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1).  旅の始めに<br /><br />              花槐  散りぬる夢に 漂らむ<br /><br />  黄海と渤海に挟まれ、「山東半島」と対峙するかのように突き出た「遼東半島」は,日本人にとり、千千なる思いを巡らすところと言えよう。日本は、「下関条約」で手に入れた「遼東半島」を、三国干渉により手放すことになった。その干渉国であるロシアが、この半島を租借し、「青泥窪」と呼ばれていたこの地を、「ダーリニー」(遠い)と呼ぶ街に開発したのだ。1905年、そのロシアとの戦いに勝つや、ロシアの持つ中国大陸の利権を引き継ぎ、此処「大連」を起点に、日本は大陸への進出を図っていったのである。<br /><br />2).「大連」から「鞍山」へ<br /><br />  「大連」に到着した日、ホテルから「中山広場」へ歩いてたら、1909年に、日本から持ち込まれた路面電車が、追い越して行った。僕は、「三八広場」(旧朝日広場)で、路面電車に乗り、料金箱に1元を入れ、「世紀街」、「勝利橋」(旧日本橋)を経て、「大連駅前」まで、チンチン電車を楽しんでいた。<br />  翌日、午前8時、「大連」駅から「沈大線」に乗り、「鞍山」に向かった。市街地を出ると、両側はトウモロコシ畑が続いていた。やがて、古いビル群が続く市街地を、列車はスピードを落としながら、「鞍山」駅に着いた。<br />  <br />3).「湯崗子温泉」へ<br /><br />  駅からは、タクシーで、「湯崗子温泉」に向かった。先程乗ってきた鉄道線路に沿って、戻ること7キロ、「湯崗子温泉」と書かれた大きな正門を見つけた。この地は、嘗ては「南満州鉄道」の付属地であり、敷地内には建物が何棟もあり、その中の、「龍宮飯店」と書かれた古い宿泊施設に向かった。チェックインの後、蓮池を通り、「全泥宮」と書かれた建物に向かった。名物「泥温泉」である。コンクリートで丸く囲まれた砂交じりの泥場があり、砂を掻き揚げ、平らにした泥の床に、仰向けに寝ると、中国人の三助が、泥をスコップで掛けてくれる。「泥温泉」は男女混浴であり、30代半ばの中国人女性、韓国人の初老の男、それにいずれも立派な体格のロシア人の小母さん2、3人と一緒であった。<br /><br />4).「湯崗子温泉」での、「清朝」最後の皇帝「溥儀」<br /><br />  翌日、何処からか流れてくる日本の流行歌で、目が覚めた。ホテル前の広場は、日本の演歌を伴奏に健康ダンスに興ずる人々で溢れていた。建物の奥に、皇帝「溥儀」(注1)と、「皇后」が入浴したお風呂があるというので、朝食の帰りに見に出かけた。その部屋の壁のタイル画は、竜宮城で乙姫様の歓迎を受ける浦島太郎の図であった。<br /><br /> (注1)  1931年9月18日、満州事変勃発。11月10日夜、宣統帝「溥儀」は、天津市の「白河埠頭」から、11日未明、日本軍所属の船を乗り継ぎ、13日早朝、遼寧省「営口」市の満鉄埠頭に到着、汽車で、「湯崗子温泉」に入り、「対翠閣」で宿泊。18日、「旅順大和ホテル」に移り、軟禁状態のまま、年を越す。<br /><br />5).「張学良」の生まれ故郷へ<br /><br />  「張学良」の生まれた「台安県」へは、「湯崗子温泉」から、「鞍山市」に向かう省道を通り、タクシーで向かった。町に入って間もなく、ローターリーの中央に、軍服の「張学良」の像があり、その脇に「八角台」と書いてあった。「張学良」の父「張作霖」は、馬賊間の縄張り争いに負け、身重の妻と娘を連れて、台安県の「八角台」に逃れ、その近くの「台安県桓洞鎮鄂家村」で、「張学良」は生まれている。台湾での軟禁が解かれた1990年に、NHKの『張学良の昭和史最後の証言』の中で、「学良」は、父「張作霖」を思い出し、次のように述べている。『私が産声を上げた丁度その日、父は初めての戦に勝ちました。父がのし上がって行ったのは、この勝利がキッカケでした。父は、私のことを本当に可愛がってくれました。まさに「千金の子」だったのです。』<br />  「張作霖」は、息子「学良」をとても可愛がり、名前にも「学」を付け、多くの家庭教師をつけ、勉強をさせた。後に、学良は、『本当は人を救う医者になりたかったのだが、人を殺す軍人になってしまった』と、述べている。「学良」の生まれた家には、裏庭には樹齢300年の棗の大木があった。1991年に、赤くなったこの棗の実を、台湾の張学良に送ったら、『棗の木の下でよく遊んだものです。棗の実を見て、昔のことがいろいろと思い出すことが出来、本当に嬉しく思います。ありがとう』と、学良からの礼状があったそうだ。<br /><br />6).「張作霖」死後の、「張学良」  <br />         <br />  父「張作霖」が、日本軍に爆殺された時、学良は「北京」で、彼の誕生を祝うパーテイをしていたが、炊事兵に変装し密かに「奉天」に戻ったと言われている。これを期に、一気に東北三省を完全制覇しようとの日本軍の思惑は、日本軍には抵抗しないという奉天軍の戦略により、達成することはできなかった。<br />  『張学良の昭和史最後の証言』の中で、次のように述べている。『例え、私の父が日本軍に殺されなかったとしても、私はやはり同じことをしていたでしょう。私はず-っと中国の国家統一を主張してきたからです。・・・。父の死が私の気持ちを動かしたのではありません。あの事件の所為で、私はそれまで以上に「抗日運動」に没頭するようになりました。』(②に続く)。<br /><br />* Coordinator:   Hong Gu       <br />                           <br /><br />                                   <br /><br />

