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少し前の旅行記です。遅筆ゆえ、まとめるのに時間がかかって、気が付いたらもう1年半前になっていました。まだまだアップしていない旅行記があるのですが、精一杯これから頑張ります。<br /><br />飛行機とホテルがセットになったプランを初めて利用しましたが、行きの羽田発が13:05、四日目の帰り小松発が11時台と、まことに使い勝手の悪いフライトで、実質使えたのは中2日間のみでした。(もう利用しないぞ!!)この年はいつまでも暑く、台風が異常に発生して、出発の日も能登半島が台風の進路に当たっていました。いつもいつもハラハラさせられますが、結局無事終了と相成るので、運が良いのか悪いのか、自分でもわからなくなります。<br /><br />日程表<br />10月9日(水) 東京→小松→金沢<br />10月10日(木)金沢<br />10月11日(金)金沢→能登半島→金沢<br />10月12日(土)金沢→小松→東京<br /><br />あくる日は、天気予報がばっちり当たって土砂降り!! さて、どうしよう・・・金沢市内に残って、美術館を見学するか、それとも、予定通り能登へ行くか・・・といっても、この雨じゃあ路線バスの旅はきつそう。せっかく朝5時半に起きたのだから、能登は晴れているかもしれない!というかすかな望みに賭けるか。 ということで、金沢駅前から朝7時50分に出発する定期観光バスわじま号乗り場に行ってみました。一人もお客さんいなかったらやめようと思っていましたが、意外にも10名位は参加しそうです。<br /><br />能登はからりと晴れて・・・というわけにはいきませんでしたが、雨の能登半島それなりに楽しんで参りました。

小松、金沢、能登急ぎ足のたび その5 能登

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2013/10/11 - 2013/10/11

147位(同エリア509件中)

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junemay

junemayさん

少し前の旅行記です。遅筆ゆえ、まとめるのに時間がかかって、気が付いたらもう1年半前になっていました。まだまだアップしていない旅行記があるのですが、精一杯これから頑張ります。

飛行機とホテルがセットになったプランを初めて利用しましたが、行きの羽田発が13:05、四日目の帰り小松発が11時台と、まことに使い勝手の悪いフライトで、実質使えたのは中2日間のみでした。(もう利用しないぞ!!)この年はいつまでも暑く、台風が異常に発生して、出発の日も能登半島が台風の進路に当たっていました。いつもいつもハラハラさせられますが、結局無事終了と相成るので、運が良いのか悪いのか、自分でもわからなくなります。

日程表
10月9日(水) 東京→小松→金沢
10月10日(木)金沢
10月11日(金)金沢→能登半島→金沢
10月12日(土)金沢→小松→東京

あくる日は、天気予報がばっちり当たって土砂降り!! さて、どうしよう・・・金沢市内に残って、美術館を見学するか、それとも、予定通り能登へ行くか・・・といっても、この雨じゃあ路線バスの旅はきつそう。せっかく朝5時半に起きたのだから、能登は晴れているかもしれない!というかすかな望みに賭けるか。 ということで、金沢駅前から朝7時50分に出発する定期観光バスわじま号乗り場に行ってみました。一人もお客さんいなかったらやめようと思っていましたが、意外にも10名位は参加しそうです。

能登はからりと晴れて・・・というわけにはいきませんでしたが、雨の能登半島それなりに楽しんで参りました。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
観光バス JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)

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  • わじま号は定刻に金沢を発車。すぐに海沿いに出て、のと里山海道を進みます。最終的には8名の参加でした。やることもないので、窓の外の暗い日本海を恨めしそうに見つめます。日本海のイメージってこういう景色なんですけれどね。

    わじま号は定刻に金沢を発車。すぐに海沿いに出て、のと里山海道を進みます。最終的には8名の参加でした。やることもないので、窓の外の暗い日本海を恨めしそうに見つめます。日本海のイメージってこういう景色なんですけれどね。

  • 最初の目的地輪島には、2時間近くかかって到着。さすがに輪島駅前(ふらっと訪夢)から乗車のお客さんはいませんでした。<br /><br />輪島漆器会館前の駐車場に到着。ここで、1時間ほどの自由時間となり、早速輪島朝市に繰り出しました。<br />

    最初の目的地輪島には、2時間近くかかって到着。さすがに輪島駅前(ふらっと訪夢)から乗車のお客さんはいませんでした。

    輪島漆器会館前の駐車場に到着。ここで、1時間ほどの自由時間となり、早速輪島朝市に繰り出しました。

  • 1000年以上も続いているというこの朝市。雨にも関わらず、結構な人出がありました。少し小止みになってきたかなあ・・・

    1000年以上も続いているというこの朝市。雨にも関わらず、結構な人出がありました。少し小止みになってきたかなあ・・・

  • 全部で1000円が大繁盛。ちょっと安すぎる?!

