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 平城京の朝を見て感動し、第2目標の藤原京に進出する。相変わらず車移動の貧乏行程。天理教の大祭があるそうなので天理は混むかと思いきや、8時過ぎということで難なく通過。朝食は、すき屋の卵かけ豚汁定食324円。朝からのまず食わずなのでうまかった。通過点に箸墓などがあるので横目で見ながら藤原京へ。HPで見ると、コスモスの生育が悪く、今年はガタガタだそうだが初めてなのでとりあえず見てみる。少し時期も悪く、写真の腕も悪かったのでこんなもんの写真になった。当日9時前到着で、無料駐車場は、ガラガラ。10時くらいには少し埋まっていたくらいです。人もあまりいなく暑い中、汗をかきながらの撮影でした。<br /> ところで私は、天香具山がどれかまったく判らなかったので初めてみてその優美な姿に感動いたしました。<br /> たしかに大和三山の中で香具山だけが特別に天が付くのも判るような気がします。<br /><br />持統天皇の歌<br />「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」<br /><br />いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのですから)。<br /><br />bakanekoの歌<br />「夏過ぎて 秋来たるらし 息絶へる 仕事干され 天香具山」<br /><br />夏もようやく過ぎ、仕事が活発になり始める秋の季節に、息絶え絶えになり、仕事を干されつつある、天香具山よ、その美しい姿で私の心を慰めてくれ.<br /><br />ということで次の今回の真の目的地へ行くことになります。<br /><br />藤原京<br /> 藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市にあった日本史上初期の都城である。また、日本史上最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。また、宮の主要建築物は礎石建築で、はじめて瓦を葺いたと考えられている。 この都城は、周礼が説く思想を表していたとされている。<br /> 690年(持統4年)に着工され、飛鳥浄御原宮から694年(持統8年)に遷都した。完成は遷都後10年経過の704年(慶雲元年)と言われ、着工時期は676年(天武5年)に始められていた。このことは藤原宮の発掘調査からも明らかになっている。藤原宮の調査の結果、宮城内に、宮城外の街路の延長線上で同じ規格の街路の痕跡が見つかっている。通常、宮城内には、一般の人が通行する街路があるはずがないので、藤原京の建設予定地では、まず全域に格子状の街路を建設し、そののちに、宮城の位置と範囲を決定して、その分の街路を廃止したと考えられる。そのことは、薬師寺跡の発掘でも立証されている。<br /><br />『日本書紀』には、持統天皇四年十月条に「壬申に、高市皇子、藤原(ふぢはら)の宮地(みやどころ)を観(みそなほ)す。公卿百寮(まへつきみつかさつかさおほみ)従(とも)なり」とあり、同十二月の条に「辛酉に、天皇、藤原に幸して宮地を観す。公卿百寮、皆従なり」とあって、同八年十二月の条に「藤原宮(ふじわらのみや)に遷(うつ)り居(おは)します」とある。<br /> 遷都日時については、一説に持統天皇は旧暦12月6日(ユリウス暦12月27日)の昼前に飛鳥浄御原宮を発ち遷行された、とされる。710年(和銅3)に平城京に遷都されるまで持統・文武・元明の三天皇が居住した16年間、日本の首都であった。扶桑略記によれば、711年(和銅4)に宮が焼けたとされている。<br /><br />天香具山<br /> 天香久山、天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)、または香久山、香具山(かぐやま)は、奈良県橿原市にある山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる。歴史的風土特別保存地区と国の名勝に指定されている。<br /> 太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれている。山というよりは小高い丘の印象であるが、古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。<br /> 藤原京の東にあることにより太陽信仰の地であったともいわれる。現在、山頂からは畝傍山を望むことができ[1]、その山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠のうちの1つには高?神が祀られている。山の北麓には櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とする天香山(あまのかぐやま)神社、南麓には天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸(あまのいわと)神社がある。また東側には県立「万葉の森」が造られ[7]、山の南東部には香久山公園(44,084平方メートル)が整備されている。<br /><br />「天」を含む「天香久山」と「天香具山」、および「天」を含まない「香久山」と「香具山」の各表記があるが、国土地理院の地図では「天香久山」としており、本記事ではこれに従う。名勝としては「香具山」である。橿原市では地区の名称を「香久山」としており、北北東約2キロメートルに位置する西日本旅客鉄道の桜井線にある駅も香久山駅である。なお、近鉄大阪線の耳成駅も天香久山の北側約2キロメートルに位置する。<br /><br /><br /><br /><br />