【遼寧省】  大連・ 鞍山 * 張作霖・学良 父子の 見果てぬ夢を 旅する(1)

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2009/07 - 2009/07

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).  旅の始めに

              花槐  散りぬる夢に 漂らむ

  黄海と渤海に挟まれ、「山東半島」と対峙するかのように突き出た「遼東半島」は,日本人にとり、千千なる思いを巡らすところと言えよう。日本は、「下関条約」で手に入れた「遼東半島」を、三国干渉により手放すことになった。その干渉国であるロシアが、この半島を租借し、「青泥窪」と呼ばれていたこの地を、「ダーリニー」(遠い)と呼ぶ街に開発したのだ。1905年、そのロシアとの戦いに勝つや、ロシアの持つ中国大陸の利権を引き継ぎ、此処「大連」を起点に、日本は大陸への進出を図っていったのである。

2).「大連」から「鞍山」へ

  「大連」に到着した日、ホテルから「中山広場」へ歩いてたら、1909年に、日本から持ち込まれた路面電車が、追い越して行った。僕は、「三八広場」(旧朝日広場)で、路面電車に乗り、料金箱に1元を入れ、「世紀街」、「勝利橋」(旧日本橋)を経て、「大連駅前」まで、チンチン電車を楽しんでいた。
  翌日、午前8時、「大連」駅から「沈大線」に乗り、「鞍山」に向かった。市街地を出ると、両側はトウモロコシ畑が続いていた。やがて、古いビル群が続く市街地を、列車はスピードを落としながら、「鞍山」駅に着いた。
  
3).「湯崗子温泉」へ

  駅からは、タクシーで、「湯崗子温泉」に向かった。先程乗ってきた鉄道線路に沿って、戻ること7キロ、「湯崗子温泉」と書かれた大きな正門を見つけた。この地は、嘗ては「南満州鉄道」の付属地であり、敷地内には建物が何棟もあり、その中の、「龍宮飯店」と書かれた古い宿泊施設に向かった。チェックインの後、蓮池を通り、「全泥宮」と書かれた建物に向かった。名物「泥温泉」である。コンクリートで丸く囲まれた砂交じりの泥場があり、砂を掻き揚げ、平らにした泥の床に、仰向けに寝ると、中国人の三助が、泥をスコップで掛けてくれる。「泥温泉」は男女混浴であり、30代半ばの中国人女性、韓国人の初老の男、それにいずれも立派な体格のロシア人の小母さん2、3人と一緒であった。

4).「湯崗子温泉」での、「清朝」最後の皇帝「溥儀」

  翌日、何処からか流れてくる日本の流行歌で、目が覚めた。ホテル前の広場は、日本の演歌を伴奏に健康ダンスに興ずる人々で溢れていた。建物の奥に、皇帝「溥儀」(注1)と、「皇后」が入浴したお風呂があるというので、朝食の帰りに見に出かけた。その部屋の壁のタイル画は、竜宮城で乙姫様の歓迎を受ける浦島太郎の図であった。

 (注1)  1931年9月18日、満州事変勃発。11月10日夜、宣統帝「溥儀」は、天津市の「白河埠頭」から、11日未明、日本軍所属の船を乗り継ぎ、13日早朝、遼寧省「営口」市の満鉄埠頭に到着、汽車で、「湯崗子温泉」に入り、「対翠閣」で宿泊。18日、「旅順大和ホテル」に移り、軟禁状態のまま、年を越す。

