2014/09/05 - 2014/09/15
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kazuuzooさん
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9月5日 : 東京ーサンフランシスコーミルピタス
9月6日 : ミルピタスージルロイーサンフランシスコージャクソンホールーグランドティトン国立公園
9月7日 :グランドティトン国立公園−イエローストーン国立公園
9月8日 :イエローストーン国立公園
9月9日 :イエローストーン国立公園
9月10日 :イエローストーン国立公園−グランドティトン国立公園−ジャクソンホール−ニューヨーク
9月11日 :ニューヨーク
9月12日 :ニューヨーク−ナイアガラ−ニューヨーク
9月13日 :ニューヨーク
9月14日 :ニューヨーク−東京
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ニューヨーク3日目、この日はまず自由の女神を見に行きます。
自由の女神はリバティ島という島にありますが、そこまではマンハッタンから船で移動。
ということで船の発着点、マンハッタン最南端にあるバッテリーパークにやってきました。 -
バッテリーパークから自由の女神を見るとこんな感じ。
ここからの船はバッテリーパークからリバティ島、そしてエルス島という自由の女神の右側に見える島を行き来しています。 -
いつもは結構な行列のようですが、朝早かったからかそれほどの混雑もなく船に乗り込みます。
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いざリバティ島に出発!
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しばしマンハッタンともお別れ??
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どんどんマンハッタンの街並みが小さくなっていきます。
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マンハッタンの街並みとマンハッタン、ロングアイランド島を分けるイーストリバー。ブルックリン橋が架かっているのが分かります。
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続いてマンハッタンの反対側、ニュージャージーとの間を流れるハドソン川、そのハドソン川の河口を船は進みます。
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こちらは海側、大西洋方面。
このはるか先にはヨーロッパ大陸! -
バッテリーパークを出発して15分位でしょうか。リバティ島に到着です。
高さ48m、海面からトーチまでは92mの自由の女神が迎えてくれてます。
船着き場は島の反対側ということでリバティ島をくるりと周って… -
船着き場に到着です。
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下船して、早速リバティ島を散策開始!
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まだ朝早くて自由の女神への入場もスムーズでした。
荷物は持ち込み不可なのでロッカーに保管、そしてセキュリティーチェックを行い自由の女神の台座の中に進みます。 -
入口から入るとまずあるのがこのトーチ。1986年まで現役で自由の女神の最上部にあったものだそうです。
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台座部分にあるのが自由の女神にまつわる博物館。
自由の女神はフランスの法学者ラブライエが提案してフランスからアメリカに寄贈された銅像。当初はアメリカ独立100周年を祝って1876年に完成させる予定でしたが、困難の末1886年10月に除幕式が行われました。 -
この展示は自由の女神の足の部分の型。
自由の女神はパーツを組み立てて作っていますが、そのパーツは型を使って成型したもの。
もともと縮尺の小さな型を作成、これを実寸サイズの型に拡大する仕組みがこの展示されているものだそうです。 -
銅板パーツを組み立てて作られた自由の女神。
中身はこんな感じで骨組みが張り巡らされています。
当時の建築技術を最大限利用したものだそうで、設計にはパリのエッフェル塔を設計したエッフェルも参加したそうです。 -
実際に組み立てられる自由の女神の展示です。
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続いて台座の展示。
台座は選考をへて今のデザインになったそうでその時の他の候補の模型も展示されています。 -
デザインが決まったものの台座の建築は資金不足で全く進まなかったそうです。そんなときにピューリッツア賞で知られた当時のニューヨーク・ワールドという新聞の社主、ジョセフ・ピューリッツアが寄付を募って資金を集めたそうです。
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ようやく完成した自由の女神はアメリカ人には偉大な存在です。
偉大な存在なだけに、残念ながら戦争の際には多大な寄付金を集めるために使われてしまったりもしてしまいました。これから未来、このような使い方がなされない世の中になっていって欲しいですね。 -
台座の博物館の見学を終えて台座の上に上ってきました。
ここから見るマンハッタンはこんな感じ。 -
ちょっと失礼して…
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再び台座の中に戻ってきました。
ここからは自由の女神の中側が見えます。
鉄の骨組みが上まで続いています。 -
自由の女神の中の螺旋階段を上って上まで行けるのですが、残念ながら予約が取れず今回はパス。ということで台座の下まで下りてきました。
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自由の女神はニューヨーク、アッパーベイでヨーロッパからニューヨークにやってきた人を向かえるように建っています。
自由の女神を見てニューヨークに来たと実感していたんでしょうね。 -
リバティ島で若干時間を使いすぎたかもしれません…
結構時間をかけてリバティ島の見学を終えてエリス島に向かいます。 -
リバティ島の船着き場を出発!