    全部で1000円が大繁盛。ちょっと安すぎる?!

  • 輪島のお母さん達元気いっぱい!

    輪島のお母さん達元気いっぱい!

  • おばあちゃんが店番しているこういうお店が好みだなあ・・・っておばあちゃんどこ行った?

    おばあちゃんが店番しているこういうお店が好みだなあ・・・っておばあちゃんどこ行った?

  • えっ!ここはどこっ? というような建物がいきなり出現して驚きました。確かここは輪島だったはず・・・<br /><br />こちらはイナチュウ美術館。正確に言えば、美術館だったところで、現在は休館中だそうです。なんでも、輪島塗の漆器屋さんのイナチュウが建てたそうで、世界特にヨーロッパの彫刻、絵画、壺などの豪華な美術品が展示されていたのだそうですが、経営悪化により倒産したという話を聞きました。中の美術品どうなっているんだろう?<br /><br />建物だいぶ傷んできているようです。輪島には全く似合いません。この景色。

    えっ!ここはどこっ? というような建物がいきなり出現して驚きました。確かここは輪島だったはず・・・

    こちらはイナチュウ美術館。正確に言えば、美術館だったところで、現在は休館中だそうです。なんでも、輪島塗の漆器屋さんのイナチュウが建てたそうで、世界特にヨーロッパの彫刻、絵画、壺などの豪華な美術品が展示されていたのだそうですが、経営悪化により倒産したという話を聞きました。中の美術品どうなっているんだろう?

    建物だいぶ傷んできているようです。輪島には全く似合いません。この景色。

  • こちらのおばあちゃんは、雨の当たらないところでお店番。いかにも手作りといった商品が並んでいて、ついつい買ってしまいます。

    こちらのおばあちゃんは、雨の当たらないところでお店番。いかにも手作りといった商品が並んでいて、ついつい買ってしまいます。

  • こちらのタコやさんでもお買い上げ。タコの燻製柔らかくて最高においしかったです。ぺっちゃんこになった干しタコもユーモラス。

    こちらのタコやさんでもお買い上げ。タコの燻製柔らかくて最高においしかったです。ぺっちゃんこになった干しタコもユーモラス。

  • さあ、この辺で引き返しますか・・・

    さあ、この辺で引き返しますか・・・

  • おっとっと。輪島塗のマンホール発見!これは大収穫です。

    おっとっと。輪島塗のマンホール発見!これは大収穫です。

  • こちらは、輪島市の名舟町に伝わる無形文化財の和太鼓御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)ヴァージョン。

    こちらは、輪島市の名舟町に伝わる無形文化財の和太鼓御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)ヴァージョン。

  • 輪島の木造建築はとても味わいがあります。黒光りする屋根瓦には、輪島塗にも使われている珪藻土を用いていると聞きました。格子窓も、金沢とは少し趣が異なります。優しい木の温もりが感じられる家屋ですね。

    輪島の木造建築はとても味わいがあります。黒光りする屋根瓦には、輪島塗にも使われている珪藻土を用いていると聞きました。格子窓も、金沢とは少し趣が異なります。優しい木の温もりが感じられる家屋ですね。

  • 最後に、名物のゆべしを頂きながらバスに戻りました。そうそう、えがらまんじゅうも、輪島の名物になっていました。

    最後に、名物のゆべしを頂きながらバスに戻りました。そうそう、えがらまんじゅうも、輪島の名物になっていました。

  • 次に訪れたのは、総持寺祖院。曹洞宗の大本山の総持寺は横浜の鶴見にあり、私も訪れたことがあります。<br /><br />総持寺は元々、元享元年(1321年)に瑩山禅師がここ能登に開いた寺だったのですね。明治31年(1898年)の大火で境内を消失。その後本山が鶴見へと移ったのだそうです。

