2014/06/25 - 2014/06/25
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junemayさん
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個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
La PeraからジローナGironaへ。バスの運転手さんに「旧市街近くになったら降ろしてね」と頼んだにもかかわらず、気がついたら終点のジローナ駅。「全くもう!」と降りた後確認したら、旧市街とは全く正反対からバスは町に入ってきたのでした。「ごめんなさ〜い!」
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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バスを降りたところは、駅前の噴水広場。怖い顔をした輩共(やからども)の口から勢いよく水が流れ落ちています。
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こちらが、ジローナ駅。フィゲレスより少し町の規模が大きいようです。アメリカ人みたいだけれど、人口で比較すると、ジローナ9.72万人、フィゲレス4.53万人・・・全然違うじゃん! まあ、私の実態感覚なんてこんなものです。
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とりあえず、お腹ペコペコだったので、クイックランチ。今日のメニューは、薄いカツレツにパスタサラダでした。
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駅にインフォメーションがあるかどうかも確認しないで、いきなり歩き始めます。真新しいビルの横に、SLが展示されていました。コスタ・ブラヴァの海岸沿いの街Sant Feliu de Guíxolsで、1892年から1969年まで走っていた狭軌レールの機関車です。可愛い!!
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この川を渡ると、確か旧市街にたどり着くはず。地球の○き方の小さな地図ではよくわかりません。インフォメーションを探しましょう。
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オニャール Onyar河岸を彩るカラフルな建物が楽しい! 窓枠を上下に長く伸ばしたような木組みを持つ建物が目を引きます。
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Onyar川を渡ったところに無事インフォメーションを発見しました。丁寧な案内とお勧めポイントと地図を頂いて、旧市街のメイン・ストリート ラ ランブラLa Rambla de la Llibertatを歩きます。カタルーニャには、バルセロナだけでなく、それぞれの町にランブラがあるようです。
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今日は田舎を歩いてきたので、人が多いことに吃驚。多くの観光客が町を占領していました。
ラ ランブラから一歩奥に入ると、急に様相が変わってきます。時には、写真のように殆んど道が階段状になったり・・・ -
もちろん、急に階段になったり・・・
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道幅が極端に狭くなったり・・・いやはや中世そのままの世界です。
いよいよCallに入ってきました。Call 「コール」ではないですよ。カタルーニャ語でユダヤ人街を指し、「カイユ」と発音するそうです。ジローナには、スペインで最も保存状態の良いユダヤ人街があり、博物館があるというので、プラハ、クラコウ以来久々ですが、見学しようと訪れました。 -
こちらがそのユダヤ歴史博物館Museu d'Història dels Jueus の前の看板です。カタルーニャの中世のユダヤ人共同体がどんな様子、特徴を持っていたか、ユダヤ人街の歴史等について、詳しく知ることができます。また、モンジュイックの中世のユダヤ人墓地にあった墓石のユニークなコレクションを見ることが出来ます。
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中世のユダヤ人夫妻が出迎えてくれました。博物館は、ジローナにおけるユダヤ人コミュニティの起源についての説明から始まります。ジローナに最初にユダヤ人家族が定住したのは、9世紀初頭といわれています。それ以来、彼らは独自の生活様式と習慣を形作ってきました。
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Micvehミクヴェ、またはミクワとも呼ばれる体を清める沐浴場は、ユダヤの人達にとっては欠かせない場所で、かつては、シナゴクに隣接した場所に、オニャール川から水を引いた井戸が付いたミクヴェがありました。
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こちらのコーナーには、ユダヤ人の典礼サイクルについての展示がありました。ユダヤ暦による1年の様々な祭礼や儀式の際に使用される品のようです。
長い鎖のついた美しい器も祭礼用のもののようです。 -
ペサック皿Pesach Plate と書かれた14世紀に作られた皿です。これはコピーで、オリジナルはイスラエルの博物館にあるそうです。過ぎ越しの食事に使われたもので、祭礼中は、このような皿の上に食べ物を正確な順に盛り、食べたそうです。
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1160年頃から、ジローナのユダヤ人街カイユCallでは、ラ・フォルサLa Forçàhと呼ばれたメイン・ストリートを中心に発展してきました。Carrer de la Forçahとは、この博物館が面している細い通りのことです。
13世紀から14世紀におけるカイユのシナゴクには、信仰と日常生活のための建物が立ち並び、キリスト教徒とユダヤ教徒は仲良く隣り合って生活してきました。
しかし15世紀に入ると、ユダヤ人はラ・フォルサの西側に住むことを禁じられたため、カイユは閉ざされた場所となっていきました。
写真は14世紀後半のジローナのユダヤ人地区とキリスト教地区の境界線を表しています。色の濃い部分がカイユ地区。 -
