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JR渋谷駅東口から徒歩5分、首都高速3号とJR山手線に囲まれた金王八幡宮(こんのうはちまんぐう、東京都渋谷区渋谷)は嫡男重家(しげいえ)と共に従軍した「後三年の役」での戦功に対し八幡太郎義家より谷盛荘(現在の渋谷区周辺)の地を賜った渋谷氏の祖にあたる河崎基家(かわさき・もといえ)が寛治6年(1092)に開創したと伝えられています。<br /><br /><br />金王八幡宮HPによれば次の内容が記されています。<br /><br />「当八幡宮は、第73代堀河天皇の御代、寛治6年正月15日(1092)鎮座いたしました。<br />桓武天皇の曾孫である高望王の後裔で秩父別当武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八流の旗を賜り、その内の日月二流を秩父の妙見山に納め八幡宮と崇め奉りました。<br /><br />武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍300騎余を従え一番で参向し、仙北金沢の柵を攻略しました。<br /><br />その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は<br />この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請しました。<br /><br />重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城としました。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されています。<br /><br />渋谷氏が武蔵谷盛庄七郡(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り、宮益坂、道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。<br /><br />当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称していましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。」<br /><br /><br /><br /><br />渋谷氏の中で上述の重家、金王丸と共に重要な人物としては渋谷光重(しぶや・みつしげ)が挙げられます。<br /><br />光重は家重の孫にあたり父の重国(しげくに)から家督を引継ぎ、宝治元年(1247)の宝治合戦(三浦半島に勢力を有する幕府重鎮である三浦泰村(みうら・やすむら)と執権北条時頼(ほうじょう・ときより)との戦い)の恩賞として薩摩国北部4郡(高城郡・東郷別府・入来院・祁答院)を幕府より下賜されます。<br /><br />光重には6人の男子があり彼らへの分地については長男重直(しげなお)には渋谷氏本領の相模国渋谷荘を与え相模渋谷氏として存続、残る5人には恩賞地を分与します。<br /><br />即ち二男の実重に薩摩国東郷別府(後の東郷氏)を、三男の重保に祁答院(後の祁答院氏)を、四男の重茂に鶴田(後の鶴田氏)を、五男の定心に入来院(後の入来氏)そして六男の重定に高城(後の高城氏)をそれぞれ与えます。<br /><br />そして本貫地相続の長男重直を除く息子(子孫)たちは宝治2年(1248)分地された九州に下向し歴史を重ねて現地化し、相前後して薩摩に移住した島津氏との争う事になり、その内東郷氏は戦国時代になると島津氏の重臣として仕え、他の渋谷氏系の氏族も次第に島津氏の軍門に降ります。<br /><br />尚明治時代に海軍元帥となり日露戦争に於いてロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎は薩摩に渡った渋谷氏の子孫であることは周知のとおりです。<br />

武蔵渋谷 桓武平氏を祖とする秩父氏庶流の河崎基家が「後三年の役」戦功で下賜された谷盛荘の居館に開創したという『金王八幡宮』訪問

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2014/11/30 - 2014/11/30

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR渋谷駅東口から徒歩5分、首都高速3号とJR山手線に囲まれた金王八幡宮(こんのうはちまんぐう、東京都渋谷区渋谷)は嫡男重家(しげいえ)と共に従軍した「後三年の役」での戦功に対し八幡太郎義家より谷盛荘(現在の渋谷区周辺)の地を賜った渋谷氏の祖にあたる河崎基家(かわさき・もといえ)が寛治6年(1092)に開創したと伝えられています。


金王八幡宮HPによれば次の内容が記されています。

「当八幡宮は、第73代堀河天皇の御代、寛治6年正月15日(1092)鎮座いたしました。
桓武天皇の曾孫である高望王の後裔で秩父別当武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八流の旗を賜り、その内の日月二流を秩父の妙見山に納め八幡宮と崇め奉りました。

武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍300騎余を従え一番で参向し、仙北金沢の柵を攻略しました。

その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は
この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請しました。

重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城としました。渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されています。

渋谷氏が武蔵谷盛庄七郡(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領していたので、当八幡宮は八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り、宮益坂、道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。

