2012/05/19 - 2012/05/19
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浅草で働いている弟の嫁さんから”今週末は三社祭ですよ!”というメールを貰ったので出かけてきました。
久々に見ることができる御神輿。楽しみです。
下町に住んでいた子供の頃は、山車を引いたり御神輿を担いだりしたんですよね。
その後で貰えるお菓子の詰め合わせの袋とジュースが楽しみでした。
仲見世を通り観音様を拝んでから、伝法寺通りで御神輿を見ました。
その後で入谷を通って合羽橋まで行きました。
それでは”浅草 三社祭”編です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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電車で浅草に向かいました。
途中浅草が近付くにつれ、法被を着た人が乗ってきました。
これだけ大きいお祭りとなると、御神輿を担ぐ人は、地元の人だけではないんですね。
御神輿を担ぐ前にマックで腹ごしらえですか? -
イチオシ
携帯屋さんの所で写真を撮っている人がいたので覗いてみました。
イヤ〜御神輿を担ぐ準備が出来てますね。
帯もきりっと締めあげて。 -
まだそんなに混んでませんね。
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横道にそれてみました。
お坊さんもご出勤かな? -
何が嬉しいんだろう?でもちょっと山姥っぽくありませんか?
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お天気が良くて良かったです。
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人形焼を買おうかな?とでも考えているのかな?
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浅草七福神めぐりいつかやってみようかな?
でもお正月じゃないと御開帳やってないんじゃなかったかな?
日本のお正月。いいでしょうね。でも寒いからたぶんもう2度とは過ごせないと思います。
冬眠しちゃいます。
〜東京都台東区・荒川区の9寺社に祀られている七福神の巡礼札所。
古くは江戸時代末期に始まり親しまれてきたが、戦後一時中断、1977年(昭和52年)に復活した。
福禄寿、寿老人が2社ずつあるので計9ヶ所で構成されている。これは「九は数の究み、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩で。これは集まるの意味の他、天地の至数、易では陽を表す。」の故事に由来しているといわれる。
重複分である福禄寿を祀る今戸神社と寿老人を祀る鷲神社は別の神社巡りコースである「下町八社」にも加わっている。
エリア:東京都台東区・荒川区
巡礼距離:約8km
所要時間:約3時間
期間:1月1日 - 1月7日/9:00 - 16:00(期間外でも随時)
浅草寺 大黒天 聖観音宗 東京都台東区浅草2-3-1
浅草神社 恵比須 神道 東京都台東区浅草2-3-1
本龍院 待乳山聖天 毘沙門天 聖観音宗
東京都台東区浅草7-4-1
今戸神社 福禄寿 神道 東京都台東区今戸1-5-22
不動院 橋場不動院 布袋尊 天台宗
東京都台東区橋場2-14-19
石浜神社 寿老人 神道 東京都荒川区南千住3-28-58
吉原神社 弁財天 神道 東京都台東区千束3-20-2
鷲神社 寿老人 神道 東京都台東区千束3-18-7
矢先稲荷神社 福禄寿 神道
東京都台東区松ケ谷2-14-1浅草寺 寺・神社・教会
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浅草寺。昔”あさくさでら”と読んだ人がいたと聞いたことがあります。
浅草にあるお寺だかららしいですが。うーん!そうだけど。
~浅草寺(せんそうじ)とは、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。
山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。
元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。
観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。
東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。
江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
宝蔵門です。
〜入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)である。
現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻(ホテルニューオータニの創業者)の寄進によって建てられたものである。
門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。その名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっている。
耐震性の向上と参拝客に対する安全確保のため平成19年(2007年)に屋根改修工事を行い、軽量さと耐食性に優れたチタン成型瓦を全国ではじめて採用した。
使用したチタンは表面にアルミナブラスト加工を施したものでそれらをランダムに配置することで土瓦特有の「まだら感」を再現し、瓦と変わらない外観となっている。
また、主棟・隅棟・降棟・妻降棟すべての鬼飾もチタンで製作された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より
上部に見える「浅草寺」の扁額は、京都曼殊院門跡天台座主良尚法親王の書(元禄5年)の模写。
中央の「小舟町」の提灯は日本橋小舟町奉賛会より昭和63年10月に奉納され架け替えられました。
そして2003年の秋、江戸開府400年を記念して15年ぶりに新調されました。
奉納したのはやはり小舟町の人たちで、194の会社や個人から約500万円の費用が集められたそうです。大きさ重さとも従来のものと同じで、
高さ:3.75m、直径:2.7m、重さ:400kg
提灯の上部に小舟町から提灯を寄進することになったいきさつが記されています。それによると
「 奉納記 江戸開府四百年を慶賀し江戸萬治年間に創まる小舟町参百余年の傳統を継承し茲に大提燈壱張を浅草寺寶蔵門へ奉納するものなり日本橋小舟町 平成拾五年拾月吉祥日」と書かれています。
これまでの伝統を守って今回も寄進されたということです。宝蔵門 名所・史跡
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2個の吊灯籠は魚河岸講より、提灯と同じく昭和63年10月に奉納架け替えられたものです。
高さ:2.75m、重さ:1000kg、銅製、この灯篭には寄進者である、講のメンバーである七つの水産会社・魚市場の名が記されています。 -
仁王様こんにちわ。
〜伽藍守護の神で、寺門または須弥壇の両脇に安置した一対の金剛力士。
普通、開口形即ち阿形(あがた)を金剛像、閉口形即ち吽形(うんがた)を力士像と、また左は蜜迹(みつしゃく)金剛、右は那羅延(ならえん)金剛と分けて別尊のようにもいう。