ユダヤ人のディアスポラ(離散)についての資料がありました。
歴史は詳しくないのですが、理解している範囲をかいつまんで書くと以下の通り。
ユダヤ人が世界に散らばる最大の要因となったユダヤ戦争(紀元66?73年)の際に、ローマ皇帝ティトスは、ユダヤのソロモン神殿に火を放ち、エルサレムを陥落させました。ローマに凱旋し、建造したのが今もフォロ・ロマーノに残るティトスの凱旋門。この凱旋門の内側には、破壊されたソロモン神殿から宝物を運び出すローマの軍隊のレリーフがはっきりと刻まれています。 -
お次は、ユダヤ人が学び、祈り、集い、祝福を与える重要な場であるシナゴクのコーナーです。
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バルセロナのユダヤ人コミュニティから寄贈された羊皮紙上にインクで書かれたヘブライ語の聖書Sefer Torahです。19世紀のドイツ製。
ユダヤ人の聖書はいわゆる旧約聖書のみで、キリスト教の場合は旧約聖書+新約聖書になるようです。 -
そして次の部屋には、13世紀頃からのユダヤ人墓地の墓石が集められていました。
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墓石は沢山あるので、一つだけ紹介しましょう。エステリーナ(小さな星という意味)という名前の名門家庭の女性の墓石です。14世紀のジローナ産の石灰岩を用いたもので、カイユの北側にあるモンジュイック墓地にあったものです。
石には、次のように書かれています。
これは、著名で高潔なボナストルック・ヨーゼフの妻で、栄えあるエステリーナの墓石です。願わくは、彼女にエデンの園にて邸宅を持たせたまえ。アーメン。 -
他にも当時の風俗を知るうえで有効なタペストリーや
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美しい幾何学模様のタイルなどが展示されていました。
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メノーラーと呼ばれるユダヤ教独自の燭台です。シナゴークの床のモザイクや柱頭、石棺などによく用いられ、ユダヤ教の象徴とされていますね。
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博物館は傾斜地に建てられていて、博物館の屋上には中世の遺跡がそのまま残されていました。
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ジローナのユダヤ人コミュニティで1435年から1492年の間に使用されていたMicvehミクヴェ、(またはミクワ)が中庭の一方の端にありました。これは極最近、2014年の2月の発掘調査で発見されたもののようで、雨水を貯める貯水タンクから注水できるようになっていました。
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こんなに状態の良い遺跡は、他にはなかなかないようです。つたが絡まる古い石壁だけが歴史の証人です。
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中庭には、メノーラ-の絵が中央に置かれた祭壇?がありました。
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この博物館は、非常に高度の文化的素養を持つと同時に富の蓄積と都市の発展に大きく貢献してきたユダヤ系住民の歴史を再生する目的で、2000年にオープンしたそうです。
中庭の床には、ひときわ目立つ大きなダヴィデの星が描かれていました。ダヴィデの星は、異なる方向を向いた図形が重なることから、 相対するエネルギーを調和させる働きがあると考えられています。 -
通常、メノーラーの蝋燭枝は7本ですが、ユダヤ教のクリスマスに当たるハヌカーに用いる8枝ないしは9枝のものはハヌッキーヤーと呼ばれているそうです。
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博物館の地下には、様々なミクヴェ(ミクワ)の写真展がひっそりと行われていました。これがまた、素晴らしい写真で、見入ってしまいました。
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ミクヴェは男女共に使用しますが、特に女性にとっては、生理、出産が終わったときの清めとして、なくてはならないものでした。
入浴行為のほか、非ユダヤ教徒から新しく購入した品物を清めるためにも用いられてきたそうです。 -
カイユには、ユダヤ教に基づいた思想カバラーを教える学校が作られ、また、ジローナのラビMoshe ben Nahman Gerondiが、カタルーニャ州のグレートラビに任命されるなど、ユダヤ人コミュニティは繁栄を極めました。しかし、1492年、スペインのカトリック両王がカタルーニャからすべてのユダヤ人の追放令を出したことで、その歴史は突然の終局を迎えました。
ユダヤ人と言う民族については、高校生の頃、サルトルの「ユダヤ人」という書物を読んで以来、興味を持って接してきましたが、いまだにわからないことだらけです。ここスペイン(いや、カタルーニャでした!)の片隅にこんな歴史があったこと自体知らなかったので、とても有意義な時間を過ごすことができました。
博物館では、わかりやすい「中世のユダヤ人の生活」を映像で見ることが出来ました。ユダヤ人の歴史に興味のある方には、お勧めの場所です。 -
混雑しているお店があったので、覗いてみましたが、人が一杯でこれ以上入れませんでした。Torrons Vicens というお店。
1775年以来の伝統を持つヌガーのお店でした。ヨーロッパ人はこういった歯にくっつくナッツの入ったヌガーが大好きのようです。 -
ラ・フォルサの北側は、全てこのような階段の道になっています。町歩きに最適で、わくわく気分になること請合いです。
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階段の上の建物の扉の奥にも、道は続いているようです。
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町の古本屋さん、骨董品から絵葉書まで雑多な品物で溢れかえっています。ここでも目立つのはロシア語。
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どうです。歩いてみたくなる道でしょう?!
