2014/06/21 - 2014/06/21
9位(同エリア16件中)
junemayさん
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個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
フランス南西部の町フィジャックで、1週間ぶりの気ままな一人歩きを楽しんでいます。今この町は長いシエスタ・タイムをとっているようで、入館したかったシャンポリオン博物館も閉館中。14:00から再開ということなので、もう少し町を見てから入ることにしましょう。今まで旧市街の南と東を廻ったので、これから北と西をうろつこうと思っています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フィジャックの旧市街カルノ広場の裏通りを歩きます。右側には、伝統的なアーチのある商店が軒を連ねています。
左側には、これまた古い、出っ張った2階以上を支える柱が危なっかしげな特徴のある建物が並んでいますね。 -
この鍵の指し示す方向に、エクリチュール広場Place des Ecrituresとシャンポリオン博物館があるようです。でも今はお昼休みで閉館中なので、他を廻ってからまた後でまた来ることにしましょう。
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シャンポリオン広場で見かけたメゾン・メディエヴァレMaison Medievale。この威風堂々とした14世紀半ばの建物のファサードは、フィジャックでも最も壮大なものに数えられます。日本式に言う2階の窓が一つだけ形が違っているのが面白いなあ。3階の大きな窓は、富と権力を誇示するような、凝った彫刻で飾られています。最上階は伝統的なSolelhoと呼ばれるロッジアです。
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住宅街で、こんな可愛い看板発見です!
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どう考えても、レストランの看板のように思えるのだけれど、辺りにはそれらしいお店が見つかりません??? おままごとの道具みたいな、謎の看板でした。
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こちらは、口コミでの評判が良い、王のヴィギエールの城Cheateau du Viguier du Royという4つ星ホテルの装飾のある窓です。このホテルは、3つの建物から成っています。エミール・ゾラ通りに面した12世紀と13世紀の建物と、狭いデルザン通りに面した14世紀の塔のある建物です。
ヴィギエールというのは、1302年以降フランス王が直接臣民を治めるようになってから置かれた王の地方出先機関のようなもの(王政になるまでは、司教が町を統治していました)。貴族の中では比較的身分の低い者から選ばれたようで、15世紀にはその地位が売買の対象となったりして、16世紀の終わりにはほぼ機能しなくなったようです。
この建物は、ヴィギエールのいわばオフィスとして利用されてきました。長い間放置され、1990年には殆んど朽ちかかった状態でしたが、ホテルとして見事に蘇りました。 -
狭いデルザン通りに廻ると、14世紀の塔が見えてきました。文字通り、ロイヤルタワーとして、監視、物見に使用されたとのことです。
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デルザン通りの狭くて細い道を更に上っていくと、ノートル・ダム・デュ・プイ教会Notre-Dame-du-puyがひょっこり顔を出しました。
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少し坂を上っただけでも、町の印象は随分変わりますね。緑豊かな小高い丘がすり鉢の底のようなフィジャックの旧市街を包み込んでいました。
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あら〜! 先ほど見たばかりのヴィギエールの塔は、路地から見た時には細い丸い塔だけと思っていましたが、大きな方形の塔がくっついていたのですね。
ヴィギエールの塔の先には、午前中に行ったサン・セヴール教会の尖塔も見えています。 -
よく見ると、物見の塔は、他にも街中にいくつかあるようです。通りが狭いフィジャックの町。近くから見上げても、塔は死角に入ってしまうのですね。
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フィジャックの町がプロテスタントに支配されていた時代(1576年〜1622年)には、要塞として使われたという歴史を持つノートル・ダム・ドュ・プイ教会です。17世紀には、カトリックの宗教改革の影響により、大幅に改修されました。
残念ながら、この教会もシエスタ中。見ることは出来ませんでしたが、クルミ材の中央祭壇に聖母マリアに捧げられた祭壇画が描かれたのもその頃だそうです。
無骨な、中世の面影を残した教会といった雰囲気ですが、シンメトリーを壊している左側の円錐形の塔がわずかに個性を発揮していると感じました。 -
ノートル・ダム・ドュ・プイ教会からは、ジグザグになった細いサン・ジャック通りをゆっくり下っていきます。
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通りには人っ子一人歩いていません。とても静かな暑い午後です。
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入口が極端に狭いマルヴィル通りをいくと、右手に見えてくるHotel de Laporte。道は、この家の美しい渡り廊下の下をくぐります。
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今度は階段を下ります。階段にも勿論、サン・トーマス通りという名前がついています。
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町のどこに行っても、手入れがきちんと行き届いていて、町並みが完璧に保たれていることには驚きました。建物は一つとして同じデザインがないので、退屈するひまはありません。
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目の前に現れたのは、またしても超可愛い!渡り廊下です。
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表から見ると、こんな感じです。右の建物は、クラシカルには建てられていますが、新しいもののように感じます。左が母屋でしょうか?親鳥にくっついた雛鳥と言うイメージです。
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これまた、楽しい建物ですね。大幅に傾斜のある土地に建てられていて、何度となく改修された歴史を壁が教えてくれているようです。窓の形、位置が一つとして同じものがなく、揃っていないのもご愛嬌。
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鍵のマークを追いかけて、町を歩いて参りましたが、そろそろ終点かな?
