2015/04/13 - 2015/04/13
334位(同エリア1688件中)
mahaさん
死者の街はあまり観光客が行かないところですが、その分ハーンカーなどが綺麗に残っています。
若干カイロの他の地域とは違う雰囲気であり、私もその昔カイロにいた頃は行ってはいけない場所と言われていました。
今回訪れてみて街も綺麗だし、昼間ならハーンカー巡りも良いかなとは思いましたが、やはり独特な空気感はあります。
個人旅行の方にはぜひ、きれいに残っているハーンカーなどを見てほしい、でも危険ではないけどちょっと独特の雰囲気があるし…と、訪れてみて心の中にもやもやとしたものが残った死者の街でした。
その後はシタデルに移動。ムハンマド・アリー朝にまつわる場所も付け加えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ホテルで死者の街に行くと言ったら「そんなところに行くの?」という感じで調べてくれましたが、地図がなかなか出て来ず、死者の街のところは空白のようでした。夕方ホテルに荷物を取りに行ったら、大丈夫だった?心配してましたよと言われてしまいました。エジプト人にとっても、あまり行かない場所であることは、間違いありません。それでも通りの名前を書いた紙を持たせてくれたので、タクシーの運転手に見せて、割とスムーズに着きました。ただし、運転手さんもこの街の事は分からないようで、何度も聞きながら、着きました。
「スルタン・バルクークのハーンカー」 -
ハーンカーとはスーフィー(神秘主義)の修道場のことです。
ここは1411年にバルクークの息子スルタン・ファラジによって建設されたもので、規模が大きく、部屋なども綺麗に残っています。
スルタン・ファラジは10才で即位した後、2度も退位させられ、23才の時にダマスカスで殺害されたちょっと可哀想なスルタンです。 -
中庭は広いです。ミナレットには登れませんでした。
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中庭の奥にある建物は真ん中が礼拝所で、左側がバルクークさんのお墓、右側がバルクークさんの奥さんや親族のお墓になっています。
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このハーンカーの驚くことは、敷居に使われているのが、カルトゥシュが刻まれている石だと云うことです。どこかの遺跡から運ばれてきたそうです。
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カルトゥシュが見えます。
古代遺跡好きの人が見たら、卒倒するかもしれませんね。
「こんなお墓の敷居に使うなんて、あんまりだ!」って。
歴代のエジプトの支配者は、もともとのエジプト人ではなく、トルコやイラク、シリアあたりから来た人が多く、古代文明に興味がなかった分平気で他の建物に使ったようです。 -
スルタン・バルクークのハーンカー入り口
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この通りで女性たちが集まっておしゃべりしていたので、道を聞いていると、通りがかったおじさんが連れて行ってくれるというので、ありがたく同行してもらうことにしました。
おじさん曰く「女の人たちは、地図も場所もわかってないから、聞いても駄目だよ」
う〜ん、確かに他の場所でも、女性に聞くと2勝8敗位の確立で負けがこみましたが、同じ女性としてあまりそう思いたくないし。。。 -
このような名も無いお墓がゴロゴロしています。
ほとんどがマムルーク朝時代のもののようです。 -
お墓へ入る入り口だったそうです。
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お墓が建っていた跡。今はもう土台だけで、墓石はどこへ行ってしまったのでしょう・・
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左スルタン・バルスバイのお墓とマドラサ
2階がマドラサ(学校)になっていたそうです。 -
左の五角形のところから、水を配っていたそうで、窓の下にある3つの突起はその入れ物を置くように作られたものらしいです。これはイスラミック地区の他のサビール・クッターブでも同様にありました。
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スルタン・バルスバイのマドラサ入り口
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スルタン・アハマドのモスク
ほとんど廃墟です。 -
手前スルタン・アハマドのモスク、奥スルタン・バルスバイのマドラサ
瓦礫の山ですね〜 -
その後、ムハンマド・アリー朝の人々などが眠るお墓に連れて行ってもらったのですが、外国人は入ることができず、入り口で撮っていた写真も消すように指示されました。中は植物園のように綺麗に手入れされており、管理官常駐しているようでした。
エジプト人なら入れるのに、外国人はダメだなんて、どういう事!? -
サバア・バナート
サバアとは7、バナートとは娘たちの意味。
手前の建物は崩れてしまっていますね。もったいないなあ… -
アハマッド・アブー・セイフのタキーヤ
15世紀のものです。 -
内部は壊れてしまっていますが、奥にメッカの方向を示すミフラーブが見えます。
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建物にこのような絵が描かれていることがあります。これはメッカに巡礼に行ったことを表わしている絵
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カイロの他の地区より、ゴミは少なく、比較的綺麗な街並みでした。
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共同の水飲み場。昔は素焼きの壷が置いてあったのですが、だいぶ現代風になりました。
