2002/09/02 - 2002/09/13
31位(同エリア77件中)
エスペラさん
9月11日、朝7:30。タイラシャック村を後にして、カブールへと向かう。帰りは下りということもあってかスムーズに進み、15:30にはカブールの事務所に着いた。
翌日、診療所にあいさつをして、10時頃空港に到着した。それから延々と待つこと3時間ほど。やっと飛行機が到着し、歩いて乗り込む。順調に搭乗はすすみ、コーランが流れ、いよいよ出発。さよならカブール。
と思った瞬間、ドンと機体が揺れ、爆発音が聞こえた。
なぜ最後の最後に・・・
当然撃たれたと思ったが、アテンダントはあわてているようではない。
窓から外を見ていると、どうやら車止めを外さないままいきなりバックしたため、タイヤがバーストした模様…
見ていると、全然修理する気配がない。1時間ぐらいすると、こぎれいな服の人たちが怒鳴りながらやってきた。すると、作業員は、近くの飛行機のところまで行き、工具を取ってきて、やっと修理が始まった。
結局、出発は15時。
飛行機の窓から見下ろすと、カブールの街はまるで遺跡のように、土の色一色だった。
なにか私の経験したことがすべて夢であったような不思議な気分になった。
アフガニスタンで気づいたことがあった。荷物の積み込みや井戸掘りなどどれだけ見ていても、誰一人鼻歌を歌わないのだ。タリバーン時代には歌は禁止されていたから、当然なのかもしれない。だが、今、禁止されているわけではない。実際、自動車で移動するときはいつもなんだかぐるぐる回るような歌が延々と流れていた。しかし、身体の記憶は体制が変わったからといって変わるものではないということを痛いように感じた。
戻ってから、知り合いの歌手に聞いてみると、もともとは求愛の歌などを中心に豊かな音楽文化があったという。壊すのがいかに簡単で、そして、取り戻すことがいかに困難なことか。
当時楽器を送ろうという運動もささやかながらあったが、アフガンに必要なのは体から自然に出てくる音楽のはずだ。そのためにはまず水が必要であり、そして、安定した生活が必要なのだ。
現在、アフガンは治安が悪化し、入国するのはきわめて難しい。
それでも、いつか、もう一度アフガンを訪ねてみたい。その時、人々は歌いながら働いているだろうか。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
-
アフガニスタンでは子どもが労働の中心になっている。
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海外の援助でつくられた学校。たいていサッカー場やバレーのネットがあるが、タリバーン時代にはこうした遊びは禁じられていた。
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ガソリンスタンド
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相変わらず議論ばかりしている。
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12時頃、行きに休憩したのと同じ場所で休憩。ここはアウダラ(水の谷)と呼ばれる場所らしい。
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こうした場所にも地雷はまだ多い。
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いかにも異国に来た風景で、少し癒される。
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これは何の工場(?)か分からないが、自動車関係や鉄を加工するところが多いようだった。ほとんどがコンテナを利用している。どのコンテナも銃弾の跡がたくさんあるのがアフガンらしい。良く見ていると国鉄のコンテナもあった。
後で教えてもらったのは、こうしたコンテナはだいたいが輸送途中に丸ごと盗まれたものだろうということだった。 -
途中でリンゴを売っている人がいたので、少し買った。カラフルなビニール袋に入れてくれるが、これが薄くて全然役に立たなかった。
カーブル西部はかなり豊かな果樹園が拡がっている。この辺りは治安も比較的よく、外国の支援団体もこぞってやってくるという。 -
事務所の職員の自転車。
市街で見かけた多くの自転車が同じようなデザインで、黒っぽい塗装に金の文字、泥よけの一番お尻が白く塗られているところなど、イギリスの影響を受けていることがよく分かる。ただ、なぜトップチューブが2本なのかは分からない。 -
SORAの事務所。その後治安の悪化と家賃の高騰で郊外に移った。
アフガンでは家の中を修理したり改修すると家賃が上がる。それだけ建物の値打ちが上がったからだという。理屈に合っているような合っていないような。
外国の援助が入ると、家賃、人件費などが一気に上がる。地元の人がふっかけるからだが、外国の貨幣価値からするとそれでも激安だ。当時、優秀な人たちがどんどん公務員を辞めてNGOに就職してしまい、公共部門の空洞化が発生していた。 -
前を行く女性は督永さん。ブルカをすっぽりかぶっていたら、誰が誰だか分からないだろうと思っていたが、現地の人たちはかかとでだれだか分かるという。
ブルカの下にはすごく豪華な服や宝石を身にまとっている人がたくさんいるらしい。ブルカは男尊女卑に象徴のようにいわれるが、ブルカをまとう女性にとっては、外出着に過ぎない。また、家庭では圧倒的に女性の方が力を持っている。だからといって、女性が自由に活動するのを許すわけではない。抑圧の方法は文化によって異なっているのだ。 -
JIFFの診療所。
幼く見えるが、日本の子どもと同じ年齢でも体重が半分ほどしかないことが多い。 -
とある日本のNPOの事務所。自動車も新車が何10台もあるという。会計報告もちゃんと公開されてはいるが、正直に言って本当にこれでいいのかとかなり疑問に感じた。
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空き地なのか公園なのか?たくさんの人たちがボールやたこで遊んでいた。
アフガンでは冬に限らず、たこ揚げをして遊んでいる。しかし、これもタリバーン政権が崩壊して初めて許されたことだ。
だが、タリバーンが崩壊して良いことだけであったかといえばそうとはいいにくい。治安は明らかに悪くなっており、何よりも、ケシの栽培が急速に復活してしまった。タリバーンは麻薬を厳しく取り締まっていたため、ケシの栽培が行われていたのは北部やパキスタン国境付近だけだった。しかも、国連が行った麻薬撲滅作戦が完全に失敗した。ケシ栽培をやめさせるためにケシを持ってきた人たちには国連がお金を渡していたのだが、新たに栽培して、それをどんどん国連に持ち込むようになってしまったのだ。今や世界で屈指の麻薬製産地帯に逆戻りしている。 -
空港の周辺には延々と航空機の残骸が広がっていた。
これだけあればくず鉄でも結構なお金になるだろうにと思い、日本に帰ってからそんな話を製鉄所で働いている知り合いに話したら、水がないからダメなのだと教えられた。鉄の製造にはとんでもないほど水が必要だという。農業だけでなく工業さえも干ばつが影響するのだということを思い知らされた。 -
空港内は当然撮影禁止。しかし、「かっこいいですね!写真撮らせてください!!」とかいうと喜んで撮らせてくれる。
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10時頃に空港に着いたが、飛行機がまだパキスタンを出ていないとのこと。時間通りに来ることなどないので、気長に待った。
荷物のチェックは厳重で、利用税なども各自で払わなければならなかった。やっかいなのは、検査が終わると「はい、1ドル」とか言われる。そんなお金は実はまったく必要なく、ただ、くれと言われているだけなのだ。国際空港の職員でもそんな感じだった。
チェックが終わると、何も書いていない赤いボール紙を渡された。これが搭乗券だという。 -
さようなら、カブール。
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ついこの間、この湖のそばを通ってカーブルに来たはずだ。
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