2014/09/16 - 2014/09/22
91位(同エリア259件中)
明石DSさん
見よ!この青空を
定点写真を撮って瀋陽へ
自宅近くのマックスバリュー
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1日目:9月16日(火):晴れ
関空〜北京〜瀋陽へ
2014/平成26年9月16日(火)
■いざ出発!
我が人生31回目の海外旅行、18回目の中国、9回目の満洲への旅の始まり。火曜日なのに家内が偶然休日で珍しく家内の見送りを受けての出発となった。今回は久しぶりに出発に際して、もしも帰国できない時のために遺言書を書き置いた。
遺言の内容はすこぶる簡単。万が一の時の仕事のあと始末のことと例え満洲の彼方で行方不明になったり事件に巻き込まれ命を落としても家内・息子たち家族を含めて「今日と変わらぬ明日を過ごしてくれ」という内容だ。少しは探したり救命は身内としてやらざるを得ないだろうが、何があっても極力今まで通りの生活をし将来を楽しんでくれることが私への一番の供養だから。
背負うリュックは9kg。いつものように100円ショップでパンツ・シャツ・靴下と七日分を二週間前に購入し、そこから使い始めてそれを着替えとし日々満洲の地に使い捨てる。それに子供の遠足のようにお菓子やパン。ウィンナー等々。そして慰霊の品(タバコ・ビスケット・線香等)を入れて・・・。
仏壇の前に座り般若心経を二度唱和、ご先祖に旅の無事を願う。苦しき時・不安な時は神様仏様ご先祖様頼みとなる。そしていつもは自分撮りで写真を撮っての出発だが、家内にリュックを担いだ写真を撮ってもらっていざ出発。旅たちはいつもルンルンと言うより不安な気持ちが心を占めている。
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JR西明石のプラットホーム
今から外国へ行く人はいるのか?
特別な私といつものみんなフフフ
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■JR西明石→JR三ノ宮→関空へ
天気晴朗風もナシ、午前9時過ぎに家を出てJR西明石駅から新快速で三ノ宮へ。JR三ノ宮到着は午前9時40分。いつもながら電車を待つプラットホームで普段通りの多くの人たちを横目にしながら、今から日本を離れ瀋陽に行く私は非日常の世界に入っており見慣れた景色もどこか違う。
「西明石⇔三ノ宮」往復割引¥840円(片道460円:¥80円得)。「三ノ宮⇔関空」¥3,080円(片道¥1,950:¥820円得)・・・今は大概の駅前に割引切符販売がある。そんな割引販売機に目もくれず正規の値段で買う人は一体どんな人なのか?
「めったに買わない」「絶対買わない」という人はどんな性格で企業での立場や友達の評判等々どうなのか?興味深い。ちなみに64歳の私はあればこれで買う。こんな私はセコイのか?普通なのか? -
JR三ノ宮→関空へ
?午前9時40分三ノ宮(着)
夜には瀋陽にいるなんて
百年前の満洲行きは船だった
今は飛行機で
百年後の満洲行きは??? -
午前10:00(発)関空行きリムジンバス
9:57、もうみんな乗り終わっている
左側に並ぶのは伊丹空港行き
未だ往復の復を使えなかったことはナシ
今回も何卒使えますようにと祈る -
関空到着
?13:50の2時間前なら11:50だけど
11:25でも始まっていた。中国人が多い
世界中どこの空港でも中国人は多いのだろうなァ
13億+在外華僑を含め数では圧倒的多数だから
