1954/01/01 - 1954/03/31
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ソフィさん
2014年12月21日(日)日記3 − 国鉄の現場第一線の人は目が輝いていた
1954年の初夏
実は私は品川に来る前に、川崎にある新鶴見操車場にも、3カ月働いた。
東海道の出入り口をくくり、日本の大動脈たる国鉄貨物輸送網の中心となるところだ。
品川が東京の旅客の玄関口ならば、貨物の玄関口が新鶴見なのだ。
ここでは、雨の日も風の日も24時間作業が続けられている。
入ってくる貨物列車を車ごとに仕分け、行き先別に新たな列車を編成する作業だ。
貨車は無言だが生きている。
扱いを誤れば、命を失いかねない。
私と同じ立場で四年前ここに配置されたT先輩は、深夜黙って走って来た貨車に挽かれ、片足を失った。
日本の国を背負う大切な仕事に、車に接触する危険に日夜神経を研ぎ澄ましながら、黙々と働く千人の職員。
このころ私はトルストイの「戦争と平和」を読んでいたが、そこに描かれているロシア農民の大地と交わり愛する姿に、新鶴見に働く人を重ね合わせるのだった。
後日見た映画「鉄道員」は、鉄道に働く人々の強い責任感、真摯な生きざまの演技が好評だったが、私から見れば生ぬるい感じがして、戦後の平和国家全体の甘さが出ているようで、悲しかった。
新鶴見に働く人の真剣なまなざし、職場の緊張した空気、一つの目的に向かうチームワーク、私はここに国鉄の神髄を見た。
自分の内部に、国鉄を心底から愛する心の生まれたことを、意識した。
この職場で親交を得た「I」さんとは、その後この人が亡くなられるまで15年間、兄弟なみに付き合い、国鉄によって育てられた大きな人柄に学ぶところ大だった。
当時夜間勤務が多く、生活時間が不規則だった国鉄職員は短命で、リタイア後の平均寿命は5年間と言われていたものだ。
現場第一線を支える人たちは、キラキラとした目の輝きが違っていた。
「国鉄魂」とは、世界の全人類に共通する哲学を秘めているのだろうか。
現場第一線の皆さんから無言で示唆されたものは、とてつもなく大きく感じられる。
後刻フランスで出会った万国鉄道連盟(UIC)総裁ルイ・アルマンさんは、私の尊敬する世界の鉄道の親分的な人だが、国鉄第一線の現場人に共通するものが多いのは、驚くべきだ。
彼はもともとフランスの最高学府のひとつ、ミンヌ(国立鉱山大学)を卒業した技師だが、蒸気機関の清缶剤の研究で注目され、第二次世界大戦では、ナチに対する命がけのレジスタンス運動で、時流をリードする。
戦後彼の活躍は映画「鉄路の戦い」で世界に紹介され、42歳の若さでフランス国鉄の総裁に選ばれた。
1962年パリ滞在中、私は彼の風貌に接したくてUICに訪ねたが、快く会って下さり、1970年にも東京鉄道首脳世界会議でゆっくり話す機会を得た。
彼の温かく清らかな正義心は、田舎の好々爺を思わせるにこやかな表情と瞳の輝きに現れており、私はすっかり彼の虜になってしまう。
アルマンさんと新鶴見操車場第一線の現場人。
共通するのは、純粋な、社会を愛し、社会に参加・貢献しようとする、無欲な姿だろう。
2014.12.28片瀬貴文記
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