2014/10/24 - 2014/10/26
1270位(同エリア2102件中)
jugiさん
今年のGWに突如マイブームの訪れた平家物語めぐりももう5回目。
今回、京都では清盛の娘にして高倉天皇妃建礼門院に、
奈良ではなんといっても南都焼討の重衡、そして保元の乱で敗死する藤原頼長の、般若寺でつながる二人に、
最終日吉野山は、義経記より義経千本桜やふたり静の義経主従に。
なんとなーくスポットを当てて思いを馳せる旅。
☆10月23日 夜行バス
☆10月24日 京都編1日目
10月25日 南都奈良編2日目
10月26日 吉野逃避行編3日目
☆旅にあたって読んだ本・追加☆
奥州藤原三代の栄華と没落 武光誠
義経 宮尾登美子
京都・観光文化時代MAP time trip map
奈良時代MAP time trip map
日本仏教史 末木文美士
式子有情 軒端の梅は我を忘るな 中奥英子
平清盛と平家のひとびと 井上辰雄
平家物語の旅 るるぶ別冊愛蔵版
吉村昭の平家物語 吉村昭
ちなみに基本の平家物語関連についてはコチラ☆
→http://4travel.jp/travelogue/10927270
→http://4travel.jp/travelogue/10937923
→http://4travel.jp/travelogue/10940764
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
いつものように夜行バス利用にて東京より京都へ。
出発日が木曜夜なこともあってお値段3000円以下…。
バスお安い…!
新幹線指定席だと13000円くらいすることを考えると破格…!
貧乏旅行万歳です(笑)
さて朝6時に到着して軽く食事を済ませ、いつもの通り、京都タワー下のお風呂やさんへ。
京都駅8時過ぎ発のバスに乗って大原へ。
金曜日なこともあってバスはすいてました。
大原へは約1時間。がっつり寝ていて目が覚めたら完全に鄙の景色でびっくり。
10分ほど歩きまず三千院のあるエリアへ。三千院 寺・神社・教会
-
奥へむかう道には、順徳天皇と後鳥羽天皇の御陵。
後鳥羽天皇は安徳天皇の次代の天皇で、安徳天皇が三種の神器を持って西国落ちをしたために三種の神器なしで即位した天皇。
もちろんご指名はその時の治天の君、後白河上皇。
後白河上皇の院政下で即位し、後白河の没後は自身が院政をとり、最終的に鎌倉とやりあって(承久の乱)敗けて隠岐に流されてそこで亡くなった。
蹴鞠に凝ってみたり、和歌に凝ってみたり、熊野詣に行きまくってみたり(百人一首で有名な藤原定家が日記で熊野にお供するのツライマジもうこりごりだしって愚痴ってた)、確か刀剣が好きでやたら凝って作らせていたとか。
刀剣に菊のご紋をいれていたところから現在に続く皇室の菊のご紋が定着したそうで。
ハマったら一直線でフリーダムな感じがちょっと後白河と似てるところがあるような気もします。
ま、そんな後鳥羽さんと、そのご子息の御陵。 -
御陵のお向かいには実光院。
-
行き止まりには勝光院。
声明(音とフシをつけて歌うように経を読むアレ。キリスト教でいう讃美歌みたいな?)発祥の寺で、法然の大原問答の寺。
法然といえば、重衡が生捕りにされて出家を願った時に会ったといわれる上人です。(史実的にはちょっと無理がある、とは言われていますが) -
やたら欄間が凝ってます。
精巧なレリーフ。 -
そして奥、宝泉院。
とくに平家物語の所縁ではないですが、連れのお気に入りと言うことでじっくり拝観(笑) -
宝楽園は、近年作ったとのこと。(未確認)
池に水はなく、枯山水。 -
庭は盤桓園(ばんかんえん)と言って、立ち去り難い、という意味らしい。
奥には殿様席が設えてあって、そこからの眺めが一番いい。 -
お抹茶とお菓子をいただく。
ほっこり。 -
来た道を戻りながら大原で一番大きな寺三千院へ。
三千院 寺・神社・教会
-
この感じはなんとなく仁和寺を思い出す。
外では紫蘇茶が振る舞われていました。
残念ながらわたしは紫蘇がたぶん食べ物の中で一番の敵なので辞退(笑) -
こちら三千院の殿様席より。
三千院は門跡寺院。
ということは法親王が住職役となるわけですね。
よってそれはそれで大変みやびやか。
一段上がった畳から外が望めるようになっていました。
