2014/11/27 - 2014/11/27
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ピース・ライン(ピース・ウォール)は、北アイルランド紛争中の1970年代初めに、カトリック系住民とプロテスタント系住民の居住区を分けるために築かれた壁。
地図上に観念的に引かれた線ではありません。
ベルファストでは、ウェスト・ベルファストのフォールズ・ロードとシャンキル・ロードの間にあるピース・ラインが有名ですが、実際には北アイルランド中に何ヶ所もあって、総延長は20kmを超えるそうです。
1998年に結ばれたベルファスト合意以降は平和が保たれていても、ウェスト・ベルファストのピース・ラインはいまも残されたまま。
というか、ピース・ラインはむしろ増えたりもして、双方の住民が交流することはないんだそう。
ベルファスト滞在中には、ピース・ライン南側のフォールズ・ロード(カトリック系住民の居住区)周辺にも、ピース・ライン北側のシャンキル・ロード(プロテスタント系住民の居住区)周辺にも、北アイルランド紛争中にテロなどで命を落とした人々の慰霊の場所や政治色の濃い壁画が多数あるのを見て回ることができました。
表紙の画像は、カトリック系住民の居住区とプロテスタント系住民の居住区の間に設置されたゲートの一つ。
今でも夜間には外出禁止令が出され、このゲートは閉じられてしまうそうです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ベルファストでは、北アイルランド紛争中に造られたピース・ライン一帯も見学しておこう!と決めていたSUR SHANGHAIとその旦那。
表紙にも書いたように、ピース・ラインとは北アイルランド紛争中の1970年代初めに、カトリック系住民とプロテスタント系住民の居住区を分断するために築かれた壁。
ベルファストでは、ウェスト・ベルファストのフォールズ・ロードとシャンキル・ロードの間にあるピース・ラインが有名。
それらの場所をクラシックなタクシー+運転手さんのガイド付きで回ってくれるPaddy Campbell's Belfast Famous Black Cab Toursというツアーが評判がいいようなんですが、見落としがあっても自分たちのペースで回りたかったSUR SHANGHAIたちはレンタカーと徒歩で行ってみました。
Paddy Campbell's Belfast Famous Black Cab Toursのサイトはこちら。
http://belfastblackcabtours.co.uk/ (英語版)
まず行ってみたのは、ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
その行く手に見えて来た高い壁がピース・ライン。 -
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
1998年に結ばれたベルファスト合意以降は平和が保たれていて、一見すると閑静な住宅街なんですが、よく見ると、あちこちの建物の外壁に北アイルランド紛争中に命を落としたカトリック系住民を悼むプレートなどが出ています。
これはその内の一つ。 -
このレンガの壁に押された手形は、まるで壁を押し倒そうとしているかのよう。
本当に押し倒したかったのは、この壁じゃなくて北アイルランド紛争の諸々の問題? -
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
そのピース・ラインの壁とフェンスの高さに驚く。
単に北と南を分けるだけでなく、投石などの攻撃を防ぐためでしょうね。
ピース・ラインという名は聞こえがよくても、実際にはカトリック系住民とプロテスタント系住民を分断する壁。
1998年に結ばれたベルファスト合意以降も増えたりして、双方の住民が交流することはないんだそう。
こう聞くと、北アイルランド問題は宗教問題かと思ってしまいそうになりますが、それは誤り。
アイルランド統一を願うナショナリスト(カトリック系住民)と、イギリスへの帰属を願うユニオニスト(プロテスタント系住民)の思想の相違、それに領土問題や差別問題も絡んで複雑な様相を呈しています。
北アイルランド問題については、下記のウィキペディアのページでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%95%8F%E9%A1%8C -
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
ピース・ラインは、はじめは撤去可能なバリケードのようなものだったらしいのですが、次第にこのような堅固な壁と高いフェンスを組み合わせた形になったとのこと。 -
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
この画像で比べてみると、ピース・ラインの壁は2階建て民家より高いのがよく分かると思います。
ウェスト・ベルファストのこのピース・ラインは長さ1km以上あるんですが、民家のすぐ脇をピース・ラインが通っている場所では、壁に沿って通り抜けできない場所もあります。 -
イチオシ
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
