2014/10/11 - 2014/10/11
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morino296さん
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7月の夏祭りに続き佐原の秋祭りに出掛けました。
約300年の伝統がある佐原の大祭(国指定重要無形文化財)は、市街地を流れる小野川を挟んで、東側にある八坂神社の夏祭り(人形山車10台)と、西側にある諏訪神社の秋祭り(人形山車14台)と年2回が行われます。
佐原の大祭の人形山車は、高さ7〜8m、重さ4トンにも及ぶ大きなもので、佐原囃子を奏でながら、優雅に街中を曳き回されます。
利根川の河口に位置する佐原は、江戸時代を通じて日本最大の川港で、舟便と良質な早場米が収穫される水郷地帯といった好条件から、酒・醤油・味醂などの醸造業が盛んであったことなどを背景に立派な山車が曳かれるお祭りが伝承されたものと思われます。
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佐原駅 12:13頃に到着。
我が家からは片道約3時間、大阪へ行くよりも時間が掛かります。
この日、一緒する友人S君が、途中駅で乗換ミスしたため、1本遅い電車になってしまったのですが、幸い30分ほど待って合流ができました。 -
うなぎの長谷川
毎度同じパターンですが、まずはうなぎの長谷川(創業天保二年の老舗)に直行。
佐原ではここの鰻を頂くのも楽しみの一つです。
1時間ほど待って、ようやくうな重にありつけました。
(うなぎが値上がりしており、7年前には2300円で食べられたうな重特上が、今は1.5倍以上の値段です。)
佐原は、昔から味醂・醤油が有名で、鰻のたれも美味しいのだと思います。
14:15頃、店を出た時にも、まだ人が並んでいました。(下の写真) -
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)[西関戸]の山車
うなぎの長谷川から直ぐの大通りに出ると、山車の巡行が行われていました。
この日は、秋祭りの中日、11:00頃から香取街道に14台の山車が整列。
お昼休みの後、13:15から通し砂切りの後、14台の人形山車が街中を曳き回され、15:30頃に小野川沿いに整列します。 -
諏訪大神[上新町]の山車
この山車には、人形ではなく大神さまが乗っています。 -
日本武尊(やまとたけるのみこと)[北横宿]の山車
佐原の山車の大人形は、江戸後期から昭和初期に、江戸・東京で活躍した人形師によって制作されたもので、現在は作れる職人がいないといわれる貴重な文化財とのことです。 -
日本武尊の山車の囃子連の皆さん
哀愁を帯びた佐原囃子も含めて国の無形文化財に指定されています。 -
浦島太郎[下新町]の山車
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浦島太郎の山車
佐原の人形山車の特徴の一つ、山車の方向転換は、人が力任せに回転させます。
そのため、木製の車輪は厚みのある丈夫なものとなっています。
曲がり角には、山車の車輪の跡が残ります。 -
牛天神[新上川岸区]の山車:明治45年製作
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仁徳天皇[南横宿区]、山車:明治8年製作、人形:大正14年製作。
彫刻は三国志「桃園の誓い」から始まり、名場面を10年の歳月を掛けた大作です。 -
仁徳天皇の山車の向きを変える南横宿の皆さん
梃子と呼ばれる重さ20Kgほどの丸太を使いブレーキと舵をとり、この梃子で山車を操ります。 -
仁徳天皇の山車の向きを変える南横宿の皆さん
山車の後ろ側では、力で山車を回します。
梃子を操る人と息が合わないと、上手く回れません。 -
源義経[上宿区]、山車:昭和53年作成、人形:昭和55年製作
壇ノ浦での源平の戦いの勇姿をかたどっています。 -
源義経の山車を方向転換させる上宿の皆さん
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佐原の市街地を流れる小野川
この川端の柳並木に山車が並ぶ姿は見ものです。
利根川の河口に位置する佐原は、古くから水郷の町として栄え、小野川沿いには小江戸とも呼ばれる当時の町並みが残っています。 -
小野川沿いに並ぶ大楠公(楠木正成)の山車と遊覧のシャトル舟
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佐原の大祭 今年の夏祭りと秋祭りのポスターが並べて貼ってありました。
お互いに、お祭りを一緒にすることはなく、個別に行われます。
今回も、夏祭りの町内は静まり返り、まったくお祭りとは無関係です。 -
15:30頃、街中を巡行した山車14台が小野川沿いに整列します。
忠敬橋の南側には、4台の山車が並びます。 -
小野川に架かる忠敬橋の北側には10台の山車が整列します。
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小野道風(おののとうふう)[新橋本区]の山車
山車:明治27年製作、人形:明治4年製作
年番として山車の巡行などを先導します。 -
小野道風[新橋本区]の山車の彫り物
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小野道風[新橋本区]の山車の彫り物
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小楠公(楠木正行)[下分区]の山車
山車:明治28年製作、人形:昭和10年製作
人形は、四条畷の合戦の際、如意輪寺の壁に矢尻で辞世の句を書く楠木正行の姿。 -
神武天皇[仲川岸区]の山車
山車・人形:明治29年製作
三方正面造りの山車で通し柱8本で製作。
材料の欅(けやき)は九州の玉目の一本取りだそうです。 -
神武天皇の山車の彫り物
