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①大虎山:②首山堡:③三塊石山:④本渓湖:⑤萬寶山<br /><br />//////////////////////////////////////////////////<br /><br />2012/平成24年9月18日(火)~9月27日(木)北京、張家口への中国旅行以来2年ぶりの満洲への旅になった。今回も期せずして9月、そして9月18日のことは計画段階では意識になく、出発が近づいて二年前に吹き荒れた反日騒動を思い出した。 <br />今回幸い反日騒動はなかったが、大虎山で公安から追い出される羽目になった。しかしながら天気にも恵まれ祖父が従軍した日露戦争の戦跡も再び訪れることが出来た。一人旅で目的地を探しながら緊張の連続だったが、それが旅の面白さでもあると・・・。 <br /><br /><br />やせ我慢をしながら「山、丘」等々雑草掻き分けながら戦場を駆け巡った。疲れた。「神州不滅特別攻撃隊」最後の特攻、そして日露戦争戦跡を訪ねて・・・。 <br /><br /><br />これは旅行記にあらず。わが能書き也。 <br />思いのままを書き連ねる。同じ事を百回でも千回でも。 <br /><br /><br />目 次<br /><br />(0) 旅たち前 <br />(1) 9月16日(火)関空~北京経由、瀋陽へ出発 <br />(2) 9月17日(水)瀋陽~大虎山~遼陽 <br />(3) 9月18日(木)遼陽・首山堡 <br />(4) 9月19日(金)遼陽・三塊石山 <br />(5) 2月20日(土)遼陽~本渓湖~本渓 <br />(6) 2月21日(日)本渓~萬寶山~瀋陽 <br />(7) 2月22日(日)瀋陽~北京経由~関空 <br /><br />

大虎山・首山堡・三塊石山・本渓湖・萬寶山を訪ねる:旅立ち前

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2014/09/16 - 2014/09/22

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4

3

明石DS

明石DSさん

①大虎山:②首山堡:③三塊石山:④本渓湖:⑤萬寶山

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2012/平成24年9月18日(火)~9月27日(木)北京、張家口への中国旅行以来2年ぶりの満洲への旅になった。今回も期せずして9月、そして9月18日のことは計画段階では意識になく、出発が近づいて二年前に吹き荒れた反日騒動を思い出した。
今回幸い反日騒動はなかったが、大虎山で公安から追い出される羽目になった。しかしながら天気にも恵まれ祖父が従軍した日露戦争の戦跡も再び訪れることが出来た。一人旅で目的地を探しながら緊張の連続だったが、それが旅の面白さでもあると・・・。


やせ我慢をしながら「山、丘」等々雑草掻き分けながら戦場を駆け巡った。疲れた。「神州不滅特別攻撃隊」最後の特攻、そして日露戦争戦跡を訪ねて・・・。


これは旅行記にあらず。わが能書き也。
思いのままを書き連ねる。同じ事を百回でも千回でも。


目 次

(0) 旅たち前
(1) 9月16日(火)関空~北京経由、瀋陽へ出発
(2) 9月17日(水)瀋陽~大虎山~遼陽
(3) 9月18日(木)遼陽・首山堡
(4) 9月19日(金)遼陽・三塊石山
(5) 2月20日(土)遼陽~本渓湖~本渓
(6) 2月21日(日)本渓~萬寶山~瀋陽
(7) 2月22日(日)瀋陽~北京経由~関空

  • 昭和20年8月19日最後の航空特攻出撃の地<br /><br />満洲・大虎山 <br />2014/平成26年9月17(水)<br />大虎山站にて撮影 <br /><br />//////////////////////////////////////<br /><br />大虎山・首山堡・三塊石山・本渓湖・萬寶山への旅 <br /><br />今回の旅のきっかけは、ネットでたまたま「最後の特攻」というのを知ったことに始まる。昭和20年8月19日満洲:大虎山から11機の陸軍特攻機が赤峰のソ連軍戦車に向かって特攻出撃した。そしてその中の二機に女性が同乗していた。一人は谷藤徹夫少尉(22歳)の妻:朝子さん(24歳)。もう一人は大倉巌少尉機にスミ子という女性が乗った。 <br />その記事が掲載された雑誌「フライデー」と「妻と飛んだ特攻兵」:豊田正義(著)を購入した。このことを知るまで最後の特攻は宇垣纏(うがきまとめ)海軍中将(享年55)が中津留大尉機に同乗し、終戦の玉音放送後に大分基地から沖縄に向かって合計11機(3機不時着)の特攻出撃したのが最後の特攻だと思っていた。 <br /><br />この宇垣纏中将たちの特攻出撃も一般には8月15日と言われているが実際は8月16日だったとの説もある。私は元特攻隊員:永末千里さん開設のHP「蒼空の果てに」の中にある『「宇垣特攻」の謎』を読み8月16日だと思っている。 <br /><br />http://senri.warbirds.jp/<br /><br />http://senri.warbirds.jp/23ura/39/index.html<br /><br />しかし最後の特攻出撃が、ノンフィクション作家の豊田正義(著)によって満洲:大虎山から、それも女性二人が同乗していたことを知りただ驚いた。一体何があったのか?と興味を持つとともに戦跡巡りが趣味、満洲好きの私は大虎山を訪ねることにした。 <br /><br />本を読み特攻出撃までの事情は分かったが、現地:大虎山の情報は少なく本の中に当時の地図も飛行場の場所についての記載なく、「防衛省防衛研究所戦史研究センター」に問い合わせたら一応調べてくれたが飛行場の場所は不明だった。その他「神州不滅特別攻撃隊之碑」の建立されている世田谷観音さんにも問い合わせたが場所は不明。 <br /><br />https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ll=41.612908,122.147756&amp;spn=0.027273,0.038581&amp;t=m&amp;z=15&amp;brcurrent=3,0x0:0x0,1<br /><br /><br />大虎山には日本軍部隊が駐屯し大虎山神社や国民学校、その他日本人の生活があったが幾ら探してもネット上の情報も少なくとりあえず「現地で聞こう」と中国語の質問書を手に出発した。 <br /><br />そして大虎山は満洲にあり日露戦争の戦跡にも近いということで2005年日露戦争勝利百年に訪ねた祖父の従軍軌跡で行けなかったところを主に行く先を決めた。それが軍神:橘周太少佐の戦死した首山堡であり、「血染めの連隊旗」で有名な安村範雄(やすむら のりお)少将が戦死した「三塊石山」である。 <br /><br />https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ll=41.4764,123.449292&amp;spn=0.02733,0.038581&amp;t=m&amp;z=15&amp;brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1<br /><br />それと日露戦争で奉天を目前にして日本軍最右翼:梅沢旅団が苦戦した本渓湖。そしてやはり激戦の地となりどういうわけか今も日露両軍の建立した当時の碑がそのまま残っている萬寶山(万宝山:ばんぽうさん)に行く事にした。<br /><br />http://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/rikujou06_detail.html<br /><br />祖父は出征第四軍第十師団騎兵第十聯隊第三中隊の一兵士(伍長)として1904/明治37年6月4日 清国南尖に上陸。その後、岬厳・分水嶺・柝木城・遼陽会戦・沙河会戦・沙河対陣・黒溝台会戦・奉天会戦と参与した。 <br /><br />奉天陥落後の明治38年3月16日斥侯に服務中、鉄嶺手前で露軍の銃撃を受け一発が背から貫通銃創、腰と足に二発、計三発の銃弾を浴びるも命を落とすことなく復員し、私や子や孫が今この世にいる。当時祖父は満24歳独身であった。 <br /><br />私は祖父の従軍軌跡を追う旅をしてから戦跡探訪が趣味となった。そして特に満洲は魅力ある地で今回は9回目の満洲訪問となる。私は明治維新を経て大東亜戦争敗戦までの日本と日本人こそが日本の有史以来最も評価すべき日本国であり日本人だったと思っている。 <br /><br />しかしながら大東亜戦争敗戦後の日本人は元兵士も満洲引揚者も戦後生まれの多数の日本人も戦争を悪とし、敗戦の責任を軍隊軍人・国・政府に押し付け、勝者連合国や支那朝鮮におもねるかのように敵国の言い分を鵜呑みにし、軽々に先人の成したことを非難する。その性根は浅ましく天に唾するものだ。 <br /><br />今回も何冊かの本を読み、ネットから多くの情報を収集した。この2013年初版発行「妻と飛んだ特攻兵」1966年生まれのノンフィクション作家、豊田正義(著)では280頁で「関東軍は居留民を残したまま撤退していった」と記し、288頁「関東軍の満洲防衛作戦は、最初から開拓民を切り捨てる計画だったのを知ったとき、どのようなお気持ちでしたか?」と引揚げ者に質問している。 <br /><br />また2011年発行「旧満州 本渓湖の街と人びと」塚原静子(著:終戦時山梨在住・小学校5年生)では、冒頭5頁に「敗戦と知るや、軍人や部隊は、満州の一般人を残してさっさと逃げ、帰国したというのはよく聞く話です」と平然と記している。 <br /><br />この豊田も塚原もノンフィクション作家と称している。ノンフィクションとは辞書には「虚構を用いず事実に即して作られた作品。」とある。関東軍を貶めることは捏造でも事実となるのか? <br /><br />こういった戦後に生きる日本人が現代世相に媚、自らを正義面して命懸けで独立自尊を守ろうとした先人を冒涜している。今も私の周囲にも残念ながら少なからずいる。面と向かっては言わずとも私はこんな日本人を軽蔑している。 <br /><br />「関東軍が先に逃げた?」・・・この二人のノンフィクション作家は、昭和20年8月ソ連との国境沿いにあった海拉爾で、同江で、孫呉で、黒河で、虎頭で、東寧で、磨刀石で、その他多くの地域で終戦後までもソ連軍を食い止めて死力を尽くし獅子奮迅戦った多くの関東軍部隊と兵士がいたのを知らないのか? <br /><br />たとえ一人でもそういった関東軍兵士が事実いたなら「さっさと逃げた」などと日本人なら口が裂けても言えるまい。自らは命拾いし戦後日本で人生を謳歌した満洲引揚者も同じだ。国境を守備する関東軍部隊の多くは後方との連絡も途絶えたなかで、それでも自主的に孤軍奮闘していた部隊が数多くあった。 <br /><br />もし関東軍が一般邦人を見捨てて逃げるような軍隊なら、司令部から離れたソ連国境にへばりついて守備していた兵士の士気は容易に想像できる。そんな軍が命令も届かない所で圧倒的多数の敵に対して自らの命を賭して最後まで戦うのか?「同胞を信じてやろう」との少しの気持ちがあれば安易に非難は出来まい。 <br /><br />私は自らを棚に置き先人を悪し様に言う人間を嫌悪する。それが日本人なら尚更だ。日本人は一つの家族として家族を守るために大戦争に挑んだ。結果は如何にあれその全ての責任は国民等しくある。 <br /><br />敗戦後も日本国・日本軍の責任者で重責にある誰一人として国外逃亡はない。勝者の復讐裁判によって戦争犯罪の汚名を着せられたが、戦争は犯罪ではない。全ての国が有する権利であり、国民の義務でもある。 <br /><br />戦後の日本は確かに経済発展によって豊かになり、似非平和が続いている。しかし性根は腐り日本人の顔も心も醜くなった。残念だが私も紛れもなくその一人だ。今では自分がどれだけ醜いか?それすら分からない。 <br /><br />立派な日本人は戦死し或いは自決した。戦後私が尊敬に値する日本人は未だに現れない。見本が無いから何がまともで何がダメなのか?すらわからない。 <br /><br />そりゃあ似非平和でも戦争より平和が良い。でもホンマに糞面白くない。私は敗戦までの日本と日本人の姿に感動しながら死ぬまで生きる。 <br /><br />2014年:平成26年10月吉日<br /><br />

