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横浜山手には名所、旧跡等の見どころがたくさんあり、前回は山手の洋館をテーマにして散策しました。<br />今回は山手の石川町、元町の坂道をひたすら登り下りを繰り返し、歩くこととをテーマにしてみました。<br /><br />横浜、桜木町、関内、中華街は埋め立て地で全く坂はありませんが、元町商店街を境にして山ばかりとなります。<br /><br /><br />

横浜山手の坂道散歩

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2015/04/29 - 2015/04/29

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

横浜山手には名所、旧跡等の見どころがたくさんあり、前回は山手の洋館をテーマにして散策しました。
今回は山手の石川町、元町の坂道をひたすら登り下りを繰り返し、歩くこととをテーマにしてみました。

横浜、桜木町、関内、中華街は埋め立て地で全く坂はありませんが、元町商店街を境にして山ばかりとなります。


  • 牛島坂<br />坂下の起点です。<br /><br />今回は中区の山手の坂を海側に向かって歩いてみました。<br />

    牛島坂
    坂下の起点です。

    今回は中区の山手の坂を海側に向かって歩いてみました。

  • 牛島坂<br />牛島坂の上に架かる打越橋は美しいアーチ橋です。

    牛島坂
    牛島坂の上に架かる打越橋は美しいアーチ橋です。

  • 牛島坂<br />坂の由来は横浜駅根岸道路(打越橋)の西側が“牛島山”と呼ばれたため。

    牛島坂
    坂の由来は横浜駅根岸道路(打越橋)の西側が“牛島山”と呼ばれたため。

  • 牛島坂<br />打越橋から牛島坂を見下ろしています。<br /><br />横浜地下鉄の伊勢佐木長者町駅、ランドマークタワーが前方にあります。

    牛島坂
    打越橋から牛島坂を見下ろしています。

    横浜地下鉄の伊勢佐木長者町駅、ランドマークタワーが前方にあります。

  • 清水坂<br />牛島坂の途中にある坂です。<br />牛島坂は切り通しの道ですが、こちらは自然の起伏に沿った坂道です。<br />

    清水坂
    牛島坂の途中にある坂です。
    牛島坂は切り通しの道ですが、こちらは自然の起伏に沿った坂道です。

  • 清水坂<br />この霊泉は安政年間に横浜開港時に出入りしていた船に給水していましたが、関東大震災、昭和20年の大空襲では数万人の人々の命を救った貴重なものです。

    清水坂
    この霊泉は安政年間に横浜開港時に出入りしていた船に給水していましたが、関東大震災、昭和20年の大空襲では数万人の人々の命を救った貴重なものです。

  • 清水坂<br />今では水質が低下してきているため飲用には適さないそうです。

    清水坂
    今では水質が低下してきているため飲用には適さないそうです。

  • 清水坂<br />坂上の起点ですが坂の名を示す碑はありませんでした。

    清水坂
    坂上の起点ですが坂の名を示す碑はありませんでした。

  • 猿坂<br />こちらも牛島坂の途中にある歩行者専用の坂、階段です。<br />

    猿坂
    こちらも牛島坂の途中にある歩行者専用の坂、階段です。

  • 猿坂<br />横浜駅根岸道路(打越橋)の東側が かつて“猿山”と呼ばれたため「猿坂」の名がついたそうです。

    猿坂
    横浜駅根岸道路(打越橋)の東側が かつて“猿山”と呼ばれたため「猿坂」の名がついたそうです。

  • 牛坂<br />碑が設置されてありますが坂の名前だけで、東京都のように由緒までは書かれていないのが残念です。<br />坂上で猿坂と合流します。

    牛坂
    碑が設置されてありますが坂の名前だけで、東京都のように由緒までは書かれていないのが残念です。
    坂上で猿坂と合流します。

  • 牛坂<br />碑の裏側はひらがなとなっています。

    牛坂
    碑の裏側はひらがなとなっています。

  • 牛坂<br />昔,牛を飼っていた人がいたとか。牛のようにゆっくりでなければ上り下りできないとか,付近に牛天神があったからといわれるが,定かではない(この付近には,猿坂,狸坂,山羊坂など動物名のついた坂が多い)。

