには触れていません。
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そんな殺生な。シュランネン広場と鉄道駅は離れています。石畳の道を荷物を引きずり、時には担いで駅に急ぎました。バスはローテンブルクで30分停車するのでまだ間に合うかもしれません。汗だくで駅に着くとバスが停まっていました。
もし早めではなく発車時間に合わせシュランネン広場に行っていたら間に合わなかったでしょう。歳を取ってせっかちになり、何でも早め早めに行動するのが幸いしました。
この後にも同じようなことを経験しました。バスは鉄道と違って簡単に停留所を変えたり造ったり無くしたりします。困ったものです。 -
バスはディンケルスビュールの旧市街地の外アム・シュタオフェルヴァルに到着しました。ここでもバスは30分停車するので乗客はほとんど降ります。運転手が乗客たちに、市街地はあっち、と大きな声で指さしました。
ヴェルニッツ川を渡るとすぐ目の前が旧市街地の東の入り口ヴェルニッツ門です。 -
ヴェルニッツ門。
下のアーチ部分は13世紀、上の塔は14世紀後半。
なにか催し物があるらしくけっこうな人出です。 -
ヴェルニッツ川の掘割。
ディンケルスビュールを代表する景観の一つです。 -
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門を潜るとブンチャカブンチャカやっています。
ここでもお祭りが?。 -
町の素人楽団?、みなさん真剣です。
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町の中心ヴァインマルクトは大変な賑わいです。
後で知ったのですが今日は聖霊降臨祭の日曜日でドイツの祭日なのです。
ローテンブルクと違って人出は観光客ではなく殆ど地元、近隣の人のようです。 -
ヴァインマルクトにある今日のホテル、ツア・ゾンネ/太陽亭。
ホテル兼レストランです。 -
綺麗な部屋でした。板張りの床が清潔感を醸し出しています。ホテルの人も”良い部屋だろう、最近改装した”と自慢していました。
ディンケルスビュールお泊りの皆様にお勧めします。 -
シャワー室のガラス扉も密閉され水が外に飛び出しません。
一人旅とはいえ、トイレが丸見えでは落ち着いて用足しが出来ません。 -
早速街へ。
聖ゲオルク教会。ヴァインマルクトとマルクト広場の角に建っています。
塔の天辺に乗っかっているのは夜警の小屋。昔番人はここに寝泊まりして火事、外敵を見張っていました。 -
創設は1230年頃で今の建物は1448から1499年に建てられました。後期ゴシックの堂々たる建物です。
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身廊の高さ21m。
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身廊と側廊の天井の高さが同じハレンキルヒェ/ホール式教会。
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主祭壇。
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祭壇。
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キリストの頭上に「INRI」と書かれています。キリスト磔刑画とか磔刑像によく見られるもので、ラテン語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」という言葉の頭文字をとった罪状書きです。
処刑を見に来た群衆にキリストの罪状を示すものです。 -
聖ゲオルク教会の傍のライオンの泉。
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アドラー・アポテーケ/鷲薬局。
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マルクト広場のはずれにある聖パウルス教会。
元カルメル派修道院教会。 -
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プロテスタントの教会らしい簡素な祭壇です。
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幼児洗礼の記念でしょうか。
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歴史博物館/ハウス・デア・ゲシヒテ。
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隣りの旧市庁舎。
1524年。1855年まで市庁舎でした。
ツーリストインフォメーションが入っています。 -
大勢の人の輪の中で何か始まっているようです。
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アルトラートハウス・プラッツ/旧市庁舎広場。
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大勢の見物客の輪の中で民族衣装を着た若者が踊っています。
訂正。おつむの薄くなった人もいました。 -
ディンケルスビュールには30年戦争に因んだキンダーツェヒェというお祭りが有りますが、それは毎年7月に開かれるので違うようです。
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ローテンブルクでマイスター・トゥルンクの最中なのでその向こうを張ったのかな。
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メートヒェン/少女、昔の学生言葉でメッチェン。カメラを意識したのかおつにポーズ。
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別の踊りが始まります。
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四人でぐるぐる、
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くるくると軽快です。
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ひとしきり踊りを見た後ヴァインマルクトを歩きました。
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ヴァインマルクトの入り口は聖ゲオルク教会と向かい合う市立図書館。
16世紀の再建。
昔は市参事会員宴会場で迎賓館も兼ね、皇帝カール5世、スエーデン王グスタフ・アドルフなどが宿泊しました。 -
絵の左下で子供たちが町の破壊を止めるようスエーデン王グスタフ・アドルフに懇願しています。
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マルクトの両側は華麗な切妻屋根の大きな建物が並んでいます。
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マルクト広場から続くヴァインマルクトが町一番の目抜きです。
昔ここでワインの取引が行われたのでしょう。 -
角から3軒目ドイッチェス・ハウス。
1440年築。その後度々改修されています。 -
ひときわ目を引くドイッチェスハウス。
今はホテル・レストランです。 -
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木組みの文様といい柱の彫刻といい見事なものです。
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広場の真ん中には急ごしらえの観覧席があります。
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ザクセンの7人の市民の故郷の日、何か謂れがあるのでしょうか。
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祝祭ホール。元穀物倉庫。
今日のお祭りは2015年ふるさと祭りでした。 -
切妻の装飾が面白いです。
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三角形の階層の窓が風変りです。
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左の建物、左の窓には扉があり右にはありません。大きさも違います。
右の建物、窓が引っ込んでいます。 -
通りは途中からマルチン・ルター通りと名前が変わっています。
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お土産屋。
キャンディ、ドイツ製、伝統的ボンボン、バヴァリア地方の手工芸品、おもちゃ、手製の錫人形、高品質と伝統、郷愁をそそる美術品、伝統と革新。
何でもあります。 -
聖霊教会。
