2014/11/23 - 2014/11/24
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ミッキーマーチさん
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原発事故の為通行不能になっていた、大熊町から浪江町を通る国道6号線。10月中旬に車での通行が可能になった。いろいろ制約があるけれど、南相馬にある旦那の両親の家に行くことになったので通ってみることに。
放射線量はかなり高めなので、ドキドキ…
6号線以外の道路は封鎖され、異様な雰囲気。
この町に人が戻ってこられるのはいつのことになるのか…
- 交通手段
- 自家用車
-
高萩の花貫渓谷の紅葉を楽しんだ後、福島 南相馬市にある旦那の両親の家に向かう
常磐道はガラガラ -
お天気も良く、窓から見える景色ものどかで、快適なドライブ
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福島県に入ると前後の車も対向車もほぼいない。
唯一前を走っていたあの車も出口に向かうようだ。 -
東京方面から来た常磐道の終点
ここから規制解除された、6号線に向かう -
すぐさまこんな看板が!
ほんとにこんなところ通って大丈夫なのか、不安になってきた -
でも後戻りできない。ためらいつつも進むことに
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これから、原発に近づいていく
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「福島県の沿岸部を走る国道6号線が全線で通行できるようになったことで、いわき市と南相馬市を行き来する場合、車での移動時間が片道で、およそ2時間短縮され、物流や人の行き来などが増え、復興を後押しする効果が期待されています。」
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家の入り口、駐車場…入ることができないように、ふさがれている
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脇道にはもちろん入ることができない
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不気味なくらい静まり返っている
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「福島県原子力センターは、原子力発電所周辺の地域住民の安全を確保するために、昭和49年4月に福島第一原子力発電所の立地町である大熊町に、また、原子力センター福島支所(旧衛生公害研究所環境放射能分析棟)は、平成8年4月に県庁所在地である福島市に開設されました。
当センターでは、環境放射能の監視測定、安全確保協定に基づく通報連絡や立入調査のほか、原子力の知識の普及・啓発のための広報活動、環境放射性物質の調査研究(福島支所)を行っています」 -
6号線から原発は見えない
ただ、そう遠くないところを走っているのは確かだ -
南相馬に入ると放射線量を測ってくれるところがある
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車のまわりを調べてもらう
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なんだかよくわからないが、「大丈夫」とのこと…
-
帰りは飯舘村を通ってみることに
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常磐道 南相馬IC
12月6日に新たに浪江まで開通するらしい -
飯舘村はガンガン除染している!
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重機の音が響く…
-
高く積み上げられたその塊はこの後どうするんだろう…
ただ、ただ、積み上げられていく -
実家に立ち寄った旦那は、何やら思い出の品を見つけ出し大事にリュックにしまい込んだ。
遅くならないうちに東北道で、我が家を目指す
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この旅行記へのコメント (6)
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- レイジーガーデナーさん 2015/01/24 19:12:15
- こんばんは
- 気軽に「いいね!」して良いものか迷ってしまいました。
大事な故郷が、こうした状況になっている方の
ことを思うと…。
少しでも希望が見えるような復興が
進むことを願ってやみません。<(_ _)>
- ミッキーマーチさん からの返信 2015/01/28 09:50:58
- RE: こんばんは
- こんにちは、レイジーガーデナーさん
書き込みありがとうございます。
震災から4年がたとうとしています。被災地と呼ばれているところも少しずつ復興して、新しい生活が始まっているようです。
ただ原発事故のあった、この地域はいまだ手つかずの状態で、実際の光景を目にした時は、涙が出てしまいました。
私も普段の生活では、忘れてしまう福島の現状を帰省するたびに思い出し、備忘録として残しておくことにしています。けして忘れてはいけないこと、なかったことにはできない事実ですから。
1日も早く、みんなが笑顔で暮らせる日を願っています。
ミッキーマーチ
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- pedaruさん 2015/01/13 06:38:38
- 帰宅困難区域
- ミッキーマーチさん お早うございます。
報道でしか知ることの出来ない福島ですが、ミッキーマーチさんが当事者だということでリアルにその現実を知ることが出来ました。
政治や経済界の思惑で何の罪のない庶民が犠牲になるなんて許せませんね。
いろいろ考えさせられる旅行記でした。
pedaru
- ミッキーマーチさん からの返信 2015/01/17 01:47:28
- RE: 帰宅困難区域
- pedaruさん、こんばんは。
地震ではほとんど被害のなかった町や村。原発の目に見えない被害は、そこに住む人たちにとってどれだけ大きなものだったのか…
4世代が暮らしていた家には戻ることもできず、家族ばらばらに。まだ仮設暮らしをしている叔母も。
少しずつ忘れられていくその現状。でも忘れてはいけない現実をほんの一部でも伝えられれば…
なぁんて、たいそうな、もっともらしいことを言ってはみましたが、私の親兄弟、そして私自身が直接体験したわけではないので、当事者の方々の複雑な思いはわからないのですが。
1日も早く元の生活に戻れる日が来ることを心から祈るばかりです。
ミッキーマーチ
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- 蔦之丞さん 2014/12/25 17:20:18
- 自宅があっても帰れない…
- 我が身に置き換えたら
耐えられるだろうか?
郡山でも、除染した後の
指定廃棄物の黒い袋がアチコチに置いているのも現状です。
あの震災前の風光明媚な福島県には、
いつになったら戻られるものなのか
原発近くの方々の心痛をお察し致します。
蔦之丞
- ミッキーマーチさん からの返信 2014/12/26 11:11:07
- RE: 自宅があっても帰れない…
- 蔦之丞さんこんにちは。
いつもご訪問ありがとうございます。
お体の調子はいかがですか?もう別荘からは戻られたんでしょうか。
だんだんと、人々の記憶から薄れつつある福島の現状。
今までの日常生活に戻っている人たちがいる半面、どんなに望んでも帰ることすらできない人が、まだまだ大勢いるんですよね…
夫の実家は飯舘村なんですが、地震の被害は全くなかった家も、人が住まなくなるとどんどん痛んで行きます。お義兄さんがしょっちゅう手入れをしに行ってはいるみたいですが…
一家四世代の暮らしを諦めきれない義父と、すっかり諦めてしまった義母。
どちらも悲しいです。
いつか、いつか、元通りの福島に、そう願わずにはおれません
今年も残り6日となりました。
来年もまた1年どうぞよろしくお願いします。
お互いに、良い年となりますように。。。
ミッキーマーチ
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