2015/04/04 - 2015/04/07
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nao520さん
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北京からの3泊4日河西回廊の旅、先月の天水から西に進みます。
D1 北京-蘭州 海南航空 : 甘粛博物館、黄河
D2 蘭州-張掖 高鉄: 張掖市内
D3 張掖: 丹霞、冰溝、黒水国城跡
D4 張掖-西寧 高鉄: タール寺、西寧-北京 海南航空
河西回廊はその名前の通り地図で見てもとても細い地形です。東西の交易が本格的に始まるのは前漢武帝の時代に漢が4郡を置いて統治するようになってからです。それまでは強大な騎馬民族である匈奴の支配下。匈奴は当時の最強帝国でした。
農耕民族で弱い漢の国が匈奴に対抗できるようになったのは西域の情報をもたらした張騫にはじまり、大将軍の衛青、19歳で将軍になり戦の方法を軽装で騎馬に変え匈奴にことごとく勝った衛青の親戚の霍去病などの人物がでてきたことが分岐点だと思います。それまでは有名な李広なども活躍しましたが。
ほぼ完全に匈奴を北に追い出したのは紀元前119年。霍去病が三回出征した年。それ以降、交通の安全が確保されたために東西交易が発展していき河西回廊が栄えていったわけです。シルクロードですね。安定していたためその後仏教寺院石窟も多く作られました。
河西回廊の地政学的な意義と歴史的な背景とか人物を考えるととても興味を引かれる地域です。
時間さえあれば河西回廊の4つの主要なまち、漢の時代に置かれた4郡の武威、張掖、酒水、敦煌を一度にゆっくりとひとつひとつ訪れるのがロマンを掻き立てるのですが、そこまで時間はないので高鉄にします。一応勤め人なので。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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0830北京発の海南航空で出発です。
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蘭州飛行場へはたったの2時間で着いてしまいます。
バゲッジクレームを出てすぐのところに、市内へのバスチケット売り場があります。30元。
甘粛省の旅行関係シンボルである奔馬の像がありました。この後、いろいろなところでお目にかかることになります。
蘭州の飛行場は市内のバス到着場まで80キロぐらい離れており1時間はかかります。 -
今回の宿はバス到着場のすぐ近くの飛天大酒店にしました。実は雨の予報だったので着いてから荷物を持ってあまり移動したくもなかったのです。たいした荷物ではないのですが。交通は便利な場所にあります。バスの一路が走っていて博物館に行けますし、蘭州駅まで歩けないことはない。
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バス到着場について即近くの食堂で本場蘭州拉麺を食します。
私はいつも拉麺と牛肉片一皿をオーダーします。チャーシュー麺みたいにして食べるのが好きです。 -
そこそこ知られた店だったみたいです。どの店も手工ですし、味が極端に違うこともないと思いますが、やはり有名店と言うものはあります。
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すぐ近くに蘭州大学あり。
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チェックインしてすぐに甘粛省博物館に行きます。
バスの一路線で七里河バス停で降ります。30分ぐらいだったかな。 -
見所のひとつ。武威の雷台遺跡から出土された銅馬車のミニチュア。兵馬俑のもののように大きくはありません。
本物はこの甘粛博物館にあるということで武威に行くことはしませんでした。 -
雷台は漢の時代の武威の人物の陵墓です。
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同じく雷台から出土した国宝の銅奔馬。これがこの博物館で最も有名なものでしょう。
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馬の体のなめらかさな湾曲形といい躍動感といい素晴らしい。
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正面から見ても直立ではなく右にずれていて早く走る様子をうまく表現している。
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燕を後ろ脚で踏んでいるところがポイントで、2000年前のデザイナーのセンスに感服しました。
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漢の時代に西域を旅した張騫。私は彼は探検家だと思います。
漢の国は建国当初からずっと強大な匈奴帝国に悩まされており、戦をしても負けっぱなしで毎年匈奴に年貢のように生活物資を納めることで平和を保ってきたわけです。若い武帝はその力関係を変えようと、先ずは匈奴に河西回廊を追われた西域の月氏との同盟を結び匈奴対抗の一歩にしようとした。ただ、当時の河西回廊は匈奴に抑えられていたわけで、そんな危険な使命に誰も成り手はなく。そんな中で張騫は自ら進んでその役を引き受けました。大きな期待を担って引き受けものの大変な道が彼を待っていました。河西回廊に入ってすぐ匈奴に捕らえられてしまいます。匈奴の単于は彼に妻まで娶らせ監視下におきます。なんと9年もの間! その後ようやく隙を見て逃げ出し当初の目的の通り西域の月氏にたどり着きます。しかし、今もはや月氏はその土地に満足しており既に対匈奴同盟には関心ありませんでした。張騫は長安への帰る道筋として匈奴の勢力下を避けさらに南のパミールから祁連山脈を通るのですが、なんと運悪くまた匈奴に捕まってしまいます。驚いたことに単于はそんな張騫を殺さず元の妻の元へ送り返します。1年後その単于が亡くなった混乱に乗じて、今度はその匈奴の妻も連れて長安に逃げ帰ります。長安城をみた張騫は感動のあまり拝して顔を上げることができなかったといいます。張騫がもたらした西域の情報は極めて重要なもので、これにより武帝は自らの国家戦略を作ることができました。その後武帝は衛青の軍隊に張騫を従わせ対匈奴の戦いに打って出ます。匈奴の戦争準備をまじかで見て研究してきた張騫の情報のおかげで初めて匈奴に勝つことができました。河西回廊を匈奴から漢の支配下に置き交通の安全が図られるようになって発展して行くのはこの張騫の貢献があったからです。これがシルクロード発展のはじまり。というような内容が「河西回廊」という甘粛省政府が製作した10本ものの記録ドラマの第1回に描かれています。 -