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神武天皇の山車の彫り物
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神武天皇の山車の彫り物
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建速素盞鳴尊(たけはやすさのおのみこと)[下川岸区]の山車
山車:明治31年製作、人形:製作年代不詳 -
建速素盞鳴尊[下川岸区]の山車
山車は「八方にらみ」といわれる形で、四方向のどこから見ても同じように見えるそうです。 -
建速素盞鳴尊[下川岸区]の山車
力強い彫刻が目を引きます。 -
樋橋(通称、じゃーじゃー橋)と伊能忠敬の旧宅(右側)
樋橋は、用水路が通されていて、定期的に放水します。
伊能忠敬(1745〜1818)が18歳の時に婿養子に入った伊能家は、酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいたほか、利根水運などにも関っていました。
50歳の時に隠居し、江戸に出て、測量・天文観測などを修め、56歳の時に第1次測量を開始しました。
大変精度の高い日本地図「大日本沿海輿地全図」が完成したのは忠敬没後の1821年でした。 -
佐原の中心街 香取街道の街並み
歴史を感じさせる建物が軒を連ねます。
東日本大震災で佐原も大きな被害を受けましたが、ようやく元の街に戻ったようです。 -
鎮西八郎為朝[上中宿区]の山車
山車:嘉永5年製作、人形:明治15年製作
彫り物は「柱隠し」といわれる技法で、富士の裾野での巻き狩りの様子が回っており、柱をうまく隠しています。 -
鎮西八郎為朝の山車の彫り物
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源頼義[下宿区]の山車
山車:明治8年製作、人形:明治32年製作
飾り物は、山中の戦いの中で、岩を弓で砕き水を出したという故事によります。 -
源頼義の山車の彫り物
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大楠公(楠木正成)[東関戸区]の山車
山車:昭和10年製作、人形:昭和10年製作
山車は柱隠しがなく、四方正面が特徴です。 -
大楠公の山車の彫り物
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大楠公の山車の足元を飾る彫り物
車軸受けにも彫刻が施されています。 -
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)[西関戸区]の山車
山車:昭和10年製作、人形:昭和15年製作 -
瓊瓊杵尊の山車
夜の巡行に向け提灯が飾られます。 -
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の山車の彫り物
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諏訪大神[上新町区]の山車
山車:昭和11年製作、飾り物:昭和11年製作
大神を飾り、八咫鏡(やたのかがみ)の両側に旗などが飾られています。 -
日本武尊[北横宿区]の山車
山車:明治8年製作、人形:明治8年製作
総欅(けやき)造りの山車。 -
日本武尊の山車
彫刻は木彫りとは思えない立体感と生命力に溢れていると言われます。 -
浦島太郎[下新町区]の山車
山車:江戸時代製作、人形:明治12年製作 -
浦島太郎の山車
彫り物は歌川国芳の水滸伝をかたちどり、彫りも深く重厚な感じ。 -
牛天神[新上川岸区]の山車
山車:明治45年製作、飾り物:江戸後期の製作
彫り物は、保元・平治の乱で功を立て、剃髪して源三位入道と名のった源頼政の図柄。c -
牛天神 新上川岸の女性陣の髪には稲穂が飾られています。
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仁徳天皇[南横宿]の山車
山車の製作:明治8年(1875)、飾り物の製作:大正14年(1925) -
仁徳天皇の山車の彫り物
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源義経[上宿]の山車
山車の製作:昭和53年(1976)、飾り物の製作:昭和55年(1980) -
源義経の山車
彫刻は、壇ノ浦での源平の戦いでの勇姿を形どっているそうです。 -
各町内の人たちは、夜に備えて早めの夕食です。
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浦島太郎の山車
小野川沿いの柳と人形山車 -
大楠公の山車
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小野川沿いに整列した人形山車とじゃあじゃあ橋
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暫しの休憩を終えて小野川沿いに並ぶ人形山車へ向かう人たち
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17:00 小野川沿いで全町による手踊りが披露されます。
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小野道風[新橋本]の手踊りの皆さん
皆さん楽しそうに踊りを披露してくらました。 -
小野道風[新橋本]の手踊りの皆さん
扇子を手持ち踊ります。
ちょっと揃っていない所もご愛嬌ですね、 -
小野川遊覧のシャトル舟からも手踊りを楽しめます。
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小野川沿いに並ぶ人形山車
夕暮が近づき、山車の提灯が浮かび上がります。 -
全町による手踊り披露は10分余りで終了。
年番の小野道風の山車が忠敬橋の上に移動します。 -
忠敬橋の上に構えた小野道風の山車
17:20頃、各町の山車がスタートし、順次曳き分かれます。 -