シエスタタイムも終わったようなので、フィジャックが生んだ言語の天才、古代エジプト文字「ヒエログリフ」の解読に成功したジャン・フランソワ・シャンポリオンの博物館を訪ねるとしましょう。 -
道端のペチュニアに目をやると、あれ?なんだかおかしい??
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なんと! 黒いペチュニアでした。黒いペチュニアって以前からありましたか?
少なくとも私は初めて見ました。ベルベットのように艶があり、上品な黒で、思わず目を見張りました。とても美しかったです。 -
町の中心に戻ってきたので、まず、シャンポリオン先生縁のエクリチュール広場La place des Écrituresに参りましょう。先ほど後回しにした路地を入っていくと、右手に、とても小さな広場がありました。
黒い床には何やらびっしりと、文字が刻まれています。 -
どこかで見たと思ったら、大英博物館で最初に見たロゼッタ・ストーンの巨大レプリカでした。
ロゼッタ・ストーンは、誰もがご存知のエジプトはロゼッタで1799年に発見された石碑です。この石碑には、3種類の文字、エジプトのヒエログリフ、エジプトのデモティック、ギリシャ文字 がびっしりと刻まれていました。シャンポリオンは、1822年にこのロゼッタ・ストーンのヒエログリフを初めて解読した人として知られています。 -
石の一番下の部分にはギリシャ文字が、刻まれています。当時の学者達は、細かい文法を考慮しなければ、3種類の文字で刻まれた文章は同一であるとの仮定に立ち、解読を進めていきました。
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古代エジプトでは、3種類の文字が使われていたとされています。石に刻むためのヒエログリフ、書き言葉であるヒエラティック、そして、ヒエラティックを略字化したデモティックの3種類です。
ロゼッタ・ストーンの一番上には写真のヒエログリフが、そして、真ん中にはデモティックが刻まれていました。どちらも紀元4世紀以降は使われなくなり、読むことが出来なくなっていました。 -
広場の横にあったのがこの建物。そして手前に博物館の入口らしきものがあったので、覗いてみましたが、まだ閉まっているようでした。そこがてっきりシャンポリオン博物館だと思いこんでいた私は、もう2時をとっくに過ぎたのにまだ休館中なのかな?もう少したってから、戻ってこようと、エリクチュール広場の上にある小さな庭に向かいました。
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誰もいないお庭は、とても静かで、一息入れるには理想的な場所でした。私のために用意されたようなベンチが、私の到着を待っていてくれました。
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ここで、町をうろついていた際に購入したキッシュをおやつに食べました。美味しそうでしょ?!
下の広場に戻って、相変わらず休館している建物の傍で待っていた私。暫くしてやって来た観光客が、シャンポリオン博物館ならあっちだよ!と言って案内してくれた場所は、広場から1分ほど歩いた全く違った建物でした!