    昭和20年8月19日最後の航空特攻出撃の地

    満洲・大虎山
    2014/平成26年9月17(水)
    大虎山站にて撮影

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    大虎山・首山堡・三塊石山・本渓湖・萬寶山への旅

    今回の旅のきっかけは、ネットでたまたま「最後の特攻」というのを知ったことに始まる。昭和20年8月19日満洲:大虎山から11機の陸軍特攻機が赤峰のソ連軍戦車に向かって特攻出撃した。そしてその中の二機に女性が同乗していた。一人は谷藤徹夫少尉(22歳)の妻:朝子さん(24歳)。もう一人は大倉巌少尉機にスミ子という女性が乗った。
    その記事が掲載された雑誌「フライデー」と「妻と飛んだ特攻兵」:豊田正義(著)を購入した。このことを知るまで最後の特攻は宇垣纏(うがきまとめ)海軍中将(享年55)が中津留大尉機に同乗し、終戦の玉音放送後に大分基地から沖縄に向かって合計11機(3機不時着)の特攻出撃したのが最後の特攻だと思っていた。

    この宇垣纏中将たちの特攻出撃も一般には8月15日と言われているが実際は8月16日だったとの説もある。私は元特攻隊員:永末千里さん開設のHP「蒼空の果てに」の中にある『「宇垣特攻」の謎』を読み8月16日だと思っている。

    http://senri.warbirds.jp/

    http://senri.warbirds.jp/23ura/39/index.html

    しかし最後の特攻出撃が、ノンフィクション作家の豊田正義(著)によって満洲:大虎山から、それも女性二人が同乗していたことを知りただ驚いた。一体何があったのか?と興味を持つとともに戦跡巡りが趣味、満洲好きの私は大虎山を訪ねることにした。

    本を読み特攻出撃までの事情は分かったが、現地:大虎山の情報は少なく本の中に当時の地図も飛行場の場所についての記載なく、「防衛省防衛研究所戦史研究センター」に問い合わせたら一応調べてくれたが飛行場の場所は不明だった。その他「神州不滅特別攻撃隊之碑」の建立されている世田谷観音さんにも問い合わせたが場所は不明。

    https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=41.612908,122.147756&spn=0.027273,0.038581&t=m&z=15&brcurrent=3,0x0:0x0,1


    大虎山には日本軍部隊が駐屯し大虎山神社や国民学校、その他日本人の生活があったが幾ら探してもネット上の情報も少なくとりあえず「現地で聞こう」と中国語の質問書を手に出発した。

    そして大虎山は満洲にあり日露戦争の戦跡にも近いということで2005年日露戦争勝利百年に訪ねた祖父の従軍軌跡で行けなかったところを主に行く先を決めた。それが軍神:橘周太少佐の戦死した首山堡であり、「血染めの連隊旗」で有名な安村範雄(やすむら のりお)少将が戦死した「三塊石山」である。

    https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=41.4764,123.449292&spn=0.02733,0.038581&t=m&z=15&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1

    それと日露戦争で奉天を目前にして日本軍最右翼:梅沢旅団が苦戦した本渓湖。そしてやはり激戦の地となりどういうわけか今も日露両軍の建立した当時の碑がそのまま残っている萬寶山(万宝山:ばんぽうさん)に行く事にした。

    http://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/rikujou06_detail.html

    祖父は出征第四軍第十師団騎兵第十聯隊第三中隊の一兵士(伍長)として1904/明治37年6月4日 清国南尖に上陸。その後、岬厳・分水嶺・柝木城・遼陽会戦・沙河会戦・沙河対陣・黒溝台会戦・奉天会戦と参与した。

    奉天陥落後の明治38年3月16日斥侯に服務中、鉄嶺手前で露軍の銃撃を受け一発が背から貫通銃創、腰と足に二発、計三発の銃弾を浴びるも命を落とすことなく復員し、私や子や孫が今この世にいる。当時祖父は満24歳独身であった。

    私は祖父の従軍軌跡を追う旅をしてから戦跡探訪が趣味となった。そして特に満洲は魅力ある地で今回は9回目の満洲訪問となる。私は明治維新を経て大東亜戦争敗戦までの日本と日本人こそが日本の有史以来最も評価すべき日本国であり日本人だったと思っている。

    しかしながら大東亜戦争敗戦後の日本人は元兵士も満洲引揚者も戦後生まれの多数の日本人も戦争を悪とし、敗戦の責任を軍隊軍人・国・政府に押し付け、勝者連合国や支那朝鮮におもねるかのように敵国の言い分を鵜呑みにし、軽々に先人の成したことを非難する。その性根は浅ましく天に唾するものだ。

    今回も何冊かの本を読み、ネットから多くの情報を収集した。この2013年初版発行「妻と飛んだ特攻兵」1966年生まれのノンフィクション作家、豊田正義(著)では280頁で「関東軍は居留民を残したまま撤退していった」と記し、288頁「関東軍の満洲防衛作戦は、最初から開拓民を切り捨てる計画だったのを知ったとき、どのようなお気持ちでしたか?」と引揚げ者に質問している。

    また2011年発行「旧満州 本渓湖の街と人びと」塚原静子(著:終戦時山梨在住・小学校5年生)では、冒頭5頁に「敗戦と知るや、軍人や部隊は、満州の一般人を残してさっさと逃げ、帰国したというのはよく聞く話です」と平然と記している。

    この豊田も塚原もノンフィクション作家と称している。ノンフィクションとは辞書には「虚構を用いず事実に即して作られた作品。」とある。関東軍を貶めることは捏造でも事実となるのか?

    こういった戦後に生きる日本人が現代世相に媚、自らを正義面して命懸けで独立自尊を守ろうとした先人を冒涜している。今も私の周囲にも残念ながら少なからずいる。面と向かっては言わずとも私はこんな日本人を軽蔑している。

    「関東軍が先に逃げた?」・・・この二人のノンフィクション作家は、昭和20年8月ソ連との国境沿いにあった海拉爾で、同江で、孫呉で、黒河で、虎頭で、東寧で、磨刀石で、その他多くの地域で終戦後までもソ連軍を食い止めて死力を尽くし獅子奮迅戦った多くの関東軍部隊と兵士がいたのを知らないのか?