座席は家でネット予約がそのままバッチリ
凄い世の中になったもんだ。あと百年生きよう
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■関空到着
関空到着は午前11時20分過ぎ。ここ二回は台湾、ピーチ航空利用だったので久しぶりの第一ターミナル。やっぱりこっちの方が国際空港の雰囲気はある。飛行機は中国国際航空 CA928 13:50(発)。北京行きの搭乗手続きはすでに始まっていた。
早速並んだがやはりほとんどが中国人。この日、この便、いつも同乗者はいる。国籍もそれぞれの最終目的地も旅たつ理由もマチマチの人が、偶然にこの機と運命を共にする。
今回初めて数日前にネットで座席指定をしていた。他は知らないが中国国際航空は出来た。乗る便四つとも窓側の座席をネットで選んでいたが、その通り予約が出来ていた。日々デジタル世界は進化している。これなら早めに搭乗手続きしなくても自分で好きな座席を自宅で確保できる。窓側の真ん中辺りを選んだので全部翼の上、眺め悪く失敗だったけど・・・。
今日は旅と言っても移動ばかり。瀋陽到着は午後10時頃。この関空でも時間はたっぷり、搭乗手続きをし、まず関空三階レストラン街の「信州そば処 そじ坊」へ行き“葉わさびそば”¥751円を注文。機中でも何か出るだろうと軽く腹ごしらえ。ここでの蕎麦がいつもの恒例だ。
食べ終わり手荷物検査、出国検査を経て搭乗口へと向かった。 何度検査を受けても慣れない。悪いことしてないのに警察官を見たらドキッとするかのように検査官の前では条件反射のようにかしこまる。何でやねん?と思うけど条件反射なので仕方がない。これじゃあ偽パスポートや薬物などの不法所持をしていたらすぐに見破られるに違いない。
私も指定自動車教習所検定員として修了検定・卒業検定と日々検定業務を行っていた時は、逆の立場だった。きっと検定受講者は、条件反射のようにかしこまっていたのだろう。 -
最早“そじ坊”は儀式
蕎麦を食っていざ出発! -
初めて食べた“葉わさびそば”¥751円
日本で食べる日本食より美味い物はあるのだろうか?
腹の減り具合によって美味しさは変わる、味も微妙なり -
12時2分出国手続きを終え搭乗口に向かう
11時20分に空港到着し
搭乗手続き→蕎麦を食う→出国手続き完了
この間40分・・・か、早い
もっと早く、もっと早くを追求する人類
百年後は如何に?と、いつも思う -
「30番」搭乗口前にて
?もうすぐこの飛行機に乗る
久しぶりのエアバス社製大型機
落ちずに北京まで頼む
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■「30番」搭乗口前にて
搭乗口前に無事到着したのは午後12時10分頃、搭乗までの時間、軍神橘周太中佐で有名な静岡34連隊の首山堡の戦いを冊子にしたものを読んでいた。「静岡連隊首山堡の激戦」で詳しく紹介してあり参考になった。
http://yamahiko-farm.jp/blog2/shuzanpo/
それと同じようにもう一つ今は削除されているが以前ネット上に「日露戦争従軍記:歩兵第十聯隊:M軍曹(記)」というのがあり私はそれをパソコンに保存していた。 それも全部プリントして冊子にしリュックに入れてきた。
この二冊を今日の移動中の待ち時間や機内でずっと読んでいた。M軍曹は歩兵と騎兵と違うが祖父と同じ第四軍第十師団第十連隊(姫路)と同じで従軍記の中にも騎兵十連隊と時折作戦行動も共にしていることが記されている。
