2016/01/28 - 2023/11/24
1176位(同エリア9766件中)
TAKEおじさん
- TAKEおじさんTOP
- 旅行記888冊
- クチコミ132件
- Q&A回答0件
- 1,535,576アクセス
- フォロワー73人
近所を散歩していると、地域の歴史を示す高札を所々で見かける。
「ふるさと再発見寺尾奉行」の高札で、2013年から地区の有志により、その土地の歴史を示す高札が建てられている。
2016年1月現在、全部で20箇所の場所に、高札が建てられている。
追加 →22カ所(2016.7.9)
再追加 →25カ所(2019.1.21)
再々追加→28ヵ所(2023.11.24)
総ての高札を回って、その土地の歴史に触れて見ようと、天気の良い日に回って見た。
高札の場所の情報は、まとまった物が無く、その場所を探すのも一つの楽しみに成った。
まるで、ウォークラリーをしている感覚だった。
大体の場所を地図上にプロットして、効率良く回る順番を検討した。
歩き始めて3時間半、なんとか20箇所すべての高札を見て回ることが出来た。
歩数は18,000歩で、楽しいウォークラリーとなった。
回る順番は、以下の通りが効率的。
ーーーーー2か所追加で修正(2016.7.9)ーーーーーーーー
今回、追加した2か所が分からず、東寺尾ケアプラザに紹介して、高札めぐりマップを頂いた。しかしながら、(16)庚申塔(東寺尾1-13)がどうしても見つからず、最後に撤去していることが分かった。近くの松蔭寺に移設されていた。
ーーーーー3か所再追加(2019.1.21)------------
ネットで調べたら、3カ所追加されているのが分かった。
ーーーーー3か所再々追加(2023.11.24)ーーーーーーーーーー
前日に「馬場の赤門祭り」で、寺尾奉行のパンフレットを購入。これで、3か所追加されているのが分かった。
(-1) 上遠牡丹園(北寺尾6-7) 再々追加(2023.11.24)
(0)庚申塔(北寺尾7-26) 再追加(2019.1.21)
(1)湾前(ワンメ)(馬場7-19)
(2)綿内谷(馬場2-23)
(3)馬場の赤門(馬場2-23)
(4)馬のメド坂(馬場2-13)
(4.1)道標(馬場5-15) 再々追加(2023.11.24)
(5)馬頭観世音(馬場4-33)
(6)馬場谷戸庚申地蔵塔(馬場4-20)
(7)心願地蔵(東寺尾6-33)
(8)庚申塔(東寺尾6-36)
(9)田中弁天(馬場3-21
(9.1)愛宕坂(馬場4-10) 再々追加(2023.11.24)
(10)成願寺跡(東寺尾2-21)
(11)鍛冶屋敷跡(東寺尾1-14)
(11.1)麻をつくらない村(白幡神社)再追加(2019.1.21)
(11.2)宮の下(東寺尾2-13) 再追加(2019.1.21)
(12)庚申塔(馬場3-5)
(13)ディダラボッチ(馬場3-5)
(14)赤坂(西寺尾1-33)
(15)子の神様(東寺尾1-17) 追加(2016.7.9)
(16)庚申塔(東寺尾1-13) 追加(2016.7.9)→撤去 松蔭寺に移設
(17)庚申塔(馬場3-3)
(18)馬頭観音(馬場1-1)
(19)ハネキ(東寺尾1-10)
(20)入江戸川せせらぎ緑道(馬場1-5)
(21)青面金剛合掌立像(馬場7-4)
(22)寺尾稲荷道(馬場7-4)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
-
再々追加 2023.11.24
赤丸で囲んだ3ヵ所を追加した。
11月23日に行われた「馬場の赤門祭り」で売っていた、寺尾奉行のパンフレットを購入して調べたら、3ヵ所追加に成っていた。翌日、さっそく調べた。 -
さらに新しい高札 (再々追加)
鶴見区の北寺尾第二公園・北寺尾渋沢公園周辺は、昔、牡丹園だった。 -
【-1】上遠牡丹園(北寺尾6-7) 再々追加(2023.11.24)
上遠喜三郎(かみとお・きさぶろう)氏が入手した畑や山林に、1924(大正13)年から1963(昭和38)年まで存在していた「上遠牡丹園」だった。
約1万坪の土地に約1万の牡丹が広がる「日本でも屈指の牡丹園」だったという。 -
新しい高札が(再追加)
近所の滝川造園沿いに「ふるさと再発見寺尾奉行」の高札が有るのを発見。
「ふるさと再発見寺尾奉行」は、全22か所でかつて旅行記に纏めてある。
どうも新しい高札が出来たようで、ネットで調べたら2018年に3か所追加に成ったらしい。 -
高札は庚申塔
庚申塔の高札は全部で5つ目。高札に成っていない庚申塔もこの地域では良く見かける。 -
【0】庚申塔(北寺尾7-26) 追加(2019.1.21)
元禄九年(1696年)に建立されたもの。 -
ここはいつもお供えがある
時々この辺を歩くが、いつもお供えが有る。
庚申信仰に基づいて建てられた石塔は江戸時代に多く建立された。 -
板碑形六臂青面金剛立像
台座には三猿がはっきり見える。
この並びにある滝川造園の話では、250年前からこの場所にあり、手が六本あるのは働き者だったからと教えてもらった。 -
これは不明
安永(あんえい)九年?