    たとえ一人でもそういった関東軍兵士が事実いたなら「さっさと逃げた」などと日本人なら口が裂けても言えるまい。自らは命拾いし戦後日本で人生を謳歌した満洲引揚者も同じだ。国境を守備する関東軍部隊の多くは後方との連絡も途絶えたなかで、それでも自主的に孤軍奮闘していた部隊が数多くあった。

    もし関東軍が一般邦人を見捨てて逃げるような軍隊なら、司令部から離れたソ連国境にへばりついて守備していた兵士の士気は容易に想像できる。そんな軍が命令も届かない所で圧倒的多数の敵に対して自らの命を賭して最後まで戦うのか?「同胞を信じてやろう」との少しの気持ちがあれば安易に非難は出来まい。

    私は自らを棚に置き先人を悪し様に言う人間を嫌悪する。それが日本人なら尚更だ。日本人は一つの家族として家族を守るために大戦争に挑んだ。結果は如何にあれその全ての責任は国民等しくある。

    敗戦後も日本国・日本軍の責任者で重責にある誰一人として国外逃亡はない。勝者の復讐裁判によって戦争犯罪の汚名を着せられたが、戦争は犯罪ではない。全ての国が有する権利であり、国民の義務でもある。

    戦後の日本は確かに経済発展によって豊かになり、似非平和が続いている。しかし性根は腐り日本人の顔も心も醜くなった。残念だが私も紛れもなくその一人だ。今では自分がどれだけ醜いか?それすら分からない。