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軍隊の宿舎にもなっていたようです。
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カイトベイのお墓とモスク
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ここも中の撮影はダメだそうです。入るのはいいのに、なぜダメなの?と、おじさんが交渉してくれたのですが、仕方ありません。小さなモスクでしたが、祈りの場なので、管理人さんが写されるのは嫌だと思えば、それは尊重しなければいけません。
でも、本当は少し渡せば大丈夫だったかも…おじさんと一緒だったので、さすがにできませんでしたが… -
現在は2万人を超す人々が住んでいるのに、こんなに人影がないなんて、やっぱりカイロのほかの地域とは全く違う異様さを感じます。
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広い通りにあまり人影がないので、明るいうちはいいけど、暗くなったら嫌ですね。
ガイドブックに詳しく載ってないんですよね…というと、こんなに人が沢山住んでいるのになぁ…と、悲しそうなおじさん。ミニバスだって走っているし、カイロの何処よりも綺麗な街並みだし、ハーンカーも綺麗に保存していてくれているのに、本当になんだか切ない。 -
親切なおじさんに会えて、幸運でした。
やっぱりカイロのほかの地域とちょっと違うので、一人で歩くには覚悟がいったかもしれません。ファールークのお墓の入り口で私の悪口を言われていましたが(入口の前で撮っていた写真を削除しろと言われて、中を写していないのに何故?と理解出来なかったので)すごくかばってくれていました。
おじさん、ありがとうございました。バターを買いに家から出てきたところに私がいたようで、長い買い物時間になってしまいました。
帰りに、日本から持ってたお菓子の袋と、幾ばくかのお礼を・・・
いらないと云っていたけど、私にはこれしかお礼の気持ちを表すことができないので。。。 -
ここを通っているのはカイロの外環道路で、この後何度か通ることがありました。
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この陸橋が、死者の街とアズハル地区を結ぶわかりやすい橋
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タクシーでシタデルへ移動しました。
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ムハンマド・アリー・モスク
1830年着工、ムハンマドアリーが亡くなって8年後の1857年に完成した、ビザンツ・オスマンスタイルのモスク。
イスタンブールのアヤ・ソフィアを手本に建てたモスクですが、オスマン建築のしきたりでは一つのモスクに1本以上のミナレットを建てるのはスルタンだけが許されていました。ここでは、70mの台地の上に82mの2本のミナレットが建てられています。
「スルタンはブタ頭、宰相はロバ」とオスマン帝国をののしり始めていたムハンマド・アリーはエジプトのオスマン帝国からの独立を主張していたようです。 -
泉亭とフランスから贈られた時計。
この時計は、建築祝いとしてフランス王ルイ・フィリップから寄贈されたものですが、一日しか動かなかったようです。
ムハンマド・アリーはお返しに、上エジプトのルクソール神殿の入り口に立つ2本のオベリスクのうちの1本を取り外して贈りました。現在パリのコンコルド広場に立っています。
汚いぞ、ルイ・フィリップ!! 一日しか動かない時計をよこすなんて! しかもお礼にオベリスクを貰っていくなんて…
大理石の列柱とそれらを結ぶアーチの上に、小ドームが乗っています。 -
内部は41mの正方形で、高さ52m。
素材は上エジプトのベニ・スエフから切り出したアラバスター(雪花石膏)なので、アラバスター・モスクの別名もあります。 -
入口の右隅にある、ムハンマド・アリーのお墓
ムハンマド・アリーはマケドニア生まれで、幼くして孤児になり、300人のアルバニア兵士の募集に応募したことから、エジプトに関わることになります。イギリス・トルコ連合軍の一員としてアブー・キールに上陸し、巧みに立ち回って、エジプトを抑えてきたマムルークたちを倒して、ムハンマド・アリー朝を築くことになります。47歳になって初めて読み書きを学びだし、教育の重要性を認識して、国内で最初の工業・医学・軍事の学校を開設したり、オスマン帝国からの独立を果たして、その後のエジプト発展の基礎を築いた人です。 -
モスクを出た広場から。
遠くにピラミッドが霞んで見えます -
イギリス時代の刑務所跡
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軍事博物館
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軍事博物館の入り口にあるイブラヒームパシャの像。
イブラヒームパシャはムハンマド・アリーの孫で、エジプト近代軍備を築いた人です。 -
シタデル奥にあるスレイマン・パシャ・モスク
このあたりまで来る観光客は少なく、中にも入れませんでした。 -
スレイマン・パシャ・モスク
カイロで最初の大きなドームをもったオスマン朝様式のモスク。 -
シタデルには幾つかの塔が現存しています。
1207年シタデルを拡大、強化して移り住んだエジプト副王のカーミルは、伝書鳩専用のブルグ・アル・マタルに常時900羽の鳩を飼っていたと言われています。
右の塔が、そのブルグ・アル・マタル(らしい)
通信手段のなかったこの時代、伝書鳩はとても重要な役目を果たしています。
ただし、日暮れから飛べなくなってしまうので、夜中のうちはヤキモキしながら次のハトの到着を待ったようです。 -