5).「張学良」の生まれ故郷へ

  「張学良」の生まれた「台安県」へは、「湯崗子温泉」から、「鞍山市」に向かう省道を通り、タクシーで向かった。町に入って間もなく、ローターリーの中央に、軍服の「張学良」の像があり、その脇に「八角台」と書いてあった。「張学良」の父「張作霖」は、馬賊間の縄張り争いに負け、身重の妻と娘を連れて、台安県の「八角台」に逃れ、その近くの「台安県桓洞鎮鄂家村」で、「張学良」は生まれている。台湾での軟禁が解かれた1990年に、NHKの『張学良の昭和史最後の証言』の中で、「学良」は、父「張作霖」を思い出し、次のように述べている。『私が産声を上げた丁度その日、父は初めての戦に勝ちました。父がのし上がって行ったのは、この勝利がキッカケでした。父は、私のことを本当に可愛がってくれました。まさに「千金の子」だったのです。』
  「張作霖」は、息子「学良」をとても可愛がり、名前にも「学」を付け、多くの家庭教師をつけ、勉強をさせた。後に、学良は、『本当は人を救う医者になりたかったのだが、人を殺す軍人になってしまった』と、述べている。「学良」の生まれた家には、裏庭には樹齢300年の棗の大木があった。1991年に、赤くなったこの棗の実を、台湾の張学良に送ったら、『棗の木の下でよく遊んだものです。棗の実を見て、昔のことがいろいろと思い出すことが出来、本当に嬉しく思います。ありがとう』と、学良からの礼状があったそうだ。

6).「張作霖」死後の、「張学良」  
         
  父「張作霖」が、日本軍に爆殺された時、学良は「北京」で、彼の誕生を祝うパーテイをしていたが、炊事兵に変装し密かに「奉天」に戻ったと言われている。これを期に、一気に東北三省を完全制覇しようとの日本軍の思惑は、日本軍には抵抗しないという奉天軍の戦略により、達成することはできなかった。
  『張学良の昭和史最後の証言』の中で、次のように述べている。『例え、私の父が日本軍に殺されなかったとしても、私はやはり同じことをしていたでしょう。私はず-っと中国の国家統一を主張してきたからです。・・・。父の死が私の気持ちを動かしたのではありません。あの事件の所為で、私はそれまで以上に「抗日運動」に没頭するようになりました。』(②に続く)。

* Coordinator: Hong Gu




同行者
一人旅
交通手段
鉄道 観光バス タクシー

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  • 大連の駅前のビル群

    大連の駅前のビル群

  • 大連「中山広場」を取り巻く、旧日本時代の建物

    大連「中山広場」を取り巻く、旧日本時代の建物

  • 大連「中山広場」を取り巻く、旧日本時代のビル群

    大連「中山広場」を取り巻く、旧日本時代のビル群

  • 大連「中山広場」を取り巻く、旧日本時代の建物

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  • 「星海広場」付近の開発区内のビル群

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  • 大連市内を走る、新型の路面電車

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  • 大連駅前の路面電車

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  • 大連で人気上昇中の海鮮料理店「万宝海鮮舫」の正面玄関

    大連で人気上昇中の海鮮料理店「万宝海鮮舫」の正面玄関

  • 海鮮料理店「万宝海鮮舫」での夕食。<br /><br />紹興花雕酒十年陳醸(268元)

    海鮮料理店「万宝海鮮舫」での夕食。

    紹興花雕酒十年陳醸(268元)

  • 生海胆(生うに)

    生海胆(生うに)

  • 清炒芥蘭

    清炒芥蘭

  • 白灼基尾蝦(蒸しエビ)

    白灼基尾蝦(蒸しエビ)

  • 文蛤冬瓜湯(蛤と冬瓜のスープ)

    文蛤冬瓜湯(蛤と冬瓜のスープ)

  • 椰汁燉雪蛤(温かいデザート)

    椰汁燉雪蛤(温かいデザート)

  • 清蒸黄魚(淡水魚の蒸し物)

    清蒸黄魚(淡水魚の蒸し物)