    立派な日本人は戦死し或いは自決した。戦後私が尊敬に値する日本人は未だに現れない。見本が無いから何がまともで何がダメなのか?すらわからない。

    そりゃあ似非平和でも戦争より平和が良い。でもホンマに糞面白くない。私は敗戦までの日本と日本人の姿に感動しながら死ぬまで生きる。

    2014年:平成26年10月吉日

  • 駅から北東方向にある大虎山 <br /><br />ここから赤峰のソ連戦車群に向かって11機が飛び立った<br />一機は離陸失敗、一機は途中エンジン不調により不時着 <br /><br />神州不滅特別攻撃隊は女性二人が同乗し<br />この大虎山を見下ろして北方向に飛び去った <br />/////////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年5月27日(火) <br /><br />■大陸か台湾か <br /><br />年二回の海外旅行。次はどこに行こうか?「満洲:大虎山」か「高雄」に行こう。「ロシア:ウラジオストック、ハバロフスク」「インドネシア」等々近くで行きたいところも沢山あるけど、今年も秋にいろいろあるので準備の余裕がなく慣れた場所を優先するつもり。 <br /><br />反日支那大陸に行くのは抵抗もあるが、毎年のように行っていたので又行きたくもなる。大虎山は「神州不滅特別飛行攻撃隊」が昭和20年8月19日、終戦後に赤峰のソ連軍戦車に向けて特攻出撃した場所だ。そこに大虎山飛行場があった。 <br />http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-sinsyu.htm<br /><br />平成23年に写真週刊誌「フライデー」が三週に渡って特集しており、その雑誌を買って「いつかここに行こう」と、三冊を書棚に置いていた。今はまだ決めていないが、この秋に満洲:大虎山に行き、来年1月か2月の寒い時に台湾:高雄に行こうかなあ〜。 <br /><br />///////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年6月5日(木) <br /><br />■大虎山と三塊石山 <br /><br />次回の旅は大虎山と三塊石山に行く。平成24年9月、張家口に行って以来の大陸中国への旅となる。大虎山は「妻と飛んだ特攻兵」豊田正義(著)で紹介された最後の特攻の出撃地だ。終戦の四日後に特攻出撃11機のうち一機は離陸途中で墜落、一機はエンジン不調で途中で不時着。9機が飛び去った。戦果は今尚不明。 <br /><br />大虎山 <br />https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ll=41.616597,122.151833&amp;spn=0.105235,0.154324&amp;t=m&amp;brcurrent=3,0x0:0x0,1&amp;z=13<br /><br />私がこのことを知ったのは、3年前の平成23年のことになる。大虎山は満洲でもありいつかこの場所に行く機会があるだろうと思っていた。でもいざ行く事を決めてネットで検索しても大虎山に飛行場の痕跡がない。中国の検索ネット「百度:バイドゥ」で、簡体字の中国語でいろんな文言をいれて試しても飛行場らしきはない。 <br />日本の軍隊がそこに駐屯していた。1945年大虎山には神社もあり尋常小学校もあった。そして駅前に関東軍指定旅館の「伊予屋」もあった。関東軍もいたし日本人の暮らしもあったはずがネット上に痕跡はない。これが台湾なら日本関係の資料もこっちが驚くほど出てくるのに・・・。 <br /><br />「妻と飛んだ特攻兵」を購入して、そこに地図か場所を明示する何かがあることを期待していたが、著者も現地には行っていないのか?何も書かれていない。このままなら向こうで尋ねるしかない。飛行場はどこにあったのか?分からなければ大虎山の上から大虎山鎮の街並みを眺めるだけでも良い。 <br /><br />この大虎山のことで見ていたら祖父の行軍軌跡を辿った場所にも近いのでまたそのことが頭の中に浮かんできた。そしてフォートラベルの掲示板の半平太さんの書き込みにあった三塊石山のことが気になって調べたら場所が分かった。そして今も三塊石山は存在しているようだ。 <br /><br />http://4travel.jp/traveler/akashids/bbs<br /><br />1904/明治37年10月28日祖父の手紙に書かれていた「於 煙台」も11月に書かれた「双台子於テ」の場所も分った。こんどの旅は奉天(瀋陽)から大虎山に行き、そこから三塊石山、煙台、双台子、そして瀋陽に戻る。どこも大きな町ではないので行く前のホテル予約などは難しそうだ。さあ次回の旅はすでに始まった。 <br /><br />三塊石山 <br /><br />https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ll=41.481833,123.451996&amp;spn=0.109312,0.154324&amp;t=m&amp;brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&amp;z=13<br /><br />///////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年6月6日(金) <br /><br />■満洲の旅 <br /><br />今日、関空→瀋陽への航空券を購入した。直行便はなく北京経由で往復の二日は移動日になる。六泊七日と言っても正味五日間の滞在。初日の瀋陽北駅前のホテルも予約した。何でこんなに早いのか?自分でも呆れる。 <br /><br />そしてネットで沙河の手前での日露の戦いの場であった柳匠屯を探していたら地図上に「日俄会戦碑日本碑(日露戦争碑日本碑)」と「日俄会戦碑俄ロ斯碑(ロシア碑)」が沙河の南側に東西に離れてあるのを見つけた。日本の碑が破壊されずにあるのには驚いた。また行く所が増えた。 <br /><br />「日俄会戦碑日本碑」で検索したら2012年に訪れた日本人の「白樺寄語」というブログがあった。今年の秋に私もこの碑の前に立つはずだハハハ。「第四軍戦蹟碑」とあり、まさに祖父の従軍の地だ。 <br />http://baihuajiyu.blog.shinobi.jp/jianzhuguji/%E5%A5%89%E5%A4%A9%E6%B2%99%E6%B2%B3%E4%BC%9A%E6%88%A6%E8%B7%A1%EF%BC%88%E9%81%BC%E5%AF%A7%E7%9C%81%E7%80%8B%E9%99%BD%E5%B8%82%EF%BC%89<br /><br />「日俄会戦碑日本碑(日露戦争碑日本碑)」と「日俄会戦碑俄ロ斯碑(ロシア碑)」 <br /><br />https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&amp;ll=41.602992,123.445473&amp;spn=0.027277,0.038581&amp;t=m&amp;brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&amp;z=15<br /><br />//////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年6月16日(月) <br /><br />■満洲への旅 <br /><br />瀋陽から大虎山へ。でも大虎山の飛行場跡などの情報は未だ皆無。それより日露戦争時の「首山堡の戦い」「三塊石山の血染めの連隊旗」「万宝山の戦い」の場所が分かり、そっちに比重が移っている。 <br />http://yamahiko-farm.jp/blog2/shuzanpo/<br /><br />これらは祖父が従軍した場所であり、第四軍の従軍軌跡でもある。「2005/平成17年、日露戦争勝利から百年目に行った彼の地」に再び行こう。大虎山から遼陽に行き、9年前に宿泊した遼陽賓館にまた泊まろうと思う。その時案内してもらった満州族のタクシーの運転手の携帯に電話してみよう。 <br /><br />当時、阿杰は35歳。9年後の今は44歳・・・か。もし同じ電話番号でまた彼のタクシーに乗ることになったら面白い。そして首山堡・三塊石山・万宝山に行こう。 <br /><br />//////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年6月19日(木) <br /><br />■真実は一つ <br /><br />日本人の自虐史観の原因となっている「侵略戦争」「南京虐殺」「慰安婦の強制連行」も、その他大東亜戦争に関連しての日本の悪行と言われるものは全て虚構であり、それが日本国・日本政府の定説にならない限り日本人は納得しない。 <br /><br />日本政府は「河野談話検証を20日発表」ということのようだが、「慰安婦の強制連行はなく、奴隷でもなく売春婦として慰安所で働いた」という毅然たる回答でなければ、この問題は、いつまで経っても大多数の日本人は納得しないだろう。 <br /><br />「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」のブログでこのことを取り上げている。韓国・安秉直ソウル大教授が神発言「慰安婦連行が強制的でないのは歴史的事実」も紹介されている。 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/<br /><br /><br />///////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年6月30日(月) <br /><br />■大虎山の飛行場 <br /><br />この秋に行く満洲:大虎山。昭和20年8月19日、赤峰のソ連戦車軍団に向かって最後の特攻出撃があったのが大虎山の飛行場だ。その飛行場のあった場所が分からない。 <br /><br />日本のネット検索でも中国の検索サイト「百度」でも何の情報もない。最後の頼みの綱でもある「アジア資料センター」で「大虎山・飛行場」「大虎山・陸軍第5練習飛行隊」などで検索しても飛行場の場所は不明。 http://www.jacar.go.jp/<br /><br />そんなことで今日は防衛省に電話をした。そして防衛省の「戦史研究センター」を紹介してもらって電話(03-5721-7005)をした。Hさん(男性)が出てくれて事情を話したら「明日までに調べておくので、明日また電話して下さい」と言われた。 <br /><br />一昨年も1900年義和団事件の時の北京の日本公使館の場所を外務省に尋ねた時に「調べます」と担当者が言ってくれたが結局返答はなかった。こういったことはミャンマーで日本大使館に行き調査を頼んだ時もそうだったし、何度か経験しているが一度たりとも期待に応えてもらったことはない。 <br /><br />その時の返事は良くても後は全部無視だった。明日も期待しないで約束の午後1時過ぎにHさんに電話をする。「ねずさんの ひとりごと 女性の乗った特攻機」でも紹介されている <br /><br /><br />////////////////////////////////////////<br /><br /><br />2014.平成26年7月1日(火) <br /><br /><br />■大虎山 <br /><br />午後1時過ぎに昨日電話で質問をした防衛省の戦史研究センターのHさんに電話を掛けた。Hさんは大虎山の8月19日の特攻出撃のこともその一機に奥さんが乗っていたことも知っていた。しかし大虎山飛行場は地図に記載なく不明とのこと。 <br /><br />ソ連の進攻によって現地部隊は書類を焼却し残っていないとのことだった。そして戦後帰還した元兵士の口述などの回想記やメモ書きの略図などが靖國神社の「靖国偕行文庫」に行けば、特操一期生が書き残している物があるかもしれないということだった。 http://www.yasukuni.or.jp/archives/index.html<br /><br />1945年に大虎山に住んでいた現地の中国人なら飛行場跡を知っているかも知れない。大きな町ではないので飛行場があったなら知っているはずだ。陸軍の駐屯地跡や駅前にあった「伊予屋」、尋常小学校・大虎山神社などの跡地も現地に行ってから聞いてみよう。それしかない。 <br /><br />////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年7月3日(木) <br /><br />■日露戦争 <br /><br />秋の満洲は最後の特攻出撃地の大虎山に二泊。その後は日露戦跡を巡る。今の予定では遼陽に二泊して遼陽会戦の最激戦地だった首山堡(しゅざんぽ)。そして遼陽から奉天への進撃途中の「血染めの連隊旗」で有名な三塊石山(さんかいせきざん)に行く。それに備えて「坂の上の雲」司馬遼太郎(著)「望郷の歌」石光真清の手記などを読み返している。 <br /><br />何回読んでも新に「そうだったのか」といろんなことに気がつく。もうとっくに司馬史観なるものを毛嫌いしている私であり、そういう意味でも最初に読んだ時の感動とはまったく違う。石光真清の手記も時系列や内容にも疑問符が付くものが多い。これもネットでいろんな情報を知り得るからだ。 <br /><br />まだ読んでいないが最良の情報は「アジア歴史資料センター」の資料だ。これは紛れもない一級資料で当時の軍事機密の最たる戦争経過などの現場での報告書を含め、誰でも閲覧も文書全部の保存も印刷も出来る。そして「日露戦争特別展」もある。 http://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/rikujou05_detail.html<br /><br />首山堡の戦いは、戦死し軍神となった橘周太少佐が有名だ。石光真清は橘少佐を兄のように慕っていた。手記の中にも詳しく書かれている。石光真清は第二軍:奥 保鞏司令官の司令部副官として身近にいた。その石光真清の弟:石光真臣大尉が第四軍:出征第十師団野戦砲兵第十連隊大隊長だった。 <br /><br />第四軍第十師団は祖父:昌次郎と同じ師団であり、野戦砲兵第十連隊第二中隊には祖父の弟(鹿蔵)の友人:塩見長光がおり戦地から鹿蔵宛の手紙が残っている。「そうか塩見長光さんは石光真清の弟の大隊に所属していたのか・・・」と。祖父も塩見さんも綾部から出征し騎兵と砲兵と所属は違うが同じ姫路で軍籍に身を置いた。いろんなことが分かれば面白い。 <br /><br />三塊石山では私の「フォートラベル」の掲示板に「血染めの連隊旗:安村範雄(やすむら のりお)少将」の“ひ孫”さんが書き込んでくれている。 <br />http://bujinkensyokai.web.fc2.com/yasumuranorio.html<br /><br />9年前の旅では「開発で削られてなくなった」と聞かされて行かなかった三塊石山が今もそのまま残っていた。資料センターの地図で場所が分かり今の地図で確認したらあった。 <br /><br />//////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年7月31日(木) <br /><br />■首山堡の戦い <br />http://yamahiko-farm.jp/blog2/2014/02/post-965.html<br />「やまひこブログ」静岡連隊首山堡の激戦を読めば戦いの全容が分かる。「坂の上の雲」司馬遼太郎(著)、「望郷の歌」石光真清(著)などにも書かれているが、このブログの方が百倍詳しく中味も充実している。 <br /><br />まだ全部をしっかり読んでいないが旅の資料となり、旅行記の資料にもなる。まだ他にも沢山の資料があるが、何故か今回は未だに集中できずはかどっていない。アジア歴史資料センターによる日露戦争特別展もそうだが、あまりに情報があり過ぎて呆然としている。 <br /><br />あり過ぎても無くても困る。うまく整理が出来ず頭を抱えているのが現況だ。そんな時、この「静岡連隊首山堡の激戦」に出会えてひとまず首山堡の戦いについてはこのブログを主に参考にする。正確で詳しいし整理もされている。三塊石山の戦いは、今はネット上にはないが以前保存していた歩兵第十聯隊:M軍曹(記)の従軍記を参考にする。 <br /><br />煙龍山(別名:万宝山)の戦いもM軍曹の従軍記を主に参考にする。日露戦争特別展の資料は当時の機密扱いの軍事資料で超一級資料ばかりだが余りに多くて中味を精査出来ない。そんな忍耐力も能力も無い。素晴らしい資料がありながら利用できない情けなさ。やはり歳のせいなのか?そう誤魔化しておこう。 <br /><br />////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年8月18日(月) <br /><br />■大虎山・首山堡・三塊石山・萬寶山 <br /><br />この四ヶ所の戦跡を巡る。旧満洲内にある。関空→北京そして瀋陽に到着し瀋陽で一泊。朝から汽車かバスで大虎山へ。大虎山で二泊の予定だがホテルらしきものは駅前に一つ。一体そこに宿泊可能なのか?行って見ないと分からない。もしダメなら黒山県に泊まる。 <br /><br />そこからバスで遼陽へ。二泊しながら遼陽会戦の激戦地:軍神「橘周太中佐」が戦死した橘山に行く。橘山の隣の北大山(ほくたいさん)には今もロシア軍の陣地跡が残っているようだ。 <br /><br />この北大山では東大工学部卒後、少尉で征途に着き、この北大山に一番乗りした「市川紀元二中尉」が有名だ。日露の戦いは中隊長や小隊長といった現場指揮官の将校の戦死が極めて多い。<br />http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/kigenjifile/kigenji.html<br /><br />抜刀して突撃の先頭に立っているから当然といえる。「勇将の下に弱卒無し」を文字通り実践していた。しかしこんな戦いを続ければ将校不足になり戦いの継続は難しくなる。当時の軍事機密でもある戦況報告などが公開されている「日露戦争特別展」を見ればその凄まじい戦いぶりが良く分かる。今の日本とは隔世の感あり。 <br /><br />明治37年、1904年・・・か。今年は2014年だから110年前のことになる。祖父の戦跡巡りは日露戦争勝利1905年から100年の2005年だった。あれからもう9年が経った。大虎山は大東亜戦争最後の特攻出撃の場所であり、他は日露戦争戦跡だ。今は準備も出来ず不安ばかりなり。欲張らず無理せず行こう、ハハハ。 <br /><br />////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年8月22日(金) <br /><br /><br />■「妻と飛んだ特攻兵」豊田正義(著) <br /><br />大虎山から特攻出撃した谷藤徹夫少尉と妻。やっと読み終えたが、著者である豊田にはガッカリした。48歳のノンフィクション作家ということだが、満洲引揚者に対して「関東軍の満洲防衛作戦は、最初から開拓民を切り捨てる計画だったのを知ったとき、どのようなお気持ちでしたか?」との質問をしている。 <br /><br />その他も満洲建国も含めて関東軍の暴走謀略を強調し、「張学良」を有能な人物であるように肯定的に書いている。「関東軍は最初から開拓民を切り捨てる計画」・・・この一文は許せない。豊田は何を持って断定するのか?満ソ国境の要塞守備隊はどことも最後まで戦いソ連の進攻を遅らせている。 <br /><br />「最初から切り捨てる計画」などとよく言うものだ。こんな男がこの本の書いたのかと思うと正直ガッカリだ。豊田はこの本を書くに際して大虎山に行っていないのだろう。飛行場跡がどこなのか?官舎がどこなのか?何も書かれていない。 <br /><br />

