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 環状4号線が国道1号線と交わるのが原宿交差点である。その原宿交差点の近くに路線バスから見えた2棟の土蔵があったが、その1棟がこれである。原宿交差点の戸塚寄りにあるが、良く見ると土蔵ではなく、石蔵である。横浜市内では石蔵は珍しいが、原宿から4Km(一里)ほど行った藤沢宿には何棟かの石蔵が残っており、そうした藤沢の石蔵を造った(宮)大工の流れの(宮)大工にでも頼んでこしらえたものであろう。ただし、この地区では土蔵は間口3間、奥行き2間に決まっているというので、この石蔵もその大きさであり、石蔵としては小さなものである。<br /> 石蔵とL字に続く母屋はトタン屋根であり、関東大震災(大正12年(1923年))後の復興住宅のように見えるが、高さはやや低いが2階建てのようだ。この地区にも戦前までは2階建ての住宅は殆ど建てられなかったから、戦後になって屋根裏を部屋に改造したのかも知れない。この家には植源造園の看板が立っている。<br />(表紙写真は原宿交差点近くの石蔵)

原宿交差点近くの石蔵

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2015/01/05 - 2015/01/05

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 環状4号線が国道1号線と交わるのが原宿交差点である。その原宿交差点の近くに路線バスから見えた2棟の土蔵があったが、その1棟がこれである。原宿交差点の戸塚寄りにあるが、良く見ると土蔵ではなく、石蔵である。横浜市内では石蔵は珍しいが、原宿から4Km(一里)ほど行った藤沢宿には何棟かの石蔵が残っており、そうした藤沢の石蔵を造った(宮)大工の流れの(宮)大工にでも頼んでこしらえたものであろう。ただし、この地区では土蔵は間口3間、奥行き2間に決まっているというので、この石蔵もその大きさであり、石蔵としては小さなものである。
 石蔵とL字に続く母屋はトタン屋根であり、関東大震災(大正12年(1923年))後の復興住宅のように見えるが、高さはやや低いが2階建てのようだ。この地区にも戦前までは2階建ての住宅は殆ど建てられなかったから、戦後になって屋根裏を部屋に改造したのかも知れない。この家には植源造園の看板が立っている。
(表紙写真は原宿交差点近くの石蔵)

  • ブロック塀の脇に土蔵。

    ブロック塀の脇に土蔵。

  • 原宿交差点近くの石蔵。良く見ると石蔵だ。

    原宿交差点近くの石蔵。良く見ると石蔵だ。

  • L字に並ぶ石蔵と母屋。

    L字に並ぶ石蔵と母屋。

  • 植源造園の看板。

    植源造園の看板。

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