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①恒春:②鵝鑾鼻:③猫鼻頭:④明治七年討蕃軍本營地:⑤琉球藩民墓<br />⑥石門古戦場:⑦東龍宮:⑧下淡水渓鉄橋:⑨高雄各所:⑩保安堂 <br /><br />//////////////////////////////<br /><br />はじめに<br /><br />1989:平成元年12月:39歳にして初の海外旅行が台湾だった。その時臭いに悩まされ以後台湾を避けていたが2年前の平成25年2月、臭いに怯えながら台北・金門島へ行った。幸い探してもあの嫌な臭いがなく食べ物も美味しかった。 <br />そして台湾に残る日本を探し求め五回目の台湾行きは「慟哭の海峡」門田隆将(著)を読み、バシー海峡を望む場所に建つ「潮音寺」参詣が当初の目的だった。しかし恒春の近くに明治七年維新後の新生日本:初の海外派兵「台湾出兵」の上陸地と蕃人と戦った石門古戦場があった。 <br /><br />四泊五日の旅はいつものように歩き回り這いずり回る鍛錬の旅だったが、天気晴朗暖かく充実の時を過ごした。台湾では私の想像の範疇でしかない敗戦までの良き日本を髣髴させてくれる雰囲気を何気に感じる時がある。そんな時はいつも感動する。 <br /><br /><br />これは旅行記にあらず。わが能書き也。 <br />思いのままを書き連ねる。同じ事を百回でも千回でも。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />目 次<br /><br /><br />(0) 旅たち前 <br />(1) 2月2日(月)関空~高雄空港、恒春へ出発 <br />(2) 2月3日(火)猫鼻頭・明治七年討番軍本營地・石門古戦場他 <br />(3) 2月4日(水)東龍宮・下淡水渓鉄橋・日本海軍鳳山無線電信所 <br />(4) 2月5日(木)高雄周遊 <br />(5) 2月6日(金)紅毛保安堂~高雄空港~関空 <br /><br />

恒春・屏東・高雄を訪ねる:旅立ち前

9いいね!

2015/02/02 - 2015/02/06

218位(同エリア320件中)

4

3

明石DS

明石DSさん

①恒春:②鵝鑾鼻:③猫鼻頭:④明治七年討蕃軍本營地:⑤琉球藩民墓
⑥石門古戦場:⑦東龍宮:⑧下淡水渓鉄橋:⑨高雄各所:⑩保安堂

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はじめに

1989:平成元年12月:39歳にして初の海外旅行が台湾だった。その時臭いに悩まされ以後台湾を避けていたが2年前の平成25年2月、臭いに怯えながら台北・金門島へ行った。幸い探してもあの嫌な臭いがなく食べ物も美味しかった。
そして台湾に残る日本を探し求め五回目の台湾行きは「慟哭の海峡」門田隆将(著)を読み、バシー海峡を望む場所に建つ「潮音寺」参詣が当初の目的だった。しかし恒春の近くに明治七年維新後の新生日本:初の海外派兵「台湾出兵」の上陸地と蕃人と戦った石門古戦場があった。

四泊五日の旅はいつものように歩き回り這いずり回る鍛錬の旅だったが、天気晴朗暖かく充実の時を過ごした。台湾では私の想像の範疇でしかない敗戦までの良き日本を髣髴させてくれる雰囲気を何気に感じる時がある。そんな時はいつも感動する。


これは旅行記にあらず。わが能書き也。
思いのままを書き連ねる。同じ事を百回でも千回でも。






目 次


(0) 旅たち前
(1) 2月2日(月)関空~高雄空港、恒春へ出発
(2) 2月3日(火)猫鼻頭・明治七年討番軍本營地・石門古戦場他
(3) 2月4日(水)東龍宮・下淡水渓鉄橋・日本海軍鳳山無線電信所
(4) 2月5日(木)高雄周遊
(5) 2月6日(金)紅毛保安堂~高雄空港~関空

旅行の満足度
5.0
  • 猫鼻頭(マオビトウ)に建つ「潮音寺」<br /><br />2015/平成27年2月3日(火) <br /><br />/////////////////////////////////////////<br /><br />恒春・屏東・高雄への旅 <br /><br />大東亜戦争末期台湾南端の鵝鑾鼻(がらんび)岬からフィリピン領バタン(バシー)諸島との間にあるバシー海峡を行き来する日本軍輸送船がことごとく米軍潜水艦などの標的となり海の藻屑と消えた。バシー海峡で撃沈され亡くなった日本軍兵士・邦人の数は10万〜25万人と言われ実数は不明だ。「慟哭の海峡」門田隆将(著)を読みそのことを知った。 <br />昭和19年8月19日そのバシー海峡で乗船していた船「玉津丸」が撃沈され12日間の漂流後奇跡的に助けられた中嶋秀次上等兵(当時23歳)が戦後戦友の慰霊に人生を捧げバシー海峡を望む猫鼻頭(まおびとう)岬に潮音寺を建立した。そこに行く為に台湾最南端の観光拠点でもある恒春(こうしゅん)に泊まることにした。 <br /><br />そして、その近くに明治7年維新後の新生日本初の海外派兵である「台湾出兵」「台湾征伐」の上陸地点があった。今まで「台湾出兵」を言葉としては何となく知っていたが詳しいことは知らず、少し調べただけで興味深いことが次々と分ってきた。 <br /><br />明治初期の琉球と支那と日本の関係。産業革命を経て覇権主義全盛のなか世界を制覇していた欧米列強。その外圧から一丸となり独立自尊を保とうと江戸幕府から王政復古を経て国内は廃藩置県・武士階級の廃止等々次々と大改革を断行していた。・・・。戦後日本が70年掛かっても自主憲法さえ制定できない今の不甲斐なさとは余りに違う。 <br /><br />明治10年の西南戦争の三年前、西郷隆盛の征韓論が没となり下野した西郷が鹿児島に帰郷した明治6年の翌7年、日本国内は大問題噴出の最中、西郷の弟:西郷従道中将が率いる「台湾出兵」があった。急遽行き先も増え旅へのテンションも上がった。恒春の近くにある「明治七年討番軍本營地」「琉球藩民墓」「石門古戦場」が台湾征伐に関係する行き先だ。 <br /><br />その他、「枋寮の東龍宮」「下淡水渓鉄橋」「日本海軍鳳山無線電信所」、そして高雄市内の各所。台湾南部は台北と違って本省人が多いようで民進党の勢力範囲だ。それもあってか尚のこと台湾に残るいろんな日本を期待して行った。 <br /><br /><br />2015年:平成27年4月吉日 <br /><br /><br />

