2014/09/06 - 2014/09/07
121位(同エリア545件中)
ベームさん
9/6(土)、18日目。9/7(日)、19日目。
6日のグロース・ウムシュタットから来てからの午後の数時間と7日ミッヒェルシュタットへ行くまでの午前半日ゼーリゲンシュタットの町を歩きました。フランクフルト近郊には小さいけど珠玉のような街が沢山ありました。
ゼーリゲンシュタット:ヘッセン州、フランクフルトの南東25k、マイン川沿いの人口2万人の町。木組みの家街道の町です。美しい木組みの家を一杯見ることが出来ました。
紀元100年頃ローマ軍の城砦がありました。815年文献に現れています。
フランク王国カロリング朝時代から王国の重要都市でした。
カール大帝の伝記作家アインハルト(770年頃~840年)がここにアインハルト・バジリカを建設し、同時にゼーリゲンシュタットの町を建設しました。
1188年には赤髭王フリードリヒ・バルバロッサがここに宮廷をもうけ諸侯会議を開いています。中世以降1803年までマインツ大司教の支配下にありました。
観光客も多く華やかな街です。丁度ワイン祭りが開かれていてちょっと触れることが出来ました。
写真はマルクト広場の木組みの家とマイ・バオム/5月の木。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9/6(土)。
グロース・ウムシュタット15:44発でゼーリゲンシュタットに向かいました。 -
ゼーリゲンシュタット16:09着。
駅舎はなぜか板で囲われています。 -
駅のホームからヴァッサートゥルム/水道塔。
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ゼーリゲンシュタット駅。
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ホテルは町の中心にあります。
バーンホフ通りをゴロゴロ荷物を引っ張っていくと丸い塔がありました。
市の防御施設の一つです。1463年。 -
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駅の方を振り返ります。
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シュタットミッテ/市の中心部に入って来ました。
木組みの家が迎えてくれます。 -
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町の中心フリードホーフ広場。
賑わっています。 -
その一角に今日の宿ツー・デン・ドライ・クローネン/三つの王冠亭がありました。
1階がレストラン、2階以上が客室というガストホーフです。
テントの下は客で一杯。 -
広場周辺。
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木組みの家街道の町らしいです。
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広場のすぐ先に大きな教会の塔が見えます。
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アインハルト・バジリカです。
カール大帝の伝記作者であるアインハルト(770年頃~840年)により830年から建築がはじまりました。
アインハルトはゼーリゲンシュタットの町の創設者でもあります。 -
フランク王国カロリング朝時代の建築要素を残しているそうです。
バジリカとは建築様式ですがローマ教皇により幾つかの特権を与えられている、普通の教会より上位の教会です。 -
聖マルケリヌスと聖ペテロの聖遺物を祀っています。
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聖マルケリヌス。
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聖ペテロ。
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アインハルトバジリカ。
元修道院教会。
830年頃建設。 -
中に入ります。
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丁度ミサが終わった所でした。
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内陣と祭壇。
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バジリカの横でテントを張ってなにやら賑わっています。後で覗きます。
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バジリカの奥には元ベネディクト会修道院の建物と庭園があります。
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市図書館にもなっています。
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バラ園。
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テントが張ってある所に戻ってきました。
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ブドウ絞り祭り2014年。9月6、7日。
玉ねぎケーキとフェーダーヴァイサーあり。
グッドタイミング。 -
早速飛び込みました。
初めて飲むフェーダーヴァイサーです。熟成途中のワインで少し濁っています。甘くて幾らでも飲めそう。
玉ねぎケーキはおいしくなかった。 -
地元の人たちで一杯です。
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川の方までちょっと。
マイン川です。 -
バジリカ。
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マルクト広場に来ました。
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市庁舎。
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マイ・バオム/5月の木。
一年中立っているのでしょう。 -
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広場を囲む建物。
薬屋さん。 -
アインハルト・ハウス。
出窓がすごいです。1596年。 -
新白鳥亭。
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眼鏡屋さん。