    駅から北東方向にある大虎山

    ここから赤峰のソ連戦車群に向かって11機が飛び立った
    一機は離陸失敗、一機は途中エンジン不調により不時着

    神州不滅特別攻撃隊は女性二人が同乗し
    この大虎山を見下ろして北方向に飛び去った
    /////////////////////////////////////////////

    2014.平成26年5月27日(火)

    ■大陸か台湾か

    年二回の海外旅行。次はどこに行こうか?「満洲:大虎山」か「高雄」に行こう。「ロシア:ウラジオストック、ハバロフスク」「インドネシア」等々近くで行きたいところも沢山あるけど、今年も秋にいろいろあるので準備の余裕がなく慣れた場所を優先するつもり。

    反日支那大陸に行くのは抵抗もあるが、毎年のように行っていたので又行きたくもなる。大虎山は「神州不滅特別飛行攻撃隊」が昭和20年8月19日、終戦後に赤峰のソ連軍戦車に向けて特攻出撃した場所だ。そこに大虎山飛行場があった。
    http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-sinsyu.htm

    平成23年に写真週刊誌「フライデー」が三週に渡って特集しており、その雑誌を買って「いつかここに行こう」と、三冊を書棚に置いていた。今はまだ決めていないが、この秋に満洲:大虎山に行き、来年1月か2月の寒い時に台湾:高雄に行こうかなあ〜。

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    2014.平成26年6月5日(木)

    ■大虎山と三塊石山

    次回の旅は大虎山と三塊石山に行く。平成24年9月、張家口に行って以来の大陸中国への旅となる。大虎山は「妻と飛んだ特攻兵」豊田正義(著)で紹介された最後の特攻の出撃地だ。終戦の四日後に特攻出撃11機のうち一機は離陸途中で墜落、一機はエンジン不調で途中で不時着。9機が飛び去った。戦果は今尚不明。

    大虎山
    https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=41.616597,122.151833&spn=0.105235,0.154324&t=m&brcurrent=3,0x0:0x0,1&z=13

    私がこのことを知ったのは、3年前の平成23年のことになる。大虎山は満洲でもありいつかこの場所に行く機会があるだろうと思っていた。でもいざ行く事を決めてネットで検索しても大虎山に飛行場の痕跡がない。中国の検索ネット「百度:バイドゥ」で、簡体字の中国語でいろんな文言をいれて試しても飛行場らしきはない。
    日本の軍隊がそこに駐屯していた。1945年大虎山には神社もあり尋常小学校もあった。そして駅前に関東軍指定旅館の「伊予屋」もあった。関東軍もいたし日本人の暮らしもあったはずがネット上に痕跡はない。これが台湾なら日本関係の資料もこっちが驚くほど出てくるのに・・・。

    「妻と飛んだ特攻兵」を購入して、そこに地図か場所を明示する何かがあることを期待していたが、著者も現地には行っていないのか?何も書かれていない。このままなら向こうで尋ねるしかない。飛行場はどこにあったのか?分からなければ大虎山の上から大虎山鎮の街並みを眺めるだけでも良い。

    この大虎山のことで見ていたら祖父の行軍軌跡を辿った場所にも近いのでまたそのことが頭の中に浮かんできた。そしてフォートラベルの掲示板の半平太さんの書き込みにあった三塊石山のことが気になって調べたら場所が分かった。そして今も三塊石山は存在しているようだ。

    http://4travel.jp/traveler/akashids/bbs

    1904/明治37年10月28日祖父の手紙に書かれていた「於 煙台」も11月に書かれた「双台子於テ」の場所も分った。こんどの旅は奉天(瀋陽)から大虎山に行き、そこから三塊石山、煙台、双台子、そして瀋陽に戻る。どこも大きな町ではないので行く前のホテル予約などは難しそうだ。さあ次回の旅はすでに始まった。

    三塊石山

    https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=41.481833,123.451996&spn=0.109312,0.154324&t=m&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&z=13

    ///////////////////////////////////////////

    2014.平成26年6月6日(金)

    ■満洲の旅

    今日、関空→瀋陽への航空券を購入した。直行便はなく北京経由で往復の二日は移動日になる。六泊七日と言っても正味五日間の滞在。初日の瀋陽北駅前のホテルも予約した。何でこんなに早いのか?自分でも呆れる。

    そしてネットで沙河の手前での日露の戦いの場であった柳匠屯を探していたら地図上に「日俄会戦碑日本碑(日露戦争碑日本碑)」と「日俄会戦碑俄ロ斯碑(ロシア碑)」が沙河の南側に東西に離れてあるのを見つけた。日本の碑が破壊されずにあるのには驚いた。また行く所が増えた。

    「日俄会戦碑日本碑」で検索したら2012年に訪れた日本人の「白樺寄語」というブログがあった。今年の秋に私もこの碑の前に立つはずだハハハ。「第四軍戦蹟碑」とあり、まさに祖父の従軍の地だ。
    http://baihuajiyu.blog.shinobi.jp/jianzhuguji/%E5%A5%89%E5%A4%A9%E6%B2%99%E6%B2%B3%E4%BC%9A%E6%88%A6%E8%B7%A1%EF%BC%88%E9%81%BC%E5%AF%A7%E7%9C%81%E7%80%8B%E9%99%BD%E5%B8%82%EF%BC%89

    「日俄会戦碑日本碑(日露戦争碑日本碑)」と「日俄会戦碑俄ロ斯碑(ロシア碑)」

    https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=41.602992,123.445473&spn=0.027277,0.038581&t=m&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1&z=15

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    2014.平成26年6月16日(月)

    ■満洲への旅

    瀋陽から大虎山へ。でも大虎山の飛行場跡などの情報は未だ皆無。それより日露戦争時の「首山堡の戦い」「三塊石山の血染めの連隊旗」「万宝山の戦い」の場所が分かり、そっちに比重が移っている。
    http://yamahiko-farm.jp/blog2/shuzanpo/

    これらは祖父が従軍した場所であり、第四軍の従軍軌跡でもある。「2005/平成17年、日露戦争勝利から百年目に行った彼の地」に再び行こう。大虎山から遼陽に行き、9年前に宿泊した遼陽賓館にまた泊まろうと思う。その時案内してもらった満州族のタクシーの運転手の携帯に電話してみよう。

    当時、阿杰は35歳。9年後の今は44歳・・・か。もし同じ電話番号でまた彼のタクシーに乗ることになったら面白い。そして首山堡・三塊石山・万宝山に行こう。

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    2014.平成26年6月19日(木)

    ■真実は一つ

    日本人の自虐史観の原因となっている「侵略戦争」「南京虐殺」「慰安婦の強制連行」も、その他大東亜戦争に関連しての日本の悪行と言われるものは全て虚構であり、それが日本国・日本政府の定説にならない限り日本人は納得しない。

    日本政府は「河野談話検証を20日発表」ということのようだが、「慰安婦の強制連行はなく、奴隷でもなく売春婦として慰安所で働いた」という毅然たる回答でなければ、この問題は、いつまで経っても大多数の日本人は納得しないだろう。

    「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」のブログでこのことを取り上げている。韓国・安秉直ソウル大教授が神発言「慰安婦連行が強制的でないのは歴史的事実」も紹介されている。 http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/


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    2014.平成26年6月30日(月)

    ■大虎山の飛行場

    この秋に行く満洲:大虎山。昭和20年8月19日、赤峰のソ連戦車軍団に向かって最後の特攻出撃があったのが大虎山の飛行場だ。その飛行場のあった場所が分からない。

    日本のネット検索でも中国の検索サイト「百度」でも何の情報もない。最後の頼みの綱でもある「アジア資料センター」で「大虎山・飛行場」「大虎山・陸軍第5練習飛行隊」などで検索しても飛行場の場所は不明。 http://www.jacar.go.jp/

    そんなことで今日は防衛省に電話をした。そして防衛省の「戦史研究センター」を紹介してもらって電話(03-5721-7005)をした。Hさん(男性)が出てくれて事情を話したら「明日までに調べておくので、明日また電話して下さい」と言われた。

    一昨年も1900年義和団事件の時の北京の日本公使館の場所を外務省に尋ねた時に「調べます」と担当者が言ってくれたが結局返答はなかった。こういったことはミャンマーで日本大使館に行き調査を頼んだ時もそうだったし、何度か経験しているが一度たりとも期待に応えてもらったことはない。

    その時の返事は良くても後は全部無視だった。明日も期待しないで約束の午後1時過ぎにHさんに電話をする。「ねずさんの ひとりごと 女性の乗った特攻機」でも紹介されている


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    2014.平成26年7月1日(火)