    猫鼻頭(マオビトウ)に建つ「潮音寺」

    2015/平成27年2月3日(火)

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    恒春・屏東・高雄への旅

    大東亜戦争末期台湾南端の鵝鑾鼻(がらんび)岬からフィリピン領バタン(バシー)諸島との間にあるバシー海峡を行き来する日本軍輸送船がことごとく米軍潜水艦などの標的となり海の藻屑と消えた。バシー海峡で撃沈され亡くなった日本軍兵士・邦人の数は10万〜25万人と言われ実数は不明だ。「慟哭の海峡」門田隆将(著)を読みそのことを知った。
    昭和19年8月19日そのバシー海峡で乗船していた船「玉津丸」が撃沈され12日間の漂流後奇跡的に助けられた中嶋秀次上等兵(当時23歳)が戦後戦友の慰霊に人生を捧げバシー海峡を望む猫鼻頭(まおびとう)岬に潮音寺を建立した。そこに行く為に台湾最南端の観光拠点でもある恒春(こうしゅん)に泊まることにした。

    そして、その近くに明治7年維新後の新生日本初の海外派兵である「台湾出兵」「台湾征伐」の上陸地点があった。今まで「台湾出兵」を言葉としては何となく知っていたが詳しいことは知らず、少し調べただけで興味深いことが次々と分ってきた。

    明治初期の琉球と支那と日本の関係。産業革命を経て覇権主義全盛のなか世界を制覇していた欧米列強。その外圧から一丸となり独立自尊を保とうと江戸幕府から王政復古を経て国内は廃藩置県・武士階級の廃止等々次々と大改革を断行していた。・・・。戦後日本が70年掛かっても自主憲法さえ制定できない今の不甲斐なさとは余りに違う。

    明治10年の西南戦争の三年前、西郷隆盛の征韓論が没となり下野した西郷が鹿児島に帰郷した明治6年の翌7年、日本国内は大問題噴出の最中、西郷の弟:西郷従道中将が率いる「台湾出兵」があった。急遽行き先も増え旅へのテンションも上がった。恒春の近くにある「明治七年討番軍本營地」「琉球藩民墓」「石門古戦場」が台湾征伐に関係する行き先だ。

    その他、「枋寮の東龍宮」「下淡水渓鉄橋」「日本海軍鳳山無線電信所」、そして高雄市内の各所。台湾南部は台北と違って本省人が多いようで民進党の勢力範囲だ。それもあってか尚のこと台湾に残るいろんな日本を期待して行った。


