2012/12/23 - 2013/01/06
63位(同エリア96件中)
まめ夫婦さん
ほとんど観光できなかった気がするが、急いで朝ごはんを食べてスプラトゥールのバスターミナルへ。9:30発のマラケシュ行きに乗り込む。国鉄が運営するバスはきれいで快適だ。カフェオレ休憩を挟み、3時間でマラケシュ着。しぼりたてオレンジジュースをいただき、タクシーでメディナのジャマエルフナ広場へ。
マラケシュは、1062年、ベルベル人が興したマグレブ(北西アフリカ)最初の統一王朝ムラーピト朝の首都として建設された古都である。サハラ砂漠を横断する隊商路の北の基点であり、歴代の王朝の繁栄とともに、商業都市として大発展を遂げた。王都が移ったのちも、マグレブにおける文化と学術の中心地の役割を果たしてきた。全長20kmに及ぶ城壁で固まれた旧市街の中心は、かつて公開処刑場だったことから「ジャマ・エル・フナ(死人の集会場)」広場とよばれている。
大道芸をみながら宿へ。ここもイスラム風のタイル張りだ。お腹が空いたのでマラケシュ名物だというタンジーヤという料理を探し歩くがなかなかみつからず、ようやくちょっと繁盛している軽食屋で発見。タンジーヤとタジンの違いはよくわからなかったが、アボカドジュースはとても美味しかった。足りないものが入っているのか。適当に計算して帳尻があってしまう会計を済ませて広場へ戻ると、ちらほら屋台が出始め、なんとタンジーヤ屋さんもあるではないか。あんなに探したのに。暗くなってから再び広場へ。たくさんの屋台の灯が灯っている。カタツムリのスープはにおいで挫折してしまったので、豆のスープで体を暖める。宿へ戻る途中に行列のバーガー屋さんがあり、覗いているとお客さんが注文を手伝ってくれた。ケフタバーガーは15DHでボリュームたっぷりうまうまだ
った。
テラスで日の出をみながら朝食。寒くなければ快適だ。白いがイチゴ味がするヨーグルトなどをいただき出発。
広場からタクシーでバスターミナルへ。
8:30のスプラトゥールでワルザザートへ。今日はいよいよアトラス山脈越えだ。アトラス越えのルートには、大きく分けて3つあるが、マラケシュからオートアトラスを越えてワルザザートに入る方法がもっともポピュラーである。オートアトラスは、一番高い山で4167mもある高く険しい山々(3000~4000m級)が連なる山脈だ。マラケシュを出て一時間ほど進むと山道になり、谷側には川(ワジ)が流れ、日干しレンガの家並み、ベルベル人の村が、山肌に張りつくように現れる。バスはタデルトTaddertの村で1回の休憩を入れた。ここで「アルガンオイル」を仕入れに来たという日本人と話しをした。日本で最近人気のモロッコのアルガンオイルであるが、偽物が横行していて、現地で絞っているものを直接仕入れないと信用できないのだそうだ。休憩後、バスは本格的な山道に入っていく。最高地点はティシュカ峠のティズーンティシュカTizi-n-Tichka (標高2260m)。高山の雄大な景色はアグイムAgouimまで続くのだが、バス酔いで完全にグロッキーだった。
やがて土の色が黄土色に変わり、砂漠に近づいたことが実感しつつ、出発から4.5時間ほどでサハラの入り口ワルザザートに到着した。今日のHOTEL Azoulの部屋からは山並みが見渡せるのだ。予約時にgood hot water,good wifi please と書いたので、GOODか?と宿の人に笑われてしまった。
アトラス山脈の南には、サハラ砂漠を控えた乾燥地帯が広がっている。そこに点在するオアシスに、イスラム勢力から逃れるように南下した先住民のベルベル人の集落がある。日干しレンガで築かれた村の多くは要塞化されていて、「クサル(要塞化された村)」と呼ばれる。その中でモロッコで一番美しいといわれる村がワルザザートの西30kmほどにあるアイト・ベン・ハッドゥである。
小川のほとりにある丘の斜面を利用して、立体的に造られているこの村には、高い城壁が巡らされている。
早速アイトベンハッドゥーへ。まずはグランタクシーで途中のOued Malehへ一人10DHで行き、そこからグランタクシーで一人10DH、のはずが、白人の2人に先を越されて次のグランタクシーを待たなければならなくなってしまったので、40DHでタクシーをチャーターしてさっさとアイトベンハッドゥーまで行くことに。おかげで途中アイトベンハッドゥーが見渡せる所で写真を撮らせてくれた。アイトベンハッドゥーに行くには小川を飛び石で渡り、子供にチップを渡すはずだったのに、コンクリートの立派な橋が出来上がっていて、15年くらい前に来た月日の流れとモロッコの成長を感じた。
村の頂上まで行き、川原に降りて10数年前にちょむさんが撮ったのと同じポジションで写真を撮ってみる。帰国したら写真を比べてみよう。グランタクシーで一気にワルザザートへ戻る。1人20DH。ワルザザートからの往復チャーターは300DHだというから、200DHも浮いたのだ。この辺りでは映画がよく撮影されているようで、途中大きなスタジオがあった。宿のお兄ちゃんにお薦めのレストランをきくと、近くの店を教えてくれた。そこでお茶とサラダとタジンをつまむ。ワルザザートの中心街まで足を延ばすと、田舎だった街にはきれいな店が並び、車が行き交い、かつての様子は伺えなかった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルを出発。