    ■大虎山

    午後1時過ぎに昨日電話で質問をした防衛省の戦史研究センターのHさんに電話を掛けた。Hさんは大虎山の8月19日の特攻出撃のこともその一機に奥さんが乗っていたことも知っていた。しかし大虎山飛行場は地図に記載なく不明とのこと。

    ソ連の進攻によって現地部隊は書類を焼却し残っていないとのことだった。そして戦後帰還した元兵士の口述などの回想記やメモ書きの略図などが靖國神社の「靖国偕行文庫」に行けば、特操一期生が書き残している物があるかもしれないということだった。 http://www.yasukuni.or.jp/archives/index.html

    1945年に大虎山に住んでいた現地の中国人なら飛行場跡を知っているかも知れない。大きな町ではないので飛行場があったなら知っているはずだ。陸軍の駐屯地跡や駅前にあった「伊予屋」、尋常小学校・大虎山神社などの跡地も現地に行ってから聞いてみよう。それしかない。

    ////////////////////////////////////////

    2014.平成26年7月3日(木)

    ■日露戦争

    秋の満洲は最後の特攻出撃地の大虎山に二泊。その後は日露戦跡を巡る。今の予定では遼陽に二泊して遼陽会戦の最激戦地だった首山堡(しゅざんぽ)。そして遼陽から奉天への進撃途中の「血染めの連隊旗」で有名な三塊石山(さんかいせきざん)に行く。それに備えて「坂の上の雲」司馬遼太郎(著)「望郷の歌」石光真清の手記などを読み返している。

    何回読んでも新に「そうだったのか」といろんなことに気がつく。もうとっくに司馬史観なるものを毛嫌いしている私であり、そういう意味でも最初に読んだ時の感動とはまったく違う。石光真清の手記も時系列や内容にも疑問符が付くものが多い。これもネットでいろんな情報を知り得るからだ。

    まだ読んでいないが最良の情報は「アジア歴史資料センター」の資料だ。これは紛れもない一級資料で当時の軍事機密の最たる戦争経過などの現場での報告書を含め、誰でも閲覧も文書全部の保存も印刷も出来る。そして「日露戦争特別展」もある。 http://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/rikujou05_detail.html

    首山堡の戦いは、戦死し軍神となった橘周太少佐が有名だ。石光真清は橘少佐を兄のように慕っていた。手記の中にも詳しく書かれている。石光真清は第二軍:奥 保鞏司令官の司令部副官として身近にいた。その石光真清の弟:石光真臣大尉が第四軍:出征第十師団野戦砲兵第十連隊大隊長だった。

    第四軍第十師団は祖父:昌次郎と同じ師団であり、野戦砲兵第十連隊第二中隊には祖父の弟(鹿蔵)の友人:塩見長光がおり戦地から鹿蔵宛の手紙が残っている。「そうか塩見長光さんは石光真清の弟の大隊に所属していたのか・・・」と。祖父も塩見さんも綾部から出征し騎兵と砲兵と所属は違うが同じ姫路で軍籍に身を置いた。いろんなことが分かれば面白い。

    三塊石山では私の「フォートラベル」の掲示板に「血染めの連隊旗:安村範雄(やすむら のりお)少将」の“ひ孫”さんが書き込んでくれている。
    http://bujinkensyokai.web.fc2.com/yasumuranorio.html

    9年前の旅では「開発で削られてなくなった」と聞かされて行かなかった三塊石山が今もそのまま残っていた。資料センターの地図で場所が分かり今の地図で確認したらあった。

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    2014.平成26年7月31日(木)

    ■首山堡の戦い
    http://yamahiko-farm.jp/blog2/2014/02/post-965.html
    「やまひこブログ」静岡連隊首山堡の激戦を読めば戦いの全容が分かる。「坂の上の雲」司馬遼太郎(著)、「望郷の歌」石光真清(著)などにも書かれているが、このブログの方が百倍詳しく中味も充実している。

    まだ全部をしっかり読んでいないが旅の資料となり、旅行記の資料にもなる。まだ他にも沢山の資料があるが、何故か今回は未だに集中できずはかどっていない。アジア歴史資料センターによる日露戦争特別展もそうだが、あまりに情報があり過ぎて呆然としている。

    あり過ぎても無くても困る。うまく整理が出来ず頭を抱えているのが現況だ。そんな時、この「静岡連隊首山堡の激戦」に出会えてひとまず首山堡の戦いについてはこのブログを主に参考にする。正確で詳しいし整理もされている。三塊石山の戦いは、今はネット上にはないが以前保存していた歩兵第十聯隊:M軍曹(記)の従軍記を参考にする。

    煙龍山(別名:万宝山)の戦いもM軍曹の従軍記を主に参考にする。日露戦争特別展の資料は当時の機密扱いの軍事資料で超一級資料ばかりだが余りに多くて中味を精査出来ない。そんな忍耐力も能力も無い。素晴らしい資料がありながら利用できない情けなさ。やはり歳のせいなのか?そう誤魔化しておこう。

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    2014.平成26年8月18日(月)

    ■大虎山・首山堡・三塊石山・萬寶山

    この四ヶ所の戦跡を巡る。旧満洲内にある。関空→北京そして瀋陽に到着し瀋陽で一泊。朝から汽車かバスで大虎山へ。大虎山で二泊の予定だがホテルらしきものは駅前に一つ。一体そこに宿泊可能なのか?行って見ないと分からない。もしダメなら黒山県に泊まる。

    そこからバスで遼陽へ。二泊しながら遼陽会戦の激戦地:軍神「橘周太中佐」が戦死した橘山に行く。橘山の隣の北大山(ほくたいさん)には今もロシア軍の陣地跡が残っているようだ。

    この北大山では東大工学部卒後、少尉で征途に着き、この北大山に一番乗りした「市川紀元二中尉」が有名だ。日露の戦いは中隊長や小隊長といった現場指揮官の将校の戦死が極めて多い。
    http://www1.linkclub.or.jp/~oya-wm/kigenjifile/kigenji.html

    抜刀して突撃の先頭に立っているから当然といえる。「勇将の下に弱卒無し」を文字通り実践していた。しかしこんな戦いを続ければ将校不足になり戦いの継続は難しくなる。当時の軍事機密でもある戦況報告などが公開されている「日露戦争特別展」を見ればその凄まじい戦いぶりが良く分かる。今の日本とは隔世の感あり。

    明治37年、1904年・・・か。今年は2014年だから110年前のことになる。祖父の戦跡巡りは日露戦争勝利1905年から100年の2005年だった。あれからもう9年が経った。大虎山は大東亜戦争最後の特攻出撃の場所であり、他は日露戦争戦跡だ。今は準備も出来ず不安ばかりなり。欲張らず無理せず行こう、ハハハ。

    ////////////////////////////////

    2014.平成26年8月22日(金)


    ■「妻と飛んだ特攻兵」豊田正義(著)

    大虎山から特攻出撃した谷藤徹夫少尉と妻。やっと読み終えたが、著者である豊田にはガッカリした。48歳のノンフィクション作家ということだが、満洲引揚者に対して「関東軍の満洲防衛作戦は、最初から開拓民を切り捨てる計画だったのを知ったとき、どのようなお気持ちでしたか?」との質問をしている。

    その他も満洲建国も含めて関東軍の暴走謀略を強調し、「張学良」を有能な人物であるように肯定的に書いている。「関東軍は最初から開拓民を切り捨てる計画」・・・この一文は許せない。豊田は何を持って断定するのか?満ソ国境の要塞守備隊はどことも最後まで戦いソ連の進攻を遅らせている。

    「最初から切り捨てる計画」などとよく言うものだ。こんな男がこの本の書いたのかと思うと正直ガッカリだ。豊田はこの本を書くに際して大虎山に行っていないのだろう。飛行場跡がどこなのか?官舎がどこなのか?何も書かれていない。