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再びリバティ島をぐるっと周ってエリス島まで5分から10分ほど。
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エリス島に到着しました。
船を降りるとすぐにあるこの建物がエルス島の見所。 -
この建物、何かと言うと移民局跡。
昔、ニューアムステルダムと呼ばれていた頃から多くの移民がヨーロッパからアメリカにやってきましたが、当初はマンハッタンで入国審査が行われていたそうです。
1892年に移民審査をこのエリス島で行うようになってから1954年までの間、エリス島を通ってアメリカにやってきた人は1000万人をこえるそうです。 -
といっても実はすべての人がエリス島にやってきたわけではありません。
まずは沖で検疫官による病気の検査、そしてその後船に入国審査官が乗り込んで審査が行われたそうです。
マンハッタンに到着すると船上審査にパスした人が上陸。
そして残った人がここエルス島に連れてこられたそうです。 -
エリス島にやってきた人たちは入国審査へと向かいます。その際に手荷物はこんな感じで運ばれてきたそうです。
混乱の中、手荷物に巡り合えないことも多々あったそうです。 -
手荷物が運ばれてくるホールから階段を上ったところにある大ホールに入国審査場があります。エリス島での入国審査は身元検査、所持金検査、そしてアメリカ国内で体力的にきちんと働けるか、その意思があるかなどがメインだったそうです。
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実は入国審査の前、荷物が運ばれてきたホールから審査は開始されていました。
入国審査場のある大ホール目指して階段を上っていくとまず容姿や様子から気になる人にマークをつけていました。このマークを参考に入国本審査が行われていたそうです。 -
そろそろエリス島出発の時間です。その奥の自由の女神も見送ってくれています?
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エリス島も少しずつ小さくなってきました。
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マンハッタンに戻ってきました。
だんだんと今回の旅も残り少なくなってきました。
残り少ない時間、最後に向かったのは… -
ここです。
ビルの谷間の公園のようになっているこの場所はワールドトレードセンター跡地のメモリアルパーク。
ここは2001年9月11日、テロが起きた場所です。
2014年5月にこの跡地に博物館が開館。ちょうど9月11日にニューヨークにも滞在していたこともあって訪問してみることにしました。 -
事前に予約していたのでスムーズに館内へ。
外は雨の中多くの人が並んでいました。
博物館に入るとワールドトレードセンターで実際に使用されていた鉄骨が展示されていました。
セキュリティーチェックを受けて内部の見学を開始します。 -
ワールドトレードセンター前にあったThe Sphereという題名のモニュメント。
実際のものは先ほどエリス島からの船が到着したバッテリーパークに展示されています。 -
2001年9月11日、4機の飛行機がほぼ同時にハイジャック。そのうちの2機はここにあったワールドトレードセンター2棟の高層ビルに激突しワールドトレードセンターは火災を起こします。その後、2棟のビルは倒壊してしまいました。まだ最近の気もしますがすでに年月がたっているんですね。
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この鉄骨は2棟のうちの1機目の飛行機が激突したノースタワー93階〜96階にあった鉄骨。
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角度を変えて下から見るとこんな感じ。
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この階段は生還者の階段と呼ばれる階段。
ワールドトレードセンターにあったこの階段を降りて外に脱出できた人は生き延びられたというまさに生死を分けた階段です。 -
続いてノースタワーの屋上に建っていたアンテナ。アンテナ右側に展示されている写真には2棟のうち1棟にアンテナが建っているのが分かります。
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そのアンテナを違う角度からパチリ。
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続いてこの写真。
実はこの写真は消防はしご車。
はしごは無残に曲がり、その下にあったはずの運転席は無くなってしまっています。 -
こんなに鉄筋が曲がってしまうなんて、想像を絶する力が加わっていたんですね。
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倒壊した跡地に残っていた鉄筋、この鉄筋はLast Columnと呼ばれているものです。ここには亡くなった警官、消防隊へのメッセージ屋写真が飾られています。
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続いてサウスタワーの跡地にやってきました。
線路のように見えるところが建物の基礎の部分のようです。
そして奥の壁には在りし日のワールドトレードセンター。 -
サウスタワー跡地をぐるっと周ってスタート地点に帰ってきました。
"No day shall erase you from the memory of time"
ローマ時代の詩人ウェルギリウスの言葉です。
ニューヨークの人達は特にこの言葉を各々が刻み込んでいると思いました。 -
展示を見終えて外に出てメモリアルパークのそばにあるNYFD Memorial Wallにやってきました。
ニューヨーク市の消防隊もこのテロで100人単位の人が殉職。
色々な宗教、意見が世界中にはありますがやはりテロ行為はダメですね。
この後この日はゆっくり。翌日日本に向けて出発して今回の旅も終了です。
自然、そして大都会とアメリカの大きさを感じられた旅でした!
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