2014/06/22 - 2014/06/22
30位(同エリア41件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 168,847アクセス
- フォロワー41人
個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
昨晩はフランス全土で「音楽の日」でした。大音響で歌ったり、踊ったり、そして飲んで、飲んで、飲んで・・・という楽しいお遊びがお開きになったのが深夜1時過ぎ。あくる朝、ぐっすり眠れたのは良いのですが、おお〜いけねえ! 寝過ごしたぁ! 今日は、ロカマドールへのタクシーを予約していたのでした。
ロカマドールの手前にあるオスピタレという集落までは、ほんの4.2km位。初めは歩くつもりだったですが、行きを歩くと帰りも歩かなければならない・・・となると、炎天下を1時間歩くことになる・・・と思い、楽な方法を選んでしまいました。
約束の時間まであと1時間もない! その間に、シャワー浴びて、朝ご飯食べて、荷物整理して、間に合うか?!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
日曜日の朝なので、ゆっくりと落ち着いて朝の食事を摂りたかったのですが、時間がない〜! 大慌てで食べ散らかしてしまったので、パンくずだらけの写真はオミット。Hotel des Voyageursの食堂の雰囲気はなかなか良かったですよ。
約束の時間に、女性ドライヴァーが迎えに来てくれて、タクシーで宿から走ることほんの数分。 -
そして、ドライヴァーにロカマドールの手前、「オスピタレで降ろして!」 と声をかけ、タクシーから降りた途端、この景色が目の前に現れたのでした。
まだ、心の準備をしていなかったのに、いきなり、クライマックスから舞台を見たような気分です。おお〜ロカマドール! あなたはなぜ、ロカマドールなの? -
やはり、歩いてくるんだったとこの時後悔しました。巡礼地に車で乗り付けて、「はい、着きました!」と言うのはやってはいけない気がします。だから、サンティアゴ・デ・コンポステーラもまだ暫くは行かないつもりなのに、やらかしてしまいました。掟を破ったような気分です。
それにしても、なんという景色でしょう。この景色を見ただけで、訪問目的の半分以上を果たすことができた気がしました。 -
パワースポットとして約束された土地、ロカマドールはアルズー L'alzou川が削った渓谷の中にあります。切り立った崖の上には司教の城がそびえ、谷底には民家がほぼ一直線に並んでいます。そして中腹には、聖域の聖堂と礼拝堂等の建物群が、石灰岩の崖にへばりつくように建っているのが見て取れます。
思わず息を呑む、不思議なほどパワーに満ちていながら、同時に安らぎと調和を感じる風景です。 -
ここはオスピタレ村の展望台。十分にこの景色を目に焼き付けてから、まずはオスピタレ村を徘徊することにしました。
-
メインストリート沿いには、数軒のみやげ物店、レストランなどが並んでいます。
-
メインストリートから一歩横丁に入ると、崩れ落ちた遺跡のような建物の一部がありました。その向こうには、小さな教会の尖塔が顔を覗かせています。
-
高い塀が続いていたので、手を伸ばして撮った写真がこれ! 中は墓地でした。
-
観光案内所がありそうなので、寄っていきましょう。
-
トゥルッリに似た石で出来たこの可愛らしい建物が観光案内所ですが、今日は日曜日。残念ながら閉まっていました。
正式には、この石の小屋は土地の言葉でGariotteと言うそうです。
石灰岩質のロット渓谷地方の農民の歴史は、石との戦いでした。土地を耕そうとすると、必ず出てくる石、石、石。2世紀の間耕し続けても、石がなくなることがないほど、石っころだらけ。農民は、作業の傍ら、石を積み上げ、せっせと土地の境界線の塀を築き上げてきました。そして、時には、畑の隅に、急な嵐やあられ、雹、雪、雷等の襲来の際に避難出来る小屋をつくったのです。基盤は円形で、小屋のてっぺんには円錐形をした屋根飾りがついています。この避難小屋がGariotte。
こんな立派なGariotteを見たのは初めてですが、畑や民家の隅に残っている素朴なGariotteを探して歩くのは、うんと楽しいでしょうね。 -
古い石垣にあった十字架には、「巡礼の道の出発点 オスピタレ」と書かれていました。その名のとおり、オスピタレとは、病院と言う意味。11世紀にここに開かれた、巡礼者のための聖ジャン・バプティスト(洗礼者ヨハネ)施療院がその由来とされています。
-
聖ジャン施療院は、1095年にカステルノーのDame Helenという女性によって開かれました。ある日、彼女を含む一行はアルズー渓谷の谷底で、馬もろとも泥沼に足をとられ、動けなくなりました。彼女は、もしここから這い上がることが出来たなら、一生を貧しい人々と巡礼者のために身を捧げようと一心に祈りました。そして、その甲斐はありました。
こうして開かれた小さな病院は、その後多くの巡礼者の命を救うことになります。病院は13世紀、14世紀に再建された記録がありますが、いつまで使用されていたかはわかっていません。 -
聖ジャン(洗礼者ヨハネ)施療院からみた礼拝堂です。屋根のぎざぎざ模様が美しい!