  • 大虎山山頂から大虎山市内を望む <br /><br />??右斜め前方に大虎山の駅がある。飛行場は鉄道の南にあったようだ。 <br /><br />2014/平成26年9月17日(水):13:15:撮影 <br /><br />//////////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年8月28日(木) <br /><br />■大虎山 <br /><br />昭和20年8月19日に満洲:大虎山飛行場から神州不滅特攻隊の11機が出撃した。その内の一機は離陸時に墜落、一機は途中でエンジン不調で不時着。残りの9機は赤峰のソ連戦車群に突入したと思われる。ソ連軍の記録になく戦果は不明。 <br /><br />その慰霊碑が当時の上官たちの尽力で世田谷観音に建立された。その大虎山の飛行場跡がどこにあるのか?分からないので、世田谷観音宛にメールを送っていたら今日その返事があった。 http://www.setagayakannon.com/index.cgi?mn=oth&amp;id=humetutokubetu<br /><br />そこには『御連絡が遅くなりまして申し訳ございません。ご存命の方で○○さんに本日やっと連絡がとれました。正確な場所は不明との事でしたが知り合いに連絡をとり、安保様あてに御連絡を入れるとの回答をもらいました。少しお時間を頂くこととなりますがよろしくお願いします。』と書かれてあった。 <br /><br />忙しいなかどこの馬の骨か分からぬ私からのお願いに時間を割いてもらい感謝しかない。○○さんは当時17歳で大虎山で訓練生だった方であり、谷藤徹夫少尉のことも『温厚で教え方も丁寧でやさしかったです』と語っている。「防衛省防衛研究所戦史研究センター」に問い合わせても飛行場の場所は不明だった。 <br /><br />どんな情報が得られるのか分からないが、どんな些細なことでもありがたい。当時大虎山には尋常小学校も大虎山神社もあり日本人の暮らしがあった。小さな街なので、行けば何かが分かるかも知れない。二泊三日の予定で訪ねる。ホテルの情報もなく行ってから宿を探す不安もあるけど・・・。 <br /><br />瀋陽で一泊「瀋陽時代広場酒店」、大虎山二泊「未定」、遼陽で二泊「遼陽賓館」、最後の一泊は今日飛行場傍の「瀋陽空港酒店」を予約した。これでホテルの予約は完了。大虎山と日露戦跡「首山堡・三塊石山・万宝山」が今回の旅の目的地だ。どうなることか・・・。大虎山も山に登る。他も皆山登り?足腰鍛えられるがちょっと怖いなあ。 <br /><br />野良犬がいないように願う。幼稚園児の頃に飼い犬に手首を咬まれパンパンに腫れた。以来犬が怖い。 <br /><br />////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年9月10日(水) <br /><br />■旅の準備 <br /><br />こんなに準備をせずに出発日が近くづくのは初めてのことだ。関連本もあまり読まずというより大虎山の特攻に関しての本は一冊だけだし情報も少ない。世田谷観音さんに連絡を取ってもらった元兵士の方から連絡は未だなく。 <br /><br />「首山堡・三塊石山・万宝山」の戦跡は1904年の日露戦争時のことで今から110年前のことになる。行く場所は決まっているが汽車か?バスか?も決まっていない。宿泊は初日瀋陽一泊・大虎山二泊・遼陽二泊・瀋陽飛行場傍一泊の六泊で大虎山での宿泊は現地で探す。出発が近づくといつも大概不安になるハハハ。 <br /><br />//////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年9月13日(土) <br /><br />■ドキドキしながら・・・。 <br /><br />旧満洲:遼陽の阿杰(A jie)宅に電話を掛けた。2005/平成17年5月に『「日露戦争勝利100年」:祖父従軍の足跡を追って満州へ』行った時、遼陽で二日間タクシーを包車(貸切)した時の運転手が阿杰。 <br /><br />自宅の電話で「010−86(中国)−電話番号」を押したら市内電話同様にすぐに掛かる。何の違和感も無い。今ではそれが当然なのかもだけど「凄いなあ」と思ってしまう。待ち受けの音楽が聞こえた後、子供が出た。「阿杰はいる?」と聞いたら大人に代わり女性が出てきた。阿杰の奥さんなのだろう。 <br /><br />私の下手な中国語にも付き合ってくれた。「私は日本人で2005年に阿杰の車を包車した。もうすぐ遼陽に行くのでその時包車したい」と言ったが、相手は私の話の大部分が意味不明のようで「アンタは誰?名前は?」と何度も聞かれた。 <br /><br />その内、何となくでもお互いに言っていることが理解できたようで、私も彼女が「阿杰は今車に乗っていない。ホテルで働いている」ということが分かった。そして「そうなら仕方が無い。謝謝!(ありがとう)」と言って電話を切った。残念だったが仕方が無い。その時と同じホテル(遼陽賓館)に今回も泊まる。電話だと百倍緊張ばかりで上手く話せない。ホンマ進歩が無い。 <br /><br />////////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年6月6日(金) <br /><br /><br />■旅行日程 <br /><br />【航空会社】 中国国際航空<br />【日程】<br />往路  CA928   2014/09/16  13:50 関西国際空港発<br />          2014/09/16  16:00 北京首都国際空港着<br />    CA1625   2014/09/16  18:40 北京首都国際空港発<br />          2014/09/16  20:10 瀋陽桃仙国際空港着 <br /><br />復路  CA1652   2014/09/22  12:00 瀋陽桃仙国際空港発<br />          2014/09/22  13:35 北京首都国際空港着<br />    CA161   2014/09/22  16:25 北京首都国際空港発<br />          2014/09/22  20:30 関西国際空港着 <br /><br />【航空券料金】  大人  19,000円 <br />【国内空港使用料】大人  3,040円 <br />【その他諸税等】 大人  20,020円<br />--------------------------------<br />【ご請求金額(お一人様)】 大人  42,060円<br />-------------------------------- <br /><br />  9月16日(火)<br />宿泊:瀋陽時代広場酒店<br />    遼寧省瀋陽市瀋河区北駅路99号<br />     TEL+86-24-22532828 <br /><br />9月17日(水)<br />  中華人民共和国遼寧省錦州市黒山県大虎山鎮<br />  宿泊:大虎山 ホテル未定 <br /><br />9月18日(木)<br />  宿泊:大虎山 ホテル未定 <br /><br />9月19日(金)<br />  宿泊:遼陽賓館<br />  中国 ??最省??飜市白塔区 中?大街一段61号<br />  TEL +86 419 228 8166 <br /><br />9月20日(土)<br />  宿泊:遼陽賓館 同上 <br /><br />9月21日(日)<br />  宿泊:瀋陽空港酒店<br />  住所〒110169 中国 遼寧省沈陽桃仙国際空港場区内 <br />  TEL+86-24-89397055 <br /><br />9月22日(月)<br />帰国へ <br /><br /><br />////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年9月15日(月) <br /><br /><br />■明日の今頃は瀋陽か・・・。 <br /><br />現在時午後9時15分。中国時間は午後8時15分・・・か。明日の今ごろはやっと瀋陽桃仙(Tao xian タオシエン)空港に着いたころだ。これからリムジンバスに乗って瀋陽北站まで行き、そこから歩いて目の前にあるはずの「瀋陽時代広場酒店」にチェックインしてホッと一息だろう。 <br /><br />このホテルは今回私が泊まる一番高いホテル。“agoda”で予約した。四星で料金は「JPY 7,991 (USD 78.01)」夜遅く入って朝早く出るのにこんな良いホテルは必要なかったけど取り消しも邪魔臭く「まあええか」となった。年齢とともに探すのも選ぶのもなんだか邪魔臭くなる。 <br /><br />瀋陽→大虎山→遼陽「首山堡・北大山・三塊石山・本渓湖・柳匠屯・万宝山」が今回の目的地だ。山・山・山と山が沢山あるように山をいくつも登る羽目になりそうだ。大虎山以外は日露戦争の戦跡巡り。 <br /><br />年二回の海外旅行、春に台湾宜蘭に行った。その時は最初からアクシデントが多かったが結果的に充実の旅だった。今回はまず安全に旅をしよう。そして有意義な旅となることを願う。出発前はいつも不安になる。私にとって旅は修行だ。 <br /><br />今回は大虎山の神州不滅特別攻撃隊の資料も少なく、日露戦争に関しては逆に多すぎて手に付かず。まとまらないまま出かける。帰国後に旅行記作りで頑張ろう。一体いつまで一人旅を続けることが出来るのか?神のみぞ知るハハハ。 <br /><br />////////////////////////////////////<br /><br />2014.平成26年9月16日(火) <br /><br />■バックは9kg <br /><br />いざ出発! <br /><br />バックの中味の下着・靴下は百円ショップ、お菓子も日々減って行く。帰国時はバックの重さは何キロになているのか? <br /><br />

    大虎山山頂から大虎山市内を望む

    ??右斜め前方に大虎山の駅がある。飛行場は鉄道の南にあったようだ。

    2014/平成26年9月17日(水):13:15:撮影

    //////////////////////////////////////////////

    2014.平成26年8月28日(木)

    ■大虎山

    昭和20年8月19日に満洲:大虎山飛行場から神州不滅特攻隊の11機が出撃した。その内の一機は離陸時に墜落、一機は途中でエンジン不調で不時着。残りの9機は赤峰のソ連戦車群に突入したと思われる。ソ連軍の記録になく戦果は不明。

    その慰霊碑が当時の上官たちの尽力で世田谷観音に建立された。その大虎山の飛行場跡がどこにあるのか?分からないので、世田谷観音宛にメールを送っていたら今日その返事があった。 http://www.setagayakannon.com/index.cgi?mn=oth&id=humetutokubetu

    そこには『御連絡が遅くなりまして申し訳ございません。ご存命の方で○○さんに本日やっと連絡がとれました。正確な場所は不明との事でしたが知り合いに連絡をとり、安保様あてに御連絡を入れるとの回答をもらいました。少しお時間を頂くこととなりますがよろしくお願いします。』と書かれてあった。

    忙しいなかどこの馬の骨か分からぬ私からのお願いに時間を割いてもらい感謝しかない。○○さんは当時17歳で大虎山で訓練生だった方であり、谷藤徹夫少尉のことも『温厚で教え方も丁寧でやさしかったです』と語っている。「防衛省防衛研究所戦史研究センター」に問い合わせても飛行場の場所は不明だった。