張騫の二回の道筋です
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木管でのやりとり
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これは、河西回廊各所に設けられた駅舎網です。これが河西回廊の統治の始まりでこの後、群が置かれることになります。武威、張掖、酒泉、敦煌の4郡。
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毛鞠。山東省の岱廟でサッカーの起源は中国だということが書いてあり、その壁画があったのを覚えていますが、これがそうなのかもしれない。約2000年前のもの。
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2000年前のお箸ですが美しいです
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絹
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これは杖の頭の部分
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犬、かなり古いものです。
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中国の古代の映画に確かに出てくるこのような馬具
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西域の顔ですね、惹きつけられます。
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これはシベリアの鹿。ヘラジカかトナカイでしょうか交易の広さを物語るもの。
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当時の家族。いつの時代も変わらないですね。
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当時の軍人の顔立ち
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馬を引く胡人
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別の顔立ちの胡人
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こちらはラクダを引く胡人
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シルクロードと言えばこれらの楽器でしょう。
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これは古琴です。習ってみようと思っているのですぐわかりました。
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このように演奏していたわけですね
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次は時代が下がって壁画と石窟が河西回廊には多く作られます。紀元400年頃の武威の天梯山石窟が最も早いものと言われています。その背景にはこの時期には既に河西回廊は匈奴の影響下になく中原は五胡十六国時代で荒れ果てていましたがここは比較的安定していて仏教徒が比較的集まっていた。
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先月行った麦積山があったので写真を。
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時代がさらに下ると西夏の勢力下にもあったわけです。これは西夏文字の文書。
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恐竜コーナーもあります
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化石もたくさん展示してありましたが時間もおしていたので殆ど素通りしました。
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2時間強博物館を見た後はお決まりの黄河を見に行きます。天下第一橋の中山橋です。
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名前はそっけないですね。中国のどこにでもある名前になってます。
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黄河を白塔山公園から見ると蘭州が黄河沿いに細長く発展しているのがよくわかります。南北6キロしかないそうです。
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美術学生が写生をしていました
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これは豆かと思ったら違いました。
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白塔は修復中です
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黄河プロムナード
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ここは有名な張掖路ちかくの路地
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6時を回り少しお腹が減ったので近くにあった甘物で有名な店に入ってみました。
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名物の灰豆子を頼みます。粽が美味しそうだったので注文。これは中に棗が入っていて蜜がかけてあります。
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ちょっと珈琲が飲みたくなったのでスターバックスに寄り道して8時ぐらいに宿に戻りました。
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