整列した順に曳き分かれスタート
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小楠公の山車
小野川沿いの道から忠敬橋の所で香取街道を西に進みます。 -
神武天皇の山車
忠敬橋の横は少し上り坂となっていて、山車を曳きながら方向転換をするのはなかなか大変です。 -
建速素戔嗚尊の山車
夕暮の空に提灯に灯が入った山車が映えます。 -
小野道風の山車
年番で忠敬橋の上で、各町の山車が巡行するのを見守ります。 -
小野道風の山車
提灯の灯に照らされる彫り物 -
真下から見上げる小野道風の山車
額の文字「雲龍」は、小野道風の真筆だそうです。 -
鎮西八郎為朝の山車
忠敬橋の北側に並んでいた山車が続いて巡行します。
すっかり日も暮れ、提灯の灯に人形が浮かび上がります。 -
源頼義の山車
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源頼義 下宿の役員の皆さん
各町の役員の皆さんは、忠敬橋に並ぶ年番の役員さんに挨拶していきます。
年番の役員さんのすぐ横、絶好のポジションから見学させてもらいました。 -
源頼義の山車を曳く下宿の皆さん
こちらは女性たちが力を発揮します。 -
大楠公の山車
ライトアップされて迫力の増す大楠公。 -
大楠公の山車を曳く東関戸の皆さん
頑張れ! -
大楠公の山車
車輪の軸受のところにある彫り物もライトアップしています。 -
大楠公の山車を回転させる東関戸の若衆
気合で山車を曲がらせてしまいます。 -
瓊瓊杵尊の山車を曳く西関戸の皆さん
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瓊瓊杵尊の山車
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諏訪大神の山車
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日本武尊の山車
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浦島太郎の山車
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浦島太郎の山車を曳く下新町の皆さん
山車が重いので緩やかな坂道でも動かすのは一苦労です。 -
浦島太郎の山車の方向転換をする若衆
格好良く回すため、ここは力の見せ所です。 -
牛天神の山車を曳く新上川岸の皆さん
女性も力強く綱を引きます。 -
牛天神の山車
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牛天神の山車の囃子蓮の皆さん
佐原囃子が山車を曳く人たちを奮い立たせます。
力を込めて曳くところでは、お囃子の音も力強く、テンポアップします。 -
仁徳天皇の山車
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仁徳天皇の山車を曳く南横宿の皆さん
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仁徳天皇の山車を回転させる南横宿の皆さん
流石にここには女性は入りません。 -
いよいよ最後となる源義経の山車の上宿の役員の皆さんが年番の役員さんいご挨拶。
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源義経の山車を曳く上宿の皆さん
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源義経の山車
無事に13台の山車が曳き分かれました。18:25頃 -
小野道風の山車
年番の大役を終え、役員の皆さんもほっと一息。
(年番は3年ごとに交代です。)
最後に小野道風の山車も夜の街を曳かれて行きます。 -
牛天神の山車
各町の山車は、要所要所で、手踊りを披露しながら自分の町内へ戻ってゆきます。
まだまだお祭りは盛り上がっていますが、そろそろ退散することにします。 -
佐原駅 19:15発の電車で帰宅の途へ(家に着いたのは22:30頃)。
駅前ロータリーで披露されている手踊りのお囃子を聞きながら、佐原をあとにしました。
今回、5度目となった佐原の秋祭りでしたが、14台全ての山車を楽しむことが出来ました。
夏祭りと合わせて、12度目になりましたが、また来たくなる魅力があるお祭りです。
(おしまい)
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この旅行記へのコメント (2)
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- きーちゃんさん 2014/10/19 09:24:43
- みごとですね〜
- morino296さん、おはようございます。
約300年の伝統がある佐原の大祭、本当に見事ですね!
14台の山車は見ごたえあるでしょうね〜
大きな人形も人も乗った山車は本当に重いと思いますが、それほど大人数で操っている様子もなくすごいですね!
ハラハラドキドキしながらも、素晴らしい伝統ある秋祭り楽しまれましたね。
きーちゃん
- morino296さん からの返信 2014/10/19 21:47:15
- RE: みごとですね〜
- きーちゃん
こんばんは。
いつも有難うございます。
「江戸優りの佐原の大祭」と言われるだけあって、見事な人形山車ですね。
江戸時代に行われていた「江戸天下祭り」では、人形山車が曳かれて、
江戸城に整列したそうですが、
佐原の山車は、その江戸の山車よりも立派だという自慢のものです。
佐原の人たちは、幼い頃から、このお祭りに参加しているので、
成人して外に出ていても、地元に戻って来るのでしょうね。
これだけのお祭りを伝えていく苦労は大変だと思いますが、
いつまでも続けて行って欲しいものです。
morino296
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