2015/05/19 - 2015/05/21
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サンフランさん
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5月19日
贄川宿出発は遅く11時になりました。天気も良くないので今日は刻みます。
5月21日
和田峠を越えて和田宿へ、さらに長久保まで長躯歩きました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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贄川宿を出発
天気はいまいちです。 -
坂を上がる
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桜沢まで1.8KM
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路端に道祖神
この跡で、中山道は国道19号に -
若神子1里塚跡が道路の上に!
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国道から少し離れた草薮に石標があります。左は道なき道で、中山道は埋もれたのでしょうか?
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荒れ放題の社!
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国道沿いに茶屋本陣
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これより南木曽路の石碑
つまり南木曽路は私にとってはここまで? -
初期中山道の看板
先は分からない道です。予定通り本山宿へ -
長泉院の門前にある庚申塚と地蔵群
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本山宿に到着
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長久寺・常光寺の跡!
街道筋の建物はなくなっても寺社は残っているはずなのに!ここでは明治の廃仏毀釈で寺がなくなっている。 -
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わずかに残る宿場らしい建物
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文化財となっている若松や
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せま宿脇本陣
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せま宿本陣跡
洗馬は火災にあって、宿はほとんど残っていないようだ。 -
追分の標柱は、道路が新しくなってときにこちらに移されたそうです。
右へ -
名残の松が1本
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江戸時代にはなかったと思う。
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この一里塚はよく形をとどめていますね!
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2つ残っている。
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堀内家住宅
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塩尻宿に到着
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鉤の手跡はむかしの宿の形態を示しています。
今日はここまで -
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ここは塩尻宿
塩尻宿は江戸から30番目の宿 -
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塩尻宿を出発
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宿場らしい古民家もあります。
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また行き過ぎ?
国道20号へでてしまった。 -
この馬頭観音は中山道の道しるべ
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塩尻峠へ
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東山の1里塚
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夜通道の伝説、「いつの頃か片丘辺のある美しい娘が岡谷の男と親しい仲となり、男と会うため毎夜この道を通った」 と2体の地蔵
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茶屋本陣が残っていますが、非公開です。
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茶屋本陣は明治天皇も休まれたところのようです。
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横川山とあるのは峠の上でしょうか? ここから下りました。
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大石も旧跡です。
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諏訪湖が眼下に見えてきました。
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石船観音
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石船観音
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中山道は岡谷市今井で陸橋で国道を渡ります。
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小休み本陣、小林家
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平福寺
とにかく今日も暑い。こちらで小休みに -
中山道は新しき道標ができた、小橋をわたる。
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ここは迂回するしかない。江戸時代の橋は少し右だった?
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ここが中山道か? と思ったときにありがたいのは。
中山道の手ずくりの道しるべと道祖神 -
左に諏訪神社の大鳥居
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その先の右に、魁塚
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中山道は県道142号に
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下諏訪宿に到着
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宿らしい光景はほとんどない。残っている宿場の界隈は少ないです。
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諏訪大社秋宮に
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ここは金指光盛の居城跡だそうだ。
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こちらが諏訪大社本殿
諏訪大社下社秋宮 寺・神社・教会
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奥の御宝殿の右側にあるのがご神木の御柱の一の柱
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下諏訪宿を早朝出発
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下諏訪宿は中山道と甲州道の合流地点
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今は宿というよりも温泉地である。
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本陣の岩波家は残っているようだ。まだ早朝で扉は硬く閉まっている。
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諏訪大社がこの奥にある。
先を急ぐ -
中山道は右へ
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中山道は発電所の脇に、コンクリート道で上る。
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但しこの先は関係者以外立ち入り禁止!
中山道は車道に戻る。 -
そこは天下の木落とし坂。諏訪大社のご神木が落とされるのはここだ!
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上から見るとかなり急ではあります。落とされるご神木にわれ先に乗ろうとする姿をニュースで見たことがある。
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これが安全を確保する綱を結ぶ固定柱です。コンクリート柱です。
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ここでまたミスコースで車道を上に上ってしまった。中山道は木落とし坂から下へ行く!
地元民に出会い、ことなきをえた。江も若干の時間をロス。今日は和田峠を越えて和田宿まで、さらにできれば長久保までの予定。 -
そして県道142号へです。遅れを取り戻し挽回しなければならない
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先方にのろしが!
スワ、木曽殿の旗揚げか? -
中山道は142号からわき道に入る。
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のろしの裏手に、第54里塚
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その先の道に行けるのだろうか?
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行き止まり!
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仕方がなく、142号へ戻る。これは石材やの広告?
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旧道らしい道が、再び通行止め。142号は和田峠へ向けて上っている。
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樋橋村立場跡
和宮も休まれた立場も大正時代に焼失している。 -
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手持ちの地図ではこのへんで右に入る
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またまた行き止まり。今日は混乱する。
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結局県道を行く
左手に、水戸藩氏の墓の案内板 -
右に入るのはここらしい。
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中山道の道しるべがあります。
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浪人塚
ここが水戸藩氏の墓らしい。ここにくるまで、工場の中を抜けてくる。 -
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和田峠に上る道を探す。
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どうやらここだ。山道にかかる。
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道なき道へ
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江戸より53里の1里塚
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中山道は再び車道へ
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再び和田峠に上る道を探す。通行止めのチェインに方に気をとられて中山道の道しるべを見落すところだった。
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牛頭! 牛のほうは珍しい?
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林の中に墓石などが並ぶ
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中山道は車道を横切りながら進む。
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和田峠に上る道はここだろうか?
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わからず、トンネルに来てしまった。ここで小休止
もう昼だ。 -
結局トンネルを抜けて和田宿へ
和田峠へ上がる道はないのかと勘違いした。峠に上がれなかったことが悔やまれる。 -
東餅や跡
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現代の茶店ももうしまっている。
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広原の1里塚
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このへんか再び山道が続く
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石を置いただけの石畳
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接待跡
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復元だろうか?
先を急ぐ -
中山道は再び山道へ
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三十三体観音
やま道は結構長かった。この先でようやく車道へ出る。 -
ところが再び山道?
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唐沢の1里塚
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中山道の付け替えによって山中に残ったようだ。
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付け替えられた(?)車道を行く。
巨大なる常夜灯
和田宿近し -
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江戸より50里の1里塚跡
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どうやらこの道が和田宿へ
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脇本陣
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本陣も残っている! 古文書を展示しているらしいが、先を急ぐ
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こちらにも大黒や
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若宮八幡
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若宮八幡本殿は和田城主大井信定父子の墓碑がある。武田信玄に征伐されたものとされている。
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馬頭観音などが並んでいます。
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3千僧接待碑
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さらに馬頭観音
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石仏
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国史跡とされるこちらにも並んでいる。
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久しぶりの中山道の青色道標は長久保宿まで、2.6Km
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長和町の1里塚跡が路端に立てられている。
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和田宿近し? もちろん離れている。6km来た。
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どうやら長久保宿に入ったようだ。
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今も宿泊可能らしい濱田や
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今日はこれまで、長久保まで30kmの道のりであった。下諏訪を朝7時過ぎに出発、長久保到着は16時であった。8時間近い歩きであった。
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