2015/05/02 - 2015/05/02
2421位(同エリア5394件中)
Wind99さん
- Wind99さんTOP
- 旅行記391冊
- クチコミ14件
- Q&A回答1件
- 307,878アクセス
- フォロワー23人
2015、GWの6日間、京都、奈良の史跡、古刹を多く廻って来た。
2日目
奈良市へ向かう道中、「無料パーク&ライド」の看板を見付け、そこに行き車を停めた。
市役所が市内の交通渋滞を緩和させるため、休日に実施しているサービスだ。駐車場は無料で、近くの臨時バス停から市内循環ぐるっとバス(100円)に乗れば市内の観光が出来る。
今日は、近鉄奈良駅で降り、電動レンタサイクルで市内を観光した。
奈良公園中心
(興福寺国宝館、東大寺大仏殿、二月堂、三月堂、春日大社、新薬師寺、ならまち、平城京朱雀門)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
近鉄奈良駅から、すぐに奈良公園になり、興福寺に入る。本尊は釈迦三尊像。
南都七大寺の一つで藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺。もちろん世界遺産だ。
広大な敷地に、共に国宝の東金堂と五重塔がそびえる。 -
高さ50.1mで木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。
天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。 -
南円堂。
敷地の真ん中にあった中金堂は、復元再建中だった。
ここでは国宝館に多くの奈良時代の国宝の仏像があり見逃せない。最も有名な阿修羅像も拝見できた。 -
東大寺の参道を進む。
大勢の観光客がいた。正面が国宝の南大門だ。
東大寺は、奈良時代に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺であり、天平文化と言われる。 -
南大門の左右には、高さ8.4mの木造金剛力士立像(国宝)が立っている。
-
金堂(大仏殿)(国宝)に向かう。遠くから見てもでかい!これには感動した。
近世を除くと世界最大の木造建築物だ。
金堂手前中央にある八角灯篭(高さ4.62m)も国宝だ。 -
高さ46.8m、間口57m、奥行50.5mで、高さと奥行は創建時とほぼ変わりないが、東西の幅は約3分の2に縮小されている。
-
中に入ると、本尊の大仏(盧舎那仏像)が中央に鎮座している。
周囲にも多くの菩薩像があったが、大仏の像高14.7mに圧倒される。 -
入場チケットの書いてある大仏の大きさ
頭部 5.33m
目長 1.02m
耳長 2.54m
台座高 3.05m -
奈良公園一帯にいる鹿。
普段はおとなしいの鹿は癒しに感じたが、小さく丸い糞がいっぱい落ちているが、ちょっと嫌だった。 -
大仏殿から坂道を上がり頂上に着くと、お水取りで聞いたことがある東大寺二月堂だ。
これも国宝だ。十一面観音を本尊とする。 -
この手水の水は、飲めますとあり、それで水筒に汲んで咽を潤した。
-
ここの大観音・小観音ともに絶対の秘仏であり、見ることは出来ないそうだ。
-
高台に位置するため、奈良市内が良く見渡せる。
-
無料休憩所ではお茶も飲める。
お水取りで使用する松明も飾ってあった。 -
四月堂。本尊は十一面観音立像。
-
法華堂(三月堂)。不空羂索観音立像を本尊とする。
東大寺最古の建物で国宝。創建は733年と言われているが、伐採の部材測定で729年の可能性があるとのこと。
この法華堂は見逃しそうになったが。割と小さなお堂が1つあるだけだが、ここもすごかった!
真ん中に観音菩薩像があり、その周囲の9体の金剛力士などの像がそれぞれの姿で立っている。どれもが等身大の大きさで国宝である。その内の1つは秘仏で箱の収納されていた。 -
手向山八幡宮。
-
八幡使徒の鳩絵馬がいっぱい結ばれていたが、絵馬を見ると圧倒的に外国人が書いたようだ。
-
次は春日大社に向かう。
若草山を左手に見て進む。若草山は全面芝生で、鹿もいっぱいいた。
知らなかったが、入山ゲートがあり、有料の山だった。 -
途中の茶屋。
今日の気温は30度オーバーで暑さが厳しいが、新緑に映える木陰がうれしい。 -
参道を進み、一の鳥居に来た。
登坂が続くが、ここからはサイクルを置いて徒歩で行く。 -
全国に約千社ある春日神社の総本社である。
武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。 -
南門を入る。
-
銘木 砂ずりの藤。
花穂が地面の砂にすれるほど長いところからこの名がある。樹齢800年ともいわれる。 -
ここでは神紋にも藤の紋様を用い、奈良朝以来、境内の藤は大切にされている。
ホームページの藤の開花状況が載っていた。 -
中門・御廊(重要文化財)
通常、特別拝観を申し込んだ場合、本殿前のこの中門から参拝することになるそうだ。今回は20年に一度の特別公開で、さらに中の本殿に入れた!
