2014/11/23 - 2014/11/23
185位(同エリア994件中)
k.sさん
この日曜日、大和三山回遊コース(14キロ)を踏破!
橿原神宮前駅からスタートし、橿原神宮に参拝。つつがなく大和三山を完歩できるように祈ったうえで、畝傍山に登った。先週金曜日の早めの忘年会での食べすぎで、体調は良くないのだが、足の方は、問題なかった。畝傍山を下り、神武天皇陵、畝傍御陵前駅まで来ると、後のコースの道程は、一部経験済みなので、気分的に楽になった。本薬師寺跡を左手に見て、真っ直ぐに(東に)進むと香久山だ。香久山から藤原宮の大極殿跡へ、大極殿跡からその真北に位置する耳成山へと向かった。
朝の10時頃に歩き始め、耳成山を下りたのが、3時半。昼食休憩は30分程だったので、5時間歩き続けた計算になる。心地よい疲労が溜まっている。
何故今回、大和三山を登ろうと思ったのか?それは、万葉歌−舒明天皇の国見の時の歌を紹介しよう、と思ったからだ。
その万葉歌は、国見の時、香久山に登り、大和の国を褒めたたえたものだが、それに相応しい写真は、国原を俯瞰したもの以外にないと思った。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
橿原神宮前駅
ここからスタート。
今回のコースは、近鉄が発行している”てくてく まつぷ”大和三山回遊コースに従った。イラストを丁寧に使って、かなり詳しく書かれているので、それ程迷うことはなかった。優れものだ。無料というのもいい。 -
橿原神宮
駅を背にし、参道風景を撮る。 -
橿原神宮 鳥居
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橿原神宮 南神門
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橿原神宮 本殿
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畝傍山 登山口の案内板
本殿から北に向かって歩くと、直ぐにこの案内板があった。 -
畝傍山 登山口の案内板
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畝傍山の登山道
写真よりもっと暗い道だった。 -
畝傍山の登山道
道幅が狭くなったところも多く、足元を見て歩いた方がよい。 -
畝傍山の山頂
畝傍山は、標高199mで、大和三山の中では一番高い山。写真は、山頂から西北を望んだもの。横に白く走っている道路は、南阪奈道路で、葛城山系の麓近くで大きく右に曲がり、奈良と大阪方面を繋ぐ。 -
畝傍山の山頂
山頂から西南を望んだ写真。山の彼方は、和歌山県だ。 -
畝傍山の山頂
北を見ると、建物がひしめき合っている。恐らく近鉄八木駅が見えると思うのだが、不甲斐ない、確認できなかった。 -
畝傍山の山頂
北東部の風景。耳成山が見えている。 -
畝傍山の山頂
畝傍山から東を望むと、香久山が見える。
今回紹介する、舒明天皇の国見の時の歌は、国見の時、香久山に登り、大和の国を褒めたたえたもの。国見をするのは、春農民が種を撒く前に行われるので、冬に向かおうとする今の風景では、相応しくない。春、レンゲの咲き乱れている風景が似つかわしい。
堅苦しく考えると、何もできなくなる。いつもの"まあ、いいか”が出てしまった。 -
畝傍山の山頂
二上山も見える。方角は、西北。 -
畝傍山
畝傍山を訪れる人は結構いる。大和三山では群を抜いている。慌てず、騒がず、ゆっくりと付いて行く。 -
畝傍山口神社
来た道を戻るのは面白くないので、畝傍山を中心に、その麓を時計回りにし、神武天皇陵、畝傍御陵前駅を目指す。 -
畝傍山口神社
二上山が望めたので、思わず写真を一枚。 -
畝傍山から神武天皇陵、畝傍御陵前駅までの途中
川は、高取川。桜の季節に訪れたら、さぞ綺麗だろう。 -
畝傍山から神武天皇陵、畝傍御陵前駅までの途中
大師堂。迷いそうになったが、この建物で助かる。 -
畝傍山から神武天皇陵、畝傍御陵前駅までの途中
入り口は、薄暗く”痴漢に注意”の立て札もあり、日中でも好んで選びたくない道。一人も出会うこともなく、突然神武天皇陵の参道に出た。 -
神武天皇陵
ここで昼食を摂る。弁当は、いつもの太巻き。日曜なので、団体のハイカーがお参りしていた。お参りついでに、このおっさん、何を食べているのか、覗き込まれる。気にせず、美味しくいただきました。 -
畝傍御陵前駅
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畝傍御陵前駅と畝傍山
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畝傍御陵前駅から香久山まへ途中
本薬師寺跡 -
香久山 (畝傍御陵前から香久山への途中)
タイトルに”言霊”と入れた。古臭い言葉だと思われた方が多いと思うが、私には、違和感はない。