ありゃりゃ・・・思い込みが激しいんですかねえ。 -
どうにか無事に、シャンポリオン博物館に入場できました。
ジャン・フランソワ・シャンポリオンは1790年にフィジャックで書店を経営する両親の元に生まれ、幼くして非凡な語学の才を発揮しました。20歳までに ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、アムハラ語、サンスクリット語、アヴェスタ語、パフラヴィー語、アラビア語、シリア語、ペルシア語、中国語などを習得していたといわれていますので、驚きです。彼は発見されたばかりのロゼッタ・ストーンの解読に精を尽くし、1822年にヒエログリフの解読結果をパリ学士院で発表しました。
シャンポリオン博物館は、彼の生家を買い取ったフィジャック市により、1986年に開館しました。建物は新しいものですが、最上階にはフィジャックらしいSolelhoがあり、全部で8つの展示ルームから成っています。 -
1階はシャンポリオンと関係が最も深かったエジプトがテーマ。2階は、人類の文字との出会い、そして、エジプト、メソポタミアから中国、メキシコに至る紀元前4000年から1000年頃の文字の発生(ヒエログリフ、楔形文字、漢字、マヤ文字)がメインとなっています。3階には様々な古代文明、神話等に見られる文字のコレクション。この中にはマヤのものとか、漢字の象形文字の起源についての展示も見られました。
写真はマヤ文字の石碑です。 -
このほか、地中海沿岸におけるアルファベットの発明や、本に見られる人間の記憶、政府と市民における書物、といったテーマごとに展示室が並んでいました。
アルファベットが今の形となるまで、長い変遷の歴史があったことを再認識いたしました。 -
エジプトのミイラや、世界各地の石碑など、展示物を見るだけでも結構楽しかったです。
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日本語もありましたよ。ただ、解説がフランス語なので、さっぱりです。
欧米人向け?に、漢字の書き方が学べる機械があり、示されたとおりの書き順を指でなぞって漢字を書くと点数が表示されるものがあったので、挑戦しました。
私10点、次のフランス人3点・・・・優越感を感じましたけれど、当ったり前かぁ・・・・ -
列車の時間にはまだ少し早かったので、もう一度、坂を上って、フィジャックの町を見下ろします。広すぎず、狭すぎず、町歩きには最適な町でした。
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朝渡ったガンベッタ橋を再度渡ります。よりによって、朝と同じ方向を写していますね。
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居心地の良いフィジャック駅に戻ってきました。女性駅員さんにお礼を言って、荷物を受け取ります。なかなか立派な駅舎ですね。
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ローデスRodezからフィジャックを通って、ブリーヴ・ラ・ガイヤルド Brive-la-Gaillardeに至る路線は、1日にせいぜい5、6本しか運行していません。
明日は、ロカマドールの観光後、ブリーヴを経由してカオールに帰ろうと思い、駅員さんに尋ねてみたところ、「明日はストライキの予定だから、ブリーヴに行っても、その後カオールに行けないかも」との話。ストはセクションが決まっているので、フィジャック経由は大丈夫とのこと。
なるべくなら同じ経路は使いたくないのですが、フランス国鉄のストライキ恐るべし。以前ひどい目に会っているので、ここはおとなしく駅員さんの忠告に従うことにして、帰りのフィジャック経由の切符を購入しました。 -
17時41分発ブリーヴ行きはたった1両のみの列車でした。フィジャックから乗ったのは、荷物を抱えたおじさんと自転車のお兄ちゃんと私のみ。
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中もガラガラでした。これじゃあ、運行本数が少ないのもうなづけます。地方の赤字路線なのでしょうね。
ひまなせいか、女性の車掌さんは、止まる駅のアナウンス時以外は、車内の別の乗客とずっとおしゃべりしていました。 -
30分ほどでロカマドール・パディラック駅に到着です。
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着いたぞ〜!
無人駅のようで、降りた客も私一人。少々心細いです。 -
ロカマドール駅前です。今晩の宿は、本当に駅前のHotel des Voyageursです。
対応してくれた宿の女主人Ingridは、流暢な英語を話してくれたので安心しました。なんと宿のオーナー夫婦はオランダ人。二人合わせて6ヶ国語に堪能だということです。全く、オランダ人ときたら、平気で皆4ヶ国語は話しますからね。シャンポリオンはオランダ人だったのでは? なんて一瞬思いました。
フィジャックの案内所で、明日のロカマドールへのタクシーは手配済みなのですが、Ingridも、「これから行きたいのであれば、私が運転するわよ。」と言ってくれました。行きたいのは山々ですが、そうなると、明日することがなくなってしまうので、丁重にお断り。あまり愛想のある人ではありませんが、大変親切でした。 -
部屋はこざっぱりした広めの部屋。1晩だけの宿ですから、十分です。今夜は音楽の日だから、少し煩いかも とIngridが心配してくれましたが、大丈夫、音楽は大好きだから一緒に楽しみますよ。
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テレビもシャワーも問題なし。歩きつかれたのか、少しうとうとしてしまいました。
音楽の日の祭典が始まったのは、午後10時過ぎ。ヨーロッパではショーが始まる時刻は決まって10時過ぎですねえ。
さすがにロカマドールの田舎では、ライヴではありませんでしたが、こんなに沢山の人間がこの村にいたんだと思うほど、人々が集まってきていて、踊る、飲む、しゃべるで大賑わいでした。シャイな私はその中には入っていけなかったなあ・・・飲めないし・・・踊れないし・・・絶望的。音楽は十分楽しめるものでしたよ。懐かしい、誰でも知っている曲が沢山かかりました。
大音響の音楽が鳴り止んだのは、深夜1時近く。こうして、夏至の日のイヴェントは賑やかにその幕を閉じたのでした。
この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その49 ロカマドール(1)で。
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