2012/12/23 - 2013/01/06
18位(同エリア23件中)
まめ夫婦さん
12月23日
羽田発0:20のTGに乗り、バンコクでトルコ航空に乗りつぎイスタンブールへ。チケット代は一人1045ユーロだった。地下鉄とトラムを乗りついでスルタン・アフメットまで出て、ホテルにチェックイン。
夏に訪れたときは観光客で一杯だったので入らなかった「セリム・ウスタ」だが、12月のせいか空いていたので入店した。外観と違って店内は大衆店のような感じで入りやすい雰囲気だった。キョフテとサラダとピラフを頼んで夕食とした。キョフテはスパイスが効いていて美味しかった。価格も手ごろだった。
12月24日
イスタンブールの空港の薬局でようやくコンタクト汁をゲット。
イスタンブールのトルコ航空のラウンジは相変わらず食べ物が豪華で凄かった。焼きたてパンやケーキ、トルココーヒーなどをたらふくいただき、カサブランカへ。機内食のキョフテも美味しかった。
しかし、日頃の疲れか熱っぽくなってきてしまった。13:00前に到着して14:00発のカサボヤージュ行きの列車に余裕で乗れてしまった。14:32に到着するが、5分前発のアルジャジーダ行きの列車に何とか乗り継ぎたいと思っていたら、なんと遅延で14:37発になっているではないか。急いでチケットを買いホームへ走ったが、なんと目の前で列車は行ってしまった。次は2時間後なのだ。トホホ。
カサボヤージュ16:27発の列車は18:00頃アルジャジーダに到着。すでに辺りは暗い。タクシー30DH(ぼられた?)でポルトガル市門まで行き、自力では宿までたどり着けそうにないので、宿に電話をして迎えに来てもらう。なかなか相手の言うことがわからず手こずるが、いる場所はわかってくれたようだ。
スークとは違う方へ案内され、しばらくくねくね歩くとようやく宿に到着。到底案内なしでは来られない所だ。部屋は広く、78ユーロも奮発しただけあって雰囲気のいい宿だ。ただちょっと湿っぽいが。早速予約したディナーをいただく。今日はクリスマスイブなのでこれまた奮発して一人25ユーロもするのだ。席につくと、すでに用意されていたクッキーやドライフルーツのプレートはお土産にいただいた。お皿までプレゼントだという。いきなり気を使う荷物が増えた。まずは食前酒と前菜にイクラとキャビアの乗ったパンをいただく。いきなり期待大なのだ。そしてスープ、チーズや肉など3種類の具の春巻き、メインのちょっとしょっぱいタジンがでてきたときにはすでにお腹いっぱいで、デザートのレモンのタルトを食べたときにはお腹がはちきれそうだった。食事の間中、宿のおじさんは暖炉の火を一生懸命おこしてくれていた。
朝ごはんに美味しいしぼりたてオレンジジュースと3種類のジャム、ヨーグルトなどをいただいた。
城壁の中を見に行く。
1514年、ポルトガル人によって造られたこの都市は「マサガン」Mazaganと呼ばれ、モロッコ唯一のポルトガル領として発展し、モロッコに最後まで残ったポルトガル要塞となった。1769年にモロッコ人の手でポルトガルが駆逐され「アル・ジャディーダ」と改名されたが、巨大な塁壁に固まれた旧市街には今もなお要塞や遺物が残されている。町のシンボルとして残る巨大な星形の城塞は、ルネサンス初期の軍事建造物の典型である。
ポルトガル支配時代の塁壁に固まれた世界遺産の旧市街(メディナ)は、Cite Portugalse(ポルトガル都市)と呼ばれていて、その町の中心部は歩いて回れる距離にある。メディナには今も約3000人が生活しているということだが、他の都市のメディナに比べてひっそりとしていた。そして、1769年までポルトガル領だったため、ヨーロッパとアラブ双方の文化が残る町並みとなっていた。
海に面した両角には「稜堡(りょうほ)の展望台」があった。「稜堡」とは大砲の攻防に備え、死角を少なくするように設計された円形や四角形の見張り台のことである。
稜堡に登ると大西洋や漁港が見え、漁船も浮かんでいる。
また、町の中央付近には「地下貯水槽」がある。入口は思わず通り過ぎてしまうほど小さいが、地下には巨大な空間が広がっていた。最初は倉庫として使われていたが、1542年、塁壁の外の水が絶たれたときのための貯水槽として改造されたものである。円柱の美しいゴシック建築で、天窓から雨水が流れ込むようになっている。天窓から差し込む光の筋が幻想的だった。
次の目的地エッサウィラへは6人乗りのグランタクシーは出ていないというので、プチタクシーでバスターミナルへ。13:00発のバスで4.5hくらいかかってエッサウィラへ到着。歩いてメディナへ入り、迷いながら宿にたどり着く。暗めで狭い部屋だが居心地は悪くない。ただ、トイレのドアがないのだ。黒曜石がたくさん取れそうだ。