当八幡宮は、古くは単に八幡宮又は渋谷八幡宮と称していましたが、渋谷金王丸の名声により、金王八幡宮と称されるようになりました。」




渋谷氏の中で上述の重家、金王丸と共に重要な人物としては渋谷光重(しぶや・みつしげ)が挙げられます。

光重は家重の孫にあたり父の重国(しげくに)から家督を引継ぎ、宝治元年(1247)の宝治合戦(三浦半島に勢力を有する幕府重鎮である三浦泰村(みうら・やすむら)と執権北条時頼(ほうじょう・ときより)との戦い)の恩賞として薩摩国北部4郡(高城郡・東郷別府・入来院・祁答院)を幕府より下賜されます。

光重には6人の男子があり彼らへの分地については長男重直(しげなお)には渋谷氏本領の相模国渋谷荘を与え相模渋谷氏として存続、残る5人には恩賞地を分与します。

即ち二男の実重に薩摩国東郷別府(後の東郷氏)を、三男の重保に祁答院(後の祁答院氏)を、四男の重茂に鶴田(後の鶴田氏)を、五男の定心に入来院(後の入来氏)そして六男の重定に高城(後の高城氏)をそれぞれ与えます。

そして本貫地相続の長男重直を除く息子(子孫)たちは宝治2年(1248)分地された九州に下向し歴史を重ねて現地化し、相前後して薩摩に移住した島津氏との争う事になり、その内東郷氏は戦国時代になると島津氏の重臣として仕え、他の渋谷氏系の氏族も次第に島津氏の軍門に降ります。

尚明治時代に海軍元帥となり日露戦争に於いてロシアのバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎は薩摩に渡った渋谷氏の子孫であることは周知のとおりです。

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル
  • 金王八幡宮・神門

    金王八幡宮・神門

  • 金王八幡宮・石標<br /><br />神門の脇には「金王八幡宮」と刻された石標が堂々と建っています。<br /><br />

    金王八幡宮・石標

    神門の脇には「金王八幡宮」と刻された石標が堂々と建っています。

  • 金王八幡宮・縁起

    金王八幡宮・縁起

  • 金王八幡宮・神門<br /><br />「金王八幡宮」と描かれた社額が掲載されています。

    金王八幡宮・神門

    「金王八幡宮」と描かれた社額が掲載されています。

  • 金王八幡宮・手水舎

    金王八幡宮・手水舎

  • 金王八幡宮・拝殿<br /><br />参道を一直線してその先は拝殿となっています。<br />現在の社殿は家光が三代将軍に決定した時、守役の青山忠俊が家光の乳母である春日局とともに慶長17年(1612)に寄進したと言われています。

    金王八幡宮・拝殿

    参道を一直線してその先は拝殿となっています。
    現在の社殿は家光が三代将軍に決定した時、守役の青山忠俊が家光の乳母である春日局とともに慶長17年(1612)に寄進したと言われています。