元禄より後の年代。 -
寺尾奉行高札めぐり ウォークラリー スタート
第1番目は、家の近くの「湾前」からスタート。
ところが、馬場七丁目19番地の住所を頼りに探したが見つからない。 -
ようやく見つけた
ここは、バス通りで私もよく通る道だが、高札は実に分かり難い。
獅子ヶ谷から馬場7丁目に行くバス通りだ。 -
個人宅の門の前に有った
付近を20分くらい歩き回ってしまった。
最初からこれでは、先が思いやられる。
実は良く通っている道だった。高札は目立たない。 -
【1】湾前(ワンメ)
最初の高札。
今から1,500年前は、この辺りまで海だった。湾前が訛ってワンメと呼ばれて今に残っている。
僅か、1,500年前まで、この辺りまで、海だったとは驚く。
すると、我が家も海の底だったのか? -
次は
湾前のバス通りを、道なりに南に下って行く。
「馬場赤門」の広場に出る。
ここの、高札は出来たばかり。 -
【2】綿内谷(わたうちだに)
かつて「赤門」付近の谷間は綿内谷と呼ばれていた。
明治のころまで、綿を栽培して綿を打つ職人が住んでいた。機職人の住んでいた集落で綿内谷。
この辺りで、綿織をしていたとは面白い。 -
広場では
いつも子供たちがボール遊びしている。
その先に、馬場赤門の裏側が見える。 -
広場を回ると
「馬場赤門」。由緒ある立派な門構えだが、この門しか残ってない。 -
【3】馬場の赤門
江戸時代の名主の長屋門で、幕府より朱塗りが許された。
安政年間1885年に建てられた。
東寺尾、北寺尾、西寺尾、馬場の4箇村の総代名主。 -
見事な朱塗り
朱塗りを許されているのは、かなりの名主? -
石碑も
高札と同じ内容を記した石碑も有る。 -
名主は沢野家
詳しい経緯が書かれている。
18万坪もの土地を所有していたそうだ。第2次大戦後に土地を解放した。
先ほどの「湾前」の家も沢野家だった。 -
馬場花木園を通って
次の「馬のメド坂」は、花木園の上にある。
花木園は、よく来るところ。(1・8撮影)
四季折々の花が楽しめる。 -
最近はカワセミ
冬場は花が少ないが、最近はカワセミが出没している。(1・20撮影) -
カワセミ
昨年までは、あまり見かけなかったが、今年は見かける日が多くなった。(1・26撮影) -
もう一枚
買ったばかりの300ミリ望遠で試し撮り。(2・02撮影)
動画も。
https://www.youtube.com/watch?v=e4Gz4-YiWfA -
「馬のメド坂」は馬場第二公園
花木園の上に登ると小さな公園。 -
【4】馬のメド坂
この道は、室町時代から近世に至る古道で、馬の背中に似た地形になっている。寺尾城主、諏訪の殿様が馬術上達に励んでいた。
辺りは樹木で古道らしい雰囲気もある。 -
宝蔵院
さらに水道道を第2国道に向かって行くと、宝蔵院の案内が有ったので紹介する。
これは、立派な山門。鎌倉時代の1枚板。 -
宝蔵院
境内は赤い旗で本堂。 -
ラッキーセブンめぐり
境内7か所、ラッキーセブンめぐりが有る。
まぁ、一応周った。 -
源平五色の椿
源平五色の椿の老樹。一本の幹から「赤・白・ピンク・しぼり(赤・白が点散)・ぼかし(にじんだ色)」の五色(ごしき)の花が咲くという。4月頃にまた行って見ようかな。 -
給水タンク
さらに水道道を行くと、災害時の給水タンク。
