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慈眼山・光林寺(こうりんじ、東京都港区南麻布)は東京メトロ日比谷線広尾駅から約8分、明治通りに臨む臨済宗妙心寺派で丸亀藩主京極高豊(きょうごく・たかとよ、1655~1694)が延宝6年(1678)に創建と伝えられる寺院です。<br /><br />この寺院には幕末におけるアメリカ総領事ハリスの通訳兼書記ヒュースケンが殺害され土葬された墓があります。<br /><br /><br /><br />明治通りに面した所に建てられた説明板には下記のことが記されています。<br /><br />「ヒュースケン墓<br /><br />アメリカ総領事ハリスの通訳兼書記として、安政3年(1856)7月に下田に到着したオランダ人ヒュースケンは、その後仮公使館が設けられるに及び江戸に入り、ハリスの片腕となって、困難な日米間の折衝に活躍し、日米修好通商条約を調印にいたらしめ、また、日本と諸外国の条件締結にも尽力した人物である。<br /><br />万延元年(1860)12月、ヒュースケンは日本とプロシアとの修好条約締結の協議の斡旋のため、会場であった赤羽接遇所と宿舎の間を騎馬で往復していたが、5日午後9時ごろ、宿舎への帰路、中ノ橋付近で一団の武士に襲われ、刀で腹部を深く切られて死亡した。<br /><br />墓はカトリック教徒のため土葬が必要であったが、当時御府内では土葬が禁じられていたため、江戸府外であった光林寺に葬られた。」<br /><br /><br /> 昭和56年10月(平成26年12月建替)<br />                      港区教育委員会 』<br />

武蔵南麻布 丸亀藩主京極高豊の開基でアメリカ総領事の通訳兼書記ヒュースケンが武士団に襲われ深手を負って死亡し土葬された『光林寺』散歩

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2014/11/30 - 2014/11/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

慈眼山・光林寺(こうりんじ、東京都港区南麻布)は東京メトロ日比谷線広尾駅から約8分、明治通りに臨む臨済宗妙心寺派で丸亀藩主京極高豊(きょうごく・たかとよ、1655~1694)が延宝6年(1678)に創建と伝えられる寺院です。

この寺院には幕末におけるアメリカ総領事ハリスの通訳兼書記ヒュースケンが殺害され土葬された墓があります。



明治通りに面した所に建てられた説明板には下記のことが記されています。

「ヒュースケン墓

アメリカ総領事ハリスの通訳兼書記として、安政3年(1856)7月に下田に到着したオランダ人ヒュースケンは、その後仮公使館が設けられるに及び江戸に入り、ハリスの片腕となって、困難な日米間の折衝に活躍し、日米修好通商条約を調印にいたらしめ、また、日本と諸外国の条件締結にも尽力した人物である。

万延元年(1860)12月、ヒュースケンは日本とプロシアとの修好条約締結の協議の斡旋のため、会場であった赤羽接遇所と宿舎の間を騎馬で往復していたが、5日午後9時ごろ、宿舎への帰路、中ノ橋付近で一団の武士に襲われ、刀で腹部を深く切られて死亡した。

墓はカトリック教徒のため土葬が必要であったが、当時御府内では土葬が禁じられていたため、江戸府外であった光林寺に葬られた。」


 昭和56年10月(平成26年12月建替)
                      港区教育委員会 』

旅行の満足度
3.5
交通手段
私鉄 徒歩
  • 光林寺周辺地図

    光林寺周辺地図

  • 光林寺・ヒュースケン墓所説明板<br /><br />光林寺の庭柵にアメリカ総領事ハリスの通訳兼書記であるヒュースケン墓について説明板があります。さっそく墓参りをするために境内に入ります。(説明板の下にはヒュースケンの墓位置が示されています)

    光林寺・ヒュースケン墓所説明板

    光林寺の庭柵にアメリカ総領事ハリスの通訳兼書記であるヒュースケン墓について説明板があります。さっそく墓参りをするために境内に入ります。(説明板の下にはヒュースケンの墓位置が示されています)

  • 光林寺・山門と駐車場<br /><br /><br />

    光林寺・山門と駐車場


  • 光林寺・山門<br /><br />「慈眼山」という山号が掲示されています。<br />

    光林寺・山門

    「慈眼山」という山号が掲示されています。

  • 光林寺・山門屋根

    光林寺・山門屋根

  • 光林寺・寺標<br /><br />「臨済宗光林寺」の寺号が掲載されています。

    光林寺・寺標

    「臨済宗光林寺」の寺号が掲載されています。

  • 光林寺・本堂(全景)<br /><br />正式には「慈眼山光林寺」という臨済宗妙心寺派の寺院です。

    光林寺・本堂(全景)

    正式には「慈眼山光林寺」という臨済宗妙心寺派の寺院です。

  • 光林寺・本堂(近景)<br /><br />本堂の上部には「方丈」の額があります。

    光林寺・本堂(近景)