M軍曹は明治37年5月同じ経路で出征し、6月6日には「騎兵聨隊を歩兵中隊で同行して援護」と記されている。その従軍記では南尖上陸(大弧山付近)に上陸後、岫巌→分水嶺→柝木城→遼陽会戦→三塊石山→奉天会戦とある。
主だった作戦行動は祖父の従軍軌跡と同じであり、M軍曹は明治38年3月5日、奉天を前にして萬寶山の東、柳匠屯の攻防で負傷。後方へ伝令となりそのまま後送され3月15日大連港より出航、帰国の途についた。
当時の日本軍の強さは何と言っても士官が率先して最前線で身体を張り、日本刀を振りかざして突貫することにある。将校はやはり武士出身が多く、その侍精神が根強く残っており、それが百姓商人を含めた徴兵による日本軍という組織を強靭な戦う集団にした。例外はあれど、「勇将の下に弱卒無し」が師団・連隊・大隊・中隊・小隊という末端までそうだった。
だから『中隊長斃るれば小隊長代わり、小隊長仆るれば分隊長が指揮する』 M軍曹記(遼陽会戦)では『聨隊長殿負傷のため、我第一大隊長山畑少佐が連隊の指揮をとられ、第一中隊長が大隊の指揮を執る』奉天を前にしての柳匠屯では『この猛射に中隊長も小隊長も戦死され、自分は小隊の指揮を取ることとなった。』等々将校の戦死率が異常に高いのが日露戦争時の日本陸軍だ。将校士官の率先しての戦いぶりを目の当たりにすれば兵卒も奮起せざるを得ないだろう。
当時世界一といわれたロシア陸軍を追い詰めた戦いの最たる要因は、日本陸軍将校が有していた武士道精神にその強さの根元があったと思う。その軍人魂・大和魂が少なくとも軍隊の中では継承されその後の日本軍の強さに繋がった。
『静岡連隊首山堡の激戦3』に以下の一文がある。
http://yamahiko-farm.jp/blog2/2012/08/post-554.html
『後年、"日本兵の戦い=白兵戦"というイメージがついていますが、白兵戦を好む兵は実はロシア兵の方でありました。この点の考察は、兵頭二十八先生の「有坂銃」に詳しく記されております。別宮暖朗先生の「日露戦争陸戦」にも遼陽戦の項に記載されています。兵頭先生曰く「ピヨードルと、ノーロープで、ガチでプライドをするようなものだ」
・・・・・・(冷汗)。
昔から熊を殺すには銃を使うことが当然です。しかし、他の戦場に比べてこの戦場の特殊性は日本軍が最も苦手とした「白兵戦」が行われたところでありました。橘中佐以下将校は武士の家柄を持つものは多くおりましたが、ほかは百姓・町人です。平民が熊相手に白兵戦を展開します。』
武士はともかく平民は、戦後の日本人をみれば一目瞭然だ。戦後日本人は特に武道を遠ざけ戦いを忌避し、似非平和を謳歌した挙句軟弱至極で良く言えば温厚・大人しいだけの民になってしまった。当時の平民も戦や政治は武士に任せ「お上」の言うまま人生を楽しんでいた。
そんな日本人庶民が「白兵戦」など想像も出来ない。それでもそれを成したのはやはり将校が武士であり、その率先垂範が百姓・町人をも戦場の阿鼻叫喚の現実のなかで強卒にした。そしてそれが大東亜戦争に継承された。
私は「軽き命」こそが日本人の強さの根元だと信じている。日露戦争の戦場がまさしく「軽き命」の実践だった。幾ら機関銃でなぎ倒されようが次から次と突貫して行く。その先人たちの姿を想像するだけで胸が熱くなる。ご冥福を祈らずにはいられない。それが敵に恐怖を募らせ固い防御の一角が崩れ雪崩を打つように占拠へと繋がった。
「軽き命」とは命を粗末にではない。これ以上なき「尊い命」より更に大切な物があるのが日本人だ。「命より大切な物」とは国であり家族であり郷土だ。国あっての我が身の幸せであり、家族の幸せだ。国なくして家族や自分に幸せはあるのか?