このそばに、次の目的地がある。 -
すぐに新しい高札 再々追加(2023.11.24)
水道道から左に目立たない所。 -
【4-1】道標(馬場5-15) 再々追加(2023.11.24)
対象15年地元の青年団が作成。
地域の交通路を詳しく表している。 -
交差点に「馬頭観世音像」
光を浴びて。 -
【5】馬頭観世音像
文化2年(1805年)に村に依って建てられた。
馬の安全祈願、神奈川宿への助郷(すけごう)に使われた。 -
祠には
馬頭観世音。
観世音菩薩の化身で,六観音の一つ。馬の無病息災の守り神。 -
細い道を下って行く
さらに水道道を行き、ヒルサイド鶴見のマンションの左の細い道を下って行く。 -
坂を下りきったところに「馬場谷戸庚申地蔵塔」
-
【6】馬場谷戸庚申地蔵供養塔
この石仏は江戸時代享保19年(1734年)に建立。
台座には「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の三猿が彫刻されている。
疫病、盗賊等の災いが村内に入ってこない様に建てられた。
三猿は? -
台座に三猿
良く見ると、台座に確かに三猿が彫ってある。 -
三猿
アップで。 -
響橋(通称めがね橋)の手前に
水道道に戻り、めがね橋へ進む。橋の手前に「心願地蔵」がある。 -
【7】心願地蔵
江戸時代安永8年(1779年)に、子宝に恵まれなかった松沢源右衛門が、願いが叶うようにお地蔵様を建てた。 -
心願地蔵
子宝に恵まれますように。 -
めがね橋の脇に「庚申塔」
この高札は、昨年新しく出来た3つの内の一つ。
分かり易い場所にある。 -
【8】庚申塔
この庚申塔は、享保元年(1716年)に建てられた、六臂青面金剛立像。ここにも、台石に三猿。左右の二猿は中央に背を向けている。 -
六臂青面金剛立像
青面金剛立像に、腕が六本で六臂。
台座には三猿。左右の二猿は背を向けている。 -
次は田中弁天を目指す
今来た水道道を戻り、上寺尾小学校を目指す。
この小学校の門の右側にある。 -
ひっそりと田中弁天
まったく目立たない。通り過ぎてしまった程。 -
【9】田中弁天
昔はこの辺りは入江で田圃としたが、山から湧き出てくる清水で水温が低く、米の収穫は少なかった。稲作の豊穣を祈って、弁財天坐像を祀った。
ここまで、海が来ていたのか。 -
弁財天は居ない
祠の中は空っぽ。どこに消えたのか?修復中? -
長い階段が有った 再々追加(2023.11.24)
ちょっと分かり難いが。 -
【9.1】)愛宕坂(馬場4-10) 再々追加(2023.11.24)
通称「二百階段」。
寺尾城の騎馬武者が馬術訓練のため登り下りしていたと言われる。 -
FUJIスーパー目指して
次の「成願寺跡」は、FUJIスーパーに向かって歩き、FUJIスーパーから左に入る。 -
成願寺跡
ちょっと探したが、なんとか見つけた。
ここも昨年新しく高札を立てたところ。 -
【10】成願寺跡
成願寺は天正3 年(1575)馬場建功寺第二世、聲庵守聞禅師の開創して、寺尾に一字を建立し本尊釈迦牟尼佛を安置したことから始まる。
後に、第二十世加藤海応和尚の明治39 年2 月、境内地を大本山總持寺移転再建地に献納し、大正元年に再度鶴見豊岡に移転した。
大本山總持寺は成願寺の土地に建てたとは。どんないきさつが有ったのか?
