2015/04/09 - 2015/04/09
134位(同エリア298件中)
滝山氏照さん
上野城跡(うえのじょうせき、山梨県西八代郡三珠町上野)はJR身延線・甲斐上野駅東方に徒歩10分の地にあって今では歌舞伎文化公園となっている高台の北端にあり、甲斐源氏の後裔で武田氏一族である一条氏の居館跡です。
一条氏は始祖武田信義(たけだ・のぶよし)の長男一条忠頼(いちじょう・ただより)に始まる武田氏の一族で、この名跡が絶えて久しいことを惜しんだ甲斐国戦国大名で武田一族の当主である武田信玄が腹違いの弟武田信龍(たけだ・のぶたつ、1530?~1582?)をたてて一条家を再興させた経緯があります。
信龍は富士川にに流れ込む釜無川・笛吹川や甲府盆地を眼下に一望する丘陵地に城郭を築き駿河路に繋がる甲斐南部の防御を務め、長兄信玄の出陣に際しては次兄の信繁(のぶしげ)と共に常時信玄に付き添い本陣固めを担う武将でした。
天正10年(1582)の織田信長・徳川家康連合軍による甲府攻略では駿河路から進攻してきた家康勢に対し上野城を死守しますが嫡男信就とともに捕えられ討たれてしまいます。(死因について諸説あり)
尚当城跡に張り出しの説明文はつぎの記事があります。
「 一 条 氏 塁 跡
武田信玄は始祖武田信義の嫡男、一条次郎忠頼に始まる一条家の名跡の絶えているのを惜しみ、異母弟一条右衛門太夫信竜をたてて家跡を継がせた。
信竜は、ここ上野の地に塁城を築き、その子上野之介信就と共に、騎200を率いて、武田家滅亡(天正10年3月)まで甲南の守りを固めていた。
塁跡は蹴裂神社となっています。」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- JRローカル
-
甲斐上野駅
JR身延線の無人駅でコンパクトな駅舎です。 -
歌舞伎文化公園
三珠町事務所で場所を教えていただき、歌舞伎文化公園をめざします。 -
歌舞伎文化公園
前方に疑似天守が見えます。 -
文化公園案内図
一条氏の館跡は公園の先端部にあります。そして、なぜか判りませんが取って付けたように天守が聳えています。 -
歌舞伎文化公園入口
-
公園内道路
左は広場があり、右には多目的ホールや民俗資料館等があります。 -
公園広場
-
疑似天守閣
入手のパンフレットには「ふるさと会館」となっており、展望台と考古資料室で構成されています。 -
「歌舞伎文化公園」説明板
武田信玄の能係りとして堀越十郎式部がおり、その孫である十郎家宣が上野城主の家臣とし知行を得ていたが、武田氏没落により家宣は下総国幡谷に逃れます。
初代市川團十郎はその家宣の曾孫に当たり、12代市川團十郎(堀越夏雄)は三珠町の名誉市民となっているそうです。 -
公園中庭
庭に落ちた桜の花がカーペットのように地面を覆っています。 -
市川團十郎三珠公園記念植樹
平成11年8月20日に公演・植樹されています。 -
いこいの森
ここにも散った桜の花が一面を覆っています。これから新緑を迎える季節になります。 -
民俗資料館
なぜか門は施錠されて入場できません。 -
蹴裂(けさけ)神社
-
蹴裂神社鳥居
鳥居上段には「蹴裂神社」と刻された銘板が設置されています。 -
「一条氏塁跡」説明板
-
蹴裂神社・社殿
-
蹴裂神社拝殿(近景)
相当歳月が経過している拝殿と思われます。 -
割り菱
社殿の屋根には甲斐武田氏の家紋である「割り菱」が付されており、武田氏と関わりを持つ神社であることを示しています。 -
本殿
-
上野城跡周辺風景
正面奥には疑似天守が見えます。 -
イチオシ
上野城趾石碑
一条氏館跡は別名上野城趾とも呼ばれており、この辺り一帯が上野という地名であったということに由来します。実際のところ最寄りの駅は「甲斐上野」となっています。 -
上野城趾石柱裏面
-
上野城跡周辺風景
-
東宮駐駕記念碑
明治45年3月、皇太子が近衛旅団幹部演習見学のおり当神社境内で昼食を取ったことから地元有志で記念碑を建立したそうです。 -
東宮駐駕記念碑(近景)
-
甲府市内展望
-
南アルプス市方面
-
南アルプス展望
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
29