    2015年:平成27年4月吉日


  • 亀山から台湾出兵上陸地点を望む<br /><br />2015/平成27年2月3日(火)亀山展望台から上陸地点を写す <br /><br />1874/明治7年5月8日 日本軍上陸 <br />四重渓と保力渓の二つの河川に挟まれた場所 <br />//////////////////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年12月6日(土) <br /><br /><br />■次の旅行は台湾の高雄へ <br /><br />昨日9月に行った満洲の旅行記が完成したばかりだが、今日次の旅先を決めてピーチ航空で「関空⇔高雄」の航空券を手配した。往復¥26,640円なり。 <br /><br />これだけの円安なのに関空⇔高雄の往復航空券は新幹線で西明石⇔東京往復¥31,060円より安い。 <br /><br />高雄に行くのは「慟哭の海峡」という本を知ったことが決定的要因だが、台湾第二の都市「高雄」にまだ行っていなかったので次は高雄にと前から思っていたこともある。そして早速ネット検索していたら元陸軍特別幹部候補生:「郭徳発(かくとくはつ)」さんのHPを見つけた。 <br />http://kakutokuhatsu.katakura.net/index.html<br /><br />その中に『猫鼻頭にある「潮音寺」』という頁があった。<br />http://kakutokuhatsu.katakura.net/choonzi.html<br />この潮音寺が今度の私の旅の目的地の一つでもある。「慟哭の海峡」はまだ読んでいないが、この潮音寺を建立した日本人の話がテーマになっている。 <br /><br />そして 「玉峯長雄の遺書」にも感動した。<br />http://kakutokuhatsu.katakura.net/tamamine.html<br />台湾の元日本人は戦後日本人と違って、当時の日本人気質を持ったままの人が多いように思う。これから来年二月の高雄行きに備えてボチボチ調べよう。 <br /><br />戦後日本人として、日本の独立自尊を守るために苦難苦闘し戦い抜いた先人の歩みを知らなければならないのに・・・知らないことばかりだ。 <br /><br /><br />■ピーチ航空で高雄へ <br /><br />2015/02/02(月) MM035 関空ターミナル2:11:00(発)→高雄(着)13:30 <br /><br />2015/02/06(金) MM036 高雄 (KHH)   14:15(発)→関空(着)17:55 <br /><br /><br />2014.平成26年12月8日(月) <br /><br /><br />■「慟哭の海峡」門田隆将(著) <br /><br />本を読み終えた。同じ2013/平成25年に亡くなった二人の人生を描いている。一人はバシー海峡で乗っていた揚陸船が米軍魚雷で撃沈され奇跡的に助かり、生涯慰霊に情熱を傾け台湾南部の岬、猫鼻頭に潮音寺を建立した中嶋秀次(ひでじ)。 <br /><br />https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ll=21.923002,120.731657&amp;spn=0.01692,0.01929&amp;t=m&amp;z=16&amp;brcurrent=3,0x0:0x0,1<br /><br />もう一人はアンパンマンの作者:柳瀬 嵩(たかし)。柳瀬の弟は海軍士官としてこの海峡でやはり米軍潜水艦に撃沈され戦死した。 <br /><br />『バシー海峡は、台湾島南端からフィリピンのルソン島間のルソン海峡のうち、台湾島側鵝鑾鼻岬とフィリピン領バタン諸島(バシー諸島)との間にある海峡を指す。バタン諸島以南はバリンタン海峡と呼ぶ。幅は約150km。黒潮が2〜3ノットで北流する。』 <br /><br />この海峡で船が撃沈され戦死した日本兵は10万とも20万人とも言われるそうだ。潮音寺の落慶法要は昭和57年。私が31歳の時。それを今知った。大東亜戦争の戦域は途方もなく広い。今年出た一冊の本で知ることになったが、そうでなければ知らないままだ。未だ知らないままが星の数より多い。一つでも多く知りたい、知らねばならない。 <br /><br />来年2月バシー海峡と潮音寺を見に猫鼻頭に行く。 <br /><br /><br /><br />2015.平成27年1月14日(水) <br /><br /><br />■旅の準備 <br /><br />初めての台湾・高雄。関空から高雄空港に到着後、その日のうちに恒春(こうしゅん)まで行く。その翌日「慟哭の海峡」門田隆将(著)で紹介された猫鼻頭(西南の突端)に建つ「潮音寺」と東南の突端:鵝鑾鼻灯台からバシー海峡を見る。 <br /><br />そしてこの恒春には1868年明治元年から6年がたった1874年、明治七年に維新後の日本政府として初めての海外出兵の地となった「社寮港(現在:射寮)」がある。 <br /><br />この「台湾出兵:台湾征伐:牡丹社事件(ぼたんしゃじけん)、征台の役(せいたいのえき)、台湾事件」のことも何となくは知っていたが今回の旅を機に「あ〜、そういうことだったのか・・・」とより知ることになった。これもネットのお陰だ。 <br /><br />「明治七年台湾出兵の出兵名義について」<br /><br />https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/9478/1/42082_11.pdf#search=&#39;%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%B8%83%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5%E3%81%AE%E5%87%BA%E5%85%B5%E5%90%8D%E7%BE%A9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6&#39;<br /><br />「台湾出兵の考察」<br />http://nccur.lib.nccu.edu.tw/retrieve/83846/600701.pdf#search=&#39;%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%B8%83%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5%E3%81%AE%E5%87%BA%E5%85%B5%E5%90%8D%E7%BE%A9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6&#39;<br /><br />「1874年の台湾出兵と清国の対応」 <br />https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/33628/1/ShagakukenRonshu_17_Bai.pdf#search=&#39;1874%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5%E3%81%A8%E6%B8%85%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C&#39;<br /><br />最初は潮音寺だけが目的地だったのに、いつものように調べれば次々と行きたい場所が増えてしまった。射寮の南の海洋生物博物館傍に「明治七年討蕃軍本営地碑」があり、その北東方向に琉球蕃民墓、そしてそこから尚東北に石門古戦場がある。<br /><br />https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ll=22.111163,120.760388&amp;spn=0.004224,0.004823&amp;t=m&amp;z=18&amp;brcurrent=3,0x0:0x0,1<br /><br />タクシーを包車してこの五ヶ所に行く予定だ。 <br /><br />恒春のあとは今決まっているのは、枋寮(ぼうりょう)の「東龍宮」。<br />http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-490.html<br />『高雄市鳳山の郊外にある「紅毛港保安堂」』。<br />http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-470.html<br /><br />そして「下淡水渓鉄橋」 <br /><br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%B7%A1%E6%B0%B4%E6%B8%93%E9%89%84%E6%A9%8B<br /><br />東龍宮と保安堂は戦跡とは違うが台湾には日本人が神と祀られているお寺が沢山あるのにホンマに驚く。その他、高雄には日本の足跡が沢山残っているのでまだ行き先は決まっていないが欲張らず“ゆっくり”歩きたい。宿泊は恒春で二泊、高雄で二泊、ホテルは“agoda”で予約済み。 <br /><br />初めての地への一人旅、目的地までどうやって辿り着くのが良いのか?それを調べるのに四苦八苦する。“Google”の地図が使えなければお手上げだが、これがあるのがいまだに奇跡のように思う。ホンマかいな・・・。ありがたい。ここにある・・・と。ネットはどこまで進化するのか?百年後を見てみたい気もするけど。 <br /><br /><br />2015.平成27年1月21日(水) <br /><br /><br />■「康子十九歳 戦禍の日記」:門田隆将(著) <br /><br />http://blog.goo.ne.jp/taku6100/e/ba2e8792f56262784cf748020005c6b7<br /><br />高雄旅行のために購入した1円の中古本。送料257円で計258円。まだ読み終わっていないが感動の本だ。昭和19年から終戦に至るまでの青少年たちがどんな思いで軍需工場で勤労に励んでいたのか・・・。工場で区隊長だった本位田巌少尉(24歳)の立派さに男女学生たちが敬意と好意を抱き一心に頑張った。 <br /><br />愛国少女の胸の内が日記だからこその本音として切々と描かれている。当時の日本人は一丸となって必死の覚悟で戦っていたがゆえに損得利害を超越し心根は皆純粋だった。そう感じてならない。勿論その中には卑怯者もいたであろうが今とは比較にならない。 <br /><br />国を守るために若者が次々と特攻隊になり散華し、島では玉砕が続き自己犠牲が賛美された時代。人は輝きを増す。それは究極の輝きだろう。今この本を読んで若者はどんな感想を持つのだろうか?幸せとは何ぞや?人生の充実とは・・・。一円の新品の本。「康子十九歳 戦禍の日記」:門田隆将(著)、感動する。 <br />

    亀山から台湾出兵上陸地点を望む

    2015/平成27年2月3日(火)亀山展望台から上陸地点を写す

    1874/明治7年5月8日 日本軍上陸
    四重渓と保力渓の二つの河川に挟まれた場所
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    2014.平成26年12月6日(土)


    ■次の旅行は台湾の高雄へ

    昨日9月に行った満洲の旅行記が完成したばかりだが、今日次の旅先を決めてピーチ航空で「関空⇔高雄」の航空券を手配した。往復¥26,640円なり。

    これだけの円安なのに関空⇔高雄の往復航空券は新幹線で西明石⇔東京往復¥31,060円より安い。

    高雄に行くのは「慟哭の海峡」という本を知ったことが決定的要因だが、台湾第二の都市「高雄」にまだ行っていなかったので次は高雄にと前から思っていたこともある。そして早速ネット検索していたら元陸軍特別幹部候補生:「郭徳発(かくとくはつ)」さんのHPを見つけた。
    http://kakutokuhatsu.katakura.net/index.html

    その中に『猫鼻頭にある「潮音寺」』という頁があった。
    http://kakutokuhatsu.katakura.net/choonzi.html
    この潮音寺が今度の私の旅の目的地の一つでもある。「慟哭の海峡」はまだ読んでいないが、この潮音寺を建立した日本人の話がテーマになっている。

    そして 「玉峯長雄の遺書」にも感動した。
    http://kakutokuhatsu.katakura.net/tamamine.html
    台湾の元日本人は戦後日本人と違って、当時の日本人気質を持ったままの人が多いように思う。これから来年二月の高雄行きに備えてボチボチ調べよう。

