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 100名城のスタンプ集めをしています。今回の四国4名城は過去に訪れていますが、スタンプ集めのため再度訪れました。四国には100名城が、東から徳島城祉、高松城址、丸亀城、今治城、松山城、湯築城、大洲城、宇和島城、高知城と9城が選定されています。この内、美しき現存天守4城ということで、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城を訪れました。<br /> 最初に訪れたのは、「うちわ」の生産日本一の丸亀市の丸亀城は石垣で有名です。次に道後温泉のはずれにある松山城は城の規模では四国随一です。2日目にリアス式海岸地帯の宇和島城へ、最後に山内一豊が入城し、幕末には坂本竜馬を輩出した高知城を訪れました。この4城は国重要文化財に指定されています。<br /> 写真は松山城大天守と小天守です。

四国の100名城を訪ねて/丸亀城、松山城、宇和島城、高知城

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2014/10/29 - 2014/10/30

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ひま人

ひま人さん

 100名城のスタンプ集めをしています。今回の四国4名城は過去に訪れていますが、スタンプ集めのため再度訪れました。四国には100名城が、東から徳島城祉、高松城址、丸亀城、今治城、松山城、湯築城、大洲城、宇和島城、高知城と9城が選定されています。この内、美しき現存天守4城ということで、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城を訪れました。
 最初に訪れたのは、「うちわ」の生産日本一の丸亀市の丸亀城は石垣で有名です。次に道後温泉のはずれにある松山城は城の規模では四国随一です。2日目にリアス式海岸地帯の宇和島城へ、最後に山内一豊が入城し、幕末には坂本竜馬を輩出した高知城を訪れました。この4城は国重要文化財に指定されています。
 写真は松山城大天守と小天守です。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.0
グルメ
3.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩

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  •  丸亀城(国重文)。標高66mの亀山に築かれた平山城です。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m、南北460mの内堀範囲が史跡に指定されています。「石の城」と形容されるその名のとおり、石垣の名城として全国的に有名です。

     丸亀城(国重文)。標高66mの亀山に築かれた平山城です。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m、南北460mの内堀範囲が史跡に指定されています。「石の城」と形容されるその名のとおり、石垣の名城として全国的に有名です。

  •  丸亀城天守。3層3階の現存木造天守です。高さは15m、1階北側には、石落や狭間があります。唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしています。この天守は四国内で最も古く万治3年(1660年)に完成しました。日本一小さな現存木造天守です。

     丸亀城天守。3層3階の現存木造天守です。高さは15m、1階北側には、石落や狭間があります。唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしています。この天守は四国内で最も古く万治3年(1660年)に完成しました。日本一小さな現存木造天守です。

  •  丸亀城天守。豊臣秀吉から讃岐を与えられた生駒親正(いこままさちか)は高松城を築き居城とし、西讃岐の抑えとして丸亀城を築いた。しかし、一国一城令で廃城となり、寛永18年(1641年)に山崎家治が入封。翌19年に再築に着手し、居城としました。ところが山崎氏も後継ぎがなく改易となり、その後に入った京極高和が城を完成させています。石垣は山崎時代に築かれたが、天守は京極氏時代のもので、完成は万治3年(1660年)です。11あった隅櫓は明治期にすべてが失われたが、天守と大手一の門、二の門は地元の保存要請によって残されました。

     丸亀城天守。豊臣秀吉から讃岐を与えられた生駒親正(いこままさちか)は高松城を築き居城とし、西讃岐の抑えとして丸亀城を築いた。しかし、一国一城令で廃城となり、寛永18年(1641年)に山崎家治が入封。翌19年に再築に着手し、居城としました。ところが山崎氏も後継ぎがなく改易となり、その後に入った京極高和が城を完成させています。石垣は山崎時代に築かれたが、天守は京極氏時代のもので、完成は万治3年(1660年)です。11あった隅櫓は明治期にすべてが失われたが、天守と大手一の門、二の門は地元の保存要請によって残されました。