    本堂の上部には「方丈」の額があります。

  • 光林寺・境内<br /><br />本堂から山門方向を捉えます。

    光林寺・境内

    本堂から山門方向を捉えます。

  • 光林寺・墓地への通路

    光林寺・墓地への通路

  • 光林寺・ヒュースケン墓所(遠景)<br /><br />ヒュースケンはカトリック教徒の為土葬が必要で、当寺は江戸府内(江戸町奉行所が管轄する江戸城周辺地域)は土葬は禁止されていましたがここ光林寺は府外はあったため土葬されることになります。

    光林寺・ヒュースケン墓所(遠景)

    ヒュースケンはカトリック教徒の為土葬が必要で、当寺は江戸府内(江戸町奉行所が管轄する江戸城周辺地域)は土葬は禁止されていましたがここ光林寺は府外はあったため土葬されることになります。

  • ヒュースケン墓石(近景)<br /><br />墓石には1812年1月20日アムステルダム生まれたヘンリー・ヒュースケンは1861年1月16日に江戸(YEDO)で死亡と刻されています。

    イチオシ

    ヒュースケン墓石(近景)

    墓石には1812年1月20日アムステルダム生まれたヘンリー・ヒュースケンは1861年1月16日に江戸(YEDO)で死亡と刻されています。

  • 通訳の伝吉墓(遠景)<br /><br />当寺院作製の見取図を参照に探すとこの墓になりますが・・・。

    通訳の伝吉墓(遠景)

    当寺院作製の見取図を参照に探すとこの墓になりますが・・・。

  • 通訳の伝吉墓石(近景)<br /><br />「禅了院傳翁良心居士」と刻されています。伝吉であるかどうか確信はありませんが・・・。<br /><br /><br />

    通訳の伝吉墓石(近景)

    「禅了院傳翁良心居士」と刻されています。伝吉であるかどうか確信はありませんが・・・。


  • 光林寺・宝篋印塔3基<br /><br />(説明がないので判りませんが、立派な宝篋印塔ですから大名レベルのものと思われます。)<br /><br />

    光林寺・宝篋印塔3基

    (説明がないので判りませんが、立派な宝篋印塔ですから大名レベルのものと思われます。)

  • 光林寺・歴代住職墓群

    光林寺・歴代住職墓群

  • 光林寺・境内<br /><br />境内の東側には桜の樹木があり、春の桜の花が楽しみです。

    光林寺・境内

    境内の東側には桜の樹木があり、春の桜の花が楽しみです。

  • 光林寺・客殿

    光林寺・客殿

  • (近隣散歩)広尾公園入口<br /><br />近くには旧都電広尾車庫で現在は公園となっています。

    (近隣散歩)広尾公園入口

    近くには旧都電広尾車庫で現在は公園となっています。

  • 広尾公園<br /><br />都電広尾車庫跡に造られた公園で、車庫跡なので細長い公園敷地となっています。

    広尾公園

    都電広尾車庫跡に造られた公園で、車庫跡なので細長い公園敷地となっています。

  • 都電車庫跡・説明板<br /><br />大正7年8月開設、昭和44年10月に廃止となり現在では荒川線(早稲田~三ノ輪橋)の一路線のみの運行となっています。<br /><br /><br />「 都電車庫跡         広尾五丁目七番<br /><br />このあたりは、都電の広尾電車営業所の跡で車庫があったところです。<br /><br />大正七年八月に開設され、昭和四十四年十月に廃止されました。<br /><br />民営の鉄道馬車に始まり明治四十四年に市営化した東京市電の「天現寺橋」駅があって、青山方面から古川沿いに走る路線が残り、また、恵比寿方面への始発点でもありました。さらに、大正十三年には玉川電気鉄道の路線が渋谷からこの「天現寺橋」まで開設しています。<br /><br />この玉川電気鉄道の広尾線(渋谷・天現寺橋間)及び中目黒線(渋谷橋・中目黒間)は昭和十三年東京市に買収され、昭和十八年には都政の施行により市電の呼び名は都電に変わりました。<br /><br />その後、都電は、交通渋滞の誘因ともなったことから次々に撤去され、現在荒川線(早稲田・箕ノ輪橋間)の一路線のみ運行されています。<br /><br />                          渋谷区教育委員会 」<br /><br />

    都電車庫跡・説明板

    大正7年8月開設、昭和44年10月に廃止となり現在では荒川線(早稲田~三ノ輪橋)の一路線のみの運行となっています。


    「 都電車庫跡         広尾五丁目七番

    このあたりは、都電の広尾電車営業所の跡で車庫があったところです。

    大正七年八月に開設され、昭和四十四年十月に廃止されました。

    民営の鉄道馬車に始まり明治四十四年に市営化した東京市電の「天現寺橋」駅があって、青山方面から古川沿いに走る路線が残り、また、恵比寿方面への始発点でもありました。さらに、大正十三年には玉川電気鉄道の路線が渋谷からこの「天現寺橋」まで開設しています。

    この玉川電気鉄道の広尾線(渋谷・天現寺橋間)及び中目黒線(渋谷橋・中目黒間)は昭和十三年東京市に買収され、昭和十八年には都政の施行により市電の呼び名は都電に変わりました。

    その後、都電は、交通渋滞の誘因ともなったことから次々に撤去され、現在荒川線(早稲田・箕ノ輪橋間)の一路線のみ運行されています。

                              渋谷区教育委員会 」

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