2015/01/03 - 2015/01/03
1006位(同エリア2168件中)
目黒警部さん
出雲大社拝殿
正面にかかる注連縄は周囲4m、長さ8m,重さ1.5トンと神楽殿の大注連縄に次ぐ規模を誇ります。
通常参拝者の祈祷が行なわれています。
- 旅行の満足度
- 4.5
PR
-
2015年1月3日
ツア―バスは、米子を後にして出雲大社へと向かった。 -
高速道路の下に玉造温泉郷が見えた。
-
稲佐の浜(いなさのはま)が見えてきた、もう少しで出雲大社に到着である。
-
国譲り、国引き神話の舞台
出雲大社の西にある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。 -
浜辺の奥に大国主大神と武甕槌神が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。
また、この浜は、旧暦10月の神在月に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。 -
駐車場に入る道路は渋滞していた。
-
バスの中からの撮影
神事が行われている。 -
太鼓を打ち鳴らし、地元の家に訪問している。
-
稲佐の浜から出雲大社へ通じる旧道
-
車が進まないので、降りて歩いていくことにした。
ここから歩いても10分足らずと言う、ガイドさんの後に続く・・・ -
出雲大社境外摂社 上宮 付近らしい。
-
旧暦十月、神在祭で全国からお集まりになられた八百万の神々は、昼間はこの「上の宮」を会場にして様々な縁結びの会議である「神議り(かむはかり)」を行われます。
重要な出雲大社の末社である。 -
ガイドさんの説明を聞きながら、歩いていきます。
出雲大社境内マップと説明書のコピーもいただきました。 -
出雲大社参道前にスタバがありました。
-
行列ですね・・・シックな和風のスタバです。
-
参道の入り口にある勢留に到着
-
二の鳥居、勢留です。
-
鳥居前の神門通り、鳥居を背にしての撮影。
-
正式名称は「いづもおおやしろ」であるが、一般には主に「いづもたいしゃ」と読まれる。
-
創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。
千家家は代々出雲国造を務めており、「古事記」、「日本書紀」によると、天照大神、天穂日命、建比良鳥命の家系であると伝えられている。 -
現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受している。
-
神紋(二重亀甲に剣花角)
-
松の参道右手にある、祓社(はらいのやしろ)
祓戸四柱神を祀る。
参道大鳥居の東側にあり参拝者が前もって身心を祓い清める社 -
祓社(はらいのやしろ) にて穢れを清めて参拝します。
-
-
現在の権宮司は84代国造千家尊祐の息子千家 国麿(せんげ くにまろ)
2014年(平成26年)5月27日午前に、高円宮憲仁親王の第二女子・典子女王との婚約が宮内庁の西ヶ廣渉宮務主管から発表され、同日午後、宮内庁第一会議室で典子女王(当時)とともに記者会見を行った[。
同年10月5日に出雲大社で結婚式を挙げた。 -
2014年9月7日付で、出雲大社の権宮司に就任した。
一般の神社では宮司の次位は禰宜であるが、住吉大社など一部の別表神社では宮司と禰宜の間に権宮司(ごんぐうじ)が置かれる。
出雲大社ではさらに宮司と権宮司の間に教統が置かれる。 -
-
-
三の鳥居
松の参道の鳥居です。 -
木の鳥居です。
-
鳥居をくぐり、神域に入るとすぐに 珍しい下りの参道です。
-
HISのガイドさんが、いろいろ説明してくれました。
-
松の参道
-
-
-
イベントして建てられた、古代社殿の柱をイメージしたものらしい。
-
-
-
-
-
ムズビの御神像
スクナヒコもオオクニヌシの下を去り、常世の国へ旅たって行ってしまいます途方に暮れるオオクニヌシ、海を照らしながらやって来る神がありました。
オオクニヌシは「あなたは誰ですか?」と尋ねたところ、その神は「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である」と答え、オオクニヌシは「生きとし生けるものすべてはこの「幸魂奇魂」をわが身にいだいて生かされており、その”おかげ”を持ってみんな幸福になる縁を結ぶことができるのだ」と悟り、これがオオクニヌシが”えんむすびの神”として慕われる由縁となりました。 -
大国主命が有難く幸魂奇魂を拝戴しています。
-
-
オオクニヌシは幾度も命を落としそうになりながらも数々の試練を乗り越え、多くの兄弟の中から出雲の王に選ばれます。
因幡の白兎が「わたしを助けてくれたあなたが王として選ばれるでしょう。」とオオクニヌシの未来を予言したエピソードもこの時のものであります(因幡の白兎伝説)。 -
日本神話(古事記)に出てくる、稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)をモチーフの像。
-
参道のご慈愛の御神像
「大国主命と因幡の白兎」の像 -
-
-
四の鳥居 (重要文化財建造物)
銅鳥居です。 -
出雲国造家と同じく、天穂日命を祖とする 長州藩第3代藩主 毛利綱広(大江氏)の寄進(寛文6年、1666年)。
-
-
2008年(平成20年)の「仮殿遷座祭」以降、本殿の屋根等の大改修が行われており、2013年(平成25年)5月には御祭神を仮殿から改修が完了した本殿へ再び遷座する「本殿遷座祭」が行われた(平成の大遷宮)。
出雲大社の遷宮は概ね60〜70年毎に行われている。 -
出雲大社の祭祀者である出雲国造家は、南北朝時代に「千家」と「北島」の2家に分裂し、その祭事は幕末までは両家が二分して行っていたが、明治以降から現在までは千家家が執り行っている。
またそれぞれ大国主大神を主祭神とする宗教団体として、千家家が出雲大社教、北島家が出雲教を主宰している。
参道右手の写真の紋所は「北島」家 -
参道左手の写真の紋所は「千家」
-
拝殿
昭和28年の大火で、焼失した旧拝殿は1519年(永正16年)尼子経久の寄進したもの。
焼失しましたが、昭和34年に再建されました。
建材には檜(hinoki)を使用し、正面にかかる注連縄は周囲4m、長さ8m,重さ1.5トンと神楽殿の大注連縄に次ぐ規模を誇ります。
通常参拝者の祈祷が行なわれています。 -
-
祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。
1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。
神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)。
出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではない。
そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになった。 -
出雲大社では「2礼、4拍手、2礼又は1礼」で拝殿に向かってかしわ手を4回打ち良縁や健康を祈願します。
-
-
出雲大社 ご本殿(国宝)前の八脚門(重要文化財建造物)
ご本殿内、お正月は入れるが普段の日は入れない。
写真撮影は禁止。
帽子、マフラ―などをしてはいけない、夏だと女性は肌の露出した服装も禁止である。
玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている。
本殿内北西には御客座五神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)が祀られている。
大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いている。 -
観祭廊と廻廊(重要文化財建造物)
-
1月3日 福迎祭
-
正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。
現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。 -
約60年に一度行われてた本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。
-
2014年9月7日付で、千家国麿が権宮司に就任した。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
66