    次に訪れたのは、総持寺祖院。曹洞宗の大本山の総持寺は横浜の鶴見にあり、私も訪れたことがあります。

    総持寺は元々、元享元年(1321年)に瑩山禅師がここ能登に開いた寺だったのですね。明治31年(1898年)の大火で境内を消失。その後本山が鶴見へと移ったのだそうです。

  • 雨が激しくなってきました。総持寺祖院の総檜造りの山門です。レンズが雨に濡れたままで撮っているので、ひどい写真で御免なさい。

    雨が激しくなってきました。総持寺祖院の総檜造りの山門です。レンズが雨に濡れたままで撮っているので、ひどい写真で御免なさい。

  • この門は昭和7年(1932年)に再建されたものだそうです。内部の柱や梁の彫り物も、この通り大変美しいです。この山門と山門を入って真正面にある大祖堂は国の登録有形文化財に指定されています。

    この門は昭和7年(1932年)に再建されたものだそうです。内部の柱や梁の彫り物も、この通り大変美しいです。この山門と山門を入って真正面にある大祖堂は国の登録有形文化財に指定されています。

  • こちらがその大祖堂。こちらも総檜造りの堂々とした伽藍ですが、2007年(平成19年)3月の能登大地震では、震源に近かったため、大きな被害が出たようです。この時も修復作業中で、内部の見学はできませんでした。(2014年春に無事修復を終えたとのことです。良かった!)

    こちらがその大祖堂。こちらも総檜造りの堂々とした伽藍ですが、2007年(平成19年)3月の能登大地震では、震源に近かったため、大きな被害が出たようです。この時も修復作業中で、内部の見学はできませんでした。(2014年春に無事修復を終えたとのことです。良かった!)

  • 山門右手には仏殿があり、そこまで禅悦廊という名の内廊下が伸びていたので、そちらを進みます。

    山門右手には仏殿があり、そこまで禅悦廊という名の内廊下が伸びていたので、そちらを進みます。

  • 山門の左手の建物は座禅堂です。こちらの建物は修復が終わったようで、真新しい甍が輝いていました。

    山門の左手の建物は座禅堂です。こちらの建物は修復が終わったようで、真新しい甍が輝いていました。

  • こちらが禅悦廊です。

    こちらが禅悦廊です。

  • このような造りの寺院は初めてかもしれません。

    このような造りの寺院は初めてかもしれません。

  • 可愛らしい石仏コレクションが廊下に置いてありました。修復の費用のほんの一部にと思い、購入しました。

    可愛らしい石仏コレクションが廊下に置いてありました。修復の費用のほんの一部にと思い、購入しました。

  • 身が引き締まるような、豊かな緑の世界です。

    身が引き締まるような、豊かな緑の世界です。

  • 仏殿の襖の書は山岡鉄舟の作です。右から、鉄樹(てつじゅ)、抽枝(えだをぬきんじ)、石樹(せきじゅ)、開花(花をひらく)と書いてあるのだそう。さっぱり読めませんが、迫力ある字体だということだけはわかります。

    仏殿の襖の書は山岡鉄舟の作です。右から、鉄樹(てつじゅ)、抽枝(えだをぬきんじ)、石樹(せきじゅ)、開花(花をひらく)と書いてあるのだそう。さっぱり読めませんが、迫力ある字体だということだけはわかります。

  • 修復中の大祖堂です。前面の大きな扉だけは明治の大火の際に事前に持ち出されていて消失を免れた部分なのだそうです。だいぶ傷んでいるように見えるけれど、修復出来たと聞いて一安心。

    修復中の大祖堂です。前面の大きな扉だけは明治の大火の際に事前に持ち出されていて消失を免れた部分なのだそうです。だいぶ傷んでいるように見えるけれど、修復出来たと聞いて一安心。

  • 雨の中、もう少し欲張ってうろつきます。

    雨の中、もう少し欲張ってうろつきます。

  • この先に、明治の大火で焼け残った伝燈院、放光堂があるみたいです。

    この先に、明治の大火で焼け残った伝燈院、放光堂があるみたいです。

  • こちらが開祖瑩山禅師をお祀りしている伝燈院です。江戸時代の元禄6年(1693年)に建立されたもので、この建物がいわば祖院たる所以とも言えますね。緑の中の伝燈院、思わず手を合わせたくなる厳かな雰囲気に満ちていました。

    こちらが開祖瑩山禅師をお祀りしている伝燈院です。江戸時代の元禄6年(1693年)に建立されたもので、この建物がいわば祖院たる所以とも言えますね。緑の中の伝燈院、思わず手を合わせたくなる厳かな雰囲気に満ちていました。

  • 伝燈院の隣にある放光堂は痛々しいほど壁が崩れていました。これも地震の影響でしょうか?それとも、単に古いだけかしら? こちらはこれから修復するのでしょうか?