-
この礼拝堂はロマネスク様式。15世紀に再建された後も、何度か改修されてきたそうです。
-
内部はとてもシンプルな1廊式。祭壇には新しい生花が供えられていました。
-
教会のとなりに建つ民家は、田舎の家らしく、大きな物置付きです。玄関に続く階段の上にある「L'HOPITAL」の看板が素敵!
-
さあ、そろそろ、ロカマドールに参りましょうか。あまりに素晴らしい眺めなので、ついつい、何枚も同じような構図で撮ってしまいます。
-
見えてきたのが、オスピタレの村の門ロピタル門 Porte de L'Hopital。オスピタレとロカマドールの崖の上、つまり旧司教館の城がある辺りは、同じくらいの標高なので、谷底の町の入口へは、かなりの下り坂が続きます。ここからまっすぐ尾根伝いにお城に行ったほうが楽そうですが、やはり、ここは順番どおり進むことにしましょう。
-
ロピタル門は13世紀の建造です。ゆっくり歩かないと、走りだしたら止まらないくらいの坂が続きます。
-
日曜日の午前中ですが、意外に人が少なくて嬉しいです。
-
ところどころ展望が開けると、迷わず撮ってしまいます。刻一刻と変わる景色を楽しみながら、坂を降りて行きます。
-
途中の草むらに黒猫のキキがのんびり日向ぼっこをしていました。お早う!
-
それにしても、ロカマドールまで直接タクシーで乗り付けないで、最後の2kmを歩けたのは貴重でした。
-
自動車道路と出逢う地点にも、古い十字架が立っていました。オスピタレから下るこの道には「聖なる道」voie sainteという名前がついています。
-
ロカマドールの標示板を通り過ぎると・・・
-
古の聖地が目の前にくっきりと現れました。
-
ロカマドールは、フランスでも、モン・サン・ミッシェルに次ぐ聖地として、12世紀頃から多くの巡礼者を集めています。
イギリスのヘンリー2世、イングランドの貴族で、イングランドの議会制度の基礎を作り上げたシモン・ド・モンフォール、フランス王ルイ8世の王妃で、フランスの政治に長年影響を及ぼしたカスティーリャのブランシュ、フランスのルイ9世、ドミニコ会の創設者聖ドミニク、セント・バーナード犬で知られる聖バーナードなど、多くの著名人がここを訪れ、黒い聖母子像をあがめ、聖アマドールの墓に跪いたことでも知られています。 -
そうこうするうちに、ロカマドールの町の入口の門に到着しました。ホテルとレストランの車以外は車両通行止め。一般の人は、谷底にある駐車場に車を止め、奥にチラッと見える汽車タイプの電気自動車に乗って、ここまでやってきます。
この小さな門は、フィギエ門 Porte du Figuier。イチジクと言う意味です。 -
町の中に入りました。右側は、先ほど町の外に別館があったホテル 黄金のライオンLion d'or。白い、向かい合ったライオンの彫像が目印です。
-
この辺りは、どこの観光地でも見られる光景。土産物店が軒を連ねています。
-
先ほどから続く青と白の旗は、ロカマドールの旗でしょうか?