    牛坂
    昔,牛を飼っていた人がいたとか。牛のようにゆっくりでなければ上り下りできないとか,付近に牛天神があったからといわれるが,定かではない(この付近には,猿坂,狸坂,山羊坂など動物名のついた坂が多い)。

  • 地蔵坂<br />中村川の川沿いにある濡れ地蔵が坂の由縁です。

    地蔵坂
    中村川の川沿いにある濡れ地蔵が坂の由縁です。

    地蔵坂 名所・史跡

  • 地蔵坂

    地蔵坂

  • 地蔵坂

    地蔵坂

  • 地蔵坂<br />ここは女子高、女子大が多く集まっている地でもあり、彼女たちは毎日坂を登って登校しているようです。

    地蔵坂
    ここは女子高、女子大が多く集まっている地でもあり、彼女たちは毎日坂を登って登校しているようです。

  • 地蔵坂

    地蔵坂

  • 乙女坂<br />地蔵坂より分岐したところにあり、この学校への案内板に乙女坂と記されています。

    乙女坂
    地蔵坂より分岐したところにあり、この学校への案内板に乙女坂と記されています。

  • 乙女坂<br />坂上に2つの女学校があり,この坂が女学生たちの通学路になっているため「乙女坂」と呼ばれるようになったのであろう。

    乙女坂
    坂上に2つの女学校があり,この坂が女学生たちの通学路になっているため「乙女坂」と呼ばれるようになったのであろう。

  • 乙女坂<br />坂の名を示す碑はありません。<br />横に見える寺は蓮光寺です。

    乙女坂
    坂の名を示す碑はありません。
    横に見える寺は蓮光寺です。

  • 乙女坂と地蔵坂の横にある蓮光寺<br />坂の名は4トラのスポットに登録されてないので付近の目印となるスポットでこの寺を引用しました。

    乙女坂と地蔵坂の横にある蓮光寺
    坂の名は4トラのスポットに登録されてないので付近の目印となるスポットでこの寺を引用しました。

    蓮光寺 (石川町) 寺・神社・教会

  • 地蔵坂<br />坂上の碑と観光地図が横に見えます。

    地蔵坂
    坂上の碑と観光地図が横に見えます。

  • 地蔵坂と交わる山手本通り道路は観光バスも通る主要な道です。

    地蔵坂と交わる山手本通り道路は観光バスも通る主要な道です。

  • 地蔵坂<br />信号機には地蔵坂上と表示されています。

    地蔵坂
    信号機には地蔵坂上と表示されています。

  • 小坂<br />碑もなく歩行者専用の坂道ですが小坂として認知されているのだろうか?

    小坂
    碑もなく歩行者専用の坂道ですが小坂として認知されているのだろうか?

  • 小坂<br />幅の狭い道なので小坂と名付けたか,あるいは 本通りでなく脇道で人通りも少ないためについた名前か?<br /><br />このを上ったところにあるのが外交官の家です。

    小坂
    幅の狭い道なので小坂と名付けたか,あるいは 本通りでなく脇道で人通りも少ないためについた名前か?