ともに勇猛・獰悪(どうあく)の相をしている。 -
宝蔵門の裏側の仁王様の大わらじ。
門の北面の両側に 「浅草名物」のひとつ「大わらじ」がかけられています。
片方だけの大きさが長さ4.5m、巾1.5m、重さ500kgもある大きなもの。
山形県村山市の「奉賛会」から奉納されたもので、現在のわらじは平成10年に新しく奉納されたものです。宝蔵門 名所・史跡
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屋台も沢山出てました。
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スカイツリーはあちこちから見えるんですね。
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五重塔。
思ったよりも人が多くはありませんでした。
〜再建前の塔は慶安元年(1648年)の建立で本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。
現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より -
警備の方。お祭りだと忙しいでしょうね。
ご苦労様です。 -
本堂に入ります。
〜本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。
旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。
現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。
外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。
2009年2月から2010年12月にかけて、「平成本堂大営繕」が行われた。
屋根の葺き替えは昭和33年(1958年)の再建以来50年ぶり。
宝蔵門の改修工事でも用いたチタン成型瓦を採用。使用色も2色から3色に増やし、より粘土瓦に近い風合いを醸し出している。 -
ちゃんとお参りしてきました。
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イチオシ
天井の龍の絵。川端竜子画伯の「龍」
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イチオシ
優しそうなお顔です。堂本印象画伯による「天人散華」
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御神輿が通るのを待っているみたいでした。
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まだちょっと時間があるので浅草神社に行ってみました。
本堂の東側です。浅草神社(三社さま) 寺・神社・教会
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恵比寿様がいらっしゃるんですよね。
でも見ることはできません。
お正月だけかな? -
当初の 祭神は隅田川で観音像を発見した土師中知(はじのなかとも)と檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の三人。
平安時代末期からの権現思想の流行もあって、 中知を「阿弥陀如来」、浜成を「観世音菩薩」、竹成を「勢至菩薩」として祀ったことから 「三社権現社」と呼ぶ。
現在の社殿は慶安2年に徳川三代将軍家光によって再建されたもの。
江戸時代初期の「権現造り」といわれる神社の建築様式を伝える建物で「国の重要文化財」に指定。(拝殿、幣殿、本殿)
この再建のとき、先に焼失した「浅草東照宮」に祀られていた 「徳川家康」が合祀。
地元の人には「三社様」の愛称で親しまれ、浅草寺の縁起と不可分の関係にある。
内殿には法衣・七条袈裟の僧形の土師像(63cmの立木像)、立烏帽子に直衣(のうし)姿の兄弟の像(74cmの立木像)と徳川家康像(束帯坐像)が、 さらに浅草七福神のうちの「恵比寿神像」も祀られている。
神社は浅草寺の守護神であり、明治政府の「神仏分離令」によって浅草寺と分けられるまでは、神前で浅草寺の僧侶が読経を行っていた。
明治元年(1868)三社明神と名前が変わり、さらに同6年浅草神社と改名。浅草神社(三社さま) 寺・神社・教会
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本殿:三間社流造り、銅版葺き、
幣殿:桁行3間(6.5m)、梁間3間(2m)、前面入母屋造り
拝殿:桁行き7間(14.5m)、梁間3間(6m)、一重入母屋造り、本瓦葺
建立年:慶安2年(1649)、第三代将軍徳川家光の再建 -
三社祭は浅草神社のお祭りなんですよね。
浅草寺のお祭りではありません。浅草神社(三社さま) 寺・神社・教会
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奉納舞踊があるようでした。(無形文化財「びんざさらの舞」)
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人が増えてきましたね。
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でもちょっと外れるとこのように誰もいません。
浅草不動
〜不動尊は天台宗の「宝光山大行院」で浅草寺とは別のお寺です。関東三十六不動霊場の二十二番目のお寺(二十二番霊場は寿不動尊とする資料もあります)。
厄よけ、開運、虫封じに御利益のある寺として親しまれています。
それではそろそろ伝法院通りに向かいましょう。 -
法被姿の人が増えてきました。
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きりっとした法被姿素敵です。
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イチオシ
素敵な観客に巡り合えました。
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イチオシ
子供の御神輿
この女の子素敵ですね。
そして後ろの男の子 -
唐草模様??
お祭りの後はどうするんだろ? -
お巡りさんもいました。
御神輿も通り過ぎたのでちょっとお散歩のため脇にそれてみました。 -
”たぬき通り”です。
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願掛けたぬきの由来
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”大師たぬき”
交通安全祈願 -
”夫婦たぬき”
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”不動たぬき”
家内安全火除け祈願 -
”招福たぬき”
いろんなたぬきさんに会えました。
たぬきさんをなでてあげれば御利益に恵まれるという話です。 -
イチオシ
歩道もたぬき
この後はどこかでお昼でも食べてお散歩を続けます。
とりあえずここで一休み。
”三社祭編”終了です。
お付き合い下さり有難うございました。
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