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広場やビーチを見ながらバスターミナルを目指す。
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スプラトゥールのバスターミナルへ。9:30発のマラケシュ行きに乗り込む。国鉄が運営するバスはきれいで快適だ。
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途中でカフェオレ休憩を挟み、3時間でマラケシュ着。しぼりたてオレンジジュースをいただき、タクシーでメディナのジャマエルフナ広場へ。
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マラケシュは、1062年、ベルベル人が興したマグレブ(北西アフリカ)最初の統一王朝ムラーピト朝の首都として建設された古都である。サハラ砂漠を横断する隊商路の北の基点であり、歴代の王朝の繁栄とともに、商業都市として大発展を遂げた。王都が移ったのちも、マグレブにおける文化と学術の中心地の役割を果たしてきた。全長20kmに及ぶ城壁で固まれた旧市街の中心は、かつて公開処刑場だったことから「ジャマ・エル・フナ(死人の集会場)」広場とよばれている。
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フナ広場にはマラケシュ名物のオレンジジュースの屋台が並んでいて一日中オープンしている。
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昼間からベルベルダンス、ヘビ使いなどの大道芸が行われていてとても賑やかだった。
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今日の宿はリヤド・モウナ。ブッキングコムで45ユーロだった。ここもイスラム風のタイル張りだ。開放的な広い吹き抜けに面した一階の部屋にだった。バスタブはないが、清潔で快適だった。今日の宿はリヤド・モウナ。ブッキングコムで45ユーロだった。ここもイスラム風のタイル張りだ。開放的な広い吹き抜けに面した一階の部屋にだった。バスタブはないが、清潔で快適だった。
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フナ広場の北にはスーク(市場)が広がっていて、その規模は、世界最大ともいわれている。
細い道が網目のように巡らされ、両側に織物、スパイス、肉や野菜、皮革製品、職人たちの工房などの店が所せましと並んでいた。サハラ砂漠との交易の中継地としてさまざまな人や物が往来し影響を及ぼし合ったことから、マラケシュのスークにはグローバルな文化や混沌とした世界が広がっていた。 -
フナ広場に立って、南西の方向を見るとクトゥビアKoutoubiaが見える。12世紀半ばに建てられたクトゥビア・モスクのミナレット(高さ77m)はセビリアのヒラルダ(Giralda)の塔と並びムーア様式の傑作といわれており、マラケシュのシンボルである。クトゥビアとはアラビア語の「本屋(写本屋)アル・クトゥビーインal-Koutoubiyyin」から由来するもので、12〜13世紀頃モスクの周りに写本屋が集まっていたことから名付けられたということである。
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お腹が空いたのでマラケシュ名物だというタンジーヤという料理を探し歩くがなかなかみつからず、ようやくちょっと繁盛している軽食屋で発見。
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タンジーヤとタジンの違いはよくわからなかったが、アボカドジュースはとても美味しかった。足りないものが入っているのか。
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適当に計算して帳尻があってしまう会計を済ませて広場へ戻ると、ちらほら屋台が出始め、なんとタンジーヤ屋さんもあるではないか。あんなに探したのに。
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暗くなってから再び広場へ。
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たくさんの屋台の灯が灯っている。
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カタツムリのスープはにおいで挫折してしまったので、豆のスープで体を暖める。
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宿へ戻る途中に行列のバーガー屋さんがあり、覗いているとお客さんが注文を手伝ってくれた。ケフタバーガーは15DHでボリュームたっぷりうまうまだ。
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テラスで日の出をみながら朝食。
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ちょっと寒かったが、朝日を浴びたマラケシュのメディナがきれいだった。
