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宝塔山遠光寺(おんこうじ、山梨県甲府市伊勢)は八幡太郎義家の実弟新羅三郎義光を遠祖とし甲斐源氏の祖である源清光(みなもとの・きよみつ)の三男として甲斐国加賀美郷(現在の山梨県南アルプス市の一部)を本領とした加賀美遠光(かがみ・とおみつ、1143~1230)開基の日蓮宗(当時は臨済宗)の寺院です。<br /><br /><br />社務所で入手した「遠光寺縁起」には次の記載があります。<br /><br />「当山は、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光より三代加賀美次郎遠光公が深く仏法に帰依し山梨郡小曲村(甲府市小曲町)に一寺を建立し感応山遠光寺と称した。建暦元年(1214)のことと伝える。<br /><br />はじめ当山は小曲の地に建立されたが、水害に悩まされ、逢沢の地に移転、この地も水害多く天文年間(1532~1555)に城南の大畑村すなわち現在の地に移転し、村名も遠光村と改めた。<br /><br />開山には臨済宗の祖千光国師栄西禅師を請じたが、栄西は高齢を理由に弟子の宗明を入山させた。<br /><br />開山の宗明は、日蓮聖人ご学游の頃、比叡山の学頭をしており、また波木井<br />実長公が縁光公の孫にあたり、その縁もあって、宗明は身延山に入山した日蓮聖人に深く帰依し、名を最上院日宗と改め、日蓮聖人の客弟となったのである。その際日蓮聖人より七重宝刀曼荼羅を賜り、山号を宝塔山遠光寺と改めた。<br /><br />日蓮聖人が池上の地で入寂され、荼毘に付され身延山で葬儀が執り行われた。その際導師を勤めたのが日宗であった。以来7年間日宗の入滅まで10月13日の正当会には日宗が身延に赴き禅師を勤めたのである。身延山第8世日憶上人の代に至り、当山住職は大聖人御逮夜法要の導師たるべきことを定められ、天正19年(1519)には、「河東之惣導師」(釜無川以東の法華寺院の支配)の免許を授与され、以降法主が交代する際また遠光寺住職が交代する際免許状が取り交わされた。<br /><br />江戸期における甲斐国身延山系寺院、一之瀬妙了寺、鏡中条の長遠寺、そして遠光寺の三ケ寺を甲斐国三大触頭とし、触頭に諸末寺の支配が託された。当時の記録には遠光寺には69の支配寺院と17の末寺を有していたと伝えられる。<br /><br />また身延山歴代の法主ご入山の際は、当山の書院にご一泊休憩し、身延へ向かわれるのが通例となり今日に至っている。<br /><br />昭和20年7月の甲府大空襲により七堂伽藍のことごとくが灰塵に帰し、現在の本堂は日蓮大聖人のご生誕750年の慶讃記念として地元山梨出身の内藤多仲博士設計のもと昭和45年7月に法隆寺の夢殿を模して建立されたものである。」<br /><br /><br /><br />尚遠光には5人の息子がおり、長男の秋山光朝(あきやま・みつとも)は平重盛の娘を妻とし平家の復興を企んだとして頼朝に滅ぼされるも、後裔は秋山氏として家系が続きます。<br />                             <br />二男の小笠原長清(おがさわら・ながきよ)は富士川の戦ではいち早く頼朝軍勢に加わったこともあり頼朝の信任厚く後に頼朝の推挙により信濃守護となり小笠原氏の基礎を築きます。一時同族の武田信玄に信濃を追われますが後に家康の譜代として復活し豊前国で大大名(小倉藩主)となります。<br /><br />三男の南部光行(なんぶ・みつゆき)は頼朝御家人として奥州合戦に従軍し戦功により陸奥国糟部5郡を与えられ後に青森県八戸に移住し南下するなか、平良ケ崎城を築き南部家の祖となって戦国時代を経て江戸幕府南部藩の祖となっています。

甲斐甲府 八幡太郎義家の実弟である新羅三郎義光を遠祖とし後裔に小笠原氏・南部氏の有力大名を輩出した甲斐源氏庶流加賀美遠光開基の『遠光寺』散歩

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2015/04/09 - 2015/04/09

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滝山氏照

滝山氏照さん

宝塔山遠光寺(おんこうじ、山梨県甲府市伊勢)は八幡太郎義家の実弟新羅三郎義光を遠祖とし甲斐源氏の祖である源清光(みなもとの・きよみつ)の三男として甲斐国加賀美郷(現在の山梨県南アルプス市の一部)を本領とした加賀美遠光(かがみ・とおみつ、1143~1230)開基の日蓮宗(当時は臨済宗)の寺院です。


社務所で入手した「遠光寺縁起」には次の記載があります。

「当山は、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光より三代加賀美次郎遠光公が深く仏法に帰依し山梨郡小曲村(甲府市小曲町)に一寺を建立し感応山遠光寺と称した。建暦元年(1214)のことと伝える。

はじめ当山は小曲の地に建立されたが、水害に悩まされ、逢沢の地に移転、この地も水害多く天文年間(1532~1555)に城南の大畑村すなわち現在の地に移転し、村名も遠光村と改めた。

開山には臨済宗の祖千光国師栄西禅師を請じたが、栄西は高齢を理由に弟子の宗明を入山させた。

開山の宗明は、日蓮聖人ご学游の頃、比叡山の学頭をしており、また波木井
実長公が縁光公の孫にあたり、その縁もあって、宗明は身延山に入山した日蓮聖人に深く帰依し、名を最上院日宗と改め、日蓮聖人の客弟となったのである。その際日蓮聖人より七重宝刀曼荼羅を賜り、山号を宝塔山遠光寺と改めた。