「命より大切な物」が多ければ多いほど、人は輝きを増し、命を尊く思い、自らを律し、他人を大切にする。「恥を知る」「卑怯なことをしない」「親を大切にする」もそうだ。それが「命より大切」であるなら、どれほど人は立派で優しくなれるのか?決して「軽き命」とは「命を粗末」にではない。
福田元総理は「人の命は地球より重し」とハイジャック犯に莫大な身代金を渡し、囚人を放免し世界の顰蹙をかった。「自分の命」が「地球より重い」なら自分の命を守るためにはどんな理不尽も正当化される。これこそ身勝手自己中不幸の極みだ。そんな人間に真の幸せなどありようもなく国も滅びる。
戦時に英雄は生まれ似非平和時には偽善者が溢れる。時代や環境が人を作る。私は軍隊を忌避し「自分で自分の国を守る気概も憲法も持とうとしない」戦後日本の似非平和・綺麗事社会が嫌で仕方が無い。だから敗戦までの日本と日本人に憧れを抱き戦跡を巡る。 -
現在時13:09、出発は13:50
30番の搭乗口前、10分後には搭乗が始まる -
左:「日露戦争従軍記:歩兵第十聯隊:M軍曹(記)」
右:「静岡連隊首山堡の激戦」
自宅のプリンターで印刷し
冊子にして共に旅する -
北京に向けて出発
北京行きの搭乗始まる、運命を共にする人達
生まれて64年命の危機を感じることなく今に至る
親も時代も国も自分で選べるわけではない・・・が
ならばもしこれらが自分の意思で選べるなら
誰を選び何時を選びどこを選ぶのか?
私は幕末に生まれて昭和の初めに死ぬことを選ぶ
きっとその時代は雄々しい日本国であったろう
日本人も誇りを持ち自信満々将来を夢見たはずだ
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■北京に向けて出発
冊子を読んでいたら時は過ぎ午後1時20分搭乗が始まった。乗客の多くは中国人。10年前には「何でこんな普通の“おっさん”“オバハン”のような中国人が日本に来るのや?」と思っていたが、いまでは見慣れた光景になった。これから10年後の光景を想像すればウンザリする。互いの交流は認めるが日本への移住は断固忌避する。
飛行機はエアバス社の久しぶりの大型機で左右に二座席・中央四座席。私がネット予約した座席は機体中ほどにある化粧室(トイレ)の前で後ろに座席はなかった。そして横の座席も通路を挟んでの四座席誰も座る人なく六割ほどの乗車率だった。このところジェットスターやピーチなどの格安航空・満員の空の旅だったのでこの空き具合にホッとした。
離陸はほぼ定刻の13時50分過ぎ、北京に向かい飛び立った。私は窓側に座り案の定眼下の景色を眺める。何度飛行機に乗っても見る。折角飛行機ならではの景色が窓外に広がっているのにみんな何故?眺めない。たしかに小さな窓に額を付けるかのように見ている姿は大人気ないけど。
しかし高所からの景色を見るために東京タワーや東京スカイツリーの展望台にお金を出して行くより、もっと高い所を高速移動しながら市街地だけではなく地球の大地を見ることが出来る。飛行機から氷河を見たことも果てなく続く砂漠を見たこともある。「えっ?これは地球、それとも惑星?」と思えるような驚く大地の光景が見れることもある。
たとえ地上が見えずとも雲の上を飛んでいても外の風景は素晴らしい。ずっとガキの如く窓外の風景を眺める自分を「格好悪い」という自覚はあるけどやめられない。そのうちこれも久しぶりの機内サービスの時間が来た。まず飲み物サービスがありホットコーヒーを頼み、次いで「チキンorフィッシュ」と弁当の配給。チキンを頼んで完食す。 -
最近は格安航空の窮屈な飛行機に乗ることが多かった
久しぶりの大型機はやはりゆったりしている
我が父母・祖父母誰も生前飛行機に乗らず
少年の頃「兼高かおる世界の旅」が羨ましかった
そんな私だが今回が31回目の海外旅行、へェ〜 -
この座席を予約しておいて良かった
座席番号:18A
周囲に人なく独り占めハハハ -
明石海峡大橋上空を飛ぶ
我が家も視界の中にあるのだろう
これは竹島奪還ではなく遊びに行く