本殿は春日造で4棟並んで立っており、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神が祀られている。
本殿の後には、神秘の石とされる「磐座(いわくら)」が初公開された。見た目には確かに不思議な石に見え、大きな翡翠のようだった -
西回廊と直会殿
-
特別拝観には、式年造替特別記念品が付いていた。
包みを開けると、春日大社は、お清めに「香」を用いる日本では稀な神社ですとあり、小型の匂い袋「春日 三笠香」が入っていた。
ビニールから出すと、嗅いだ事のないような不思議な香りがしてきた。 -
春日大社の参道も恐ろしく長い。参道を下りて行くと、奈良県新公会堂前の広場に人が大勢いた。
丁度13時で、聞くと東大寺の聖武天皇祭の行列が出るところであった! -
子供も大人も、それぞれ時代の衣装に扮して、300人ほどの行列だった。ミス奈良も3名いた。
-
行列の最終は、御輿?が出た。東大寺の座主だろうか。
先ほどの東大寺の中門前の鏡池の中に、舞台が設けてあったが、そこで法要の舞楽も行われるのだそうだ。 -
奈良公園一帯を抜けて、一般道に出る。小道を進むと志賀直哉旧宅があった。
-
新薬師寺に到着。南門から入る。本尊は薬師如来。
正面にある本堂(国宝)だけの小さな寺だ。 -
しかし、驚くことなかれ、この中は凄かった!一押しの本堂であった。
中央に本尊薬師如来像を安置、これを囲んで十二神将像が外向きに立つ。いずれも国宝で、奈良時代(8世紀)に作られた最古の作であり、造形的にも優れたものとして名高いのも頷ける。 -
橋を渡って香薬師道へ行く。庫裏では本堂の紹介ビデオを見た。
特に十二神将像には、わずかに色が残っていてそれを分析しの当時のカラフルな配色をPCで再現していたのは興味深かった。 -
ならまちに進む。
奈良公園南側の江戸時代の歴史的街並みが残る、狭い路地の地域を「ならまち」と呼んでいる。
観光用休憩所の「格子の家」に来た。 -
砂糖傳増尾商店本店。安政元年の創業。
軒先に紐でいくつもの赤いぬいぐるみがぶら下がっているのは「みがわりさる」。
これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしている。ならまちの風習だ。 -
ならまちの中心の元興寺に来た。本尊は智光曼荼羅。
日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が、平城遷都にともなって、 蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが、元興寺だ。 -
拝観チケットを買うため東門(重要文化財)に並んでいると、日本最古の瓦、飛鳥、奈良時代のものですと海内MAP付きの看板が目に留まった。
-
奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったというので、期待できるが、事前にはノーマークであった。
正面に極楽坊本堂(国宝) -
極楽坊本堂の後ろは、禅室(国宝)になっていた。
庭には小さな石塔が並ぶ。 -
これが、日本最古、飛鳥時代の瓦(極楽坊禅室・本堂)だ。
色がまだらになっていて、他の場所との違いが一目で分かる。
また、境内にある収蔵庫では国宝、重文を見学できた。 -
猿沢の池に来た。今朝一番で見た興福寺の五重塔が高台にそびえ建つ。
10代の頃、一人旅でこの池のほとりで同じ様な景色を見ていて、その旅の終わりを決めたことを思い出す。 -
奈良公園に戻ってきた。
レンタサイクルを返却し、ぐるっとバスに乗り、次の目的地に行く。平城京跡だ。 -
北側に位置する大極殿。
両者間は、直線で約1kmの距離があり、平城京の広さがわかる。
明日は、平城京天平祭がここで行われる。 -
南北側に位置する朱雀門(1998年復元)。
平城京の正門であった。 -
朱雀門から、パーク&ライドのPまで東に歩いていると、「二条通と壬生門」の案内板があった。
二条通は幅35m通路で、ここにあった壬生門が、後期朱雀門に変わり正門の役割を果たしたという。 -
マイカーに戻り、斑鳩に向かう。
途中、大和郡山城跡を見上げて、道の駅「大和路へぐり」に向かい、そこで仮眠した。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
49