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<br />1893年(明治26年)父誕生<br /><br />富山県西砺波郡北蟹谷(きたかんだ)村字八講田、現在は小矢部市八講田。<br />父の生誕地である。<br /><br />祖父が40歳になっての長男だから、その誕生はさぞかし大喜びされただろう。<br />大切に甘やかされ育ったと思われる。<br />近隣にとどろく腕白だったらしく、学校の成績はオール甲だったのに、操行だけが丙。<br />先生を困らせる存在だった。<br /><br />9歳で親父を失い、義務教育終了を待って、京都に丁稚奉公に出る。<br />しかし母親つねの婚家近くに富山県立砺波中学校が出来たのを機に、下中の婚家に世話になりながら、その中学校に通う機会に恵まれる。<br />私が子供のころ、下中のお祭りに聳える大きな旗の文字は、父が中学生時代に書いたものだった。<br /><br />入学は15歳、級友に比べ三歳も年上だから、いつもリーダーシップをとっていた。<br />成績は五年間トップだったらしく、それが自分の成長にマイナスだったと判断して、私には「トップになるな」と、しつこく説いた。<br />「なぜ」と訊いたらはっきりしないが、どうも気のゆるみを自己反省しているようだった。<br /><br />父が中学生時代最も熱心だったのは、剣道。<br />富山県の代表となり、全国大会に出場し、初段だった。<br />テニスもやったらしく「剣道とテニスの共通点は点への集中」と言っていた。<br />この二種目は、当時のスポーツの花形だった。<br /><br />中学を卒業後、小学校の先生を目指して、富山師範に進学。<br />ここでも男子部のトップとして、女子部のトップ吉田嬢と結ばれ、二年後の卒業直後に結婚する。<br />夫22歳、妻19歳。<br /><br />そして第一次世界大戦の結果、夫婦で教鞭をとることを前提に、当時日本の大陸進出の第一線だった中国に赴任する。<br />日本が占領したばかりの山東省の奥地シセン炭鉱は、匪賊が出没し、準戦場の状態だった。<br /><br />若い二人だけが先生の日本人学校。<br />新婚生活は決して甘くなかったが、人生の開拓に挑戦し始めようとするフレッシュな二人にとって、ピッタリだったと想像する。<br /><br />父は間もなく次の人生目標として、中学校教諭資格認定試験に挑戦を始める。<br />この試験は日本にいても超難関だったが、「一か月間も靴を脱がずに机に向かい」、四年間で「数学」「書道」の二科目に見事合格。<br /><br />家庭生活も充実、1920年(大正9年)に長女泰東里(やどり)、1922年(大正11年)に長男晶文誕生。<br />しかし思わぬ不幸が襲ってきた。妻が結核で倒れたのだった。<br /><br />療養のために希望したチンタオ勤務がようやくかなった直後、妻を亡くした。<br /><br />2014.12.14片瀬貴文記<br />

父茂久1 − 腕白だったが苦労が連続 − 中国で妻を亡くす不幸

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1950/01/01 - 1957/12/31

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ソフィ

ソフィさん


1893年(明治26年)父誕生

富山県西砺波郡北蟹谷(きたかんだ)村字八講田、現在は小矢部市八講田。
父の生誕地である。

祖父が40歳になっての長男だから、その誕生はさぞかし大喜びされただろう。
大切に甘やかされ育ったと思われる。
近隣にとどろく腕白だったらしく、学校の成績はオール甲だったのに、操行だけが丙。
先生を困らせる存在だった。

9歳で親父を失い、義務教育終了を待って、京都に丁稚奉公に出る。
しかし母親つねの婚家近くに富山県立砺波中学校が出来たのを機に、下中の婚家に世話になりながら、その中学校に通う機会に恵まれる。
私が子供のころ、下中のお祭りに聳える大きな旗の文字は、父が中学生時代に書いたものだった。

入学は15歳、級友に比べ三歳も年上だから、いつもリーダーシップをとっていた。
成績は五年間トップだったらしく、それが自分の成長にマイナスだったと判断して、私には「トップになるな」と、しつこく説いた。
「なぜ」と訊いたらはっきりしないが、どうも気のゆるみを自己反省しているようだった。

父が中学生時代最も熱心だったのは、剣道。
富山県の代表となり、全国大会に出場し、初段だった。
テニスもやったらしく「剣道とテニスの共通点は点への集中」と言っていた。
この二種目は、当時のスポーツの花形だった。

中学を卒業後、小学校の先生を目指して、富山師範に進学。
ここでも男子部のトップとして、女子部のトップ吉田嬢と結ばれ、二年後の卒業直後に結婚する。
夫22歳、妻19歳。

そして第一次世界大戦の結果、夫婦で教鞭をとることを前提に、当時日本の大陸進出の第一線だった中国に赴任する。
日本が占領したばかりの山東省の奥地シセン炭鉱は、匪賊が出没し、準戦場の状態だった。

若い二人だけが先生の日本人学校。
新婚生活は決して甘くなかったが、人生の開拓に挑戦し始めようとするフレッシュな二人にとって、ピッタリだったと想像する。

父は間もなく次の人生目標として、中学校教諭資格認定試験に挑戦を始める。
この試験は日本にいても超難関だったが、「一か月間も靴を脱がずに机に向かい」、四年間で「数学」「書道」の二科目に見事合格。

家庭生活も充実、1920年(大正9年)に長女泰東里(やどり)、1922年(大正11年)に長男晶文誕生。
しかし思わぬ不幸が襲ってきた。妻が結核で倒れたのだった。

療養のために希望したチンタオ勤務がようやくかなった直後、妻を亡くした。

2014.12.14片瀬貴文記

  • 北京空港にて

    北京空港にて

  • 北京空港にて

    北京空港にて

  • 北京空港<br />児童遊園

    北京空港
    児童遊園

  • 北京空港<br />大陸に沈む日

    北京空港
    大陸に沈む日

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