    戦後日本人として、日本の独立自尊を守るために苦難苦闘し戦い抜いた先人の歩みを知らなければならないのに・・・知らないことばかりだ。


    ■ピーチ航空で高雄へ

    2015/02/02(月) MM035 関空ターミナル2:11:00(発)→高雄(着)13:30

    2015/02/06(金) MM036 高雄 (KHH)   14:15(発)→関空(着)17:55


    2014.平成26年12月8日(月)


    ■「慟哭の海峡」門田隆将(著)

    本を読み終えた。同じ2013/平成25年に亡くなった二人の人生を描いている。一人はバシー海峡で乗っていた揚陸船が米軍魚雷で撃沈され奇跡的に助かり、生涯慰霊に情熱を傾け台湾南部の岬、猫鼻頭に潮音寺を建立した中嶋秀次(ひでじ)。

    https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=21.923002,120.731657&spn=0.01692,0.01929&t=m&z=16&brcurrent=3,0x0:0x0,1

    もう一人はアンパンマンの作者:柳瀬 嵩(たかし)。柳瀬の弟は海軍士官としてこの海峡でやはり米軍潜水艦に撃沈され戦死した。

    『バシー海峡は、台湾島南端からフィリピンのルソン島間のルソン海峡のうち、台湾島側鵝鑾鼻岬とフィリピン領バタン諸島(バシー諸島)との間にある海峡を指す。バタン諸島以南はバリンタン海峡と呼ぶ。幅は約150km。黒潮が2〜3ノットで北流する。』

    この海峡で船が撃沈され戦死した日本兵は10万とも20万人とも言われるそうだ。潮音寺の落慶法要は昭和57年。私が31歳の時。それを今知った。大東亜戦争の戦域は途方もなく広い。今年出た一冊の本で知ることになったが、そうでなければ知らないままだ。未だ知らないままが星の数より多い。一つでも多く知りたい、知らねばならない。

    来年2月バシー海峡と潮音寺を見に猫鼻頭に行く。



    2015.平成27年1月14日(水)


    ■旅の準備

    初めての台湾・高雄。関空から高雄空港に到着後、その日のうちに恒春(こうしゅん)まで行く。その翌日「慟哭の海峡」門田隆将(著)で紹介された猫鼻頭(西南の突端)に建つ「潮音寺」と東南の突端:鵝鑾鼻灯台からバシー海峡を見る。

    そしてこの恒春には1868年明治元年から6年がたった1874年、明治七年に維新後の日本政府として初めての海外出兵の地となった「社寮港(現在:射寮)」がある。

    この「台湾出兵:台湾征伐:牡丹社事件(ぼたんしゃじけん)、征台の役(せいたいのえき)、台湾事件」のことも何となくは知っていたが今回の旅を機に「あ〜、そういうことだったのか・・・」とより知ることになった。これもネットのお陰だ。

    「明治七年台湾出兵の出兵名義について」

    https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/9478/1/42082_11.pdf#search=&#39;%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%B8%83%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5%E3%81%AE%E5%87%BA%E5%85%B5%E5%90%8D%E7%BE%A9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6'

    「台湾出兵の考察」
    http://nccur.lib.nccu.edu.tw/retrieve/83846/600701.pdf#search=&#39;%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%B8%83%E5%B9%B4%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5%E3%81%AE%E5%87%BA%E5%85%B5%E5%90%8D%E7%BE%A9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6'

    「1874年の台湾出兵と清国の対応」
    https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/33628/1/ShagakukenRonshu_17_Bai.pdf#search=&#39;1874%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%87%BA%E5%85%B5%E3%81%A8%E6%B8%85%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C'

    最初は潮音寺だけが目的地だったのに、いつものように調べれば次々と行きたい場所が増えてしまった。射寮の南の海洋生物博物館傍に「明治七年討蕃軍本営地碑」があり、その北東方向に琉球蕃民墓、そしてそこから尚東北に石門古戦場がある。

    https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=22.111163,120.760388&spn=0.004224,0.004823&t=m&z=18&brcurrent=3,0x0:0x0,1

    タクシーを包車してこの五ヶ所に行く予定だ。

    恒春のあとは今決まっているのは、枋寮(ぼうりょう)の「東龍宮」。
    http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-490.html
    『高雄市鳳山の郊外にある「紅毛港保安堂」』。
    http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-470.html

    そして「下淡水渓鉄橋」

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%B7%A1%E6%B0%B4%E6%B8%93%E9%89%84%E6%A9%8B

    東龍宮と保安堂は戦跡とは違うが台湾には日本人が神と祀られているお寺が沢山あるのにホンマに驚く。その他、高雄には日本の足跡が沢山残っているのでまだ行き先は決まっていないが欲張らず“ゆっくり”歩きたい。宿泊は恒春で二泊、高雄で二泊、ホテルは“agoda”で予約済み。

    初めての地への一人旅、目的地までどうやって辿り着くのが良いのか?それを調べるのに四苦八苦する。“Google”の地図が使えなければお手上げだが、これがあるのがいまだに奇跡のように思う。ホンマかいな・・・。ありがたい。ここにある・・・と。ネットはどこまで進化するのか?百年後を見てみたい気もするけど。


    2015.平成27年1月21日(水)


    ■「康子十九歳 戦禍の日記」:門田隆将(著)

    http://blog.goo.ne.jp/taku6100/e/ba2e8792f56262784cf748020005c6b7

    高雄旅行のために購入した1円の中古本。送料257円で計258円。まだ読み終わっていないが感動の本だ。昭和19年から終戦に至るまでの青少年たちがどんな思いで軍需工場で勤労に励んでいたのか・・・。工場で区隊長だった本位田巌少尉(24歳)の立派さに男女学生たちが敬意と好意を抱き一心に頑張った。

    愛国少女の胸の内が日記だからこその本音として切々と描かれている。当時の日本人は一丸となって必死の覚悟で戦っていたがゆえに損得利害を超越し心根は皆純粋だった。そう感じてならない。勿論その中には卑怯者もいたであろうが今とは比較にならない。

    国を守るために若者が次々と特攻隊になり散華し、島では玉砕が続き自己犠牲が賛美された時代。人は輝きを増す。それは究極の輝きだろう。今この本を読んで若者はどんな感想を持つのだろうか?幸せとは何ぞや?人生の充実とは・・・。一円の新品の本。「康子十九歳 戦禍の日記」:門田隆将(著)、感動する。