  • 金王八幡宮・拝殿上部<br /><br />「金王八幡宮」の扁社額が在ります。

    金王八幡宮・拝殿上部

    「金王八幡宮」の扁社額が在ります。

  • 金王八幡宮・境内<br /><br />拝殿から神門方向を捉えます。ゆとりある境内が視野に入ります。

    金王八幡宮・境内

    拝殿から神門方向を捉えます。ゆとりある境内が視野に入ります。

  • 金王八幡宮・神楽殿

    金王八幡宮・神楽殿

  • イベント説明<br /><br />神楽殿と共に当該神社の年間イベント等が掲載されています。

    イベント説明

    神楽殿と共に当該神社の年間イベント等が掲載されています。

  • 神楽殿説明板

    神楽殿説明板

  • 玉造稲荷社鳥居<br /><br />境内に玉造稲荷神社が祀られています。

    玉造稲荷社鳥居

    境内に玉造稲荷神社が祀られています。

  • 玉造稲荷神社説明板

    玉造稲荷神社説明板

  • 御嶽神社社殿

    御嶽神社社殿

  • 御嶽神社説明板

    御嶽神社説明板

  • 金王丸御影堂案内板

    金王丸御影堂案内板

  • 金王御影堂<br /><br />「御祭神 渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)祭礼日 3月最終土曜日金王桜まつり<br />由縁<br />金王丸は、渋谷重家夫妻が当八幡宮に授児祈願を続け、八幡神の霊夢(啓示)により、永治元年(1141)8月15日誕生しました。<br />金王丸17歳の時、源義朝に従い保元の乱に出陣。平治の乱ののち出家し、土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。<br />また頼朝とも親交が深く鎌倉幕府開幕にも尽力。義経追討の命を受け、文治元年(1185)10月23日夜、心ならずも義経の館に討ち入り勇ましい最期を遂げました。<br />頼朝は、金王丸の忠節を偲び、鎌倉の館よりこの地に桜樹を移植し「金王桜」となづけました。<br />この御影堂には、保元の乱出陣の折り、自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められ、更に金王丸が所持した「毒蛇長太刀」も保存されております。」<br />(金王八幡宮HP)<br /><br /><br /><br />

    金王御影堂

    「御祭神 渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)祭礼日 3月最終土曜日金王桜まつり
    由縁
    金王丸は、渋谷重家夫妻が当八幡宮に授児祈願を続け、八幡神の霊夢(啓示)により、永治元年(1141)8月15日誕生しました。
    金王丸17歳の時、源義朝に従い保元の乱に出陣。平治の乱ののち出家し、土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。
    また頼朝とも親交が深く鎌倉幕府開幕にも尽力。義経追討の命を受け、文治元年(1185)10月23日夜、心ならずも義経の館に討ち入り勇ましい最期を遂げました。
    頼朝は、金王丸の忠節を偲び、鎌倉の館よりこの地に桜樹を移植し「金王桜」となづけました。
    この御影堂には、保元の乱出陣の折り、自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められ、更に金王丸が所持した「毒蛇長太刀」も保存されております。」
    (金王八幡宮HP)



  • 金王丸御影堂説明板

    金王丸御影堂説明板

  • 扁額<br /><br />「金王丸御影堂」が掲示されています。

    扁額

    「金王丸御影堂」が掲示されています。

  • 御鎮座八百八十年事業記念碑

    御鎮座八百八十年事業記念碑

  • 金王八幡宮・境内

    金王八幡宮・境内

  • 金王八幡宮・芭蕉句碑<br /><br />金王桜の横には芭蕉の句碑「しばらくは 花のうえなる 月夜かな」が見えます。

    金王八幡宮・芭蕉句碑

    金王桜の横には芭蕉の句碑「しばらくは 花のうえなる 月夜かな」が見えます。

  • 金王八幡宮・金王桜<br /><br />「金王神社社記」によれば源頼朝の父である義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節をしのび、頼朝が金王丸の名を後世に残そうとして鎌倉亀ケ谷の館から金王丸ゆかりの地に移植したものとされます。<br /><br /><br />

    金王八幡宮・金王桜

    「金王神社社記」によれば源頼朝の父である義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節をしのび、頼朝が金王丸の名を後世に残そうとして鎌倉亀ケ谷の館から金王丸ゆかりの地に移植したものとされます。


  • 金王桜説明板

    金王桜説明板

  • 境内景色

    境内景色

  • 澁谷城砦の石<br /><br />「このあたり一帯の高台は平安時代末期から澁谷一族の居館跡で、東に鎌倉街道(現八幡街道)、西に澁谷川の流れ、北東には低い谷地形(黒鍬谷)があって館を囲んでいるがかつては数か所に湧水が在るという好条件を備えていました。<br /><br />しかしその館いわゆる澁谷城は大永4年(1524)北条氏と上杉氏の合戦のとき、澁谷氏の高輪原で北条氏と交戦中、北条氏の一軍により焼き払われてしまいました。」  (説明板より)

    イチオシ

    澁谷城砦の石

    「このあたり一帯の高台は平安時代末期から澁谷一族の居館跡で、東に鎌倉街道(現八幡街道)、西に澁谷川の流れ、北東には低い谷地形(黒鍬谷)があって館を囲んでいるがかつては数か所に湧水が在るという好条件を備えていました。

    しかしその館いわゆる澁谷城は大永4年(1524)北条氏と上杉氏の合戦のとき、澁谷氏の高輪原で北条氏と交戦中、北条氏の一軍により焼き払われてしまいました。」  (説明板より)

  • 金剛八幡宮・本殿

    金剛八幡宮・本殿

  • 金王八幡宮由緒

    金王八幡宮由緒

  • 金剛八幡宮・鳥居

    金剛八幡宮・鳥居

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