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だまし絵を見つけると、ついつい撮ってしまいます。2005年9月と、ご丁寧に制作年月と作者の名前まで描かれていました。
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カイユを抜けたところに、ひときわ大きな建物が現れました。ジローナの誇りサンタ・マリア・デ・ジローナ大聖堂です。
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大聖堂の前の広場から見上げると、その大きさに圧倒されます。広場から大聖堂までは86段の階段を上らねばなりません。
現在建物が建っている場所には、以前古いロマネスクの寺院がありましたが、それはムーア人の支配していた時代には、モスクとして使用されていました。レコンキスタにより、ムーア人の完全追放に成功した後、1312年に古い寺院のうえに新たな聖堂の建設が始まりました。古い寺院の名残は、今も回廊部分と鐘楼に見ることが出来ます。 -
現在の建物は、マジョルカ派の建築家ジャウメ・ファーブルによるもので、カタルーニャ・ゴシックの傑作と呼ばれています。
中に入らなかったので、実感できませんでしたが、身廊の幅が22mと世界一広いのだそうです。 -
正面のファサードの制作には、1606年から1961年までと、なんと360年以上もかかっています。三段に並べられた彫像が全て搬入されたのが1960年のこと。バロック様式を取り入れていますが、彫像が新しいせいか、なんだかとってつけたような気がしないでもありません。
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大聖堂のお宝は、宝物館に保存、展示されている11世紀ロマネスク時代の「創造のタピストリー」Tapís de la Creació。これを見たいと駆けつけたのですが、なんと撮影禁止だそうで、それで見る気が失せてしまいました。
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タペストリーなら、絵葉書を見たほうが記憶に残ると思い、大聖堂には入場せず、詳細を写したカレンダーを購入しました。
相変わらず、ヘボ腕(ご容赦!)ですが、カレンダーの一部を撮影しましたので、ご覧ください。 -
タペストリーの大きさは縦3.65m X横4.70m。元々は教会の入り口の聖十字架の祭壇のための装飾的天蓋だったようです。また、一部にはカーテンとして使われていたとか、カーペットだったという説もあるそうです。
キリスト教の天地創造神話に関連する詳細な場面がモチーフとなっています。中央部分の円形を中心とする部分と、周りの小さな四角形の集まりの部分では、微妙に作風が異なるので、周りの部分は後で追加された可能性もあるとのことです。いずれにしても、1000年前のものとは思えないほど美しいです。 -
ここからは詳細部分です。タペストリーはテラコッタウールの布の上を、赤、緑、黄色、濃い青、薄い青、グレーのウールの糸と白いリネン糸で刺繍されています。
タペストリーの中央に描かれているこの男性は、ひげがありませんが、全知全能の神キリストだそうです。 -
中心円の周りの7つのパーツは天地創造の7日間を表しているそうです。
鳩は神の象徴なんだとか。 -
エデンの園にいるアダムですね。まだ恥じらいを知らない時期のようです。
この刺繍の反対側には、知恵の実を食べてしまったアダムとイヴが描かれています。哀しいことに、動物たちが消えてしまっているんです。 -
中心円の下には、生物の創造の場面が広がります。上半分には鳥、下半分には海の生物、左右には動物の姿が描かれています。
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外周の四角形の、カレンダーを表す部分です。
これは3月を表す部分。待ち望んだ太陽が現れて、虫や蛙が活動を開始します。 -
4月は農作業開始の時期。畑仕事に精を出します。
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5月。作物は大きく成長していきます。
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6月。これは漁師が魚を捕る場面です。
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季節と関係のないモチーフもあります。これは太陽神でしょうか?とても生き生きとしています。右側には、不完全ですが、月の神があったと思われます。
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お終いは、殆んど擦り切れてなくなってしまったタペストリーの下の部分に、奇跡的に残されたモチーフです。クリスマスを連想させる色使いですが、この部分は聖十字架の発見のたびがテーマとなっているそうです。
長くなりましたので、この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その59 ジローナ(2)で。
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