    どんな情報が得られるのか分からないが、どんな些細なことでもありがたい。当時大虎山には尋常小学校も大虎山神社もあり日本人の暮らしがあった。小さな街なので、行けば何かが分かるかも知れない。二泊三日の予定で訪ねる。ホテルの情報もなく行ってから宿を探す不安もあるけど・・・。

    瀋陽で一泊「瀋陽時代広場酒店」、大虎山二泊「未定」、遼陽で二泊「遼陽賓館」、最後の一泊は今日飛行場傍の「瀋陽空港酒店」を予約した。これでホテルの予約は完了。大虎山と日露戦跡「首山堡・三塊石山・万宝山」が今回の旅の目的地だ。どうなることか・・・。大虎山も山に登る。他も皆山登り?足腰鍛えられるがちょっと怖いなあ。

    野良犬がいないように願う。幼稚園児の頃に飼い犬に手首を咬まれパンパンに腫れた。以来犬が怖い。

    ////////////////////////////////////

    2014.平成26年9月10日(水)

    ■旅の準備

    こんなに準備をせずに出発日が近くづくのは初めてのことだ。関連本もあまり読まずというより大虎山の特攻に関しての本は一冊だけだし情報も少ない。世田谷観音さんに連絡を取ってもらった元兵士の方から連絡は未だなく。

    「首山堡・三塊石山・万宝山」の戦跡は1904年の日露戦争時のことで今から110年前のことになる。行く場所は決まっているが汽車か?バスか?も決まっていない。宿泊は初日瀋陽一泊・大虎山二泊・遼陽二泊・瀋陽飛行場傍一泊の六泊で大虎山での宿泊は現地で探す。出発が近づくといつも大概不安になるハハハ。

    //////////////////////////////////////

    2014.平成26年9月13日(土)

    ■ドキドキしながら・・・。

    旧満洲:遼陽の阿杰(A jie)宅に電話を掛けた。2005/平成17年5月に『「日露戦争勝利100年」:祖父従軍の足跡を追って満州へ』行った時、遼陽で二日間タクシーを包車(貸切)した時の運転手が阿杰。

    自宅の電話で「010−86(中国)−電話番号」を押したら市内電話同様にすぐに掛かる。何の違和感も無い。今ではそれが当然なのかもだけど「凄いなあ」と思ってしまう。待ち受けの音楽が聞こえた後、子供が出た。「阿杰はいる?」と聞いたら大人に代わり女性が出てきた。阿杰の奥さんなのだろう。

    私の下手な中国語にも付き合ってくれた。「私は日本人で2005年に阿杰の車を包車した。もうすぐ遼陽に行くのでその時包車したい」と言ったが、相手は私の話の大部分が意味不明のようで「アンタは誰?名前は?」と何度も聞かれた。

    その内、何となくでもお互いに言っていることが理解できたようで、私も彼女が「阿杰は今車に乗っていない。ホテルで働いている」ということが分かった。そして「そうなら仕方が無い。謝謝!(ありがとう)」と言って電話を切った。残念だったが仕方が無い。その時と同じホテル(遼陽賓館)に今回も泊まる。電話だと百倍緊張ばかりで上手く話せない。ホンマ進歩が無い。

    ////////////////////////////////////////

    2014.平成26年6月6日(金)


    ■旅行日程

    【航空会社】 中国国際航空
    【日程】
    往路  CA928   2014/09/16  13:50 関西国際空港発
              2014/09/16  16:00 北京首都国際空港着
        CA1625   2014/09/16  18:40 北京首都国際空港発
              2014/09/16  20:10 瀋陽桃仙国際空港着

    復路  CA1652   2014/09/22  12:00 瀋陽桃仙国際空港発
              2014/09/22  13:35 北京首都国際空港着
        CA161   2014/09/22  16:25 北京首都国際空港発
              2014/09/22  20:30 関西国際空港着

    【航空券料金】  大人  19,000円
    【国内空港使用料】大人  3,040円
    【その他諸税等】 大人  20,020円
    --------------------------------
    【ご請求金額(お一人様)】 大人  42,060円
    --------------------------------

      9月16日(火)
    宿泊:瀋陽時代広場酒店
        遼寧省瀋陽市瀋河区北駅路99号
         TEL+86-24-22532828

    9月17日(水)
      中華人民共和国遼寧省錦州市黒山県大虎山鎮
      宿泊:大虎山 ホテル未定

    9月18日(木)
      宿泊:大虎山 ホテル未定

    9月19日(金)
      宿泊:遼陽賓館
      中国 ??最省??飜市白塔区 中?大街一段61号
      TEL +86 419 228 8166

    9月20日(土)
      宿泊:遼陽賓館 同上

    9月21日(日)
      宿泊:瀋陽空港酒店
      住所〒110169 中国 遼寧省沈陽桃仙国際空港場区内
      TEL+86-24-89397055

    9月22日(月)
    帰国へ


    ////////////////////////////////////

    2014.平成26年9月15日(月)


    ■明日の今頃は瀋陽か・・・。

    現在時午後9時15分。中国時間は午後8時15分・・・か。明日の今ごろはやっと瀋陽桃仙(Tao xian タオシエン)空港に着いたころだ。これからリムジンバスに乗って瀋陽北站まで行き、そこから歩いて目の前にあるはずの「瀋陽時代広場酒店」にチェックインしてホッと一息だろう。

    このホテルは今回私が泊まる一番高いホテル。“agoda”で予約した。四星で料金は「JPY 7,991 (USD 78.01)」夜遅く入って朝早く出るのにこんな良いホテルは必要なかったけど取り消しも邪魔臭く「まあええか」となった。年齢とともに探すのも選ぶのもなんだか邪魔臭くなる。

    瀋陽→大虎山→遼陽「首山堡・北大山・三塊石山・本渓湖・柳匠屯・万宝山」が今回の目的地だ。山・山・山と山が沢山あるように山をいくつも登る羽目になりそうだ。大虎山以外は日露戦争の戦跡巡り。

    年二回の海外旅行、春に台湾宜蘭に行った。その時は最初からアクシデントが多かったが結果的に充実の旅だった。今回はまず安全に旅をしよう。そして有意義な旅となることを願う。出発前はいつも不安になる。私にとって旅は修行だ。

    今回は大虎山の神州不滅特別攻撃隊の資料も少なく、日露戦争に関しては逆に多すぎて手に付かず。まとまらないまま出かける。帰国後に旅行記作りで頑張ろう。一体いつまで一人旅を続けることが出来るのか?神のみぞ知るハハハ。

    ////////////////////////////////////

    2014.平成26年9月16日(火)

    ■バックは9kg

    いざ出発!

    バックの中味の下着・靴下は百円ショップ、お菓子も日々減って行く。帰国時はバックの重さは何キロになているのか?

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 半平太さん 2017/02/20 06:31:41
    拝読しました
    詳細な旅行記ありがとうございます。
    曾祖父の戦死した場所をいつか訪問して感謝と尊敬の念を捧げたいと思っています。
    三塊石山は今も当時と同じような威容をたたえているようですね。
    厚かましいお願いですが、宿泊費、交通費の概算を教えていただければ幸いです。
    意外とお手頃価格なので食指が動きます。

    明石DS

    明石DSさん からの返信 2017/02/20 17:06:56
    RE: 拝読しました
    お久しぶりです

    三塊石山はやはり私が行った場所だと
    グーグルアースを見て今は確信しています
    当時と随分外観は変わっていますが・・・。

    宿泊費・交通費の概算は旅行記に書いているのが

    3年前の平成26年では 関空⇔北京⇔瀋陽
    往復
    【航空券料金】  大人  19,000円
    【国内空港使用料】大人  3,040円
    【その他諸税等】 大人  20,020円
    --------------------------------
    【ご請求金額(お一人様)】 大人  42,060円

    遼陽のホテル
    遼陽賓館(一泊¥176元×2泊=¥356元 日本円約5,857)

    諸経費含めて10万円以内で行けるのではと思いますが
    航空運賃はすぐに変わるので何とも言えません

    機会があれば是非訪れて下さい





    半平太

    半平太さん からの返信 2017/02/21 05:37:07
    RE: RE: 拝読しました
    > お久しぶりです
    >
    > 三塊石山はやはり私が行った場所だと
    > グーグルアースを見て今は確信しています
    > 当時と随分外観は変わっていますが・・・。
    >
    > 宿泊費・交通費の概算は旅行記に書いているのが
    >
    > 3年前の平成26年では 関空⇔北京⇔瀋陽
    > 往復
    > 【航空券料金】  大人  19,000円
    > 【国内空港使用料】大人  3,040円
    > 【その他諸税等】 大人  20,020円
    > --------------------------------
    > 【ご請求金額(お一人様)】 大人  42,060円
    >
    > 遼陽のホテル
    > 遼陽賓館(一泊¥176元×2泊=¥356元 日本円約5,857)
    >
    > 諸経費含めて10万円以内で行けるのではと思いますが
    > 航空運賃はすぐに変わるので何とも言えません
    >
    > 機会があれば是非訪れて下さい
    >
    >
    >
    >
    >
    >

    半平太

    半平太さん からの返信 2017/02/21 05:39:58
    RE: RE: 拝読しました
    早速のご返信ありがとうございます。
    機会を作り訪問したいと思います。

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