2014/12/05 - 2014/12/08
340位(同エリア904件中)
倫清堂さん
平成26年最後の旅は、滋賀県を目的地に決めました。
滋賀県は、琵琶湖の東側・西側それぞれを訪れたことがありますが、いずれも急ぎ足での旅であったため、見落とした見どころがたくさん残っているのが気になっていました。
年末なので各地ではイルミネーションが始まっていますが、滋賀県では彦根城が夜間ライトアップされると聞き、これも見ておきたいという気持ちになったのでした。
心配なのは雪ですが、福井県との県境を越えて大雪が降ることはないと判断しました。
今回はピーチ便で関西空港に降り、大阪で一泊。
翌日の朝に車で移動を始め、昼頃に長浜に入る予定でした。
大阪府内は曇りの天気でしたが、滋賀県内に入った頃から雪が降り始め、米原ジャンクションを越えると高速道路の路面がシャーベット状になっているではないですか!
借りた車は冬タイヤを装備していません。
スリップも怖いですが、これ以上雪が積もるとタイヤが滑って発進できなくなる恐れがあります。
引き返すべきか迷いましたが、行けるところまで行ってみようということになりました。
行けるところとは即ちそれ以上行けないところなのでは??という疑問が頭の中をよぎりましたが、予定通り長浜へと向かったのでした。
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長浜市内は空き地などに雪が積もっているものの、道路にまで積もりそうな気配は今のところありません。
時刻は間もなく正午になろうとしているところなので、まずは昼食を取ることにしました。
何を食べるか、それはあらかじめ決めていました。
目的の店の場所が分かったので、すぐ近くの駐車場に車を入れました。翼果楼 グルメ・レストラン
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訪れたのは翼果楼という料亭です。
ここで出される鯖そうめんがお目当てのメニューでした。
醤油で味付けされた温かいそうめんの上に、時間をかけて煮込まれた鯖が乗っています。
この地方には、農家に嫁いだ娘に対して実家から焼き鯖を贈る風習があったのだそうです。
農作業で忙しい人たちにとって、焼き鯖とそうめんの組み合わせは、手っ取り早く作ることができる定番メニューでした。
気になる味の方は、多少鯖のくさみがあるものの、醤油味がしみ込んでいて素朴な感じがしました。 -
食事を終えて外に出ると、雪は少し勢いを弱めていました。
このまま気温が上がれば溶けてしまうように思われました。
せっかく長浜まで来たので商店街を歩いてみると、興味深い飾りのある店を発見しました。
噂に聞いたことがありますが、ここが海洋堂フィギュアミュージアムです。
1階は様々なフィギュアを売る商店となっており、2階が博物館になっています。海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館 美術館・博物館
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予約した時間が迫ってきたため、黒壁体験工房へ向かうことにしました。
体験工房はフィギュアミュージアムから徒歩5分ほどの所にあります。
体験工房では、主にガラス製品の制作を体験することが出来ます。
今回は同行者のリクエストもあり、吹きガラスの体験を申し込んでいました。 -
受付を済ましてしばらく待機していると、開始時間と同時に職人さんの説明が始まりました。
吹きガラスは文字通り、自分の息を吹き込むことでガラスにふくらみをつけ、少しずつ形を整えて器を作る作業です。
体験なので作れる器の種類には限りがありますが、水差し・皿・タンブラー・ロックグラスなどから一つ選ぶよう指示されました。
また、色の乗せ方は2通りあり、色は12色の中から2色を選ぶことができます。
使い道が限定されないロックグラスを作ることに決めました。 -
エプロンと、腕を保護するための筒状の袖をつけ、手袋をはめて椅子に座ります。
材料のガラスを吹き棒につけるのは職人さんの仕事です。 -
炉からガラスが取り出されると、吹き棒に息を吹き込んでガラスを膨らませます。
その時、少しずつ回転させなければ、ガラスは重力に従って下に垂れてしまいます。 -
ある程度膨らませたら、吹き棒を台の上で転がしながら、ガラスの形を整えて行きます。
最初は何枚も重ねた新聞紙に水をしみ込ませたものを使います。
これを手に持ってガラスに押し当てると、ジュッという音と白い湯気が上がります。
耐熱性の手袋をしていても、多少の恐怖を感じます。
しかし恐怖ばかり感じて左手を止めてしまうと、ガラスはすぐに下へ垂れてしまいます。
左手で吹き棒を転がしながら右手でジュッとするのは、なかなか難しい作業でした。 -
膨らみが大きくなったら、ピンセットを巨大にしたような道具を使って口を開けます。
回転させながら切り込みを入れ、ポンと叩くと、球体のガラスは二つに分かれました。 -