これで、20の内、半分の10か所を回った。2時間14分経過。 -
すぐ近くに鍛冶屋敷跡
成願寺跡の通りをそのまま南東方向に来れば良い。 -
【11】鍛冶屋敷跡
かつて、白幡公園内のログハウスの北隅に小池が有り、刀や馬蹄金具を造る鍛冶屋が有った。昔から住んでいる天野家を、鍛冶屋敷と呼んでいる。
ログハウスを紹介する。 -
ちょっと寄り道
白幡公園は、白幡神社のバス停を登って行く。 -
ログハウスがあった
白幡公園には、立派な子供向けのログハウスが有る。 -
ログハウス
ネットやすべり台、トンネルなどがあり、小屋全体は大きな遊具に成っている。
これは、子どもには楽しそう。もちろん無料。 -
高札は「麻をつくらない村」 追加(2019.1.21)
白幡神社の参道入り口にある。 -
【11.1】麻をつくらない村(白幡神社) 追加(2019.1.21)
氏神の白幡様(白幡神社)が敵に追われ麻の葉で目を傷めた事から麻を作らなくなった。白幡神社 寺・神社・教会
-
白幡神社
拝殿に続く。 -
昭和のころから高札があった。
高札には
口碑によれば往古[おうこ] は寺尾の鎮守神として源頼朝を祀ったと伝え後に永享七年六月五日(1435)寺尾城主諏訪三河守が白幡大明神として足利尊氏を祭神として祀った。もとは寺尾四か村の総鎮守で明治六年白幡神社と改称し、祭神は品陀和気[氣]命に改められ東寺尾の鎮守として今日に至っている。 -
拝殿
-
舞殿
立派な舞殿がある。 -
次の高札は
白幡公園のバス通りを少し行くと高札が見えてきた。 -
高札は宮ノ下
沢野家の前に有った。 -
【11.2】宮の下(東寺尾2-13) 追加(2019.1.21)
江戸時代から続く沢野家は、白幡神社の麓に有ったので「宮ノ下」の屋号で呼ばれていた。明治初期には白幡神社の宮司も務め寺子屋を開いていた。 -
東高校の脇には2つの高札
FUJIスーパーの通りをそのまま進むと東高校に出る。右側に、「庚申塔」と、昨年新しく建てた「ディダラボッチ」。
2つ同時に見つけられると得したような気がする。 -
右側が「庚申塔」
-
【12】庚申塔
江戸時代の泰平な時代に石仏などが多く作られた。祠堂には、三基の石塔があり、右側は廻国塔(笠付)で満願成就、笠の正面には二匹の猿が手をつないでいるのは珍しい。
真ん中は舟形地蔵の庚申塔で東寺尾の名主達が安全祈願や健康を祈って建てた。(享保十年、1725年)
左側は不明。
庚申塔には必ず猿が居る。 -
右側は廻国塔(笠付)
二匹の猿は? -
2匹の猿
確かに手をつないでいる。 -
真ん中は舟形地蔵
東寺尾の名主達が安全祈願や健康を祈って建てた。 -
その隣には「ディダラボッチ」
これも、昨年のニューフェイス。
ひっそりと、寂しく立っていた。 -
【13】ディダラボッチ
ディダラボッチは、日本各地で伝承された巨人である。馬場学校(今の東高校)に行く道に千平方メートルの窪地が、大男の足跡と言われていた。
他でも聞いたことが有る。 -
千葉の巨人伝説
千葉鋸南に水仙を見に行ったときに同じような看板が有った。
こちらは、デーデッポの足跡。こちらの巨人の方が大きい! -
次に「赤坂」
ここは探すのが難しいが、私は鶴見七福神めぐりの時に、撮影していたのですぐに分かった。
急な坂道が続くが、赤い?? -
松蔭寺から坂を降りたところにある
「横浜 鶴見七福神めぐり」はこちらです。
http://4travel.jp/travelogue/10969048 -
【14】赤坂
江戸時代の天明のころ西寺尾村形にあった慈眼堂観音に病気平癒祈願のために、母親が赤子を背負って通ったことから「赤坂」。東寺尾住人はこの街道を通って子安・大口に出た。
「赤子坂」なんだ。この先も坂道が続いていた。 -
次に目指すのは新しく出来た高札(ここから2カ所追加 2016.7.8))
【15】子の神様を探す。東寺尾ヒルズ脇のひっそりとした細い道路。 -
ひっそりと、22番目に出来た高札を発見
人通りが少なく、分かり難い所に有った。 -
【15】子の神様 (2016.7.8追加)
十二支の「子」ねずみを神の使いとする大国主命。もう一つには、神代の根の国の神と言われ、農村では水の神と考えられていた。 -
東寺尾ふれあい樹林を通って
ひっそりとした雑木林を通って行く。 -
この辺に庚申塔(東寺尾1-13)が有ったらしい
まさか、撤去されているとは知らず、2日間も探し回ってしまった。