目抜き通りのムハンマド・ザルクトゥーニ通りRue Mohammed Zerktouniをひたすら西に進むと港へ続く「海の門」(Porte dela Marine)へ出る。海の門をくぐると港に出る。港には屋台が立ち並び、こんがりと焼かれた魚の匂いに誘われる。魚を焼いてもらうのは値段交渉制。いろいろ見てから店に入ろうと思ったが、1件目で捕まってしまった。たくさんの魚の中から舌平目と赤い魚2種類、海老、イカの切り身を選び、サラダとドリンクを付けて2人で130DHという提案にすぐに釣られてしまったのだ。魚介類は海老から始まりひとつずつ炭火焼きにされてでてきた。どれもうまい。これだけたらふく食べたら他の国ではいくらかかるかわからないだろう。今のところ悪い人もいないし、モロッコはなかなかの好印象だ。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
-
羽田発0:20のTGに乗り、バンコクで乗りつぎイスタンブールへ。地下鉄とトラムを乗りついでスルタン・アフメットまで出て、ホテルにチェックイン。
夏に訪れたときは観光客で一杯だったので入らなかった「セリム・ウスタ」だが、12月のせいか空いていたので入店した。外観と違って店内は大衆店のような感じで入りやすい雰囲気だった。キョフテとサラダとピラフを頼んで夕食とした。 -
キョフテはスパイスが効いていて美味しかった。価格も手ごろだった。
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イスタンブールの空港の薬局でようやくコンタクト汁をゲット。ラウンジで焼きたてパンやケーキ、トルココーヒーなどをたらふくいただき、トルコ航空でカサブランカへ。キョフテは美味しかったが、日頃の疲れか熱っぽくなってきてしまった。13:00前に到着して14:00発のカサボヤージュ行きの列車に余裕で乗れてしまった。14:32に到着するが、5分前発のアルジャジーダ行きの列車に何とか乗り継ぎたいと思っていたら、なんと遅延で14:37発になっているではないか。急いでチケットを買いホームへ走ったが、なんと目の前で列車は行ってしまった。次は2時間後なのだ。トホホ。16:27発の列車は18:00頃アルジャジーダに到着。すでに辺りは暗い。タクシー30DH(ぼられた?)でポルトガル市門まで行き、自力では宿までたどり着けそうにないので、宿に電話をして迎えに来てもらう。なかなか相手の言うことがわからず手こずるが、いる場所はわかってくれたようだ。
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スークとは違う方へ案内され、しばらくくねくね歩くとようやく宿に到着。到底案内なしでは来られない所だ。部屋は広く、78ユーロも奮発しただけあって雰囲気のいい宿だ。
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ただちょっと湿っぽいが。
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早速予約したディナーをいただく。今日はクリスマスイブなのでこれまた奮発して一人25ユーロもするのだ。席につくと、すでに用意されていたクッキーやドライフルーツのプレートはお土産にいただいた。お皿までプレゼントだという。いきなり気を使う荷物が増えた。
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まずは食前酒と前菜にイクラとキャビアの乗ったパンをいただく。
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いきなり期待大なのだ。
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そしてスープ、チーズや肉など3種類の具の春巻き、
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メインのちょっとしょっぱいタジンがでてきたときにはすでにお腹いっぱいで、
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デザートのレモンのタルトを食べたときにはお腹がはちきれそうだった。食事の間中、宿のおじさんは暖炉の火を一生懸命おこしてくれていた。
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朝ごはんに美味しいしぼりたてオレンジジュースと3種類のジャム、ヨーグルトなどをいただいた。
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塁壁の中を見に行く。1514年、ポルトガル人によって造られたこの都市は「マサガン」Mazaganと呼ばれ、モロッコ唯一のポルトガル領として発展し、モロッコに最後まで残ったポルトガル要塞となった。
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1769年にモロッコ人の手でポルトガルが駆逐され「アル・ジャディーダ」と改名されたが、巨大な塁壁に固まれた旧市街には今もなお要塞や遺物が残されている。