奈良 藤原京 天香具山とコスモス

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2014/10/11 - 2014/10/11

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36

bakaneko

bakanekoさん

平城京の朝を見て感動し、第2目標の藤原京に進出する。相変わらず車移動の貧乏行程。天理教の大祭があるそうなので天理は混むかと思いきや、8時過ぎということで難なく通過。朝食は、すき屋の卵かけ豚汁定食324円。朝からのまず食わずなのでうまかった。通過点に箸墓などがあるので横目で見ながら藤原京へ。HPで見ると、コスモスの生育が悪く、今年はガタガタだそうだが初めてなのでとりあえず見てみる。少し時期も悪く、写真の腕も悪かったのでこんなもんの写真になった。当日9時前到着で、無料駐車場は、ガラガラ。10時くらいには少し埋まっていたくらいです。人もあまりいなく暑い中、汗をかきながらの撮影でした。
 ところで私は、天香具山がどれかまったく判らなかったので初めてみてその優美な姿に感動いたしました。
 たしかに大和三山の中で香具山だけが特別に天が付くのも判るような気がします。

持統天皇の歌
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」

いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのですから)。

bakanekoの歌
「夏過ぎて 秋来たるらし 息絶へる 仕事干され 天香具山」

夏もようやく過ぎ、仕事が活発になり始める秋の季節に、息絶え絶えになり、仕事を干されつつある、天香具山よ、その美しい姿で私の心を慰めてくれ.

ということで次の今回の真の目的地へ行くことになります。

藤原京
 藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市にあった日本史上初期の都城である。また、日本史上最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。また、宮の主要建築物は礎石建築で、はじめて瓦を葺いたと考えられている。 この都城は、周礼が説く思想を表していたとされている。
 690年(持統4年)に着工され、飛鳥浄御原宮から694年(持統8年)に遷都した。完成は遷都後10年経過の704年(慶雲元年)と言われ、着工時期は676年(天武5年)に始められていた。このことは藤原宮の発掘調査からも明らかになっている。藤原宮の調査の結果、宮城内に、宮城外の街路の延長線上で同じ規格の街路の痕跡が見つかっている。通常、宮城内には、一般の人が通行する街路があるはずがないので、藤原京の建設予定地では、まず全域に格子状の街路を建設し、そののちに、宮城の位置と範囲を決定して、その分の街路を廃止したと考えられる。そのことは、薬師寺跡の発掘でも立証されている。

『日本書紀』には、持統天皇四年十月条に「壬申に、高市皇子、藤原(ふぢはら)の宮地(みやどころ)を観(みそなほ)す。公卿百寮(まへつきみつかさつかさおほみ)従(とも)なり」とあり、同十二月の条に「辛酉に、天皇、藤原に幸して宮地を観す。公卿百寮、皆従なり」とあって、同八年十二月の条に「藤原宮(ふじわらのみや)に遷(うつ)り居(おは)します」とある。
 遷都日時については、一説に持統天皇は旧暦12月6日(ユリウス暦12月27日)の昼前に飛鳥浄御原宮を発ち遷行された、とされる。710年(和銅3)に平城京に遷都されるまで持統・文武・元明の三天皇が居住した16年間、日本の首都であった。扶桑略記によれば、711年(和銅4)に宮が焼けたとされている。

天香具山
 天香久山、天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)、または香久山、香具山(かぐやま)は、奈良県橿原市にある山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる。歴史的風土特別保存地区と国の名勝に指定されている。
 太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれている。山というよりは小高い丘の印象であるが、古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。
 藤原京の東にあることにより太陽信仰の地であったともいわれる。現在、山頂からは畝傍山を望むことができ[1]、その山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠のうちの1つには高?神が祀られている。山の北麓には櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とする天香山(あまのかぐやま)神社、南麓には天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸(あまのいわと)神社がある。また東側には県立「万葉の森」が造られ[7]、山の南東部には香久山公園(44,084平方メートル)が整備されている。

「天」を含む「天香久山」と「天香具山」、および「天」を含まない「香久山」と「香具山」の各表記があるが、国土地理院の地図では「天香久山」としており、本記事ではこれに従う。名勝としては「香具山」である。橿原市では地区の名称を「香久山」としており、北北東約2キロメートルに位置する西日本旅客鉄道の桜井線にある駅も香久山駅である。なお、近鉄大阪線の耳成駅も天香久山の北側約2キロメートルに位置する。




