2013/10/10 - 2013/10/10
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junemayさん
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少し前の旅行記です。遅筆ゆえ、まとめるのに時間がかかって、気が付いたらもう1年半前になっていました。まだまだアップしていない旅行記があるのですが、精一杯これから頑張ります。
飛行機とホテルがセットになったプランを初めて利用しましたが、行きの羽田発が13:05、四日目の帰り小松発が11時台と、まことに使い勝手の悪いフライトで、実質使えたのは中2日間のみでした。(もう利用しないぞ!!)この年はいつまでも暑く、台風が異常に発生して、出発の日も能登半島が台風の進路に当たっていました。いつもいつもハラハラさせられますが、結局無事終了と相成るので、運が良いのか悪いのか、自分でもわからなくなります。
日程表
10月9日(水) 東京→小松→金沢
10月10日(木)金沢
10月11日(金)金沢→能登半島→金沢
10月12日(土)金沢→小松→東京
後ろ髪をひかれつつも金沢21世紀美術館を出てきました。もう時刻は午後4時を回っています。まだ訪れていない主計町とひがしやまを散策しましょう。まちのりの自転車に乗って、金沢中心部から南東方向へ突っ走ります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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21世紀美術館から、再び明治をほうふつさせる石川四高記念館前を通り過ぎます。
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香林坊の火除け地蔵と呼ばれているお地蔵様を拝んだ後、
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尾山神社を遠目に見て、
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近江町市場のあたりで、賑やかな通りから外れて裏通りへ。
こちらは、「風雅の宿」として知られる浅田屋旅館。料亭旅館として、加賀料理の老舗としても有名です。 -
浅野川にかかる浅野大橋手前にある橋場交差点付近で見つけたのは、古い橋の欄干。何々? 枯木橋??
橋のすぐ向こうにある建物は石川文芸館です。 -
明治25年(1892年)4月架と書いてあるので、架けられてからもう120年以上経っています。由来が書いてありましたが、橋の近くに枯木があったので、枯木橋になったとか諸説あるものの・・・正直、あまり面白い由来ではありませんでした。
惣構堀という小さな堀をまたいでいて、今でも立派?かどうかはわかりませんが、橋の役割を果たしています。 -
浅野大橋を渡ります。この向かって左岸が主計町(かずえまち)。そろそろ明かりが灯りだす時間です。
金沢三大茶屋街のひとつで、浅野川に面したごく狭い地域。かずえまちという町名は1970年に一旦住居表示の変更に伴い消えたのですが、1999年に全国で初めて旧町名復活を果たしたのだそうです。 -
道路の向かい側の綿谷小作薬局。通常の処方箋薬局のようですが、店構えは江戸時代のまま。「わたやこさくやっきょく」と読むそうで、暖簾の和の字はわたやの「わ」なのかしら? 創業1667年だそうですよ。
車が邪魔して見えないけれど、隣のお茶屋さんも1875年の創業。 -
東山に入ってまいりました。こちらは、大正10年(1921年)に建てられた元銀行の建物を利用している金沢ビストロとどろき亭。
ノスタルジックな夜を過ごすにはもってこいの場所ですね。 -
さあて、旧観音町に入ってきました。この道をずっと進むとと、卯辰山のふもとにある観音院に突き当たるので、その名がついたのでしょう。
入り口にあるのは、旧柴田生菓子店。現在は「ひがしやま まち空間」として一般開放されています。 -
海産物やお麩などを売っていたお店。定休日は、日曜日と店主の気分次第ですって!
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三味線の製造販売、福嶋三弦店。明治時代から120年続く三味線の専門店です。ふらっと入っていったのですが、店主はお客さんと打ち合わせ中。お邪魔をしないよう、そっと出てきました。
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福嶋さんちの隣が、加賀味噌・醤油、奥能登海水塩の販売をしている柴原嘉兵衛舗。
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建物は大正元年(1926年)の建築です。何を売っているお店か一目瞭然!