パンフレット一面などでも使われるのはここからの眺めだったので、ここが一番美しい景色なのでしょう。三千院 寺・神社・教会
-
一度駅へ戻り、わたしの大原の目的地、寂光院へ。
大変ノドカな道。
駅からは15分程度。
毎度のことですが、人いなすぎて道こっちであってるかな…ってなる。 -
途中に平家物語関連のスポット発見☆
建礼門院が大原へ移る途中、ここで水鏡におぼろげに自分の姿がうつったことから朧の清水、だそうです。(←帰ってきてからググりました。ここで水を汲んでたのかと思って、寂光院のすぐ目の前に川あるのに何で…と思ってました)寂光院 寺・神社・教会
-
寂光院入口。
ささやかすぎて若干通り越した。
でも門の前にはしば漬けのお店(屋台?)がありました。寂光院 寺・神社・教会
-
10年前くらいに不審火で全焼してしまい、最近再建されたものらしく極彩色の仏像。
その後ろには建礼門院と阿波内侍の尼姿の像が祀られていました。
阿波内侍は信西の娘か孫等と言われてます。
(そういえば嵐山の琴聞橋とか想夫恋で有名な小督さんも信西の孫です)
信西(藤原通憲)といえば、後白河の乳母の夫にして保元の乱の勝者。
一方保元の乱の敗者といえば、崇徳上皇(と悪左府藤原頼長)。
阿波内侍は建礼門院徳子の女官にして崇徳上皇の寵愛を受けた、らしい。
蛇足ながら、その後信西主導の政治に対して反感をもった勢力(藤原信頼&源義朝※頼朝のパパ、ついでにいうと後白河上皇陣営でも信西がちょいちょいウザくなり始めてたので敵対勢力があった模様)がクーデター(平治の乱)を起こすに至る。
信西・信頼どちらとも姻戚関係を作っていた清盛は敢えて静観していて、重石となっていたわけだけど、清盛が熊野詣に出掛けた(半月くらいかかる)折に好機とみて、クーデター決行。
その折、クーデター側(信頼と義朝)は二条天皇と後白河上皇を退避させた上、さっさと信西を狙い撃ちにするも信西感づいて逃げる。でもやっぱ逃げ切れずに死亡。
かくして信西排除のクーデターは一時成功。
でも結局清盛は熊野詣から取って返し、クーデター側に自分たちの名簿を渡して恭順の意を示しておいて、何食わぬ顔で天皇を六波羅に移し奉る。
天皇さえ手にいれてしまえばこっちのもんだ、さぁ反撃のお時間です。
賊軍は信頼・義朝ということになるし、戦力もこちらの方が上だったのでアッサリ勝利にて収束。
というわけで信西(清盛)vs信頼・義朝、と思いきや、信西vs信頼・義朝vs清盛、そして勝者清盛。
そんな、流れ。
閑話休題。
手前に資料館があります。
平家物語の写本があったり、建礼門院と安徳天皇の肖像があったり。
ちなみにざっくりですが、家系図の展示がされていたりと平家物語ゆかりが前面に出ててうれしいところ。
ちなみにご朱印にも平家物語ゆかりの寺と入っていました。 -
大原からバスで市内へ戻り、四条河原で下車。
八坂神社を通って、長楽寺へ向かいます。
八坂神社を通るついでに忠盛燈籠をチラっと。
八坂は何度も通っていたけど、これを見るのをいつも忘れてました。
ある雨の日、(後がつかないほうの)白河が祇園女御というお気に入りの女のもとに通う道中、何やら光るものが現れ、あれは鬼に違いない、射殺せと命令された忠盛が、さすがに殺すもほどのものじゃないと思って生捕りにしてみれば傘をかぶって灯篭に火をいれようとしてたただの法師だった。
白河は、もしも射殺させていたらあまりに思慮がたりないと謗られただろう、と感じて忠盛に褒美として祇園女御を賜った。
というお話より。
ちなみにその祇園女御の腹には子供がいて、それが清盛だったという話もあったり。八坂神社 寺・神社・教会
-
再訪・長楽寺。
建礼門院落飾の寺。
連れがわたしに付き合ってこの旅行の為にわざわざ平家物語を予習(笑)してくれたことに感謝して、建礼門院つながりで訪問。
この後、16時頃奈良へ出発。
17時半からの奈良国立博物館の正倉院展を見て、奈良泊です。
閉館の1時間半前から入れるレイトオータムというチケットがあり通常当日券1100円のところ800円で入場できます。
展示の量もたいして多くはないので、1時間半あれば十分だと思います。
この日はちょうど展示初日でしたが、レイトの方が混まないようです(翌日朝は超並んでた)オススメ。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
18