  • 猫鼻頭「潮音寺」屋上からバシー海峡を望む <br /><br />2015/平成27年2月3日(火):10:22:撮影 <br /><br />////////////////////////////////////////////////////<br /><br />2015.平成27年1月26日(月) <br /><br /><br />■高雄への旅 <br /><br />四泊五日の旅の旅程がほぼ決まった。恒春のホテルは“agoda”で予約したが、HPの記載の場所が間違っていたので電話をして取り消し、バス停に近いホテルを新に予約した。「隆徳旅客之家:ロング ホリデイ イン (Long Holiday Inn)」 <br />http://www.agoda.com/ja-jp/long-holiday-inn/hotel/kenting-tw.html?asq=XqlQ7bJ0pUN0G2iz%2fnzAiIzDDFHtjOECF%2b%2fPXxxscvvHVpoHGb%2bz5TnshfJoewNAtq%2bnXyYXqoEswpkwbmyWAV2kGZVy%2f%2bahjyFjmsuqnItNELkhC%2f%2bneT8U3OCmBbFmdDmy%2f8ahSr2gytCQDuaKP0EkQgzcpEbfMeGzsFDhArl0qha%2bokmXVWYomIahSBfOjcHf%2f93rjA0JaffxH1gjHJYVvbozOXyaUebisb%2bZMCdAuSCxKZhgvFH48y0ImGBN<br /><br /><br />“agoda”はシンガポールに拠点を置く企業のようだが、今回サポートセンターにホテルの記載間違いの電話をしたらまともに対応してくれキャンセル料は不要だった。二泊で¥11,038円、一泊¥5,519円也、朝食付き。 <br /><br />二日目は恒春でタクシーを包車して五ヶ所を巡る。<br />この台湾南部の地が「宮古島島民遭難事件」に端を発し明治維新後の新生日本として初の海外派兵となった「台湾出兵」の上陸地点であり、生蕃牡丹社との戦いの場所である。 <br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%B3%B6%E5%B3%B6%E6%B0%91%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6<br /><br />明治10年勃発の西南戦争の三年前、1874/明治7年西郷従道が率いた日本軍が社寮(現:射寮)に上陸し亀山に都督本営を置き、石門で蕃人:牡丹社と戦った。その古戦場にも行く。<br /><br />「台湾出兵」:毛利敏彦(著)の中古本¥20円、送料¥257、計¥277円をアマゾンで購入し今読んでいる。これによって琉球の歴史の一端、薩摩藩と琉球、そして華夷秩序の中でシナとの琉球の繋がり等々が分った。 <br /><br />徳川幕府樹立後の1609年幕府の許可を得て薩摩藩:島津家久は琉球に進攻し、一ヶ月足らずで奄美大島・徳之島・首里王城と次々に占領したので当時の琉球国王:尚寧(しょうねい)は降伏し琉球は薩摩の支配下に入った。しかし薩摩藩は進貢貿易の利益を温存するため明朝に対して表向きは尚寧を国王として再置し、琉球は日明両属という状態であった。 <br /><br />国際的に琉球の日本帰属を明らかにしたのは、『1872年明治5年10月16日 明治天皇は琉球は日本と人種・風俗・言語・文化などが共通であるうえに長期間にわたって薩摩の支配下にあったからとして、琉球国王、尚泰(しょうたい)を琉球藩王に任命し、旧公卿や旧大名並みの華族に列した。ここに天皇と琉球藩王との直接の君臣関係が初めて成立した。』とある。 <br /><br />「2015-1872=143年」・・・沖縄が日本に正式に組み込まれたのは明治5年で、それからまだ143年しか経っていない。近年「沖縄独立論」や沖縄のシナへの異常な傾倒が話題になるのは歴史を思えば当然なのかもと思う。果たして沖縄人の本音はどうなのか?私は戦後沖縄人が事実を無視した戦時の日本軍への非難や米軍基地反対運動などを見るに付け同じ日本人としての同胞意識に疑念を持つようになった。 <br /><br />果たして沖縄人は今後も日本国、日本人として存続することを望むのか?或いは日支両属を望むのか?それとも独立国家として自存自立を目指すのか?確かに沖縄が日本国から離れてシナに接近すれば、或いはシナに組み込まれたら日本の国益を大きく損ない安全保障上の危機となる。 <br /><br />今沖縄の那覇に龍柱を建てようとしている。最早沖縄経済界もメディアも政治家も日本を散々利用しながらシナに傾倒しているとしか思えない。沖縄の一般県人の心根はどうなのか?本音を知りたい。 <br /><br />そして台湾の実態や明との関係、その後の清朝時代の台湾。台湾出兵後の日本と台湾、そして清朝と日本、欧米の関係などなど。当時のいろんなことが分りその後に繋がって来た。一口で言えばいつの時代もどの国も国益を賭けて虚虚実実の駆け引きをしながら生き抜く。人間の生き様は変わり様がない。 <br /><br />「強い者が勝つ」のであり、「勝った者が強い」のである。そして「勝つとは何ぞや?」もある。大東亜戦争は負けても勝った。いやまだ戦後戦いは継続中であり勝たねばならない。 <br /><br />この台湾出兵に際して積極的に中央に具申したのは薩摩の鎮西鎮台第二分隊長 樺山資紀少佐だったが、樺山は23年後1895年明治28年、日清戦争後の台湾割譲で初代台湾総督になった。西郷従道の甥、西郷隆盛の長男:西郷菊次郎は台湾初代宜蘭廳長として活躍し宜蘭に記念碑が建っている。<br />http://4travel.jp/travelogue/10888089<br /><br />歴史を学ぶのは面白い。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」・・・か。人間の成すこと今も昔も変わる事なし。ゆえに歴史を鑑みれば起承転結すべて明らかであり自ずと結果は見える。されど人間はいつの時代も歴史に学べず同じ愚を繰り返す。それが人間也ハハハ。 <br /><br />三日目は恒春から墾丁快速バスで枋寮に行き、そこから歩いて東龍宮へ。また歩いて枋寮駅まで戻り鉄道で九曲堂火車站へ。駅近くにある明治44年着工の下淡水渓鉄橋と完成間近に亡くなった日本人技師:飯田豊二を祈念して建立された碑に行く。 http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-530.html<br /><br />三日目の最後は高雄市街の「日本海軍鳳山無線電信所」。そこから捷運に乗って美麗島站で降りて歩いてホテルに行く。このホテルも“agoda”で予約した。「尊龍大飯店」 <br /><br />四日目はまず捷運(地下鉄MRT)美麗島站から西に二つ目の塩テイ駅から歩いて(約7分)①高雄市立歴史博物館(旧高雄市役所)に行く。次に②高雄神社跡(現:忠烈祠)に約2.1km歩けば30分、タクシーで行くかも・・・。 <br /><br />そこから歩いて鼓山輪渡站(フェリー乗り場)からフェリーで旗津輪渡站、レンタル自転車で→③旗津國小→④高雄市戰爭與和平紀念公園主題館→⑤旗津砲台跡を見て再度フェリーに乗って鼓山輪渡站から徒歩でMRT西子湾駅から美麗島站に戻り、そこから歩いて⑥旧高雄駅「高雄願景館」へ。 <br /><br />五日目は午後便「2015/02/06(金) MM036 高雄 (KHH)14:15(発)→関空(着)17:55」で帰国。朝はMRT「捷運美麗島站」→「捷運草衙站」ここから30分ほど歩いて日本帝国海軍の軍艦が主祭神となっている「紅毛保安堂」へ参り高雄の旅は終了となる。果たして予定通りの旅となるか?乞うご期待だ。 <br />http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-470.html<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />2015.平成27年1月29日(木) <br /><br /><br />■「征台の役従軍記」 <br />http://www.ofko.jp/books/seitai.htm<br /><br />明治維新を経て新生日本の初の海外派兵となった「台湾出兵」それについて「征台の役従軍記」というアメリカの若き新聞記者E.H.House (ハウス)が記録した本がCD本として発売されていた。『発行所:有限会社オフィス・コシイシ 定価:3360円(本体3200円) 送料サービス』 <br />http://www.watojikan.com/<br /><br />注文したらメールが届いて『京都和とじ館のKです。確か以前古文書でお世話になりました安保さんですね。ご無沙汰いたしております。』とありビックリ仰天。世間は広いようで狭いことを新に実感した。 <br /><br />2010/平成22年12月に完成した我が家の家系図。その時に家系図や古文書の解読をしてもらい本にしてもらったのがこの「京都和とじ館」のKさん。他に比べて解読も格安で本作りも丁寧にしてもらった。今では我が家の宝として末代まで残って欲しい品物だ。CD料金も定価より割り引いてくれていた。 <br /><br />もうすぐ出発なので全部は読み切れないが、最初の上陸から同行した米人記者が書き留めた物なので興味深い。当時の日本と琉球・支那朝鮮・ロシア・そして英国をトップに列強が圧倒的な力で幅を利かせていた時代。そんな世界の中で日本は江戸から維新へと大改革を進め国内問題も大噴出のなか自存自立への悪戦苦闘が良くわかる。 <br /><br />切羽詰れば日本人は一致団結大いなる力を発揮するのだろう。そうでなければ江戸から明治の国内の混乱期、列強の餌食とならず清を倒しロシアを倒すことなど絶対出来ようがない。先人には敬服する。台湾出兵の評価は様々あるようだが、そこから多くのことが始まった。 <br /><br />その一つは琉球を日本国の一部と清や世界に認めさせたことがある。西郷隆盛の征韓論もロシアの進出を危惧してのものだ。当時の朝鮮半島は1392年から五百年続いた支那の属国で国の体をなさず、イザベラバードの「朝鮮紀行」にあるように汚物にまみれた最貧国だった。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C<br /><br />日本はアジアの雄として台湾・朝鮮・満洲に近代化をもたらし今の東アジアがある。その起点ともなった台湾出兵、薩摩藩士を主に九州の武士出身者が多かったようで軍人と言うより従軍記によれば武士の集団が上陸したようだ。今回の恒春行きでこのことを知った。大いに勉強になる。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />2015.平成27年2月1日(日) <br /><br /><br />■明日の今頃は恒春 <br /><br />現在時:午後10時27分。まだ旅準備は完全に出来ていない。これからバックに詰めて点検して完了する。明日は久しぶりに自宅から車でポートアイランドに行き、船で関空に行く。朝6時過ぎには家を出て8時の“ベイ・シャトル”に乗らねばならない。 <br /><br />出発が近づけば不安が高まる。でも台湾は中国行きよりは気分的にましだ。明治維新後日本の初の海外派兵「台湾出兵」の上陸地や石門古戦場が旅のメーンになってしまった。その他はあまり調べることもなく、とにかく旅の無事を祈る。 <br /><br /><br />https://www.google.com/maps/@22.003568,120.746382,15z?hl=ja-JP

