2014/12/14 - 2014/12/14
3117位(同エリア7310件中)
jugiさん
そういえばハマってから鎌倉に訪れていなかったなぁと思い、友人と着物の会のついでに観光☆
定番の鶴岡八幡宮も行ったのですが、何度も訪れているがゆえに写真撮り忘れました…。。。
鎌倉は、頼朝の築いた都。
幕府跡や頼朝の廟やら梶原の井(誰かを切って血に塗れた刀を濯いだという井戸)やら星月夜の井やら(当時鎌倉は飲料水に恵まれない土地だったそうなので井戸は重要だったんですね)、源氏山公園やらたくさんスポットはありますので興味がある方は是非…。
範頼(頼朝の弟・義経の兄)の墓とかもあったような気がするんですが、何分関連の史跡が結構離れて点在してるんですよねー…。(後武士政権がゆえに派手さがないの…)
☆旅にあたって読んだ本・追加☆
武門源氏の血脈 為義から義経まで 野口実
ちなみに基本の平家物語関連についてはコチラ☆
→http://4travel.jp/travelogue/10927270
→http://4travel.jp/travelogue/10937923
→http://4travel.jp/travelogue/10940764
→http://4travel.jp/travelogue/10950140
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
鎌倉近辺にてまで出て、鶴岡八幡宮にお参り。
小町通りで古き良きレトロな喫茶店ミルクホールで昼食ののち、江ノ電で今回は腰越へ。
江ノ電腰越の踏切をこえてすぐの階段を上った場所が、義経の腰越状で有名な満福寺。 -
満福寺はの境内にある弁慶の手玉石。
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そして腰掛石。
満福寺は、腰越状の話がなければ普通の(?)古いお寺でした。 -
寺の中には腰越状のレプリカや、義経にまつわる絵が展示してありました。
義経が平家を壇ノ浦で滅ぼした後、捕虜(平宗盛親子)を連れて鎌倉へ下る折、ここを越えたら鎌倉というこの場所にきて、お前は鎌倉へは入れない、と言われて留め置かれたのがこの満福寺です。
義経一行はしばらくここで沙汰を待ったものの、頼朝は会おうともせず、凹んだ義経が頼朝の近臣である大江広元に取り次いでヨーと出したお手紙が腰越状。
腰越状は今になっては本当に義経が書いたものか、疑問視されているんですがー。
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