    伝燈院の隣にある放光堂は痛々しいほど壁が崩れていました。これも地震の影響でしょうか?それとも、単に古いだけかしら? こちらはこれから修復するのでしょうか?

  • 気の毒な放光堂の様子をもう1枚。

    気の毒な放光堂の様子をもう1枚。

  • 再び伝燈院の門の前を通って戻ります。雨のため足場が悪く、慈雲閣(観音堂)には行けませんでした。

    再び伝燈院の門の前を通って戻ります。雨のため足場が悪く、慈雲閣(観音堂)には行けませんでした。

  • ちょっぴり秋をイメージしたのだけれど・・・レンズについた雨粒が・・・。

    ちょっぴり秋をイメージしたのだけれど・・・レンズについた雨粒が・・・。

  • こちらはしっとりとした趣の経蔵です。 延享2年(1745年)の建立で、こちらも確か焼け残った貴重な建物のひとつです。

    こちらはしっとりとした趣の経蔵です。 延享2年(1745年)の建立で、こちらも確か焼け残った貴重な建物のひとつです。

  • 経蔵には八角の輪蔵が置いてありました。中には教典334巻が納められていて、この輪蔵を一回転することによってこれら一切の経典を読んだ功徳が得られるとのこと。以前、長野のいくつかのお寺でも見た記憶があります。輪蔵を見ると、すぐにチベット仏教のマニ車を思い出してしまいます。

    経蔵には八角の輪蔵が置いてありました。中には教典334巻が納められていて、この輪蔵を一回転することによってこれら一切の経典を読んだ功徳が得られるとのこと。以前、長野のいくつかのお寺でも見た記憶があります。輪蔵を見ると、すぐにチベット仏教のマニ車を思い出してしまいます。

  • 参拝できてよかったと大満足の総持寺祖院です。天気には恵まれませんでしたが、能登に来て正解だったと思いました。

    参拝できてよかったと大満足の総持寺祖院です。天気には恵まれませんでしたが、能登に来て正解だったと思いました。

  • バスの中から撮った1枚なので、どこだかわかりませんが(黒島天領のあたりかな?)、能登の典型的な民家です。渋い木造の壁に黒光りする屋根瓦が何とも言えず美しい「日本の風景」を創り上げています。思わず、「いいね」とポチッ!

    バスの中から撮った1枚なので、どこだかわかりませんが(黒島天領のあたりかな?)、能登の典型的な民家です。渋い木造の壁に黒光りする屋根瓦が何とも言えず美しい「日本の風景」を創り上げています。思わず、「いいね」とポチッ!

  • もう1枚。モノクロームの世界です。

    もう1枚。モノクロームの世界です。

  • バスの左手に大きな茅葺の屋根が見えてきました。多分、阿岸本誓寺というお寺。運転手さんが簡単に紹介してくれたような記憶があります。能登で一番古い浄土真宗のお寺だそうです。<br /><br />それにしても物凄く大きな屋根。よくぞ地震に耐えてくれました。いつの日か訪れたいと思っている、山の裾の静かな集落にあります。

    バスの左手に大きな茅葺の屋根が見えてきました。多分、阿岸本誓寺というお寺。運転手さんが簡単に紹介してくれたような記憶があります。能登で一番古い浄土真宗のお寺だそうです。

    それにしても物凄く大きな屋根。よくぞ地震に耐えてくれました。いつの日か訪れたいと思っている、山の裾の静かな集落にあります。

  • 伊勢の二見が浦の夫婦岩ではありません。能登の機具岩。これで、はたごいわと読むのだそうです。伊勢の夫婦岩よりずっと立派な気がしませんか? すざまじいお天気だということがよく分かる写真でしょ。<br /><br />モノクロームでも、こちらは激しい動を伴います。迫力ありますよね。

    伊勢の二見が浦の夫婦岩ではありません。能登の機具岩。これで、はたごいわと読むのだそうです。伊勢の夫婦岩よりずっと立派な気がしませんか? すざまじいお天気だということがよく分かる写真でしょ。

