2009/07 - 2009/07
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彷徨人MUさん
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7).「錦州」へ
「錦州」は、嘗て、中国の「東北」と「華北」を結ぶ軍事上の要衝の地であったが、現在は、「京瀋線」と「錦承線」が交差する、交通の要衝の地である。
満州事変後、無抵抗主義を標榜しながらも、密かに軍事行動を目論む『張学良』を排除しようと、関東軍参謀の『石原莞爾』が、自ら「錦州」攻撃を立案し、10月8日、「錦州」上空から,軍事施設を奇襲した。この日僕の泊まった「石化ホテル」から歩いて10分程の鉄道線路の北側近くに、当時の奉天軍の司令部が置かれていた「鉄路一中」があった。日本軍は、12月30日、関内に撤退する奉天軍で混雑している「錦州」駅を空爆し、翌1938年1月3日、「錦州」に無血入城している。
次の日、「開発区」の見学後、「葫芦島港」に出た。『張学良』が、満州の港湾物流の中心にしようとした港であったが、皮肉にも、満州に王道楽土の夢を見て移住した日本人は、敗戦後、この港に集められ、アメリカの上陸艇に、押し込められ、命からがら、母国に帰されたという、その港でもあった。
8).「瀋陽」へ 、 「皇姑屯事件」現場から、「張氏帥府」へ
「錦州南駅」から、中国版新幹線の「和階号」に乗り、「瀋陽」に向かった。「瀋陽北」駅前から、モール街を通り、「ハルピン路」に面しているアメリカ系のホテル「瀋陽レキシントンホテル」に、その日、僕は宿泊した。翌朝、車で、「ハルピン路」を西に向かい、「三洞橋」の標識を、右に折れ、鉄道線路の高架橋の手前で、車を降りた。「三洞橋」のガード下を抜けると、フェンスで仕切られた嘗ての「京奉線」に出た。戦前は、上を、日本経営の「南満州鉄道」が、下は、北京・奉天を結ぶ「京奉線」が走っていたが、現在は、鉄道はすべて高架となり、クロス鉄橋は無くなっていた。散歩していた人が、「三洞橋」のガード付近の土手に一緒に登ってくれて、フェンス近くの黒ずんだ石碑を指し、『皇姑屯事件発生地』の碑だと、説明してくれた。
爆発時、下を走っていた「張作霖」の乗っていた車両を、「皇姑屯」の鉄橋が押しつぶし、「張作霖」は、駆け寄った部下達に救助され、「張氏帥府」の「小青楼」の、第五夫人の部屋に運ばれて間もなく、息を引き取っている。
この後、「瀋陽故宮」の近くの「張氏帥府」に向かった。「張氏帥府」の正面には「張学良」の立像が置かれていた。敷地内は、「東院」、「西院」、「中院」に区割りされ、「東院」には、「大青楼」と、「小青楼」があり、夫人や子女の生活の場所であった。「張作霖」は、瀕死の状態で、「小青楼」に運ばれ、そこで亡くなっている。
『日本人は私の父を殺し、その真相を曖昧のまま隠そうとした。私の父は日本と組むことを欲していたし、私自身も同じ気持ちでした。しかし、あのようなことをしたのは日本人です。どうして私が再び日本と組むことができるでしょうか。』と、息子「張学良」は、後に語っている。
9). 旅の終わりに
「民族的独立」と「国家統一」を、如何に達成するかという命題は、父の非業の最後から、「西安事件」に至るまでの「張学良」の行動指針でもあったのだろう。育ちも、考え方も異なるが、父「張作霖」と、息子「張学良」の、固い父子の絆を、僕は、羨ましく思いながら、旅を続けた。(完)
* Coordinator: Gu Hong
「
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広済寺の古塔の夕暮れ。大仏寺ともいい、門前に遼の清寧3年(1057)建立の高さ57m・八角13層の磚塔があるが、檐はすでに脱落している。
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広済寺にある古塔の先端部分。
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広済寺の古塔の夕暮れ。大仏寺ともいい、門前に遼の清寧3年(1057)建立の高さ57m・八角13層の磚塔があるが、檐はすでに脱落している
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広済寺の古塔。遼の清寧3年(1057)建立の高さ57m・八角13層の磚塔である。
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広済寺の古塔。遼の清寧3年(1057)建立の高さ57m・八角13層の磚塔である。
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広済寺の古塔の夜景。遼の清寧3年(1057)建立の高さ57m・八角13層の磚塔である。
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筆架山島付近の海岸
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筆架山島と、海を挟んだ手前の海岸。
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筆架山島への海の道。
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三洞橋のガードを通り抜けたあたりの土手の上から眺めた『皇姑屯事件発生地』付近の碑。以前読んだ本では『張作霖爆殺地点』と刻まれた碑があったと書いてあった。
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三洞橋のガードを通り抜けたあたりの土手の上から眺めた『皇姑屯事件発生地』付近の碑。以前読んだ本では『張作霖爆殺地点』と刻まれた碑があったと書いてあった。その碑は、中央の白い電柱の中央部に見える黒い部分である。
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三洞橋のガード下と線路。
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三洞橋の標識
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瀋陽故宮の近くの瀋陽路にある『張氏帥府』の入り口に立つ、張学良碑。
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瀋陽故宮の近くの瀋陽路にある『張氏帥府』
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瀋陽の『張氏帥府』の中院入り口。
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瀋陽の『張氏帥府』の中院の前庭、中央の樹は、雷電木とも呼ばれるキササゲである。
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瀋陽の『張氏帥府』の中院
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瀋陽の『張氏帥府』の中院の執務室。父張作霖の蝋人形。
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瀋陽の『張氏帥府』の中院、会議室
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瀋陽の『張氏帥府』の大青楼
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瀋陽の『張氏帥府』の大青楼の内部
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瀋陽の『張氏帥府』の大青楼の内部
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瀋陽の『張氏帥府』の大青楼の内部。中央は孫文の写真。
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瀋陽の『張氏帥府』の大青楼の内部
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瀋陽の『張氏帥府』の大青楼の内部
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瀋陽の『張氏帥府』の大青楼の外観
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張学良の夫人趙一荻(趙四小姐)故居.
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張学良の夫人趙一荻(趙四小姐)故居内のダンスホール。
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張学良の夫人趙一荻(趙四小姐)故居の内部.
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瀋陽の『張氏帥府』の外観
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錦州北駅
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錦州南駅。和階号動車組列車が到着。
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縦書きの文章は、張学良の墓誌銘に書かれた聖書の言葉。
「復活在我 生命也在我 信我的人〇然死了 亦必復活」
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1998年、張学良の直筆による礼状。瀋陽の『張氏帥府』の張学良記念館に大勢の人が参観してくれたことに対する礼状であろう。
『私を懐かしく思っていただくことを、とても感謝しております。そして神に感謝いたします。』
彼は、台湾で敬虔なクリスチャンとなった。 -
少しおかしな日本語ですか、張氏帥府の『小青楼』の日本語の説明文。
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瀋陽最初の日の夕食。ホテルに近いハルピン路にある『新洪記』
まず紹興酒、『会稽山陳年十年』 -
紹興酒、『会稽山陳年十年』の外箱に書かれた李白の詩
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『小葱拌蛤仔王』(アサリと長葱の炒め物)
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『鮑魚撈飯』(鮑のトロトロおじや)
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『西湖蓴菜』(西湖じゅんさいスープ)、その左の皿は、『蒜茸扇貝』(帆立の貝の上に春雨をひき、帆立貝を載せ、大蒜の微塵切りを入れ、蒸したもの)
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清蒸八宝魚
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