    このを上ったところにあるのが外交官の家です。

  • 外交官の家<br />歩き続けた私はここで小休止します。<br />ベンチがあるのでこんな景色の中で一息できます。

    外交官の家
    歩き続けた私はここで小休止します。
    ベンチがあるのでこんな景色の中で一息できます。

    外交官の家 名所・史跡

  • 外交官の家の隣にはブラフ18番館があります。<br /><br />坂道はスポットではないので寄り道した途中のスポットで場所を定義します。

    外交官の家の隣にはブラフ18番館があります。

    坂道はスポットではないので寄り道した途中のスポットで場所を定義します。

    ブラフ18番館 名所・史跡

  • 大丸谷坂<br />ブラフ18番館横を下る坂です。

    大丸谷坂
    ブラフ18番館横を下る坂です。

    大丸谷坂 名所・史跡

  • 大丸谷坂<br />この辺りは山手イタリア庭園の横にあるあるため緑が多く心地良いところです。

    大丸谷坂
    この辺りは山手イタリア庭園の横にあるあるため緑が多く心地良いところです。

  • 大丸谷坂

    大丸谷坂

  • 公園坂<br />山手公園に上る坂であるためこの名で呼ばれる。明治4年に山手公園が開園して以来の坂名です。<br /><br />

    公園坂
    山手公園に上る坂であるためこの名で呼ばれる。明治4年に山手公園が開園して以来の坂名です。

    公園坂 名所・史跡

  • 公園坂<br />

    公園坂

  • さくら坂(左側)と大丸谷坂(右側)

    さくら坂(左側)と大丸谷坂(右側)

  • さくら坂<br />この坂も通学路です。<br />今日は祭日のため休校日のため通学する学生を見かけませんでしたが石川町で下車した学生はこの階段を上って行くのです。

    さくら坂
    この坂も通学路です。
    今日は祭日のため休校日のため通学する学生を見かけませんでしたが石川町で下車した学生はこの階段を上って行くのです。

  • さくら坂<br />坂上ですが碑はありませんでしたが由来は想像できます。

    さくら坂
    坂上ですが碑はありませんでしたが由来は想像できます。

  • フェリス坂<br />坂上の起点はフェリス女学院の校舎

    フェリス坂
    坂上の起点はフェリス女学院の校舎

    西野坂 (フェリス坂) 名所・史跡

  • フェリス坂<br />神奈川県では名門の女学院です。<br />坂の上を渡り廊下が校舎を結んでいるので女学院の一部の様で、碑はありませんが名の通りの坂道です。<br />

    フェリス坂
    神奈川県では名門の女学院です。
    坂の上を渡り廊下が校舎を結んでいるので女学院の一部の様で、碑はありませんが名の通りの坂道です。

  • フェリス坂<br />防犯カメラ作動中!<br />女子大、女子高の通学路で写真を撮りまくっている私も不審者に見られないようにしなければなりません。<br /><br />

