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<br />私は1930年(昭和5年)大阪府豊能郡箕面村桜井五番町東端に生まれた。<br /><br />それはちょうど世界不況のさなかであり、満洲事変が始まろうとする、世の中の大きな節目の時だった。<br /><br /><br />箕面は、事業家小林一三により開発された郊外住宅地で、新しい社会の風が吹こうとしている文化都市。<br /><br />阪急電車開通の1910年(明治43年)以来20年を経過しており、爆発的な人口増の最中である。<br /><br />往時3,000人だった人口は、5倍の15,000人に達しようとしていた。<br /><br />田園をよぎって颯爽と走る、栗色の郊外電車は、まさに文化の象徴だった。<br /><br /><br />父は富山師範卒業後中国山東省に渡って、奥地のシセン炭鉱日本学校、チンタオ高等女学校と厳しい勤務を終え、妻を失い年金がつい故郷金沢に戻り、休養後私の母と再婚し、旧制「浪速高等学校」設立にかかわって、居を金沢からこの地に移した。<br /><br />待兼山にある学校まで、歩いて通うにはちょうどいい距離で、山道を雨の日には泥道を長靴で通勤した。<br /><br />桜井駅の南側は田園地帯で、現在の国道171号線は両側に何もなく、数分に一回程度車が土煙をあげて走る、未舗装道路だった。<br /><br /><br />生家には水道がなく、母は私の入浴のために無理な水汲みを続け、産後のリューマチ、そして慢性関節炎にかかる。<br /><br />兄弟は10歳年上の姉と、8歳年上の兄。<br /><br />二人とも、箕面小学校に通っていた。<br /><br /><br />父の母親である祖母と、女中を加えて、7人家族だった。<br /><br />五番町東端の住まいは、ほとんど覚えていない。<br /><br />覚えているのは、窓外の田圃の遠くで、電車の信号が赤青と変わっていたことだけだ。<br /><br /><br />今年はそれから80年目。<br /><br />1945年までの戦争、15年間。<br /><br />1960年までの復興期、15年間。<br /><br />1990年ごろまでの急拡大期、30年間。<br /><br />そして現在に至る繁栄持続期、20年間。<br /><br /><br />大きく分ければ、四つの社会を経験した。<br /><br />その都度生活の中身が変わっただけでなく、社会のものの考え方も大きく変化している。<br /><br />このような私にとって宝物の貴重な経験を、出来るだけ生の姿で残したいものと、書き始めた。<br /><br />私にとってばかりでなく、人類にとっても宝の経験と思う。<br /><br />完成までの年月を、大雑把に5年と考えている。<br /><br /><br />(片瀬貴文)<br />

八十歳の軌跡【1930年0歳-01】大阪府箕面村に生まれる

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1950/01/01 - 1950/01/01

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ソフィ

ソフィさん


私は1930年(昭和5年)大阪府豊能郡箕面村桜井五番町東端に生まれた。

それはちょうど世界不況のさなかであり、満洲事変が始まろうとする、世の中の大きな節目の時だった。


箕面は、事業家小林一三により開発された郊外住宅地で、新しい社会の風が吹こうとしている文化都市。

阪急電車開通の1910年(明治43年)以来20年を経過しており、爆発的な人口増の最中である。

往時3,000人だった人口は、5倍の15,000人に達しようとしていた。

田園をよぎって颯爽と走る、栗色の郊外電車は、まさに文化の象徴だった。


父は富山師範卒業後中国山東省に渡って、奥地のシセン炭鉱日本学校、チンタオ高等女学校と厳しい勤務を終え、妻を失い年金がつい故郷金沢に戻り、休養後私の母と再婚し、旧制「浪速高等学校」設立にかかわって、居を金沢からこの地に移した。

待兼山にある学校まで、歩いて通うにはちょうどいい距離で、山道を雨の日には泥道を長靴で通勤した。

桜井駅の南側は田園地帯で、現在の国道171号線は両側に何もなく、数分に一回程度車が土煙をあげて走る、未舗装道路だった。


生家には水道がなく、母は私の入浴のために無理な水汲みを続け、産後のリューマチ、そして慢性関節炎にかかる。

兄弟は10歳年上の姉と、8歳年上の兄。

二人とも、箕面小学校に通っていた。


父の母親である祖母と、女中を加えて、7人家族だった。

五番町東端の住まいは、ほとんど覚えていない。

覚えているのは、窓外の田圃の遠くで、電車の信号が赤青と変わっていたことだけだ。


今年はそれから80年目。

1945年までの戦争、15年間。

1960年までの復興期、15年間。

1990年ごろまでの急拡大期、30年間。

そして現在に至る繁栄持続期、20年間。


大きく分ければ、四つの社会を経験した。

その都度生活の中身が変わっただけでなく、社会のものの考え方も大きく変化している。

このような私にとって宝物の貴重な経験を、出来るだけ生の姿で残したいものと、書き始めた。

私にとってばかりでなく、人類にとっても宝の経験と思う。

完成までの年月を、大雑把に5年と考えている。


(片瀬貴文)

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