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町のシンボルとして残る巨大な星形の城塞は、ルネサンス初期の軍事建造物の典型である。
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ポルトガル支配時代の塁壁に固まれた世界遺産の旧市街(メディナ)は、Cite Portugalse(ポルトガル都市)と呼ばれていて、その町の中心部は歩いて回れる距離にある。メディナには今も約3000人が生活しているということだが、他の都市のメディナに比べてひっそりとしていた。そして、1769年までポルトガル領だったため、ヨーロッパとアラブ双方の文化が残る町並みとなっていた。
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海に面した両角には「稜堡(りょうほ)の展望台」があった。「稜堡」とは大砲の攻防に備え、死角を少なくするように設計された円形や四角形の見張り台のことである。
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稜堡に登ると大西洋や漁港が見え、漁船も浮かんでいる。
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また、町の中央付近には「地下貯水槽」がある。入口は思わず通り過ぎてしまうほど小さいが、地下には巨大な空間が広がっていた。
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最初は倉庫として使われていたが、1542年、塁壁の外の水が絶たれたときのための貯水槽として改造されたものである。円柱の美しいゴシック建築で、天窓から雨水が流れ込むようになっている。
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天窓から差し込む光の筋が幻想的だった。
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次の目的地エッサウィラへは6人乗りのグランタクシーは出ていないというので、プチタクシーでバスターミナルへ。
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13:00発のバスで4.5hくらいかかってエッサウィラへ到着。歩いてメディナへ入り、迷いながら宿にたどり着く。暗めで狭い部屋だが居心地は悪くない。ただ、トイレのドアがないのが残念だった。
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目抜き通りのムハンマド・ザルクトゥーニ通りRue Mohammed Zerktouniをひたすら西に進むと港へ続く「海の門」(Porte dela Marine)へ出る。海の門をくぐると港に出る。港には屋台が立ち並び、こんがりと焼かれた魚の匂いに誘われる。
-
魚を焼いてもらうのは値段交渉制。いろいろ見てから店に入ろうと思ったが、1件目で捕まってしまった。たくさんの魚の中から舌平目と赤い魚2種類、海老、イカの切り身を選び、サラダとドリンクを付けて2人で130DHという提案にすぐに釣られてしまったのだ。
-
魚介類は海老から始まりひとつずつ炭火焼きにされてでてきた。
-
どれもうまい。
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これだけたらふく食べたら他の国ではいくらかかるかわからないだろう。
-
今のところ悪い人もいないし、モロッコはなかなかの好印象だ。
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この旅行記へのコメント (1)
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- hot chocolateさん 2016/01/16 01:07:55
- モロッコの旅
- まめ夫婦さま
初めまして。
「モロッコ紀行2012?イスタンブール〜カサブランカ〜アルジャジーダ〜エッサウィラ」の旅行記にお邪魔しております。
今年の4月にモロッコ旅行を計画しており、今、日程を煮詰めているところです。
モロッコは2回目なので、今回はカサブランカ、マラケシュ、エッサウィラ、アルジャジーダに絞って行く予定です。
モロッコは個人旅行では移動が大変そうで、これから情報収集もきちんとしなくてはと思っています。
バスも、日本のように親切にアナウンスをしてくれないので、乗り越しに気をつけなくてはいけませんね。
お尋ねしたいこともあるかもしれませんが、よろしくお願いします。
hot chocolate
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