東寺尾一丁目ふれあい公園脇。
この庚申塔は前から有ったらしいが、撤去されていたので存在も分からなかった。 -
これがかつての写真
高札めぐりマップに小さな写真が有ったのを拡大した。 -
【16】庚申塔(東寺尾1-13) (2016.7.8追加)
高札を再現した。
この庚申塔は、謂れは定かではないが、北向きの霊験あらたかな尊像で、地域の守り神として、今後も大切にしたい。 -
松蔭寺に有った
近くの松蔭寺に移設されていると聞いたので、松蔭寺に行き確認した。
写真で見たのと同じ庚申塔が有った。
写真より、綺麗に成って手厚く保護されているようだ。
また元の場所に戻るのは?? -
水道道に戻って
スーパー文化堂辺りに。 -
4つ目の「庚申塔」
庚申塔は、やはり多い。 -
【17】庚申塔
享保14年(1729年)馬のメドに原家が建立した。道祖神の役割もして、行き倒れの面倒もみていた。現在も、原家の子孫が祀り続けている。
原家代々、守っているとは凄い。 -
庚申塔
お猿さんは見えない。 -
水道道を内路方面に
さらに水道道を行くと、「馬頭観音」が右手に見えてくる。 -
あまり目立たない
この道は何度も通っているが、高札には気が付かなかった。 -
【18】馬頭観音
愛馬に感謝して「馬頭観音」之碑。建立不明。
昔の馬の役割は、今の車どころでは無かった。 -
馬頭観音
なんとも言えないこの形。何を表しているのか? -
水道道から左に入って
この場所は分かり難い。番地を頼りに。 -
掲示板と並んで
高札が有るだけ。清水家の前にある。 -
【19】ハネキ
この清水家は「ハネキ」の屋号で呼ばれていた。この地は海から入江川をさかのぼり、船着き場が有った。小舟に荷をはねて(積み替えて)いたので、この屋号。
はねて→ハネキ 名字の代わりに特徴ある屋号を付けた。 -
いよいよ入江川
私の散歩道なのでよく知っている。
ホームに帰ってきた感じ。建功寺の横を入って行く。 -
初めて見た高札
私が3年前に初めて見た高札がこの「入江戸川せせらぎ緑道」。
この土地の謂れが分かり、新鮮な驚きだった。 -
【20】入江戸川せせらぎ緑道
かつてこの川は戦国時代の武士が、武具や身体を洗い流し血の川と呼ばれていた。上流の土壌が赤かった為との説も有る。
今は、横浜市の支援で、かつてのどぶ川が水と緑の散歩道に成っている。
今は赤くは無いですが。 -
素晴らしい散歩道
いつも通っている素晴らしい散歩道です。
桜やアジサイの季節は見ごろ満点。何度か、旅行記にしている。
神奈川探訪⑨ 入江川せせらぎ緑道便り①(4~5月) 桜、サギ、カルガモ
http://4travel.jp/travelogue/10355780
神奈川探訪(10) 入江川せせらぎ緑道便り②(6~7月) アジサイ、ザリガニ
http://4travel.jp/travelogue/10355957
さくら満開 横浜 馬場花木園、入江川せせらぎ緑道 2014
http://4travel.jp/travelogue/10873876 -
「入江戸川せせらぎ緑道」を抜けると
馬場7丁目のバス停に出る。
その道を左に行き、細い路地を入ると次の高札。 -
【21】青面金剛合掌立像
右側は「青面金剛合掌立像」を浮彫にした。(1764年)
左側は「庚申青面金剛」(1805年)。街道沿いに置かれた。 -
これが
右側「青面金剛合掌立像」
左側「庚申青面金剛」 -
3猿発見
後日、右側「青面金剛合掌立像」の下に3猿が彫ってあるのを発見した。
花の影で見えなかった。 -
いよいよ最後
「青面金剛合掌立像」からそのまま進む。
後ろは、横浜環状線北線の馬場出入り口の工事中。 -
【22】寺尾稲荷道
この道は寺尾街道として、大山参りの近道で賑わっていた。
旧東海道の抜け道だったとは驚く。 -
3時間半、18,000歩
横浜環状線北線の馬場出入り口の工事風景。
ようやく、20箇所無事制覇。
高札の場所探しをしながらの歩きは楽しかった。
ふるさと再発見の高札建立の有志には感謝したい。
今年は、また新しい高札が出来るのだろうか。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
TAKEおじさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
113