1974/08/22 - 1974/08/28
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復してヨーロッパ、モロッコを
船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
今回は、子供の頃に読んだウィンパーのマッターホルン初登頂記
を読んで以来の憧れの地ツエルマット。
ところが8月22日から6泊したのにマッターホルンが写った写真が
ほとんど無い。
肝心の山頂部に雲が引っかかって、全容が見えたのは24日、25日、26日の
3日間、それも早朝の1時間ほどで、日中は全く駄目だった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
-
昭和49年8月22日から28日まで
6泊したツエルマットのユースホステル
ここのユースホステルも日本人が圧倒的に多かった。
マッターホルンが目の前に見える部屋だったが、
肝心の天気が悪くて見えない日が多く残念だった。 -
昭和49年8月22日から28日まで
6泊したツエルマットのユースホステル -
昭和49年8月22日から28日まで
6泊したツエルマットのユースホステルのスタンプ -
昭和49年8月22日
ツエルマットの駅前で
午後1時近くにツエルマットに到着。
あいにく曇り空でマッターホルンの雄姿が見えない。
駅前の馬車のタクシーを見ていたら、列車から降りた大柄ないかにも
金持ちそうな家族連れのお父さんが「ヘイ、カモン!」とか言いながら
手招きしているので、何事かと行ってみると、スーツケース等の荷物を
タクシーに乗せろ、と云う。
どうもカウボーイハットを被っていたのでタクシーの運転手と間違えて
いるようだった。
仕方がないので駅にあったカートでタクシーまで運んだら、駅前のコープから
運転手が戻って来た。お父さんが自分にチップを渡そうとしたが、断っていると
この運転手、ちゃっかりと横から手を差し出した。
そこで気付いたお父さんと運転手が「一緒に乗って行け。」と言ったがミュンヘンの事もあって断った。
画像の山小屋風の1階は観光案内所、
左のスーパーコープは40年経った今も同じ場所にあるらしい。 -
昭和49年8月22日
ツエルマット 20枚撮り白黒フィルム現像のレシート
3.6スイスフランで349円。
ミュンヘンのユースホステルの2段ベッドからカメラを落としたので
不具合のチェックの為、白黒フィルムを買って試したら、
異常は無かったのでほっとした。 -
昭和49年8月22日
ツエルマットで両替
20ドル5760円 1スイスフラン96.44円 -
昭和49年8月22日
ツエルマット
牧童のペーターは近くの山で放牧させて、毎日夕方の5時過ぎ、
村のメインストリートを通って帰るのであった。 -
昭和49年8月23日
朝から曇り空、マッターホルンは全く見えない。
ツエルマット(標高1620m)からリッフェルベルグ(標高2582m)まで
ハイキングして帰る途中、羊の群れが大挙寄って来た。
餌を持って来たと思ったのか、可愛い鳴き声と目は餌をねだっているようだった。 -
昭和49年8月24日
ツエルマット
朝早くユースホステルの前でアメリカ人ローラと
[行かないで」
「青年は荒野をめざす」
夜明け前のマッターホルンの美しさに感動した。
濃いブルーの空とマッターホルンの東壁が
朝陽を浴びて赤に近いオレンジ色に染まっていた。
部屋には、アメリカ人、ドイツ人、ユダヤ人3人いて、
皆、声も出さず見入って感動していた。
こんな神々しい山を見たのは初めてであった。
8時前には頂上付近から雲がかかり始めて見えなくなってしまった。 -
昭和49年8月24日
ツエルマット
朝早くユースホステルの前でアメリカ人ローラと
[行かないで」
「青年は荒野をめざす」 -
昭和49年8月24日
ツエルマット アルペン博物館入場券
2スイスフラン 194円
主に初登頂したウィンパーの多くの記録が展示されていた。 -
昭和49年8月25日
ツエルマット スネガ(標高2288m)の往復リフト券
6.5スイスフラン 630円
ツエルマットからリフトでスネガまで登り、絵葉書が多い
ステリーゼーを目指したが、今日もまたマッターホルンは雲が引っかかって
見えない。見えたのは早朝の1時間ほどだった。
ステリーゼ辺りは湖面に映るマッターホルンを撮るには絶好の場所なのだが、
山が見えないのに撮ってもしょうがないと諦めた。
何としてでも1日中ここで湖面に映るマッターホルンを眺めていたいのである。
明日に期待したい。 -
昭和49年8月25日
登山鉄道はツエルマット(標高1620m)から
ゴルナーグラード(標高3130m)までで開通は1898年。 -
昭和49年8月26日
ツエルマット スネガ(標高2288m)の片道リフト券
3.5スイスフラン 339円
今日もまた湖からマッターホルンが見えなかった。
朝方はっきりと見えていたが、8時過ぎには頂上部に雲がかかり始める
いつものパターンであった。
ステリーゼ辺りで雲が晴れるのを待っていたが、結局駄目だった。 -
昭和49年8月26日
ツエルマット 20ドル5700円を59.4スイスフランに両替
1スイスフラン95.96円 -
昭和49年8月26日
ツエルマット 10ドル2850円を29.7スイスフランに両替
1スイスフラン96.96円 -
昭和49年8月27日
ツエルマット フィンデルンで
フィンデルンは標高2069mでヨーロッパで最も高所に畑を
持つ村である。何よりも興味深かったのは正倉院の校倉造りの
家々だった。 -
昭和49年8月27日
ツエルマット駅前のコープで買い物
2.5スイスフラン242円 -
昭和49年8月27日
ツエルマット ユースホステルのレシート
8月22日から27日6泊 98スイスフラン 9502円
8月28日、ツエルマット最後の日であったが朝から曇り空、
マッターホルンに見送られる事も無く、後ろ髪を引かれる思いで
ザースフェーに向かった。
この時、マッターホルンが一番綺麗に見られる冬に戻ってくる事に
決めた。 -
-
昭和49年8月22日
ミューレンからツエルマットまでの移動距離153.6キロ、
横浜港からツエルマットまでの移動距離12,990.4キロ
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