竹島は必ず取り返す、今は嫌韓の種としておく -
機内食、変化はご飯の量、日本並?になった
経済力が上がればご飯量が減るのか・・・
弁当もちょっと小奇麗になったような気がする -
北京の空は光化学スモッグ?に覆われていた
雲なのか?スモッグなのか?こんな状態だった
二年前の9月18日北京に来た。二年ぶりの北京
今日は9月16日、9月18日は二日後
普通の日本人には普通の一日でもここではちょっと違う -
北京国際空港300億円、上海空港400億円
北京―秦皇島間鉄道拡充870億円、天生橋水力発電1180億円
日本が施した対中ODA(政府開発援助)の実績の一つ
ホンマ、バカバカしいの一言
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■北京空港到着
中国時間「16:00」北京空港着陸。国内線の乗り換え搭乗口を目指して歩いた。途中、空港内の銀行で両替をした。五万円の両替を頼んだら窓口の小姐が「10万円両替すれば手数料の割引がある」と言われた。「へェ〜、そんなサービス初めて聞いた」と思ったけど「元」の所持金もあるので断った。
日本円5万円は手数料¥60元差し引いて¥2478人民元。「1万円≒495元」円安なので2年前の北京での両替「1万円≒777元」と比較すればビックリ仰天。「777元−495元=282元」。1万円で282元も少ない。5万円だと282元×5=¥1410元も少ない。為替差損の大なることを実感する。
北京〜瀋陽行きの搭乗口C15に着いたのは午後5時、出発予定は18:40。1時間40分の休憩タイムと思っていたが、フライト表示の電光掲示には「20:00」となっていた。1時間20分出発が遅くなった。出発遅延の案内があったのか?ないままなのか?どっちにしても出るのは8時・・・か。あ〜ァとため息するのは私だけか。
お陰で持参した資料を読む時間がたっぷり出来た。それでも午後8時発なら瀋陽桃仙空港着は午後9時半になる。そこからリムジンバスで瀋陽北站到着は一体何時になるのか?そっちの方が心配になった。夜遅く到着はそれだけで不安だから・・・。
瀋陽のホテルに着くのはこの調子では11時過ぎになる。この待ち時間の間に軽く夕食をと搭乗口近くにあったオープンレストランで拉麺¥25元を食べた。 -
今から面子と見栄の国に潜入する
面子と見栄は中味の価値は問わず
如何に見た目見栄えを派手にするか?
嘘捏造は悪ではなく結果のための手段であり
騙される奴が愚かであり、勝者こそ賢人なり
勝者とは人より金を沢山持っている奴、金金金 -
国際線から国内線へと移動、移動、遠い、広い
空港内で5万円を両替する、手取り¥2,478元(涙) -
国内線搭乗口「15番」の近くのレストラン
瀋陽行きが「1時間20分」遅れる、ガッカリ
土地不案内の場所に夜遅く着くのは不安だ -
写真では美味そうだが、実際は今一
厨房はこの場になくどこかで作って持ってくる -
予定の出発時間は18:40なのに
1時間遅れて19:37分やっと搭乗が始まった
飛行機の出発時間は当てにならない
分かっているはずなのにあてにしてしまう
今後は朝早くの便にして到着が早いのを選択しよう
遅く着くのは精神的に悪い、出発の日は朝早く出よう
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■北京から瀋陽(奉天)に行く
やっと搭乗時間が来て19:37分搭乗開始。出発は午後8時過ぎ。機内は真ん中通路を挟み左右に三座席。ここでもネット予約どおりの窓側の席、座席No18A。ほぼ満員の乗客を乗せて瀋陽へ。
機内で清涼飲料水とパンが二個出た。桃仙空港着は、1時間20分後の午後9時20分頃。すぐにリムジンバスの切符販売も兼ねた案内カウンターを探し当て切符を購入¥16元。そして何気にその横を見たら「火車票:鉄道切符売り場」と書かれていた。そこで明日の「瀋陽北站(発)→大虎山」の切符が購入できた。