日蓮聖人が池上の地で入寂され、荼毘に付され身延山で葬儀が執り行われた。その際導師を勤めたのが日宗であった。以来7年間日宗の入滅まで10月13日の正当会には日宗が身延に赴き禅師を勤めたのである。身延山第8世日憶上人の代に至り、当山住職は大聖人御逮夜法要の導師たるべきことを定められ、天正19年(1519)には、「河東之惣導師」(釜無川以東の法華寺院の支配)の免許を授与され、以降法主が交代する際また遠光寺住職が交代する際免許状が取り交わされた。

江戸期における甲斐国身延山系寺院、一之瀬妙了寺、鏡中条の長遠寺、そして遠光寺の三ケ寺を甲斐国三大触頭とし、触頭に諸末寺の支配が託された。当時の記録には遠光寺には69の支配寺院と17の末寺を有していたと伝えられる。

また身延山歴代の法主ご入山の際は、当山の書院にご一泊休憩し、身延へ向かわれるのが通例となり今日に至っている。

昭和20年7月の甲府大空襲により七堂伽藍のことごとくが灰塵に帰し、現在の本堂は日蓮大聖人のご生誕750年の慶讃記念として地元山梨出身の内藤多仲博士設計のもと昭和45年7月に法隆寺の夢殿を模して建立されたものである。」



尚遠光には5人の息子がおり、長男の秋山光朝(あきやま・みつとも)は平重盛の娘を妻とし平家の復興を企んだとして頼朝に滅ぼされるも、後裔は秋山氏として家系が続きます。
                             
二男の小笠原長清(おがさわら・ながきよ)は富士川の戦ではいち早く頼朝軍勢に加わったこともあり頼朝の信任厚く後に頼朝の推挙により信濃守護となり小笠原氏の基礎を築きます。一時同族の武田信玄に信濃を追われますが後に家康の譜代として復活し豊前国で大大名(小倉藩主)となります。

三男の南部光行(なんぶ・みつゆき)は頼朝御家人として奥州合戦に従軍し戦功により陸奥国糟部5郡を与えられ後に青森県八戸に移住し南下するなか、平良ケ崎城を築き南部家の祖となって戦国時代を経て江戸幕府南部藩の祖となっています。

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 遠光寺入口<br /><br />国道358号(平和通)の「遠光寺北」交差点を過ぎた所にあり、独特な柱が組み合わされた入口があります。<br /><br />

    遠光寺入口

    国道358号(平和通)の「遠光寺北」交差点を過ぎた所にあり、独特な柱が組み合わされた入口があります。

  • 山号<br /><br />柱には「實塔山」と山号が刻されたプレートが付されています。<br /><br />

    山号

    柱には「實塔山」と山号が刻されたプレートが付されています。

  • 遠光寺山門<br /><br />国道から東側に廻ると遠光寺山門が控えています。

    遠光寺山門

    国道から東側に廻ると遠光寺山門が控えています。

  • 扁額<br /><br />山門上部に「實塔山」の山額が掲載されています。

    扁額

    山門上部に「實塔山」の山額が掲載されています。

  • 参道<br /><br />桜の花がすっかり散り今では葉桜となった参道を進みます。

    参道

    桜の花がすっかり散り今では葉桜となった参道を進みます。

  • 本堂<br /><br />鉄筋コンクリート製の本堂の姿は印象的です。遠光寺縁起によれば法隆寺の夢殿を模して山梨出身の内藤博士の設計により建立されたとの事です。

    本堂

    鉄筋コンクリート製の本堂の姿は印象的です。遠光寺縁起によれば法隆寺の夢殿を模して山梨出身の内藤博士の設計により建立されたとの事です。

  • 境内風景<br /><br />社務所や国道側方向を捉えます。

    境内風景

    社務所や国道側方向を捉えます。

  • 鐘楼堂

    鐘楼堂

  • 本堂<br /><br />当寺は建暦元年(1214)に源清光の三男である加賀美遠光によって建立されています。<br />

    本堂

    当寺は建暦元年(1214)に源清光の三男である加賀美遠光によって建立されています。

  • 墓地入口<br />

    墓地入口

  • 墓地<br /><br />正面の墓石が加賀美遠光の廟となります。(最初は探すも判らず社務所に行き場所を教えてもらいました)

    墓地

    正面の墓石が加賀美遠光の廟となります。(最初は探すも判らず社務所に行き場所を教えてもらいました)

  • 加賀美遠光廟

    イチオシ

    加賀美遠光廟

  • 石灯籠<br /><br />廟前には「遠光院殿御廟前」と刻された石燈籠が設置されています。

    石灯籠

    廟前には「遠光院殿御廟前」と刻された石燈籠が設置されています。

  • 加賀美遠光墓石

    イチオシ

    加賀美遠光墓石

  • 加賀美遠光墓石(近影)

    加賀美遠光墓石(近影)

  • 墓地風景<br /><br />遠光墓石から辺りの風景を一望します。

    墓地風景

    遠光墓石から辺りの風景を一望します。

  • 遠光廟<br /><br />廟は手前に石灯籠が遂になって設置され、加えて石柵にて墓石を取り囲んであり申し分ない廟となっています。

    遠光廟

    廟は手前に石灯籠が遂になって設置され、加えて石柵にて墓石を取り囲んであり申し分ない廟となっています。

  • 境内風景

    境内風景

  • 参道風景

    参道風景

  • 遠光寺バス停

    遠光寺バス停

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