    猫鼻頭「潮音寺」屋上からバシー海峡を望む

    2015/平成27年2月3日(火):10:22:撮影

    ////////////////////////////////////////////////////

    2015.平成27年1月26日(月)


    ■高雄への旅

    四泊五日の旅の旅程がほぼ決まった。恒春のホテルは“agoda”で予約したが、HPの記載の場所が間違っていたので電話をして取り消し、バス停に近いホテルを新に予約した。「隆徳旅客之家:ロング ホリデイ イン (Long Holiday Inn)」
    http://www.agoda.com/ja-jp/long-holiday-inn/hotel/kenting-tw.html?asq=XqlQ7bJ0pUN0G2iz%2fnzAiIzDDFHtjOECF%2b%2fPXxxscvvHVpoHGb%2bz5TnshfJoewNAtq%2bnXyYXqoEswpkwbmyWAV2kGZVy%2f%2bahjyFjmsuqnItNELkhC%2f%2bneT8U3OCmBbFmdDmy%2f8ahSr2gytCQDuaKP0EkQgzcpEbfMeGzsFDhArl0qha%2bokmXVWYomIahSBfOjcHf%2f93rjA0JaffxH1gjHJYVvbozOXyaUebisb%2bZMCdAuSCxKZhgvFH48y0ImGBN


    “agoda”はシンガポールに拠点を置く企業のようだが、今回サポートセンターにホテルの記載間違いの電話をしたらまともに対応してくれキャンセル料は不要だった。二泊で¥11,038円、一泊¥5,519円也、朝食付き。

    二日目は恒春でタクシーを包車して五ヶ所を巡る。
    この台湾南部の地が「宮古島島民遭難事件」に端を発し明治維新後の新生日本として初の海外派兵となった「台湾出兵」の上陸地点であり、生蕃牡丹社との戦いの場所である。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%B3%B6%E5%B3%B6%E6%B0%91%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    明治10年勃発の西南戦争の三年前、1874/明治7年西郷従道が率いた日本軍が社寮(現:射寮)に上陸し亀山に都督本営を置き、石門で蕃人:牡丹社と戦った。その古戦場にも行く。