    フェリス坂
    防犯カメラ作動中!
    女子大、女子高の通学路で写真を撮りまくっている私も不審者に見られないようにしなければなりません。

  • フェリス坂<br />坂下の起点部で、全て階段のため利用するのは地元住人と学生だけだと思います。

    フェリス坂
    坂下の起点部で、全て階段のため利用するのは地元住人と学生だけだと思います。

  • 汐汲坂<br />坂下の起点です。

    汐汲坂
    坂下の起点です。

    汐汲坂 名所・史跡

  • 汐汲坂

    汐汲坂

  • 汐汲坂<br />坂の名を示す碑はありませんが、坂上の山手本通りには信号機に名を示しています。

    汐汲坂
    坂の名を示す碑はありませんが、坂上の山手本通りには信号機に名を示しています。

  • 代官坂<br />坂上には代官坂上の信号があります。

    代官坂
    坂上には代官坂上の信号があります。

    代官坂 名所・史跡

  • 代官坂<br />横には代官トンネルが見えます。

    代官坂
    横には代官トンネルが見えます。

  • 代官坂<br />横浜国際観光協会が設置した代官坂の案内板です。<br />由緒が記載されてあるのは大変ありがたいものです。

    代官坂
    横浜国際観光協会が設置した代官坂の案内板です。
    由緒が記載されてあるのは大変ありがたいものです。

  • 代官坂<br />この坂は,山手の丘を越えて北方・本牧へ行く道で,箕輪坂と称していましたが,坂の途中この地に横浜村名主石川徳右衛門が居住していたことから,代官坂と呼ばれています。<br />  幕末開港前後の当主徳右衛門は,日米和親条約締結のための応接場の設営,食糧,その他の設備一切を掌りました。嘉永7年(1854)3月9日(4月6日)ペリーが横浜村に上陸し住民の暮らしぶりを視察したおり屋敷を訪れ,徳右衛門が供応した様子が『ペルリ提督日本遠征記』に記されています。その後徳右衛門は,横浜町惣年寄となり町政を担当しました。<br />  明治7年(1874),坂の上(山手町7番地)にバプテスト自由伝道協会のネーサン・ブラウンが教会堂を建て布教の拠点としましたが,火災で焼失し その後,明治27年(1894)ベンネットが横浜第1バプテスト教会と称し,教会堂を坂の途中(現在元町2丁目80番地)に移転しました。大正12年(1923)寿町に移転し,跡地に『日本バプテスト発祥の地』の記念碑を建立しました。<br />          社団法人 横浜国際観光教会<br />          横浜市教育委員会文化財課     平成7年3月

    代官坂
    この坂は,山手の丘を越えて北方・本牧へ行く道で,箕輪坂と称していましたが,坂の途中この地に横浜村名主石川徳右衛門が居住していたことから,代官坂と呼ばれています。
     幕末開港前後の当主徳右衛門は,日米和親条約締結のための応接場の設営,食糧,その他の設備一切を掌りました。嘉永7年(1854)3月9日(4月6日)ペリーが横浜村に上陸し住民の暮らしぶりを視察したおり屋敷を訪れ,徳右衛門が供応した様子が『ペルリ提督日本遠征記』に記されています。その後徳右衛門は,横浜町惣年寄となり町政を担当しました。
     明治7年(1874),坂の上(山手町7番地)にバプテスト自由伝道協会のネーサン・ブラウンが教会堂を建て布教の拠点としましたが,火災で焼失し その後,明治27年(1894)ベンネットが横浜第1バプテスト教会と称し,教会堂を坂の途中(現在元町2丁目80番地)に移転しました。大正12年(1923)寿町に移転し,跡地に『日本バプテスト発祥の地』の記念碑を建立しました。
             社団法人 横浜国際観光教会
             横浜市教育委員会文化財課     平成7年3月

  • 高田坂<br />左側が代官坂でこの階段が高田坂です。<br /><br />位置情報の地図と実際の場所が少し異なっているのが気になります。

    高田坂
    左側が代官坂でこの階段が高田坂です。

    位置情報の地図と実際の場所が少し異なっているのが気になります。

    高田坂 名所・史跡

  • 高田坂<br />この坂を見上げて上るのを諦めて元町商店街に出ます。

    高田坂
    この坂を見上げて上るのを諦めて元町商店街に出ます。

  • 額坂<br />坂の入り口で元町公園の入口でもあります。

    額坂
    坂の入り口で元町公園の入口でもあります。

  • 額坂<br />右側は元町公園で横浜市の遺構としてブラフ溝と案内板が設置されてありました。

    額坂
    右側は元町公園で横浜市の遺構としてブラフ溝と案内板が設置されてありました。

  • 額坂<br />道の側溝にはブラフ溝と呼ばれ、明治7年から8年にかけて敷設された排水溝です。

    額坂
    道の側溝にはブラフ溝と呼ばれ、明治7年から8年にかけて敷設された排水溝です。

  • 額坂<br />坂の上部で碑は電柱の後ろ側に見えます。<br />この先山手本通りにはベーリック・ホールとエリスマン邸が両側にあります。

    額坂
    坂の上部で碑は電柱の後ろ側に見えます。
    この先山手本通りにはベーリック・ホールとエリスマン邸が両側にあります。

  • 貝殻坂

    貝殻坂

  • 貝殻坂

    貝殻坂

  • 貝殻坂<br />坂上の起点には坂の名の碑ともう一つの碑がありました。

    貝殻坂
    坂上の起点には坂の名の碑ともう一つの碑がありました。

  • 貝殻坂<br />もう一つの碑とは日本の道100選の碑で山手本通りが選ばれています。

    貝殻坂
    もう一つの碑とは日本の道100選の碑で山手本通りが選ばれています。

  • 貝殻坂<br />位置情報の場所が実際と異なっています。<br /><br />4トラのスポットとして貝殻坂がありますが地図上の位置が誤っています。<br />外人墓地内ではなく外人墓地と元町公園との間の坂道です。