  •  大手一の門。寛文10年(1670年)の頃、京極氏の時代に完成しました。楼上に太鼓を置き、城下に刻を知らせたことから、太鼓門と呼ばれています。

     大手一の門。寛文10年(1670年)の頃、京極氏の時代に完成しました。楼上に太鼓を置き、城下に刻を知らせたことから、太鼓門と呼ばれています。

  •  玄関先御門。この門は京極氏の屋敷の表門にあたり、形式は薬医門です。この門に接して番所・長屋があります。

     玄関先御門。この門は京極氏の屋敷の表門にあたり、形式は薬医門です。この門に接して番所・長屋があります。

  •  丸亀城石垣。三の丸北側の石垣は最も高く、20以上の城壁が続きます。隅角部の石垣は算木積みされた美しい曲線美で「扇の勾配」と呼ばれています。

     丸亀城石垣。三の丸北側の石垣は最も高く、20以上の城壁が続きます。隅角部の石垣は算木積みされた美しい曲線美で「扇の勾配」と呼ばれています。

  •  二の丸井戸。丸亀城で最高所にある井戸です。現在も水を湛え、深さは65mあります。石垣築造の功労者、羽坂重三郎は「飛ぶ鳥以外に城壁は乗り越えられまい」とご満悦の城主に「鉄棒さえあれば容易に」と言って登って見せたが城主は重三郎が来敵に通じることを恐れ、この井戸に埋められたという。

     二の丸井戸。丸亀城で最高所にある井戸です。現在も水を湛え、深さは65mあります。石垣築造の功労者、羽坂重三郎は「飛ぶ鳥以外に城壁は乗り越えられまい」とご満悦の城主に「鉄棒さえあれば容易に」と言って登って見せたが城主は重三郎が来敵に通じることを恐れ、この井戸に埋められたという。

  •  松山城大天守小天守(国重文)。高さは標高132m、天守は1階132hm、2階168hm、3階102hm、天守の高さは21mです。<br /> 約400年前、戦国時代の勇将で、賤ヶ岳の七本槍で有名な加藤嘉明により築城されたもので、天守は欅、栂、樟材をもって築城され、三重三階地下一階の層塔型天守です。

     松山城大天守小天守(国重文)。高さは標高132m、天守は1階132hm、2階168hm、3階102hm、天守の高さは21mです。
     約400年前、戦国時代の勇将で、賤ヶ岳の七本槍で有名な加藤嘉明により築城されたもので、天守は欅、栂、樟材をもって築城され、三重三階地下一階の層塔型天守です。

  •  松山城大天守小天守。

     松山城大天守小天守。

  •  大天守。

     大天守。

  •  戸無門(となしもん))。この門は、本丸の大手入口の最初に現存する高麗門です。登城通U字屈折の終点に位置します。昔から門扉がないので戸無門と呼ばれ、鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がありません。

     戸無門(となしもん))。この門は、本丸の大手入口の最初に現存する高麗門です。登城通U字屈折の終点に位置します。昔から門扉がないので戸無門と呼ばれ、鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がありません。

  •  乾櫓。築城当初の二重の隅櫓で、本丸の乾(北西)の隅の鈍角の石垣の上に鈍角の櫓が建っています。搦手(裏側)を防衛する重要な構えです。

     乾櫓。築城当初の二重の隅櫓で、本丸の乾(北西)の隅の鈍角の石垣の上に鈍角の櫓が建っています。搦手(裏側)を防衛する重要な構えです。

  •  鉄砲狭間。敵来襲の際の鉄砲の発射口。

     鉄砲狭間。敵来襲の際の鉄砲の発射口。

  •  筋鉄門。櫓門で天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は小天守と大天守をつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。

     筋鉄門。櫓門で天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は小天守と大天守をつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。

  •  天神櫓。卯蔵櫓、東隅櫓とも呼ばれ具足櫓であったが、後に本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏祖先神である天神(菅原道真)を祀ったのでこの名があります。

     天神櫓。卯蔵櫓、東隅櫓とも呼ばれ具足櫓であったが、後に本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏祖先神である天神(菅原道真)を祀ったのでこの名があります。

  •  小天守。

     小天守。

  •  大天守。

     大天守。

  •  宇和島城天守(国重文)。戦国時代、西園寺氏が築いた板島丸串(いたじままるぐし)城の場所に、慶長元年(1596年)から6年かけて藤堂高虎が築城。高虎移封後、富田信高を経て伊達正宗の長子・秀宗が元和元年(1615年)に10万石で入城し、その頃、宇和島と改称しました。秀宗の子・宗利の時、城の大改修に着手し、寛文11年、現在の天守などが落成しました。

     宇和島城天守(国重文)。戦国時代、西園寺氏が築いた板島丸串(いたじままるぐし)城の場所に、慶長元年(1596年)から6年かけて藤堂高虎が築城。高虎移封後、富田信高を経て伊達正宗の長子・秀宗が元和元年(1615年)に10万石で入城し、その頃、宇和島と改称しました。秀宗の子・宗利の時、城の大改修に着手し、寛文11年、現在の天守などが落成しました。