    「台湾出兵」:毛利敏彦(著)の中古本¥20円、送料¥257、計¥277円をアマゾンで購入し今読んでいる。これによって琉球の歴史の一端、薩摩藩と琉球、そして華夷秩序の中でシナとの琉球の繋がり等々が分った。

    徳川幕府樹立後の1609年幕府の許可を得て薩摩藩:島津家久は琉球に進攻し、一ヶ月足らずで奄美大島・徳之島・首里王城と次々に占領したので当時の琉球国王:尚寧(しょうねい)は降伏し琉球は薩摩の支配下に入った。しかし薩摩藩は進貢貿易の利益を温存するため明朝に対して表向きは尚寧を国王として再置し、琉球は日明両属という状態であった。

    国際的に琉球の日本帰属を明らかにしたのは、『1872年明治5年10月16日 明治天皇は琉球は日本と人種・風俗・言語・文化などが共通であるうえに長期間にわたって薩摩の支配下にあったからとして、琉球国王、尚泰(しょうたい)を琉球藩王に任命し、旧公卿や旧大名並みの華族に列した。ここに天皇と琉球藩王との直接の君臣関係が初めて成立した。』とある。

    「2015-1872=143年」・・・沖縄が日本に正式に組み込まれたのは明治5年で、それからまだ143年しか経っていない。近年「沖縄独立論」や沖縄のシナへの異常な傾倒が話題になるのは歴史を思えば当然なのかもと思う。果たして沖縄人の本音はどうなのか?私は戦後沖縄人が事実を無視した戦時の日本軍への非難や米軍基地反対運動などを見るに付け同じ日本人としての同胞意識に疑念を持つようになった。

    果たして沖縄人は今後も日本国、日本人として存続することを望むのか?或いは日支両属を望むのか?それとも独立国家として自存自立を目指すのか?確かに沖縄が日本国から離れてシナに接近すれば、或いはシナに組み込まれたら日本の国益を大きく損ない安全保障上の危機となる。

    今沖縄の那覇に龍柱を建てようとしている。最早沖縄経済界もメディアも政治家も日本を散々利用しながらシナに傾倒しているとしか思えない。沖縄の一般県人の心根はどうなのか?本音を知りたい。

    そして台湾の実態や明との関係、その後の清朝時代の台湾。台湾出兵後の日本と台湾、そして清朝と日本、欧米の関係などなど。当時のいろんなことが分りその後に繋がって来た。一口で言えばいつの時代もどの国も国益を賭けて虚虚実実の駆け引きをしながら生き抜く。人間の生き様は変わり様がない。

    「強い者が勝つ」のであり、「勝った者が強い」のである。そして「勝つとは何ぞや?」もある。大東亜戦争は負けても勝った。いやまだ戦後戦いは継続中であり勝たねばならない。

    この台湾出兵に際して積極的に中央に具申したのは薩摩の鎮西鎮台第二分隊長 樺山資紀少佐だったが、樺山は23年後1895年明治28年、日清戦争後の台湾割譲で初代台湾総督になった。西郷従道の甥、西郷隆盛の長男:西郷菊次郎は台湾初代宜蘭廳長として活躍し宜蘭に記念碑が建っている。
    http://4travel.jp/travelogue/10888089

    歴史を学ぶのは面白い。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」・・・か。人間の成すこと今も昔も変わる事なし。ゆえに歴史を鑑みれば起承転結すべて明らかであり自ずと結果は見える。されど人間はいつの時代も歴史に学べず同じ愚を繰り返す。それが人間也ハハハ。

    三日目は恒春から墾丁快速バスで枋寮に行き、そこから歩いて東龍宮へ。また歩いて枋寮駅まで戻り鉄道で九曲堂火車站へ。駅近くにある明治44年着工の下淡水渓鉄橋と完成間近に亡くなった日本人技師:飯田豊二を祈念して建立された碑に行く。 http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-530.html

    三日目の最後は高雄市街の「日本海軍鳳山無線電信所」。そこから捷運に乗って美麗島站で降りて歩いてホテルに行く。このホテルも“agoda”で予約した。「尊龍大飯店」

    四日目はまず捷運(地下鉄MRT)美麗島站から西に二つ目の塩テイ駅から歩いて(約7分)①高雄市立歴史博物館(旧高雄市役所)に行く。次に②高雄神社跡(現:忠烈祠)に約2.1km歩けば30分、タクシーで行くかも・・・。

    そこから歩いて鼓山輪渡站(フェリー乗り場)からフェリーで旗津輪渡站、レンタル自転車で→③旗津國小→④高雄市戰爭與和平紀念公園主題館→⑤旗津砲台跡を見て再度フェリーに乗って鼓山輪渡站から徒歩でMRT西子湾駅から美麗島站に戻り、そこから歩いて⑥旧高雄駅「高雄願景館」へ。

    五日目は午後便「2015/02/06(金) MM036 高雄 (KHH)14:15(発)→関空(着)17:55」で帰国。朝はMRT「捷運美麗島站」→「捷運草衙站」ここから30分ほど歩いて日本帝国海軍の軍艦が主祭神となっている「紅毛保安堂」へ参り高雄の旅は終了となる。果たして予定通りの旅となるか?乞うご期待だ。
    http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-470.html







    2015.平成27年1月29日(木)


    ■「征台の役従軍記」
    http://www.ofko.jp/books/seitai.htm

    明治維新を経て新生日本の初の海外派兵となった「台湾出兵」それについて「征台の役従軍記」というアメリカの若き新聞記者E.H.House (ハウス)が記録した本がCD本として発売されていた。『発行所:有限会社オフィス・コシイシ 定価:3360円(本体3200円) 送料サービス』
    http://www.watojikan.com/

    注文したらメールが届いて『京都和とじ館のKです。確か以前古文書でお世話になりました安保さんですね。ご無沙汰いたしております。』とありビックリ仰天。世間は広いようで狭いことを新に実感した。

    2010/平成22年12月に完成した我が家の家系図。その時に家系図や古文書の解読をしてもらい本にしてもらったのがこの「京都和とじ館」のKさん。他に比べて解読も格安で本作りも丁寧にしてもらった。今では我が家の宝として末代まで残って欲しい品物だ。CD料金も定価より割り引いてくれていた。