-
ソーセージはケルシーの特産品。ロカマドールでも色々と売っていました。
ソーセージといっても、ボルチーニきのこ入り、くるみ入り、ガチョウとアルマニャック入り、あひる入り、トリュフ入り、サングリア-ジュニパー入り、ヤギのチーズ入りと食べたことのない味ばかり! -
町のほぼ真ん中あたりにあった山中、山頂を結ぶエレベーターの入口です。結局一度も乗りませんでした。
-
早くも次の門にたどり着きました。Porte Salmon 鮭の門でしょうか?今のところ、この町の門は食べ物ばかりですね・・・
14世紀から15世紀にかけて、町はいくつかのセクションに分けて要塞化されたようです。 -
7月5日、6日に行われる、中性のロカマドールという催しのポスターが貼ってありました。どれどれ・・・・中世の晩餐会も行われるんですって。
-
見上げると、こんな風景が広がっていました。
ロカマドールが世に知られるようになったのは、1166年、ここで、状態の良い聖アマドールと思われる遺体が発見されたことによります。Roca=岩のシェルターとアマドールAmadourの名前が合わさって、ロカマドールとなったと言われています。たまに、Roc-Amadourと書かれている場合もあります。
聖アマドールと言う方は、隠遁の聖人で、ゴルゴダの丘でキリストの汗をぬぐったという聖ヴェロニカのご主人。有名な黒い聖母子像は、アマドール本人の作とされています。ことの真偽はともかく、それが元で、ロカマドールは一大巡礼地となったわけです。 -
更に進むと、また現れたのは、ウゴン門Porte Hugon。意味は調べたけれど、わかりませんでした。今度は食べ物ではないかも・・・
-
この門の先は、もう町外れのようです。大きな変わった屋根が特徴的な、今はレストランになっている家がありました。
-
レストランの先の民家も個性派揃い。屋根のカーヴが独特で、一軒ずつ煙突の形が異なっていて、楽しいですね。
-
ここまで来ると、店舗はなくなり、一般の民家が並んでいます。観光客もこの辺りまで足を伸ばす人は多くはいません。奥に見える小さな門がクスタル門porte du fond du Coustalou 。
-
クスタル門を外から見た1枚です。イチジク門を入ってわずか2、3百メートルで町が終わってしまいました。
-
谷を挟んで、反対側の崖の中ほどに、ガリオットGariotteが一つありました。よく見ると、小屋に通じる道もあるみたいです。
-
葡萄がもう可愛い実をつけ始めています。葡萄の緑が石壁によく映えますね。
-
クスタル門から聖域への大階段Au pie du Grand Escalierがある場所まで戻ってきました。
-
216段の大階段が待ち受けていました。聖域への最後のステージです。巡礼者たちは、時にこの階段をひざで一段ごとに祈りながら上り下りしたのだそうです。
私は楽な方法で上らせて貰いました。上ることの出来る幸せを噛み締めながら・・・ -
眼下の町が段々と小さくなっていきます。
-
あら! 私の後には誰もいません。大階段はつかの間ですが、静まり返っていました。
-
無事聖域Sanctuairesに到着です。
1166年の聖アマドールの遺骸発見以来、沢山の巡礼者たちがここにやってきました。聖アマドールへの献身が生まれ、黒い聖母子への崇拝が後に追加されました。1172年以来、黒い聖母子による126の「奇跡」が記録されています。巡礼は大成功を収め、町は発展を続けました。
13世紀の終わり頃に、ロカマドールは完成のピークを迎えました。外敵に備え、谷底の町は要塞化され、城壁が張り巡らされ、崖の上の城には3つの塔が建てられ、堀と多くの見張り台が整備されました。 -
しかし、14世紀に入ると、気候の冷却、飢饉、ペストの流行がヨーロッパを次々と襲いました。15世紀に入ると、人的、経済的資源が底をついてきました。山崩れにより、岩がノートルダム礼拝堂を押しつぶした際にも、再建には長い時間がかかりました。更に、その後の宗教戦争は、多くの建物と遺物の破壊を招きました。12世紀以来の彫像や絵画、鐘、装飾品や宝石、その他神の崇拝のために必要だったものはすべて略奪されたと言います。
そしてフランス革命。これもまた多くの略奪を生んだとされています。社会は変わり、巡礼そのものが人々から忘れ去られていったのです。 -
ロカマドールが元の姿を取り戻すためには、更に長い年月がかかりました。19世紀半ば、カオール司教バルドウMonsignor Jean-Jacques Bardouと大修道院長シュヴァルJean-Baptiste Chevaltの二人が中心となって、ロカマドールの再建がようやく進み始めたのです。