    貝殻坂
    位置情報の場所が実際と異なっています。

    4トラのスポットとして貝殻坂がありますが地図上の位置が誤っています。
    外人墓地内ではなく外人墓地と元町公園との間の坂道です。

    貝殻坂 名所・史跡

  • 陣屋坂<br />坂上の地点には石製の碑があります。<br />

    陣屋坂
    坂上の地点には石製の碑があります。

  • 陣屋坂<br />坂上の起点は外人墓地の正面になります。

    陣屋坂
    坂上の起点は外人墓地の正面になります。

  • 陣屋坂<br />途中から道路幅が広くなります。

    陣屋坂
    途中から道路幅が広くなります。

  • 陣屋坂<br />坂下の起点です。<br />道路幅が違います。

    陣屋坂
    坂下の起点です。
    道路幅が違います。

  • ビヤ坂<br />見える公園はキリン公園です。

    ビヤ坂
    見える公園はキリン公園です。

  • ビヤ坂<br />ここはかつてキリンビール工場があった場所でビヤ坂と名付けられています。

    ビヤ坂
    ここはかつてキリンビール工場があった場所でビヤ坂と名付けられています。

  • ビヤ坂<br />碑はありませんが地元では誰もが納得する坂の名です。

    ビヤ坂
    碑はありませんが地元では誰もが納得する坂の名です。

  • 谷戸坂<br />一番海側に当たる坂です。

    谷戸坂
    一番海側に当たる坂です。

  • 谷戸坂<br />ジブリの「コクリコ坂から」に登場する坂がこの谷戸坂にイメージに当てはまります。<br />左側に見えるのは山手迎賓館です。

    谷戸坂
    ジブリの「コクリコ坂から」に登場する坂がこの谷戸坂にイメージに当てはまります。
    左側に見えるのは山手迎賓館です。

    谷戸坂 名所・史跡

  • 谷戸坂<br />坂上で、右側は港の見える公園です。

    谷戸坂
    坂上で、右側は港の見える公園です。

  • 港の見える公園に立ち寄ります。<br />ここはお馴染みのスポットです。

    港の見える公園に立ち寄ります。
    ここはお馴染みのスポットです。

    港の見える丘公園 公園・植物園

  • 港の見える公園から見る横浜港で、コクリク荘のイメージとぴったしです。

    港の見える公園から見る横浜港で、コクリク荘のイメージとぴったしです。

    港の見える丘公園 公園・植物園

  • その説明板が港の見える公園に設置してありました。

    その説明板が港の見える公園に設置してありました。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • salsaladyさん 2024/02/19 10:05:04
    ブラフ46番地❣
    ☆前半の坂は全然見覚えが無く。。。ここが?あの「山手46番地」の我が母校❓と~

    ☆半世紀前の位置情報では現在にマッチする訳もなく~と思っていたら汐汲坂―代官坂―貝殻坂―谷戸坂。。。と懐かしい阪も表われて。。。そうそう外国人墓地にMs.Kidderや開校当時のアメリカン教師の墓参りに行ったのが毎年6.1開港記念日だったなあ~と思い出します。

    ☆かつて、占領時代を経た頃は坂の上に住む日本人はほとんど居なくて、馬鹿でかい外国人用の屋敷がのさばっていたけれど。。。今やあの大変な坂ノ途中にも日本邸宅が建てられている現実を見る【良かったか、間違ったかは住んでみてから判るのよね】!

    ☆日本の歴史は港町から始まるって事か。。。

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