旅行の満足度
4.5
交通手段
自家用車

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  • 藤原京の説明です。

    藤原京の説明です。

  • あまり生育状態のよくないコスモス。背が低いそうです。

    あまり生育状態のよくないコスモス。背が低いそうです。

  • プラスチックで擬せられた柱が立ち並びます。

    プラスチックで擬せられた柱が立ち並びます。

  • コスモス畑の中の小道

    コスモス畑の中の小道

  • 耳成山を望む。

    耳成山を望む。

  • お花畑の写真の撮り方がわからないことに気づく。

    お花畑の写真の撮り方がわからないことに気づく。

  • 空を入れるとそれらしくなる。

    空を入れるとそれらしくなる。

  • 日陰で一服。天香具山を見る。優美である。

    日陰で一服。天香具山を見る。優美である。

  • なだらかに落ちてゆく線が、女性のボディラインを連想させる。大和三山では、雌山であとの2つは雄山だそうです。

    なだらかに落ちてゆく線が、女性のボディラインを連想させる。大和三山では、雌山であとの2つは雄山だそうです。

  • 昭和の匂いがプンプンと思う。が私は未だ昭和であると思っている。

    昭和の匂いがプンプンと思う。が私は未だ昭和であると思っている。

  • うーん撮りにくい。

    うーん撮りにくい。

  • 空を入れると花が少なくなるし、花を入れると・・・加減や按配の世界になります。才能あるものは勝手に決まるのですが。

    空を入れると花が少なくなるし、花を入れると・・・加減や按配の世界になります。才能あるものは勝手に決まるのですが。

  • 車で戻る途中。またも香具山を見る。

    車で戻る途中。またも香具山を見る。

  • コスモスを抜くと初夏の風景である。

    コスモスを抜くと初夏の風景である。

  • 古来万葉集などで歌われてきた。万葉集には単独で9首詠まれている。<br /><br />舒明天皇の歌<br />「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」 (巻1-2)<br /><br />中大兄皇子の歌<br />「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」 (巻1-13)<br /><br />持統天皇の歌<br />「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」 (巻1-28)<br /><br />大伴旅人の歌<br />「わすれ草 わが紐に付く 香具山の 故(ふ)りにし里を 忘れむがため」 (巻3-334)<br /><br />作者不詳<br />「いにしへの 事は知らぬを われ見ても 久しくなりぬ 天の香具山」 (巻7-1096)<br /><br />柿本人麻呂の歌<br />「久方の 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも」 (巻10-1812)<br />

    古来万葉集などで歌われてきた。万葉集には単独で9首詠まれている。

    舒明天皇の歌
    「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」 (巻1-2)

    中大兄皇子の歌
    「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」 (巻1-13)

    持統天皇の歌
    「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」 (巻1-28)

    大伴旅人の歌
    「わすれ草 わが紐に付く 香具山の 故(ふ)りにし里を 忘れむがため」 (巻3-334)

    作者不詳
    「いにしへの 事は知らぬを われ見ても 久しくなりぬ 天の香具山」 (巻7-1096)

    柿本人麻呂の歌
    「久方の 天の香具山 このゆふべ 霞たなびく 春立つらしも」 (巻10-1812)

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 墨水さん 2014/11/03 23:56:31
    一首。
    bakanekoさん、今晩は。
    一首。
    春過ぎて、夏来る前に、干されけん、流れ漂う、雲の如きに。

    「難しい。」と感じ入ってますが、低位置三脚(脚が大きく開くタイプか、小型三脚)で低位置から仰ぎ見る感じで撮影してみたら。
    ほとんど地表面ぐらいの位置から、ダメですかね。
    墨水。

    bakaneko

    bakanekoさん からの返信 2014/11/05 01:57:51
    RE: 一首。
    こんばんわ。低位置から撮るのは・・・お腹がつかえて厳しいです。またファインダーを覗けないので四苦八苦。撮影よりも体型でしょうか。
    低く撮ると花が水平になるし、エエ場所を選ぶ必要があるようです。それと今回思ったのですが、ビニールのござに寝そべるほうがよさそうです。今後もご指導ください。

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