1954/01/01 - 1954/06/30
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ソフィさん
2014年12月21日(日)日記4 − 耳を澄ませば蒸気機関車の汽笛が聞こえる
ホテルで一服の後、京王新線沿線にある孫の新居を訪ねることにする。
ところでこのホテル「ザ・プリンス」は、従業員さんたちの対応が実に優れていて、サービスレベル世界選手権で日本代表に選ばれれば、金メダルの可能性がある。
品川から新宿にかけて、ほとんど各駅が思い出の、宝の山だ。
大崎は私が品川機関区で機関士をしていたころ、貨物駅だった。
9600型蒸気機関車で、貨物駅の貨車入替に行ったことがある。
生まれて初めての入替作業は、緊張の連続だったが、最後に思いがけなく操車係のオッサンから言葉がかかった。
「見慣れぬ機関士さんだが、こんな上手い人は見初めです。ありがとう」
私は新米で、さぞ迷惑をかけたと思っていたので、この言葉にビックリする。
ただ私は、機関車を無暗矢鱈に走らせず、作業の能率を高めることを考えながら速度調節をしていた。
その成果が評価されたと気づき、大変うれしかった。
次の五反田駅は、私が初めて東京都区内に住んだ「東鉄五反田家族寮」の最寄り駅。
「リューマチに苦しむ母と、早く一緒に暮らしたい。」
大学入学のため、母と別れて以来の念願である。
金沢にひとり残してきた母は、天気の変わり目や季節の変わり目に持病のリューマチが悪化して、床に就いたままになる。
そして何よりも二人かまどを分けていることは出費を増し、生活が苦しい。
しかし当時の東京は被爆からの復興未だしで、住居不足だった。
厚生課に日参し、半年かかってようやく割り当てられたのが、この家族寮。
この寮は、戦争の終末期に、地方から来る女工用に建てられたもので、近くの線路に蒸気機関車が走ればガタピシとガラス窓が揺れた。
その六畳間は、一日中ほとんど日は差さず湿っていて、私の一生涯で一番レベルの低い住居だった。
しかし同じ劣悪環境に住む隣近所は仲良く、この隣人関係も稀有・・・。
恵比寿駅近くにはエビスビールの工場があって、工場内まで蒸気機関車を運転士して、出荷のビールを受け取りに行った。
この工場は丘の上にあり、駅に向かって下りの急こう配の線路が続いている。
ある日ビールの荷が重く、下り坂の強さを見誤った私のブレーキのタイミングが遅くて、列車が止まらないまま赤信号を突破してしまった。
列車事故を起こしたのだ。
恵比寿から地下鉄に乗り換えて、次の駅は中目黒。
この近くの西郷山社宅に、パリから帰った1971年から、大阪転勤の1978年まで暮らした。
社宅内には西郷従道(じゅうどう)の邸宅が残っており、テニスコートもあって、日夜数多くの客を迎えた。
新宿駅は、世界一客が多いという。
おまけに、首都圏の鉄道が順次拡充されたのを受けて、立体的な網の目を形成する地下道は、超難度のラビリンス。
人が多いだけでなく、歩行速度も速く、まさに人の洪水だ。
目指す孫の新居は、新宿から京王新線に乗り換え、二駅目にある。
ひ孫の通う保育所など、さすがと思う設備が整っている。
2014.12.29片瀬貴文記
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