    モノクロームでも、こちらは激しい動を伴います。迫力ありますよね。

  • 織機を背負った女神様が、この地で山賊に襲われ、背中の機具(はたご)を海に投げ捨てたところ岩になったという伝説があります。<br /><br />こちらの大きな岩の上には赤い社も見えていますね。

    織機を背負った女神様が、この地で山賊に襲われ、背中の機具(はたご)を海に投げ捨てたところ岩になったという伝説があります。

    こちらの大きな岩の上には赤い社も見えていますね。

  • 能登半島国定公園に指定されている能登金剛は、複雑に入り組んだ海岸線が続きます。こちらは、昔懐かし、松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となったヤセの断崖の辺りです。<br /><br />船着き場が見えますね。

    能登半島国定公園に指定されている能登金剛は、複雑に入り組んだ海岸線が続きます。こちらは、昔懐かし、松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となったヤセの断崖の辺りです。

    船着き場が見えますね。

  • わじま号は豪雨の中、巌門に到着。ここで昼食です。メニューはと言えば、お刺身、タコ飯、椀もの、ひじきの煮物、お吸い物、漬物、それにイカ、タコ、えびがふんだんに入った海鮮鍋でした。豪華昼食を楽しみます。

    わじま号は豪雨の中、巌門に到着。ここで昼食です。メニューはと言えば、お刺身、タコ飯、椀もの、ひじきの煮物、お吸い物、漬物、それにイカ、タコ、えびがふんだんに入った海鮮鍋でした。豪華昼食を楽しみます。

  • 晴れた日であれば、ここで船に乗って、巌門を海から見学するのですが、勿論こんな日ですから船は欠航。巌門まで散策に向かうバカな奴も私一人でした。

    晴れた日であれば、ここで船に乗って、巌門を海から見学するのですが、勿論こんな日ですから船は欠航。巌門まで散策に向かうバカな奴も私一人でした。

  • 巌門には、こんな洞窟の中の階段をひたすら下りていきます。

    巌門には、こんな洞窟の中の階段をひたすら下りていきます。

  • おお〜 巌門洞窟独り占め! なんだか怖いような風景です。こんなところに船が着くこと自体信じられないよう。

    おお〜 巌門洞窟独り占め! なんだか怖いような風景です。こんなところに船が着くこと自体信じられないよう。

  • でも、観光船乗り場って確かに書いてありますよね。<br /><br />波にさらわれないよう、細心の注意を払って移動しました。いやあ、苦労した甲斐がありましたよ。絶景を見られてまたまた大満足です。転んでもただでは起きないねえ。

    でも、観光船乗り場って確かに書いてありますよね。

    波にさらわれないよう、細心の注意を払って移動しました。いやあ、苦労した甲斐がありましたよ。絶景を見られてまたまた大満足です。転んでもただでは起きないねえ。

  • 雲たれてひとりたけれる荒波を恋しと思えり能登の初旅<br /><br />松本清張の歌碑がありました。「ゼロの焦点」で有名になったヤセの断崖に身を投じる人が出て、松本氏はひどく心を痛めたそうです。この歌碑には、亡くなった方の冥福を祈るとともに、そうした悲劇が繰り返されないようにとの思いで建立されたとのことです。私の心情も代弁してくれています。

    雲たれてひとりたけれる荒波を恋しと思えり能登の初旅

    松本清張の歌碑がありました。「ゼロの焦点」で有名になったヤセの断崖に身を投じる人が出て、松本氏はひどく心を痛めたそうです。この歌碑には、亡くなった方の冥福を祈るとともに、そうした悲劇が繰り返されないようにとの思いで建立されたとのことです。私の心情も代弁してくれています。

  • さすがに、岬の先端まで下りていく気にはなれませんでしたよ。

    さすがに、岬の先端まで下りていく気にはなれませんでしたよ。

  • さて再びバスに乗り込みます。バスは羽咋郡志賀町にあるにある志賀原子力発電所の脇を通過します。2011年3月に2号機、10月に1号機が定期検査に入った後は、2基とも止まったままの状態です。

    さて再びバスに乗り込みます。バスは羽咋郡志賀町にあるにある志賀原子力発電所の脇を通過します。2011年3月に2号機、10月に1号機が定期検査に入った後は、2基とも止まったままの状態です。