上掲の画像の場所から、今度は西に向かって歩いて行ってみます。
この高〜い壁、どこかで見たなあと思ったら、イスラエルとパレスチナを分ける分離壁に雰囲気が似ている。
分離壁はコンクリート部分がもっと高かったけど。 -
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
また、ピース・ラインが民家のすぐそばを通る場所があった。
近寄って行ってみると…、 -
…投石などから家を守るための自衛手段を取っているお宅も。
まだまだ北アイルランド紛争当時の恐怖から覚め切っていない町角を見た。
ここでは、ピース・ラインと民家の間に、あとから設置されたらしきフェンスがあって通り抜け不可。
観光気分ではしゃぎながら通って行く旅行者避けのような気がする。 -
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
上掲の画像の民家を回りこんで行ってみると、ピース・ラインの壁面にいくつものポートレートが描かれた部分が見えて来た。 -
イチオシ
ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区。
いくつものポートレートが描かれたこのピース・ライン沿いには、北アイルランド紛争中に犠牲になったカトリック系住民を悼むClonard Martyrs Memorial Gardenが。
≪記念公園に敬意を払って、柵などによじ登ったりしない事。駐車場所にも要注意≫などの注意書きが出ていましたよ。 -
Clonard Martyrs Memorial Gardenの入口は閉じられていて、中には入れませんでしたが、フェンスの合間から中を見てみました。
北アイルランド紛争中に犠牲になったカトリック系住民の人々のポートレートや名前などが出ている場所。
現在、周囲は閑静な住宅街になっていて、紛争当時には爆弾が飛び交っていた場所とは思えないほど。 -
Clonard Martyrs Memorial Gardenに立てられていたハイ・クロス。
その後ろの壁には、北アイルランド紛争中に命を奪われた人々の名がいくつもいくつも。
この日の静けさと穏やかな時間がいつまでも続きますように。 -
Clonard Martyrs Memorial Gardenのもう一方の端には、≪ボンベイ・ストリートを繰り返さないで!≫の看板が。
ボンベイ・ストリートは、このClonard Martyrs Memorial Garden同様、ピース・ラインの南側(フォールズ・ロードがある側)に広がるカトリック系住民の居住区にある道。
北アイルランド紛争中には、プロテスタント系住民による焼き討ちに遭った場所になっています。 -
次に目指したのは、ピース・ラインの南側のカトリック系住民の居住区を通るフォールズ・ロード沿い。
今は何という事もない街並みのように見えますが、このあたりも北アイルランド紛争時には大きな被害が出た場所。
このフォールズ・ロードとアルバート・ストリートの角には…、 -
…インターナショナル・ウォールと言う塀があって、ベルファストのみならず世界中の戦争や政治問題を風刺する壁画が数百mも続いています。
これは、アルバート・ストリート側のインターナショナル・ウォール。
画像右手に見える二本の尖塔は、セント・ピーター・カテドラルの物。 -
フォールズ・ロードとアルバート・ストリートの角にあるインターナショナル・ウォールには、各国の戦争や政治問題を取り上げた壁画がびっしり。
アルバート・ストリートは、プロテスタント系住民の居住区にあるシャンキル・ロード方向に伸びる道。
壁画のある塀も、フォールズ・ロード側よりずっと長くて見応えあり。←語弊がありましたらお許しを。<(_ _)>
●注: これらの壁画はその時々で内容や絵柄が変わるようです。
今後も、この旅行記に出ている壁画があるとは限りません。 -
アルバート・ストリートのインターナショナル・ウォール。
各国の政治や戦争関連の壁画を見て、「あ、これは○○をテーマにしたもの、××を皮肉ったもの。あれは誰それ。」とすぐに分かるものもあれば、そうでないものも。
世の中には、自分の知らない抑圧された世界がまだまだある。 -
アルバート・ストリートのインターナショナル・ウォール。
各国の政治や戦争などを取り上げた絵のほかには、文字で書かれた政治的メッセージも。 -
アルバート・ストリートのインターナショナル・ウォール。
シンプルにテーマをまとめた簡潔な壁画もあれば…、 -
…いろいろと描きこまれて、迫力のある仕上がりの壁画も。
同じ道筋の政治的メッセージや風刺的壁画でも、その雰囲気はまちまち。 -
アルバート・ストリートの壁画の終わり近くには、黒人系政治活動家たちの肖像画も。
中央の赤い円内の男性は、元奴隷で奴隷制度廃止運動家のフレデリック・ダグラス。 -
アルバート・ストリートの壁画の終わり部分が見えて来た。
その手前にあるのは、ピース・ライン北側のプロテスタント系住民の居住地区と、南側のカトリック系住民の居住地区の間の2重のゲート。 -
2重に設置されたゲートとゲートの間には、以前は軍用車が並んでいたんじゃないかと思わせるスペースがあって、今ではモニュメントや各国の国旗の絵が。
-
この画像では、画像奥がシャンキル・ロードのあるプロテスタント系住民の居住地区方向。