明日の大虎山行きの切符をうまく買えるのか心配だったがバス切符売り場の隣で並ばず楽々買えたのはラッキー!とメチャ嬉しかった。予定通りの午前9時48分(発)の硬座(¥20元)が手に入った。外国人はパスポートの提示が必要というのがテロを警戒する中国ならではと思うけど・・・。
北站(ベイジャン・瀋陽北駅)行きのバスは、国内線出口を出たすぐ傍にあり運転手が手招いてくれた。「北站?」というと頷き切符を受け取るように手を出した。バスに乗ったら多くの人がすでに座っており間もなく発車:午後9時38分。バスは一路瀋陽市街へ。来たぞ奉天に!午後10時14分、30分ほどで終点の北站近くの客運站(バスターミナル)に到着した。
でもこの客運站に到着まで北站が見えず北站前の瀋陽時代広場酒店(3星ホテル:“agoda”で予約¥7,991円)がどっち方向なのか?とりあえずすぐ近くにあるはずの北站を見つけねばと適当に歩いた。そして北站が見えたと思ったら、ちょうどそこが時代広場酒店。今日の長い一日の移動の終了となった。
https://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%B2%88%E9%98%B3%E5%B8%82%E6%B2%88%E6%B2%B3%E5%8C%BA%E5%8C%97%E7%AB%99%E8%B7%AF99%E5%8F%B7&hl=ja&ie=UTF8&ll=41.817385,123.439068&spn=0.006557,0.009645&sll=41.74378,123.434315&sspn=0.108869,0.219727&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&hnear=99+Bei+Zhan+Lu,+Shenhe+Qu,+Shenyang+Shi,+Liaoning+Sheng,+%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD&t=m&z=17
部屋は21階:2106号室。駅傍と言うことで選んだホテル。カーテンを開けたら左斜め下に北站が見える。2005.平成17年4月22日(金)に来て以来9年ぶりの奉天。その時も、やはり北站近くの東横イン「瀋陽東陽閣IT飯店(今はない):一拍¥150元」に二泊した。部屋に入ってホッと一息したのは午後11時前、日本時間12時前になる。
自宅を出たのは午前9時過ぎ到着が午後11時半。直行便でなければ乗り換えの待ち時間などで丸一日を移動に費やす(約15時間)。でも今年二月の宜蘭行きの際は、いろんなアクシデントがあったが、今回は明日の大虎山行きの列車の切符も購入でき順調な出だしで明日を迎えることが出来た。
さあ、明日は大虎山へ行くぞ! -
北京→瀋陽はほぼ満席になった
一日二回の離発着は身体に悪い -
パン二個と水
それでも何も出ないより嬉しい
何で嬉しいのかなァ〜、気分転換になる -
奉天(瀋陽)の灯り
ふ〜ん、今朝は西明石の我が家で目覚めた
飛行機に乗って来ると不思議に感じる
現実なのか夢なのか・・・ピンと来ない -
午後9時17分、桃仙空港に着陸
今からリムジンバス乗り場を探して
北站(瀋陽北站)に行く -
午後10時17分、空港からバス(16元)で北站
そして客運站から歩いて北站へ辿りつく
空港からここまでに費やした時間は1時間
今日の宿「瀋陽時代広場酒店」を背にして北站を写す -
一泊¥7,991円、今回の旅で一番高い
朝食なく站に近いというだけで選んだ
部屋に入ったのが午後10時、寝るだけなにの -
こんな部屋、ベッドが二つが便利が良い
荷物を片方のベッドの上に広げれるから
21階の窓から左手下に北站が見える -
明日の大虎山行きの切符
まさか桃仙空港内で買えるとは!
ホンマ、ラッキーと喜んだ
リムジンバスの切符売り場の横で列車の切符を売っている
並ぶ者なし、悠々と“ゆっくり”買えた、万歳!
明日は大虎山へ
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