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観音町から2丁入ったところがひがし茶屋街です。おお〜雰囲気あるたたずまい。こちらは観光客の数も、にしに比べて多いですね。
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国の重要文化財に指定されている旧茶屋建築の志摩。文政三年(1820年)に建てられた茶屋「中屋」が、ほとんどそのままの形で残っている貴重な文化遺産です。
こちらは、後で寄ることにして、もう少し街並みを見てみましょう。 -
金沢が誇る文化の一つに金箔があります。箔づくり生産量が全国の99%というのですから、金箔イコール金沢産と言っても過言ではありません。
こちらは志摩の2、3軒先にある箔座というお店。金箔の薄さは1万分の1〜2mmというのですから、驚いてしまいます。ひがし茶屋街に来た人ならだれでも必ず一度は見るという金箔で覆われたひかり蔵が、お店の中でにぶい金色に輝いていました。 -
こちらの「藤とし」は一見さんお断りの割烹だそうです。ここからだと分かりにくいですが、屋根の奥に見える松は、1階の玄関先から2階の床の間の天井を突き破って屋根の上まで伸びているんですって。ここの女将さんが、時々お酒を飲ませてあげるので、すくすく成長したらしいです。
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さあ、閉館になる前に、「志摩」に戻って入館しましょう。茶屋建築では、お客様を通す客間の前に、必ず「ひかえの間」がついていて、2つの部屋で1セットになっています。客室はすべて2階。志摩には、全部で3組の客座敷がありました。
お客様同士が顔を合わせないように、また声が聞こえないように配慮されていて、こちらの座敷「なかのま」はいわば中廊下の役割を果たしていました。 -
庭は、2階からのぞき込むと一番美しく見えるように、構成されているんですって。小さな庭ですが、四季の移ろいが感じられるように作りこんでいます。
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控えの間の襖が開くと、艶やかな茶芸の始まり始まり・・・
遊びといっても、芸妓さんにはお琴、三弦、舞踊曲は言うに及ばず、和歌、茶の湯、俳諧といったものまで要求されたそうですから、高い教養と技能、そして何よりも人一倍の努力が必要でした。 -
10月も半ばに入るというのに、暑い日が続いているので、まだ夏しつらえでした。
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中庭があるので、風が通り、暑苦しく感じません。
おお〜 手すりの下にご注目! 透かし彫りです。手が込んでいますね。 -
志摩の2階一番奥にある前座敷、弁柄壁が鮮やかです。ここが一番気に入りました。
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障子の先に高欄と張り出しの縁側が設けてあるのが特徴。
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簾越しに、密かに表通りの人通りの観察もできそう・・・
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最後に志摩の台所を拝見。意外なことに、茶屋では料理を作ることはなく、ほとんどは仕出し屋を使っていたそうです。茶屋は料亭ではなく、パーティルームだったのですね!
プライバシーと秘密を保つことがまず肝心、そして勘定は「つけ」払い ということで、利用するお客様の信用度が大変重視されました。そのため、今でも一見さんはお断りのお店がほとんどなのだそうです。 -
もう一度志摩の全景を1枚。小さな庇は提灯用でしょうか?
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暮れなずむ茶屋街。少し人の往来が少なくなってきました。
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先ほど訪ねた箔座のひかり蔵をしつこくまた見に行ったら、ライトアップされていました。薄暗い中で、金色に輝く黄金の蔵。こちらの蔵は純金プラチナ箔と24Kの純金箔で仕上げてあるそうです。
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もう少し茶屋街を歩きましょう。こちらは、メインストリートの突き当たりにある麩専門店からそのまま左に進んだところにあるひがしやま酒楽というお店。立ち飲みで、石川県のお酒が500円から楽しめるのだそうです。
弁柄色が雰囲気出しています。 -
こちらは、菅原神社の真ん前にあった八乃福さんだったかな?
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格子戸から漏れるひかりは優しい色をしています。
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こんな町にも電気屋さん発見。違和感ありかな?
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明かりが灯り始めた茶屋街はそぞろ歩きに最適な場所でした。
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実にゆったりと時間が流れていきます。
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突き当りの伝統工芸のお店美かざり あさの は最近オープンしたお店。
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この先で道はジグザグに折れて・・・
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こちらの建物の角を曲がると・・・
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茶屋街のメインストリートに戻ってきました。ちょうど一周したことになります。この大きな建物は和食のお店蛍屋さん。2015年4月現在お店を閉じているようです。
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弁柄格子と柳、良く似合いますね。
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明治42年(1909年)創業当時から変わらない外観と言われる洋食屋さんの自由軒がありました。こちらのオムライスの評価はとても高いですよ。なんでもお醤油味のご飯なのだそうです。ランチにお邪魔したかったなあ。
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自由軒の前をもう少し進むと、きんつばで有名な中田屋がありました。
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旧観音町まで戻ってきました。こちらのお店も何のお店か一目瞭然。経田米穀店です。いいねえ。
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横丁から聞こえてきた音楽はビートルズ。こちらは、季節の一品料理とビートルズのお店れのんです。のれんじゃあないですよ!
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さらに進むと秋の味覚満載の郵便ポストがありました。目で見て楽しむために、ご近所の方が置いてくださっているのかしら?
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いくらなんでももう暗くなってきたから帰ることにしましょう。残念ながらこの時間では卯辰山までは行けません。観音町通りのだいぶ奥にある寿経寺から引き返すことにしました。
こちらは、このお寺の門前にある七稲地蔵尊。安政5年(1858年)にここ卯辰山で起きた一揆の首謀者として処刑された7人を供養するために建てられたお地蔵様だそうです。それぞれ稲穂を掲げていますね。地蔵尊は通常6体。1体数が多いなと思っていましたが、こんなお話が隠れていました。 -
帰りに主計町を回りました。しかしながら、主計町は街灯が少なく、暗闇の世界でした。かろうじて撮れたのは浅野大橋にほど近い鍋屋たろう。
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浅野川にかかる歩行者専用の橋 中の橋です。橋を渡るのに一文払ったことから別名一文橋と言われました。泉鏡花の小説「化鳥」の舞台でもあります。木造のなかなか風情のある橋です。この橋を終着点としましょうか。
本日の金沢散歩はこれにて終了です。 -
自転車で近江町市場まで戻り、やってきたのはお寿司屋さん。お勧めはこちら、左から順に、のど黒、がすエビ、梅貝、白エビ、ホタルイカの組み合わせの北陸づくし。激ウマ〜!
後は撮る前に手が出てしまって、写真はありません。お陰様で金沢を朝から晩まで堪能しました。1日フルにお世話になったまちのり自転車にも感謝!
この続きは小松、金沢、能登急ぎ足のたび その5 能登で。
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