ムハンマド・アリー・モスクの隣にある、インナシィル・ムハンマド・モスク
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アザブ門
1754年、オスマン朝の軍人ラドワーン・ケトフダーによって建てられました。シタデルの一角ですが、スルタン・ハサン・モスクなどがあるサラーフディーン・アイユービー広場に面しています。
フトーフ門を真似て作られたもの。 -
1811年3月1日、ムハンマド・アリーの息子の叙任式が行われました。500騎のマムルーク騎兵が招かれ、もてなしを受けた後、隊列を組んでこの門から出ようとした時、門は閉ざされ一斉射撃の元、剣しか持たぬマムルークは戦う暇もなく虐殺されました。わずか15分の戦闘でしたがこの15分で、この国を何世紀にも渡って支配してきた軍閥が一気に絶滅されました。「アザブ門の惨劇」
ここがその閉ざされた門 -
左の「アザブ門」とムハンマド・アリー・モスクの間で、アザブ門の惨劇が起こりました。
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今日の食事は、ハーン・ハリーリーにあるレストラン「ナギーブ・マハフーズ」
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シーシ・タオフィークとレモンミントジュース
レモンミントジュース、めちゃくちゃ美味しい! -
デザートは中にナッツ類が入った温かなオンム・アリー。
全部で188ポンド。高いなぁ〜 -
後日。ムハンマド・アリーが着工し、25年の歳月をかけて息子のサイードの統治時代に完成した「カナーテルの堰」に行きました。カイロのラムセス・ヒルトンの近くから船が出ます。
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99%エジプト人の家族ずれで、往復ともエジプト音楽が大音響でかかっている、これぞエジプト!って感じの船です。
チケットが12ポンドもして高いなと思ったのですが、往復料金でした。 -
カイロのビル群を少しずつ抜けると、
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大分田舎の風景になってきます。
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2時間程で、カナーテル(エジプト方言で、アナーテル)に到着します。
下船したらすぐ、馬車(ハントゥーラ)引きのお兄ちゃんに拉致された〜〜(@_@;) 本当に腕をつかまれて、馬車まで引っ張って行かれたんですよ。
エジプト人家族の中に、どう見てもエジプト人じゃない私が一人…そりゃ、馬車やさんのかっこうの餌食ですね。
道も何も判らなかったので、仕方ないですね。 -
ここが1861年完成のムハンマド・アリーの堰
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毎年あったナイル川の氾濫に任せていては、一年に一回しか収穫できないため、ムハンマド・アリーが導入した灌漑施設がこの堰です。
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手動で上げ下げしていた頃の滑車もあります。
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向こうにあるのが新しいほうの堰です。
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ムハンマド・アリー朝の人たちの別荘…だったかな…忘れた
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ここでも、馬と車が共存してます。
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ナイルで足を洗い、ナイルで食器を洗い、ナイルで洗濯する。
昔、ナイル川には充血吸虫がいるといわれ、帰国後一応病院に検査に行った私。
「水に触れたと思うので、充血吸虫の検査をお願いします」
「充血吸虫? ちょっと待っててね」と、ドクター。カーテンの向こうから聞こえてくる会話
「充血吸虫の検査って知ってる? インターンの時からやったことないよ。えっ?○○の検査すればいいのかな?」
日本の医者は充血吸虫を知らなかった・・・ -
帰りのナイル川のほとり。
この塔は多分、鳩舎。鳩料理に使う鳩を飼っています。 -
鉄道の橋の下をすれすれにくぐると、
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夕日のカイロが迎えてくれました。
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片道2時間の小旅行でした。
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ナイル川の中州ゲジーラ島の東岸に一見何でもない建物があります。
学生だった当時は入ってみたこともなかったのですが、今回どうしても行ってみたくて… -
マリオットホテル。
このホテルの中央部分は、1869年にエジプト副王イスマイール・パシャのために建てられたゲズィーラ宮殿です。 -
中庭から。
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この宮殿の目的は、スエズ運河の開通式にナポレオン3世と共にウジェニー・モンティージョを招待し接待することだったと云われています。
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やはり新しいホテルには真似出来ない趣きがあります。
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見つけた!