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白いがイチゴ味がするヨーグルトなどをいただき出発。
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広場からタクシーでバスターミナルへ。
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8:30のスプラトゥールのバスでワルザザートへ。今日はいよいよアトラス越えだ。アトラス山脈を越えると、モロッコ北側の「城壁とメディナの世界」から南側の砂漠へと続く「カスバとオアシスの世界」へ足を踏み込むことになる。
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アトラス越えのルートには、大きく分けて3つあるが、マラケシュからオートアトラスを越えてワルザザートに入る方法がもっともポピュラーである。オートアトラスは、一番高い山で4167mもある高く険しい山々(3000〜4000m級)が連なる山脈だ。マラケシュを出て一時間ほど進むと山道になり、谷側には川(ワジ)が流れ、日干しレンガの家並み、ベルベル人の村が、山肌に張りつくように現れる。バスはタデルトTaddertの村で1回の休憩を入れた。ここで「アルガンオイル」を仕入れに来たという日本人と話しをした。日本で最近人気のモロッコのアルガンオイルであるが、偽物が横行していて、現地で絞っているものを直接仕入れないと信用できないのだそうだ。休憩後、バスは本格的な山道に入っていく。最高地点はティシュカ峠のティズーンティシュカTizi-n-Tichka (標高2260m)。高山の雄大な景色はアグイムAgouimまで続くのだが、バス酔いで完全にグロッキーだった。
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やがて土の色が黄土色に変わり、砂漠に近づいたことが実感しつつ、出発から4.5時間ほどでサハラの入り口ワルザザートに到着した。今日のHOTEL Azoulの部屋からは山並みが見渡せるのだ。予約時にgood hot water,good wifi please と書いたので、GOODか?と宿の人に笑われてしまった。 -
早速アイトベンハッドゥーへ。まずはグランタクシーで途中のOued Malehへ一人10DHで行き、そこからグランタクシーで一人10DH、のはずが、白人の2人に先を越されて次のグランタクシーを待たなければならなくなってしまったので、40DHでタクシーをチャーターしてさっさとアイトベンハッドゥーまで行くことに。おかげで途中アイトベンハッドゥーが見渡せる所で写真を撮らせてくれた。
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アトラス山脈の南には、サハラ砂漠を控えた乾燥地帯が広がっている。そこに点在するオアシスに、イスラム勢力から逃れるように南下した先住民のベルベル人の集落がある。日干しレンガで築かれた村の多くは要塞化されていて、「クサル(要塞化された村)」と呼ばれる。その中でモロッコで一番美しいといわれる村がワルザザートの西30kmほどにあるアイト・ベン・ハッドゥである。
小川のほとりにある丘の斜面を利用して、立体的に造られているこの村には、高い城壁が巡らされている。 -
村内の道がまるで迷路のようにその間をぬっていて、ティグレムトまたはアガディールと呼ばれる穀物倉の塔が何本も立っている。
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塔には窓に見せかけた銃眼が配置され敵を撃退する工夫を凝らした堅固な要塞になっているのだ。
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家屋は1階が馬小屋、2階が食糧倉庫、3階が住居である。
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しかし、住民の多くは新しい村に移り、現在ここに暮らすのは数家族だという。
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デビッド・リーン監督が映画『アラビアのロレンス』を撮って以来、いくつもの映画の舞台として使われ、『ナイルの宝石』や2001年に『ハムナプトラ2』もここで撮影されたという。
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グランタクシーで一気にワルザザートへ戻る。1人20DH。ワルザザートからの往復チャーターは300DHだというから、200DHも浮いたのだ。この辺りでは映画がよく撮影されているようで、途中大きなスタジオがあった。宿のお兄ちゃんにお薦めのレストランをきくと、近くの店を教えてくれた。そこでお茶とサラダとタジンをつまむ。ワルザザートの中心街まで足を延ばすと、田舎だった街にはきれいな店が並び、車が行き交い、かつての様子は伺かがえなかった。
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