1280年設立の救貧院教会。市歴史博物館になっています。 -
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歴史博物館。
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振り返ってヴァインマルクト方面。左の黄色い建物が聖霊教会。
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ローテンブルク門。
マルチン・ルター通りの突き当り。 -
ディンケルスビュールの北の城門です。
1390年頃。 -
外側はこんな形をしています。
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しっとりとした池、ローテンブルク池が拡がっていました。
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塔はファオル塔。
美しい眺めです。 -
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ファオル塔/怠け者の塔。
牢獄でした。 -
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キンダーツェヒェ・ツォイクハウス。
1500年頃の建築で穀物倉庫でした。
名前からするとキンダーツェヒェの祭りの道具類を仕舞っている倉庫です。 -
市街地の西の城壁に沿って南に歩いていきました。
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カプツィーナー通り。
この辺りはひっそりとしています。 -
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ハイマート・キルヒェ。
ふるさと教会とでも。 -
グリューナー・トゥルム/緑の塔。
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ゼークリンガー門。
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ゼークリンガー門。
市街地の西の守り。30年戦争時スエーデン軍の攻撃で崩壊しましたが1655年再建。 -
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ゼークリンガー門から城壁を離れマルクト広場の方に向かいました。
ゼークリンガー通り。 -
通りの角にある三王(東方の三博士)カペレ。
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大戦の戦没者慰霊堂です。
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第1次、第2次両大戦間のディンケルスビュール消防隊に対する感謝の気持ちのようです。
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ゼークリンガー通り。
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この辺りの路地を入った所のレストランで食事をしました。
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ゼークリンガー門を振り返った所。
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新市庁舎。
1733年築。1855年より市庁舎。 -
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マルクト広場に戻ってきました。ゲオルク教会。
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今度は広場を南に右折してトゥルムガッセに入りました。
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壁面に日時計のある家。
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今日は曇りで役に立たず。
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財務局、税務署。
元ドイツ騎士団城。1390年。
ドイツ騎士団は東方植民地プロイセンから撤退後もドイツ国内では勢力を持っていたのですね。バート・メルゲントハイム、ここ、ドナウヴェルト他各地で騎士団城を見ました。 -
破風の装飾。
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独・仏友好の泉。
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ハイマース塔。
市街地の南西側の城壁 -
城壁沿いのオーベレ・マウアー通り。
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やや高い所を通っています。
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ベルリン塔。
この城壁には幾つもの塔が有ります。 -
ヴァッハタース塔。
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ディンケルスビュールの車のナンバープレート。
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歩き疲れたので今日はこれでホテルに戻ります。
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エルゼッサー通りをとぼとぼ。
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翌26日、早朝6時過ぎ。
元気回復、フォイヒトヴァンゲンに行く前に一歩き。 -
ネルトリンガー通りを歩きました。
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ネルトリンガー門。
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旧市街地の東南端に位置します。
1400年頃。 -
門の外から。
右は3次元博物館。 -
「1475年皇帝フリートリヒ3世、1489年皇帝マキシキリアン1世、1546年シュマルカルデン同盟軍、1546年11月29日皇帝カール5世とアルバ公などなどがこの門を通過した」。
では高貴ある門に敬礼!。 -
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ネルトリンガー門の横の3次元博物館。
14世紀の元製粉所です。 -
門の外側の風景。
19世紀にカトリックとプロテスタント派の市民が仲良く同じ面積を分け合った薬草園。 -
独仏に関する記念碑のようです。
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ネルトリンガー門と左はザルヴァルター塔。
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ネルトリンガー門から城壁沿いにウンテレ・マオアー通りを北に歩きました。
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ボイアーリンス塔。16世紀。
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ヘンカー塔。
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城壁の下をくぐり外側に出ました。
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ミュールグラーベン/堀。
ヴェルニッツ門の掘割に続いています。 -
ドライガンク塔。
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城壁には点々と門が立っています。
左からネルトリンガー門、ボイアーリンス塔、ヘンカー塔。 -
旧市庁舎、ハウス・デア・ゲシヒテ/歴史博物館まで来ました。昨日と今日で旧市街地を取り巻く城壁を一周したことになります。
昨日の賑わいはどこへやら。 -
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目抜きのヴァインマルクトも閑散としています。
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これでディンケルスビュールは終わり。
ホテルで朝食を摂りバスでフォイヒトヴァンゲンに向かいました。この時もバスの時間を間違える。
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