ウジュニーとナポレオン3世 -
ウジュニーはスペイン貴族のもとに生まれた、スエズ運河を建設したレセップスのいとこの娘。27歳の時にナポレオン3世と結婚。大変知的で美しい女性だったようで、ナポレオン3世は彼女に良く相談していたようです。
ルイ・ヴィトンが時を超えるミューズたちとして選んだ6名の中にも入っています。
イスマイール・パシャは皇后ウジュニーに横恋慕していたという話もあるようです。 -
フレンチ・レストラン「サラヤ・ギャラリー」
開店前で写真だけ撮らせてもらいました。ランチを食べてもいいか…と思ったのですが、どうもひとりで食べるところではないような雰囲気で断念しました。こういうときが一人旅の不便さを実感します。 -
もう一つ。
このギザのピラミッド道路は、スエズ運河の開通式に来るフランス皇后ウジュニーにピラミッドを見せるため、突貫工事で造ったとか。
今は高速が出来ているので、カイロからこの道路を使わないでピラミッドに行くことができますが、以前はこの道路だけでした。カイロ市内からずーっと走ってきて、あるところから急にピラミッドが見えてくる瞬間は、古代遺跡に興味のない私にも結構感動的でした。 -
1846年、カイロに観光客が増えだした頃、サミュエル・シェパードと言う人がコンチネンタルスタイルのホテルを建てたのが、右から3番目のブルーの建物シェパードホテル。泊り客はピラミッドを訪れ、スークに行き、このシェパードホテルはカイロで最高級の社交場になっていったのだそうです。
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作家 徳富蘆花夫妻はこのシェパードホテルに滞在し、エジプトの1919年デモの様子を2階の105号室から見ていました。
私も以前に1度宿泊したことがあるのですが、今回宿泊してみようかと思って検索しましたが、建て替えなのかやめてしまったのか、予約はできませんでした。やはり閉鎖されていました。 -
ナイル川の中州ローダ島にある「マニアル・パレス」
20世紀の初めにムハンマド・アリー朝の宮殿として建てられたもの。 -
入口横にある時計塔(だったかな?)
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モスク内部
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カイロの真ん中とは思えない程、緑豊か。
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外側からは想像できない豪華な内部です。
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バスルーム
ムハンマド・アリーはとても清潔好きで毎朝の入浴を欠かさなかったとか。 -
何だったけかな?
謁見の間? -
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女性の団体が来ていました。。。
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入口から中の豪華さは想像できません。
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マニアル・パレス外観
外から見ると、この中が宮殿なんて思えません。 -
とうとう買ったファイルーズのCDと、私の名前マハーのステッカー?
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この旅行記へのコメント (3)
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- 空飛犬quillさん 2015/07/21 08:44:39
- お久しぶり
- mahaさん
おはようございます。
久しぶりの投稿をしっかり読ませてもらいました。
中身が濃かったので結構時間がかかっちゃいましたよ。
色々コメントしたいけど、女性に道を尋ねて2勝8負ですか〜〜。
大学受験の時、全国の見知らぬ街にチャレンジに行く若者に向かって古典の先生が一言。
「良いか。場所を聞くのに婆さんは絶対ダメ、全くいい加減教えるからな」
私は今でもその教えを忠実に守っています。
空飛犬quill
- mahaさん からの返信 2015/07/21 21:50:35
- RE: お久しぶり
- 空飛犬quillさま
こんにちわ!
次の旅行に出るには、既に行った旅行記は終わりにしておかないといけないと思いながら、書きかけのまま放り出していました。やっぱり帰ってきて気持ちがまだ旅行の余韻を残している時にアップしないと、ズルズル時間が経ってしまいますね。
古典の先生、ナイス アドバイス!
女性の脳は地図にむかないのかな?
私もかなり間違えて、だいぶ遠回りすることが多いので、あんまり言えないですね(≧∇≦)
空飛犬quillさんの石川県の旅館を拝見していて、「こういうところもいいなぁ…」と調べているうちに、石川県から黒部渓谷(黒部ダムを見たかった)、八ヶ岳(星野リゾートに行きたかった)…と、段々東京に近づいてきて、結局高くて混んでいる日本は断念!
国内は女性1人旅って訳にはいかないので、国外に出るより難しいです(~_~;)
maha
- 空飛犬quillさん からの返信 2015/07/21 22:41:06
- RE: RE: お久しぶり
- mahaさん
私は海外に行きたくてウズウズしてるんですけど、何故か無茶苦茶忙しい。
これは、ハッキリ言って嫌がらせかと思うくらい。
だから、ちょこちょこ国内に行くしかない。
昨日は伊吹山トレッキングしてきたんですよ。
又は出張を楽しむしかない。
って感じです。
今日は富山にいます。
今、白エビの唐揚げとカワハギの刺身を頂いてホテルに帰ったばかりです。
勿論、銀嶺立山も頂きましたよ。
明日は金沢泊・その次は福井泊。
このところ、そんなんばかりです。
空飛犬quill
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