  • わじま号は、最後の観光スポット千里浜パーキングエリアへとやってきました。ここでも残念なお知らせ。世界で3つしかない、車が走れる砂浜。そのうちの一つがここ千里浜なぎさドライヴウェイなのですが、こんな天気ですから、勿論閉鎖になっていました。だいぶ明るくなってきたので、もしかして・・・と希望を持っていたのですが、がっかり・・・

    わじま号は、最後の観光スポット千里浜パーキングエリアへとやってきました。ここでも残念なお知らせ。世界で3つしかない、車が走れる砂浜。そのうちの一つがここ千里浜なぎさドライヴウェイなのですが、こんな天気ですから、勿論閉鎖になっていました。だいぶ明るくなってきたので、もしかして・・・と希望を持っていたのですが、がっかり・・・

  • 仕方がないので、砂と遊んだわけではありません。<br />海岸には、こんな砂で作った力作がずらりと並んでいたので、休憩がてら見て回りました。

    仕方がないので、砂と遊んだわけではありません。
    海岸には、こんな砂で作った力作がずらりと並んでいたので、休憩がてら見て回りました。

  • どなたが作ったのかよく見てこなかったのですが、いずれも力作です。

    どなたが作ったのかよく見てこなかったのですが、いずれも力作です。

  • 千里浜の砂は粒子が細かく、粒子が均一であることから、水分を含ませ、上から圧をかけると固くしまって、車の通行が可能となるのだそうです。この砂も、千里浜の砂なのでしょうか?

    千里浜の砂は粒子が細かく、粒子が均一であることから、水分を含ませ、上から圧をかけると固くしまって、車の通行が可能となるのだそうです。この砂も、千里浜の砂なのでしょうか?

  • ちょっと懐かしいキャラクターにも会いました。

    ちょっと懐かしいキャラクターにも会いました。

  • 以前は100m近く幅のあった砂浜も、最近は浸食がはげしく、ここ20数年は、毎年1m以上も砂浜が消滅していると聞きました。原因は、砂を運んでくる川にダムができたからという説が有力ですが、現在、千里浜再生プロジェクトが砂浜の後退と必死で戦っています。<br /><br />これは、訪れた時には全く知らなかったことですが、最近のテレビのニュースで知りました。

    以前は100m近く幅のあった砂浜も、最近は浸食がはげしく、ここ20数年は、毎年1m以上も砂浜が消滅していると聞きました。原因は、砂を運んでくる川にダムができたからという説が有力ですが、現在、千里浜再生プロジェクトが砂浜の後退と必死で戦っています。

    これは、訪れた時には全く知らなかったことですが、最近のテレビのニュースで知りました。

  • 次回は、ぜひ砂浜を車で走れますように!と真剣にお願いしました。

    次回は、ぜひ砂浜を車で走れますように!と真剣にお願いしました。

  • 少し、日が差してきました。雨にたたられた「のと」でしたが、こういう時でないと見られない、取って置きの景色にも巡り会えたことだし、良しとしましょう。わじま号は、のと里山海道を一路金沢へ。気さくな運転手さんと、顔なじみになった同乗者の皆さんにも感謝です。

    少し、日が差してきました。雨にたたられた「のと」でしたが、こういう時でないと見られない、取って置きの景色にも巡り会えたことだし、良しとしましょう。わじま号は、のと里山海道を一路金沢へ。気さくな運転手さんと、顔なじみになった同乗者の皆さんにも感謝です。

  • あくる日、10月12日は帰るだけ。都ホテル金沢をチェックアウトします。

    あくる日、10月12日は帰るだけ。都ホテル金沢をチェックアウトします。

  • 今日もお天気はいまいちで、どんより曇っています。降っていないだけましかもね。鼓門に別れを告げます。今度は新幹線で来るからね!

    今日もお天気はいまいちで、どんより曇っています。降っていないだけましかもね。鼓門に別れを告げます。今度は新幹線で来るからね!

  • 多少時間があったので、わざわざ町の中を通る鈍行の空港行バスに乗車。金沢市内の景色を車窓から暫し楽しみました。<br /><br />完全消化とはならなかった今回の旅、またリベンジしまっせ。小松、金沢、能登、印象がまったく異なる3つのエリアの急ぎ足の旅が終わりました。

    多少時間があったので、わざわざ町の中を通る鈍行の空港行バスに乗車。金沢市内の景色を車窓から暫し楽しみました。

    完全消化とはならなかった今回の旅、またリベンジしまっせ。小松、金沢、能登、印象がまったく異なる3つのエリアの急ぎ足の旅が終わりました。

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