分かれた片方を、さらに熱したり転がしたりしながら、少しずつロックグラスの形に仕上げて行きます。
少し汗がにじむような室温です。
次も左手で吹き棒を転がしながら、ピンセットのオバケを右手で操ります。
最初よりは慣れて来たらしく、地面に垂れないよう左手を動かすことが出来ました。
15分ほどの作業で、みごとにロックグラスは完成しました。
これが徐々に冷やされ、完成したものが後日自宅に送られて来るのです。 -
制作体験を終えてガラス工房の外に出ると、雪は雨に変わっていました。
下調べの段階で、近くに神社が鎮座していることを知っていたので、そこへ参拝に行くことにしました。
神社の名前は豊国神社。
祀られているのは豊臣秀吉公・加藤清正公・八重事代主命えびす宮・木村長門守重成公の4柱です。豊国神社 寺・神社・教会
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秀吉公は、主君織田信長公が浅井・朝倉連合軍と戦った姉川の戦いにおいて武勲を挙げました。
浅井長政公に嫁いでいた、信長公の妹であるお市の方を救出したことで、秀吉公は信長公からそれまで以上に重く扱われるようになりました。
その後の戦いで浅井氏を滅ぼした信長公は、新たに手に入れた浅井氏の領地のほとんどを秀吉公へ与えたのでした。
そこで秀吉公が本拠地としたのが、ここ長浜だったのです。 -
清正公は長浜の領主であったことはありませんが、御祭神の秀吉公に最も重用された腹心であったことから合祀されたのではないかと思います。
重成公は豊臣秀頼公に仕え、大阪の陣では最後まで大阪方として幕府軍と戦いました。
その墓は彦根市にあるとのことです。 -
境内にある「虎石」は、もとは長浜城の庭園にあったものです。
これは清正公が秀吉公に献上した石で、徳川時代に入って長浜城が破却され、彦根城が建てられた際、長浜市内にある大通寺へ移されることになりました。
ところがこの石は、移動先の大通寺で夜な夜な虎のような鳴き声を発したため、豊国神社へ戻されたところ、鳴き声はピタリとおさまったのでした。 -
次に、秀吉公が築いた長浜城を訪れました。
秀吉公出世城を名乗っていますが、現在の城は復元された建物で、内部は博物館になっています。
秀吉公が築城を始めたのは天正2年の夏であったと考えられています。
築城に際し、浅井氏が拠っていた小谷城の建材や、竹生島の材木などが用いられたと言われています。
秀吉公が長浜を本拠地としたのは天正10年までのことで、本能寺の変の後は清州会議で決定されたとおり柴田勝家公の持ち城となったのでした。長浜城歴史博物館 美術館・博物館
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守城には勝家公の甥にあたる勝豊公が入りますが、秀吉公に攻められて降伏し、賤ヶ岳の戦いの後、天正13年からは山内一豊公が城主となりました。
秀吉公の死後は石田三成の支配下に入り、関ヶ原以後は内藤氏が支配するところとなりますが、彦根城の築城にともなって廃城となり、城としての役目を終えたのでした。
現在の模擬天守は昭和58年に再建されたもので、天正期の姿に戻すことを目標に復興されました。
現在の正式名称は長浜市長浜城歴史博物館です。
最上階からは琵琶湖の澄んだ水面を見渡すことができます。
冬の琵琶湖は灰色でした。 -
イチオシ
彦根のホテルにチェックインし、暗くなるのを待ちます。
そして夜。
この旅の最大の目的である彦根城ライトアップを見に行きました。彦根城 名所・史跡
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天守閣がライトアップされてはいるものの、城内への入場はできないため、かなり遠くから眺めることしか出来ませんでした。
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翌日は朝から強い雨が降っていました。
彦根城や多賀大社への再訪を予定していましたが、諦めることにしました。
初めてであれば多少無理してでも訪れるのですが、二度目はそれほど強くこだわらなくても良いのです。
その分、屋内で見学出来る施設を多く訪れることにしました。
最初に向かったのは安土城天主信長の館です。
安土城に登ったことはありますが、ここを訪れるのは今回が初めてです。安土城天主信長の館 美術館・博物館
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安土城は、織田信長公が天下人としての地位を盤石のものとした天正7年に建てられました。
それまでの城というものは、せいぜい規模が大きな屋敷という程度のものでしたが、信長公は初めて天守閣を設け、日本国内ばかりでなく外国人に対してまで武威を示したのでした。
焼け落ちたのは山崎の戦いの直後、天正13年ですから、世界で最大の木材高層建築である安土城は、わずか10年足らずの間しか世に存在していなかったことになります。
残された図面を頼りに当時の姿を想像すると、吹き抜けがある6階建ての構造であったようです。
