2013/11/26 - 2013/11/26
54位(同エリア261件中)
KawakamiKenさん
- KawakamiKenさんTOP
- 旅行記2606冊
- クチコミ26件
- Q&A回答0件
- 1,817,254アクセス
- フォロワー332人
関ヶ原古戦場(西軍)に行ってきました。
「西軍」は敗戦はしましたが「毛利家(長州藩)」「島津家(薩摩藩)」といった「明治維新の主役」となる先祖がこの地で「死闘」を繰り広げています。
写真は「笹尾山」に布陣する「石田三成陣跡」です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「決戦地」から「石田三成の陣営」が見えます。
-
「石田三成」は「笹尾山」に布陣しました。
-
「石田三成」の陣地前には「島左近」の陣営です。
-
「三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に佐和山の城」の「島左近」です。
-
「島左近陣跡」。
-
「徳川家康」が「石田三成」の「挙兵」を誘い込んだと書かれてます。
-
「関ヶ原町案内図」。
-
「島左近陣跡」。
-
ここを登れば「石田三成」が陣取った「笹尾山」です。
-
「矢来」。
-
「矢来」は「臨時の囲い」です。
-
「二重」にめぐらしたと書かれてます。
-
「5分の道のり」です。
-
「展望台」。
-
「石田三成陣営」は「戦況が分る立地」に位置してます。
-
「関ヶ原合戦陣形図」。
-
「松尾山方面」。
-
「松尾山」には「叛応人」の「小早川秀秋 」が布陣してました。
-
「桃配山方面」。
-
「桃配山」には「徳川家康」が布陣していました。
-
「北国街道周辺」。
-
「北国街道」のある「平地」は「激戦地」でした。
-
「西軍右翼」。
-
「最右翼」には「歴女に人気」の「大谷吉継」がいます。
-
「東軍の総兵力」は「約74,000」。
-
「西軍の総兵力」は「約84,000」。
-
両軍合わせて「約15万人の激突」と書かれてます。
-
奥に進みます。
-
「石田三成陣地」。
-
「三成」は「北国街道沿い」に「敗走」したと書かれてます。
-
「三成の決起と家康の陣営固め」。
-
「激突・裏切り・壊滅」。
-
「戦後処理と動行」。
-
「展望台」を後にします。
-
「開戦当初」は「互角の戦い」でした。
-
「石田三成隊」が意外に「奮戦」しました。
-
「小早川秀秋(約15,000人 )」が裏切ったところで勝負が決しました。
-
「広大な古戦場」でなので「時間が許す限り」歩きます。
-
基本的に「一般の住宅街」を歩きます。
-
「島津義弘陣地」。
-
「島津家」は「明治維新」の「薩摩藩」です。
-
「敵中突破(「捨て奸」と言われる、何人かずつが留まって死ぬまで敵の足止めをし、それが全滅するとまた新しい足止め隊を残すという壮絶な戦法を用いました)」。
-
「開戦の地」。
-
「濃霧の中」で両軍は「2時間程」対峙し続けた後の「開戦」です。
-
「開戦」は諸説あり「福島正則(先鋒)」又は「井伊直政」の「突然の発砲」で始まったとされてます。
-
「小西行長陣地」。
-
「小西行長」は「文禄・慶長の役(朝鮮出兵)」の際、「先鋒(加藤清正は2番手)」として出陣し「釜山」「漢城」「平壌」を攻略した「名将」です。
-
「小西行長」は「切腹を拒否」して「六条河原」で「石田三成」「安国寺恵瓊」と共に「晒し首」となりました。
-
「天満神社」。
-
「関ヶ原の戦い」で「焼失」したと書かれてます。
-
「宇喜多秀家陣跡」へ向かい「大谷吉継」は遠いので断念しました。
-
静かで「気味が悪い」道のりでした。
-
「宇喜多秀家陣跡」。
-
「宇喜多秀家(五大老)隊」は「1万7千の兵」を擁し「西軍の主力」でした。
-
「宇喜多秀家」は主に「(先鋒)福島正則」と戦いました。
-
両者の戦いは「最大の激戦」と言われています。
-
「宇喜多秀家」は戦後「死罪」は免れ「八丈島に流刑」となりました。
-
あの「宮本武蔵(西軍)」が「この辺り」で参戦していました。
-
「関ヶ原宿脇本陣跡」。
-
「至道無難禅師生誕地(高僧)」でもあります。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
関ヶ原・垂井(岐阜) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
60