  •  宇和島城天守。

     宇和島城天守。

  •  藩老桑折(こおり)氏武家長屋門。城山東北側の登城口に位置する長屋門です。家老桑折家敷地に残されていたものを、昭和27年桑折家より譲渡を受け、現在地に移築したものです。

     藩老桑折(こおり)氏武家長屋門。城山東北側の登城口に位置する長屋門です。家老桑折家敷地に残されていたものを、昭和27年桑折家より譲渡を受け、現在地に移築したものです。

  •  城山郷土館(山里倉庫)。三の丸に建てられた武器庫で、現在例の少ない希少な建物です。昭和41年、伊達家より譲渡され、城山内に移築後、城山郷土館として一般公開し、民俗資料や古写真など展示しています。

     城山郷土館(山里倉庫)。三の丸に建てられた武器庫で、現在例の少ない希少な建物です。昭和41年、伊達家より譲渡され、城山内に移築後、城山郷土館として一般公開し、民俗資料や古写真など展示しています。

  •  天守より見た宇和島湾。

     天守より見た宇和島湾。

  •  高知城天守。

     高知城天守。

  • 追手門。石段の上に渡櫓を載せた櫓門で、城の大手(正面)に相応しい堂々たる構えを持つ。門前は桝形になっており、防御時には石垣上の狭間塀や門上から攻撃できるようになっています。

    追手門。石段の上に渡櫓を載せた櫓門で、城の大手(正面)に相応しい堂々たる構えを持つ。門前は桝形になっており、防御時には石垣上の狭間塀や門上から攻撃できるようになっています。

  •  鉄門跡と詰門。石段を上がると鉄門跡に至る。鉄門跡の階段を上がると黒塗りの詰門に至る。敵がこの門まで登ると、三方から矢と鉄砲の嵐に見舞われることになります。

     鉄門跡と詰門。石段を上がると鉄門跡に至る。鉄門跡の階段を上がると黒塗りの詰門に至る。敵がこの門まで登ると、三方から矢と鉄砲の嵐に見舞われることになります。

  •  山内一豊妻像。一豊が仕官する際、妻(ちよ)がヘソクリで馬を用立てし、戦場に向かわせたという故事にちなんだ像です。内助の鏡と言われています。

     山内一豊妻像。一豊が仕官する際、妻(ちよ)がヘソクリで馬を用立てし、戦場に向かわせたという故事にちなんだ像です。内助の鏡と言われています。

  • <br />高知城天守閣。外観四重(内部三層六階)、高さ18.5mの望楼型天守で、創建当初の様式を踏襲して1749年に再建されました。大入母屋とその上の唐破風、黒漆で塗られた高欄が特徴的で、1階北東角には現存するものとしては、全国唯一の忍び返しもあります。


    高知城天守閣。外観四重(内部三層六階)、高さ18.5mの望楼型天守で、創建当初の様式を踏襲して1749年に再建されました。大入母屋とその上の唐破風、黒漆で塗られた高欄が特徴的で、1階北東角には現存するものとしては、全国唯一の忍び返しもあります。

  •  高知城は、日本で唯一本丸の建築群がすべて現存する、江戸時代の姿を今に伝える城郭です。もともとこの場所には南北朝時代に築かれた大高坂城があり、戦国時代には長宗我部元親が岡豊城より移り築城に取り組んでいた。しかし、治水に難儀し、わずか3年で元親は浦戸城へ本拠を移した。その後、関ケ原の戦いの功績で遠州掛川より山内一豊が入国し、この地を城地と定め慶長6年(1601年)秋から築城をはじめた。<br /> 難工事の末、城のほぼ全容が完成したのは10年後、二代藩主忠義の治世に移った慶長16年のことであった。

     高知城は、日本で唯一本丸の建築群がすべて現存する、江戸時代の姿を今に伝える城郭です。もともとこの場所には南北朝時代に築かれた大高坂城があり、戦国時代には長宗我部元親が岡豊城より移り築城に取り組んでいた。しかし、治水に難儀し、わずか3年で元親は浦戸城へ本拠を移した。その後、関ケ原の戦いの功績で遠州掛川より山内一豊が入国し、この地を城地と定め慶長6年(1601年)秋から築城をはじめた。
     難工事の末、城のほぼ全容が完成したのは10年後、二代藩主忠義の治世に移った慶長16年のことであった。

  •  黒鉄門。

     黒鉄門。

  •  鉄砲狭間と石落。

     鉄砲狭間と石落。

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