工事は、岩盤の補強工事、資材を吊り上げるための手段、搬入方法、人的確保など、多方面に渡る様々な困難を乗り越え、1872年に概ね完成をみたのでした。
それでわかりました。聖域の全ての建物が新しいのはそのためなのだということが。 -
聖なる門 La porte saintは、村から上ってきて、黒い聖母子像に会うための最後の関門です。
門のそばの案内板には、キリストの次のような言葉が書かれていました。
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。わたしが来たのは、彼らが命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」ヨハネによる福音書10章9〜10節 -
ようやくたどり着いたのが、真ん中に井戸があるこの中庭です。
-
最初に訪れたのは、洗礼者ヨハネの礼拝堂。中央に洗礼者ヨハネの彫像、壁には、初期の巡礼者、左からカステーリャのブランシェ、フランス王ルイ9世(ブランシェの息子)、フランス王シャルル・ル・ベル(フィリップ4世)の絵が飾られていました。
-
高いところからマリア様が見守っています。
-
壁一面に張られた、感謝や認識と書かれた石板は、巡礼者がここを訪れた証。1900年以降のものが多いですね。
-
建物がたくさんあって、どう廻ったらよいかわからなくなりそう。黒いマリア様はどこにいらっしゃるのでしょう?
-
このトンネルを抜けると、十字架の道とエレベータ乗り場に行くようです
-
岩壁の割れ目に鎖に繋がれた剣が刺さっています。これはフランスの叙事詩「ローランの歌」に出てくるヒーロー、ローランが持つ愛剣「聖剣デュランダル」だと伝えられています。ローランがロカマドールにやって来たとされるのは8世紀のことだそうで、話としては、良く出来ていますね。
-
デュランダルの剣のある岩から左に目を向けると、聖ミカエル礼拝堂の壁に、フレスコ画が残っていました。左側の絵は受胎告知のようです。
壁画の下には、モディヨンと呼ばれる顔像が、7つ並んでいました。その下にも、消えかかった壁画があるのがわかります。絵の左半分は崩れてしまったのか、補修されています。 -
とうとうノートルダム礼拝堂に入ることができましたが、折りしもミサの最中。今日は日曜日でしたね。あの、小さな像が、祈った者が数々の奇跡を体験したということで大変な信仰を集めた黒い聖母子でしょうか?
はっきりと確認もできないまま、また後で来ようと思い、出て来てしまいました。
結果的には、このぼけた写真が最初で最後となりました。黒い聖母子とは、余りにも短い逢瀬となりました。 -
こちらが、1166年に聖アマドールの遺骸がみつかったとされる洞穴です。今は何もない、ただの岩のくぼみです。
-
ノートルダム礼拝堂を出て、右手に岩を見ながら進むと、聖ルイ礼拝堂がありました。
-
岩の隙間に作られた小さな礼拝堂です。驚くほど何もありません。
-
テラスから見下ろすと、先ほど歩いた聖なる門の入口が真下に見えました。
-
オーバーハングした岩の下にある聖ミカエル礼拝堂や聖なる門がある建物、その奥にマリア様の彫像やノートルダム礼拝堂の屋根などが見えて、ここからの眺めはばっちりです。
-
階段の上に上って、更にもう1枚。
-
胸の前で大きく腕を組んで立っているマリア様がとても愛おしく感じました。人々を幸せに出来るのであれば、勿論、宗教はあったほうが良いのだけれど・・・
-
聖ルイ礼拝堂から戻る途中、丸い塔のある建物の中にショップがあるのを見つけました。そこで、何枚かの絵葉書を購入しました。
-
ミサが続いているので、サン・ソヴール大聖堂には入らずじまいですが、先を急ぎましょう。こちらはノートルダム礼拝堂にあるトンネルを抜けた辺りです。
-
ここに、エレベーターの中腹の駅がありました。大階段を歩かずとも聖域にやって来れる様になったのは、年配者や障害のある方にとってはありがたいことです。
幸いなことにまだ歩けることを感謝して、今度は、崖のてっぺん目指して、「十字架の道」を上っていきます。長くなりましたので、この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その50 ロカマドール(2)で。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
70