昼間は人も車も自由に行き来していましたが、夜間には今でも外出禁止令が出され、ゲートは閉じられてしまうんだそう。
こんなゲートはここだけではなく、何ヶ所もあるようです。
ゲートが永遠に閉じられてしまうような事にはなりませんように。(-人-) -
イチオシ
ピース・ライン北側のプロテスタント系住民の居住地区と、南側のカトリック系住民の居住地区の間のゲート。
フォールズ・ロードのあるカトリック系住民の居住地区方向からやって来て、何でも無いようにす〜っとゲートを通り抜けて行く車。
夜にはゲートが閉じられるなんて信じられない。 -
アルバート・ストリートを引き返して、フォールズ・ロードとの交差点へ向かっていると、1台のパトカー(画像2台目)が。
と言っても、ヘッドライトには破壊防止用の金属ネットが取り付けられていたりしていて、普通のパトカーとは違うのが一目瞭然。
この画像では見えにくいですが、NPU(Neighborhood Preservation Unit、日本語にすると近隣保護隊?)の車なので、「え! 日中もこの地域は監視されているの?」と思ったら、すぐ近くで発生した車の衝突事故処理にやって来た車でした。ε-(。・д・。)フー
SUR SHANGHAIたちもその現場脇を通りましたが、人身事故ではなかったようなのが幸い。
写真を撮るのはご遠慮申し上げました。 -
アルバート・ストリートとフォールズ・ロードのちょうど角部分のインターナショナル・ウォール。
この画像で≪ベルファストの悪名高い牢獄≫として紹介されているのは、実在していたクラムリン・ロード刑務所。
ベルファストの主要刑務所として機能していた期間は151年と言う刑務所で、1996年に閉鎖。
その後は改装されて博物館的に公開され、現在では見学ツアーも毎日あるようです。
クラムリン・ロード刑務所のサイトはこちら。
http://www.crumlinroadgaol.com/index.html (英語版) -
アルバート・ストリートとフォールズ・ロードの角に出ていた標識。
このエリアでは飲酒禁止(罰金は最高で500ポンド)となっているのは、酔った勢いでインターナショナル・ウォールの政治的メッセージが込められた壁画への狼藉防止が目的?
イヌの糞放置禁止(罰金は最高で500ポンド)も、インターナショナル・ウォールへの敬意を求める標識のように思える。
もちろん、ベルファストを清潔に保つ目的もあり。 -
ピース・ラインの南側のカトリック系住民の居住区を通るフォールズ・ロード沿いにも、アルバート・ストリートから続くインターナショナル・ウォールがありますが、こちらはずっと短くて100mほど。
やはり、各国の政治や戦争に対するメッセージを込めた壁画がびっしり。 -
フォールズ・ロードのインターナショナル・ウォールが途切れた場所には、フェンスの向こうに長屋風の建物があって、人が住んでいる気配があった。
-
フォールズ・ロード側のインターナショナル・ウォールにある壁画の一つ。
あれ? これってガザを題材にした絵だけど、絵柄は1973年にピューリッツァー賞を受賞したフィン・コン・ウト氏のベトナム戦争をテーマにした『戦争の恐怖』のパクリだわ〜。 -
さて、今度はピース・ライン北側(シャンキル・ロードがある側)に広がるプロテスタント系住民の居住区へ移動。
この賑やかなシャンキル・ロードが、北アイルランド紛争の際にはやはり攻撃の的になっていたとは信じられませんが、ちょっと歩いてみると紛争時の傷跡があちこちで見つかります。 -
ピース・ライン北側(シャンキル・ロードがある側)に広がるプロテスタント系住民の居住区。
これは、シャンキル・ロード沿いで見つけた、北アイルランド紛争時の慰霊記念碑。
たまたま居合わせたバーを爆破されて、命を失った5人のプロテスタント系住民が祀られていました。
ついさっき見てきたカトリック系住民の居住区にも、同じ紛争中のテロで命を落とした人々を祀る場があった。
お互いに平和を望んでいるはずなのに、復讐に次ぐ復讐が悲しい記念碑を生んでいる…。 -
ピース・ライン北側(シャンキル・ロードがある側)に広がるプロテスタント系住民の居住区。
シャンキル・ロード沿いの民家や商店の壁にも、北アイルランド紛争中の悲劇を悼む壁画が。
こういう壁画が至る所で見られます。 -
ピース・ライン北側(シャンキル・ロードがある側)に広がるプロテスタント系住民の居住区。
これもシャンキル・ロード沿いにあった壁画。 -
イチオシ
上掲の画像と同じ壁画の全体像。
やはりこれも、北アイルランド紛争で命を奪われた5人のプロテスタント系の若者を記念する壁画だった。 -
ピース・ライン北側(シャンキル・ロードがある側)に広がるプロテスタント系住民の居住区。
北アイルランド紛争とは直接関連の無い第一次世界大戦の慰霊碑や、イギリスの軍事関連イベント紹介もあった一画。 -
ピース・ライン北側(シャンキル・ロードがある側)に広がるプロテスタント系住民の居住区。
イギリスへの帰属を望むユニオニストの街でもあるため、エリザベス女王とユニオンジャックが壁を埋め尽くす民家もあった。
ピース・ラインを挟んで垣間見てみたカトリック系住民の居住区とプロテスタント系住民の居住区。
ベルファスト内の住民対立の片鱗が感じ取れた訪問だったと思います。
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