  • 旅順港

    旅順港

  • 202路線の終点駅、「小平島」駅で停車する路面電車

    202路線の終点駅、「小平島」駅で停車する路面電車

  • 202路線を走る路面電車の中、手前の女性が、仕事熱心な車掌さん

    202路線を走る路面電車の中、手前の女性が、仕事熱心な車掌さん

  • 大連の老舗レストラン「天天漁港」本店<br /><br />清蒸多宝魚

    大連の老舗レストラン「天天漁港」本店

    清蒸多宝魚

  • 大連の老舗レストラン「天天漁港」本店<br /><br />デザート「木瓜燉雪蛤」

    大連の老舗レストラン「天天漁港」本店

    デザート「木瓜燉雪蛤」

  • 鞍山駅

    鞍山駅

  • 鞍山駅

    鞍山駅

  • 鞍山市の「湯崗子温泉」の正門

    鞍山市の「湯崗子温泉」の正門

  • 鞍山市の「湯崗子温泉」の正門

    鞍山市の「湯崗子温泉」の正門

  • 湯崗子温泉内の「泥温泉」の入り口

    湯崗子温泉内の「泥温泉」の入り口

  • 湯崗子温泉内の蓮池

    湯崗子温泉内の蓮池

  • 湯崗子温泉内の広場。早朝、ここで健康ダンスをする人々が集まる

    湯崗子温泉内の広場。早朝、ここで健康ダンスをする人々が集まる

  • 湯崗子温泉内にある「龍宮飯店」。<br />  <br />  この1階に僕は宿泊した。1931年、ラストエンペラー「溥儀」は、関東軍の土肥原大佐(当時)の誘いに乗り、満州国の皇帝になるため、天津から脱出して、この2階に宿泊した。日本軍はこの2階を貸切にして、実質軟禁状態であったようだ。翌年、執政そして皇帝になるため、旅順大和ホテルから、長春(当時新京)に向かう途中、このホテルに宿泊している。

    湯崗子温泉内にある「龍宮飯店」。
      
      この1階に僕は宿泊した。1931年、ラストエンペラー「溥儀」は、関東軍の土肥原大佐(当時)の誘いに乗り、満州国の皇帝になるため、天津から脱出して、この2階に宿泊した。日本軍はこの2階を貸切にして、実質軟禁状態であったようだ。翌年、執政そして皇帝になるため、旅順大和ホテルから、長春(当時新京)に向かう途中、このホテルに宿泊している。

  • 湯崗子温泉内の蓮池の蓮の花

    湯崗子温泉内の蓮池の蓮の花

  • 湯崗子温泉内の蓮池の蓮の花

    湯崗子温泉内の蓮池の蓮の花

  • 蓮池と「泥温泉施設」(全泥宮)

    蓮池と「泥温泉施設」(全泥宮)

  • 龍宮飯店内にある、皇帝「溥儀」が利用した温泉

    龍宮飯店内にある、皇帝「溥儀」が利用した温泉

  • 龍宮飯店内にある皇帝「溥儀」が利用した温泉の隣にある、皇后用の温泉の入り口

    龍宮飯店内にある皇帝「溥儀」が利用した温泉の隣にある、皇后用の温泉の入り口

  • 龍宮飯店内にある皇帝「溥儀」が利用した温泉の入り口。左手の壁は、浦島太郎が龍宮城で、乙姫様に迎えられている様子を、タイルを一枚づつ貼り付けて、描かれたタイル画であった。

    龍宮飯店内にある皇帝「溥儀」が利用した温泉の入り口。左手の壁は、浦島太郎が龍宮城で、乙姫様に迎えられている様子を、タイルを一枚づつ貼り付けて、描かれたタイル画であった。

  • 鞍山市台安県の、県庁所在地である「八角台」の街の中心にあるロータリーの中にある「張学良」の銅像。

    鞍山市台安県の、県庁所在地である「八角台」の街の中心にあるロータリーの中にある「張学良」の銅像。

  • 台安県桓洞鎮鄂家村にある、「張学良」の生誕地の記念館。

    台安県桓洞鎮鄂家村にある、「張学良」の生誕地の記念館。

  • 台安県桓洞鎮鄂家村にある、「張学良」の生誕記念館。

    台安県桓洞鎮鄂家村にある、「張学良」の生誕記念館。

  • 台安県桓洞鎮鄂家村にある、「張学良」の生誕記念館の裏庭。

    台安県桓洞鎮鄂家村にある、「張学良」の生誕記念館の裏庭。

  •   台安県桓洞鎮鄂家村にある「張学良」生誕記念館の裏庭にある樹齢300年の棗の木と、その手前にある自然に生えてきた楡の木。<br />  地元では、棗は、「張学良」の樹であり、楡は、第一夫人の「于鳳至」の樹であり、この二つの木を、夫婦の木と呼んでいる。

      台安県桓洞鎮鄂家村にある「張学良」生誕記念館の裏庭にある樹齢300年の棗の木と、その手前にある自然に生えてきた楡の木。
      地元では、棗は、「張学良」の樹であり、楡は、第一夫人の「于鳳至」の樹であり、この二つの木を、夫婦の木と呼んでいる。

  • 台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』(「張学良」)

    台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』(「張学良」)

  • 台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』(「張学良」)

    台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』(「張学良」)

  • 台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』(「張学良」)

    台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』(「張学良」)

  • 台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』にある、<br />                     「張学良夫人」の碑

    台安県桓洞鎮鄂家村にある『少帥陵』にある、
                         「張学良夫人」の碑

  • 鞍山市湯崗子温泉の、「龍宮飯店」の壁に貼ってあったラストエンペラー「溥儀」と皇后の写真集

    鞍山市湯崗子温泉の、「龍宮飯店」の壁に貼ってあったラストエンペラー「溥儀」と皇后の写真集

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