平成4年、スペイン・セビリア万国博覧会の日本館で展示するため、天守の5階6階部分が復元されました。
それを安土町が譲り受け、障壁画などを施したものが、現在の信長の館に展示されています。
5階は仏教の世界観による天界を再現しており、八角形の部屋の壁には釈迦などが描かれています。
6階は信長公の玉座の間でしょうか。
正方形の部屋の壁には、古代中国の伝説の神や聖人などが描かれています。
天守閣の全体を復元することは、現代の日本人にとって夢のような話なのかも知れません。 -
次に、信長の館に隣接する安土城考古博物館を見学しました。
ここでは、過去に行われた企画展の図録を購入したかったのですが、10年以上前のものなので、在庫が残っていませんでした。
しかし、常設展の図録が半額で販売されていたので、これはお得だと思って購入しました。
滋賀県の遺跡の特徴は、銅鐸の出土が多いということです。
たくさんの出土銅鐸が展示されていました。安土城考古博物館 美術館・博物館
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銅鐸を見ていたら興味が湧いたので、銅鐸だけを専門に展示する銅鐸博物館へ行くことにしました。
銅鐸博物館は、明治14年と昭和37年に合わせて24例の銅鐸が出土した場所に建てられています。
その中には、日本で最大の銅鐸も含まれています。 -
銅鐸の使用目的はまだ解明していませんが、多くの学者が考えるように楽器だったのではないかと考えています。
様々な大きさのものがあるのは、様々な音を出すことが目的でしょう。
大きさが少しずつ異なる銅鐸を複数用意すれば、メロディを奏でることや、和音を鳴らすこともできたはずです。
博物館の展示で最も目を引いたのは、銅鐸を制作するための鋳型の作り方です。
土を焼き固め、そこに細かい模様を刻み付け、内側と外側の鋳型の隙間に銅を流し込んで、銅鐸は作られました。
鋳型は銅が冷えて固まったら壊さなければならないので、銅を流し込む瞬間が最も緊張する一瞬だったのではないでしょうか。
日本の職人の技は、古代から積み重ねられて来たものだということが実感されました。
なお、これだけ多くの銅鐸が発掘されていながら、『古事記』などの記録に銅鐸が登場しないのは不思議です。
本当は銅鐸について書かれているのに、我々がそれと気付かず見落としているだけかも知れません。銅鐸博物館 美術館・博物館
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雨が上がったので、近江国一之宮の建部大社を参拝しました。
建部大社を訪れるのは、今回が2回目です。
車で進入するための入り口がよく分からず、遠回りすることになってしまいました。
よく思い出すと、最初に参拝した時も同じように迷ったはずです。建部大社 寺・神社・教会
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2回目の参拝をしたのにはわけがあり、御由緒を記した看板を新調したことを神社のツイッターで知らされたからでした。
それもただ文字だけの看板ではなく、プロのイラストレーターによって描かれた挿絵がついているということです。
実際に拝見し、神代の雰囲気をよく伝える優れた作品であると感じました。 -
最後の目的地は滋賀県の南端、大津市大石に鎮座する佐久奈度神社です。
天智天皇の勅願によって創建された神社で、瀬織津姫命・速秋津姫命・気吹戸主命・速佐須良姫命の4神を祓戸大神として祀っています。佐久奈度神社 寺・神社・教会
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これら4神は『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記載されており、かなり古い時代から罪穢れを祓う神として信仰されていたと思われます。
天智天皇は大津宮に遷都した天皇ですから、祓戸大神に奉仕する神社を瀬田川のほとりに創建し、あらゆる災いを水に流そうと考えたのでしょう。 -
鎮座地の大石は、浅野家の家老大石氏にゆかりがあります。
大石氏は藤原秀郷の末裔で、近江守護佐々木氏の家臣として大石庄の下司職を務めていました。
応仁の乱によって一次は没落しますが、大石良信の時に豊臣秀次の家臣になりました。
秀次が事件を起こして切腹すると、良信は浅野長政の三男長重に仕えることとなりました。
長重が赤穂に転封されて初代赤穂藩主になると、良信の嫡男良欽は浅野家の家老に取り立てられたのでした。
忠臣蔵で知られる大石内蔵助良雄は、この父祖の地を生涯訪れることはなかったでしょう。
しかし大石家の原点がここにあったことを思うと、言い知れぬ感慨がこみ上げて来るのです。 -
後日、ガラス工房で制作したロックグラスが宅配便で届けられました。
おおまかなデザインしか決められませんでしたが、なかなか良い色具合に仕上がっています。
これで水割りがますます美味しくなりそうです。
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