    もうすぐ出発なので全部は読み切れないが、最初の上陸から同行した米人記者が書き留めた物なので興味深い。当時の日本と琉球・支那朝鮮・ロシア・そして英国をトップに列強が圧倒的な力で幅を利かせていた時代。そんな世界の中で日本は江戸から維新へと大改革を進め国内問題も大噴出のなか自存自立への悪戦苦闘が良くわかる。

    切羽詰れば日本人は一致団結大いなる力を発揮するのだろう。そうでなければ江戸から明治の国内の混乱期、列強の餌食とならず清を倒しロシアを倒すことなど絶対出来ようがない。先人には敬服する。台湾出兵の評価は様々あるようだが、そこから多くのことが始まった。

    その一つは琉球を日本国の一部と清や世界に認めさせたことがある。西郷隆盛の征韓論もロシアの進出を危惧してのものだ。当時の朝鮮半島は1392年から五百年続いた支那の属国で国の体をなさず、イザベラバードの「朝鮮紀行」にあるように汚物にまみれた最貧国だった。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C

    日本はアジアの雄として台湾・朝鮮・満洲に近代化をもたらし今の東アジアがある。その起点ともなった台湾出兵、薩摩藩士を主に九州の武士出身者が多かったようで軍人と言うより従軍記によれば武士の集団が上陸したようだ。今回の恒春行きでこのことを知った。大いに勉強になる。








    2015.平成27年2月1日(日)


    ■明日の今頃は恒春

    現在時:午後10時27分。まだ旅準備は完全に出来ていない。これからバックに詰めて点検して完了する。明日は久しぶりに自宅から車でポートアイランドに行き、船で関空に行く。朝6時過ぎには家を出て8時の“ベイ・シャトル”に乗らねばならない。

    出発が近づけば不安が高まる。でも台湾は中国行きよりは気分的にましだ。明治維新後日本の初の海外派兵「台湾出兵」の上陸地や石門古戦場が旅のメーンになってしまった。その他はあまり調べることもなく、とにかく旅の無事を祈る。


    https://www.google.com/maps/@22.003568,120.746382,15z?hl=ja-JP

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  • 福爾摩沙さん 2019/02/11 14:32:48
    門田隆将氏の著書にいざなわれて
     2月17日から2泊3日で産経新聞の企画で金門島に行ってきます。
    3日間、門田氏が金門島を案内・説明して頂けるとのことで、年金生活者ですが冥途への土産話にと思い、軍資金を搔き集めて参加を決めました。

     「この命、義に捧ぐ」は数年前に読んだきりなので、折角の機会だから旅行中に門田氏にいろいろ聞こうと思って、数日前から同書を精読し始めました。
    根本中将が駐蒙軍司令官として天皇陛下の終戦のご詔勅にも拘わらず、在蒙四万人の邦人を悪魔のソ連軍から守るため武装解除に応じず、抗戦したことが同書では蒋介石の恩義の説明で主題ではなかったので、省略されている部分が多くて、丸一陣地や戦車壕の説明も少なかったので、ネットで調べているうちにDSさんのブログに到達しました。

     DSさんの写真や動画を拝見させて頂き、理解が深まりました。
    お歳は小生より3歳下のようですが、いろいろなところにご旅行されておられるようで、単なる観光旅行でない歴史を調査確認されておられるようで、深い知識に感服しました。

     このブログ『恒春・屛東・高雄』には昨年11月、産経新聞の企画で行きました。
    東龍宮にも行きましたが、主神「田中大元帥」のいささか眉唾話も田中綱常少将を神と祀ってくれているのに悪い気はしませんでした。
    明治4年の征台の役上陸地や宮古島島民54名が殺された現場にも行きました。
    12名の生存者が何故助かったのか?この時の講師平野久美子氏によれば客家人が助けてくれたとのこと。
    平野氏の説明では300人足らずの部族のところに70名近い男だけの集団が来て、恐怖心を持ったのはむしろ原住民の方で、言葉が通じないことなどでその恐怖心が高まり、殺害に至ったようだとのことでした。
    しかし、この事件で両属関係にあった琉球の帰属について、清国から賠償金を勝ち取って日本への帰属させた明治新政府の役人の能力のすごさを感じました。

     「潮音寺」にもお参りさせて頂きました。
    想ったより立派なお寺でした。普段は中へ入れないのだそうですが、台湾では人気の高い産経新聞企画のツアーですので、中に入らせて頂きました。
    ツアー客の一人が読経してくれました。
    こういう時のお経はジーンと来るものがあり、おもわず目頭が熱くなりました。

     「康子十九歳 戦禍の日記」も良かったです。
    あの素晴らしく美しい毛筆に文書、台湾人の中央大学豫科の学生が心を奪われたのも無理ない素晴らしい日本女性で、長生きされていたら如何なるご婦人になっていたかと思います。

    長くなりましたが、お互い門田隆将氏のフアンのようですので、よろしくお願いします

     



     


    明石DS

    明石DSさん からの返信 2019/02/11 21:26:46
    RE: 門田隆将氏の著書にいざなわれて
    お便りありがとうございます。

    知れば知るほど、幕末から明治大正昭和と敗戦まで欧米列強に伍して独立を堅持しようと奮闘した日本人に感銘を受けます。その時代を駆け抜けた日本人は誰もが意気揚々颯爽と日本としての誇りをもって人生を全うしていたのではと羨ましく思います。

    何かを知るたびに知らないことばかりの今までに愕然としますが・・・。どこで何があったのか?どんな戦いがあり誰が亡くなったのか?もうエネルギーは日々衰えていますがこれからも機会があれば旅をしながら勉強したいと思っています。

    門田氏と金門島への旅は素晴らしい旅になるでしょうね。
    お気をつけて!そして有意義な旅にして下さい。

    福爾摩沙さん からの返信 2019/02/12 19:11:11
    RE: RE: 門田隆将氏の著書にいざなわれて
     DS様 早速のご返信ありがとうございました。
    DS様がブログの中で引用されておられました昭和20年8月20日「日本人を守る最後の戦い」
    (稲垣武 著)がアマゾンで販売していたので注文しましたが、本日、届きました。
    旅行前に読んでおこうと思います。
    旅行から帰りましたら、ご報告したします。

    明石DS

    明石DSさん からの返信 2019/02/13 07:30:00
    RE: RE: RE: 門田隆将氏の著書にいざなわれて
    おはようございます。

    根本中将の敗戦後の決断とそれに従った部下たちの激闘
    それによって蒙疆内の日本人の無事帰国
    そして金門島での中将の活躍が繋がると思います。

    私ももうすぐラオス・ビエンチャンに行きます。
    何もわからないラオスですが・・・。

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