言葉には、”いのち”が宿っている!万葉集全巻を通してその思いは、脈々と流れているという。
平たく言うと、良いことを言うと、良いことが起こり、悪いことを言うと、悪いことが起こる。
舒明天皇が香久山に登り、大和の国を褒めたたえた、その言葉は、眼前の景色と違っていたかも知れない。恐らく違っていただろう。それは、祈りだったと思う。このようにあって欲しい、という祈りだった。
歌の調べは、気取りも衒いもなく、素朴。テンポが良くて、思わず口ずさまずにおれない歌でもある。私は、その歌に穢れを知らない童心を感じる。 -
畝傍御陵前駅から香久山への途中
法然寺。このお寺も目印になりました。 -
畝傍御陵前駅から香久山への途中
香久山の登山口までもう少しです。 -
香久山の登山道
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香久山の登山道
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香久山の登山道
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香久山の登山道
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香久山
香久山の山頂からは、雑木に隠れてこの風景しか見えなかった。見えている山は、畝傍山。
頭をこんこんと叩き、舒明天皇の国見の歌を思い出す。 (巻1-2)
大和には
群山(むらやま)あれど
とりよろふ
天(あめ)の香具山
登り立ち
国見をすれば
国原は
煙立ち立つ
海原は
鷗(かまめ)立ち立つ
うまし国そ
蜻蛉島(あきづしま)
大和の国は -
香久山 登山口
もう一つの香具山の登山口まで下りると、視界が開けた。見えている山は、耳成山。
視界が開けた途端、心の扉も開かれたようだ。思わず歌の一節が心で踊った。
国原は
煙立ち立つ
海原は
鷗(かまめ)立ち立つ -
香久山 登山口
二上山を望む。 -
香久山 登山口
畝傍山を望む。 -
香久山 登山口付近の柿畑
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天香山神社
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藤原宮 大極殿跡
万葉集開巻第一番の歌は、雄略天皇の「籠(こ)もよ み籠(こ)持ち...」の歌である。泊瀬(はつせ)の岡で、籠を持ち、へらを持って、春の若菜を摘んでいる乙女に求愛する歌だが、その歌を紹介してもよかったのだけど、雄略天皇は伝承時代の人で、万葉集の中で、歴史に足跡を残した生身の人間はというと、舒明天皇になる。 -
藤原宮 大極殿跡から見た 耳成山
通常、万葉集は、4期に分かれる。第1期は、舒明天皇から、壬申の乱まで。第二期は、壬申の乱(672年)から和銅3年(710年)まで。つまり、壬申の乱の後、飛鳥浄御原宮を経て、藤原宮に移り、平城京に遷都した710年まで。
そして、平城(なら)の都の時代を二つに分ける。710年から、天平5年(733年)を境として、それまでを第三期。733年から淳仁天皇の天平宝字3年(759年)正月1日までを第4期としている。
このような時代の流れを顧みると、舒明天皇の国見の歌は、万葉の夜明けを告げる歌でもあると感じないではおれない。 -
藤原宮 大極殿跡から見た 二上山
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藤原宮 大極殿跡から見た 畝傍山
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藤原宮 大極殿跡から見た 香久山
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藤原宮 大極殿跡から見た 三輪山
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耳成山
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耳成山 山頂
雑木に視界が遮られ、山頂からの景色を楽しめなかった。 -
近鉄八木駅
五時間ほど歩いて、快い疲労感を感じた。ここ八木駅で14キロ完歩したことになる。途中、”香久山まででいいではないか”と悪魔のささやきもあったが、それを振り切ったことは、我ながら感心している。
ところで、舒明天皇の国見の歌を再度詠ってみよう。ゆっくりとリズミカルに...。
大和には
群山(むらやま)あれど
とりよろふ
天(あめ)の香具山
登り立ち
国見をすれば
国原は
煙立ち立つ
海原は
鷗(かまめ)立ち立つ
うまし国そ
蜻蛉島(あきづしま)
大和の国は
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