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ガスト・ホーフリーゼン/巨人亭。
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町の歴史を刻む石柱。
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感じの良い店です。
こんなところで食事をすると美味しいでしょうね。
今日はこれで終わり、ホテルに帰りました。 -
9/7(日)。
ホテル。 -
朝、ホテルの前の広場です。
テントも畳まれて建物がよく見えます。 -
バジリカの前も静かです。
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マイン川の方に向かいました。
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ローター・ブルンネン/赤い泉。
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マイン川の渡し船。
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川べりを歩きます。
古い壁の遺跡がありました。赤砂岩で造られており赤い城とよばれています。
フリードリヒ・バルバロッサの宮殿。47m×14mの方形の建物の壁部分。 -
説明文:
12世紀シュタウフェン朝の宮殿。ロマニッシェ・パラティウム。
フリードリヒ・バルバロッサ/赤髭王フリードリヒ1世の居城の一つ。
左フリードリヒ・バルバロッサ、右カール大帝。 -
「移動しながら統治する皇帝や王たちの場所。
ドイツの居城の歴史は8世紀、カール大帝に時に始まり12世紀のシュタウフェン朝の時頂点に達した。
居城は帝国のあらゆる地域に建てられた。それら居城は王、皇帝の宮廷の役目を果たした」。
当時宮廷は定まった町になく国中時に応じて移動していたのです。行く先々に居城が建てられ、当然家臣団も移動しました。大変なことだったでしょう。 -
赤い城。
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プルヴァー塔。
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河岸から離れて街中へ。
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旧市街地の北部です。
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シュタインハイマー塔。
1605年。 -
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クラー・フランクライヒ。
17世紀、ペストと30年戦争でマインツ選帝侯領ゼーリゲンシュタットも人口が激減した。人口を増やすためワロン出身の当時の修道院長レオンハルト・コルヒオンは故郷からキリスト教徒を呼び寄せゼーリゲンシュタットの北西部に居住させた。
・・・・
ワロン人はフランスの生活習慣と食習慣を持ち込んだのでこの地域はゼーリゲンシュタットの人々によりこう名付けられた。 -
ローゼンガッセ。
ワロン人が居住したところ。 -
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ローゼンガッセ。
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ヴァル通りのアルテスハウス。最も古い家。1327年。
現ギャラリー・クンストフォルム。 -
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ローマ皇帝亭。
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シナゴーゲの跡。
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1872~1938年、ここにシナゴーゲがあった。
1938年11月10日、ここは穢され放火された。 -
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朝のマルクト広場。
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静まり返っていました。
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マルクト広場、市庁舎の裏にあるロマニッシェス・シュタインハウス。
1187年。 -
1188年、フリードリヒ・バルバロッサの宮廷(移動居城)の一つでした。
ここで諸侯会議が開かれています。 -
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片隅にこんな碑を見つけました。
思わぬ収穫。 -
「ハンス・メムリンク。
ゼーリゲンシュタットで1435年頃生まれ、ブルージュで1494年8月1日死去」。
ファン・エイク、ファン・デル・ヴァイデンとともにフランドル絵画を代表する画家はここで生まれたんだ。 -
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マイン川の船着き場に来ました。
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渡し船が来ます。
向こう岸はバイエルン州です。 -
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自転車の婦人を下ろしたらすぐ引き返し、
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こんどは自動車を乗せてきました。
こういうの観ていたら面白い。 -
昨日ブドウ絞り祭りをしていた所の入り口です。
今日は10時オープン。 -
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おもちゃ屋さん。
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ホテルで荷物を受け取って駅に向かいます。
フランクフルター通りのヴェンデリヌス礼拝堂。 -
1670年頃。
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水道塔。
1938年。52m。
ミッヒェルシュタットへ。
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この旅行記へのコメント (1)
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- dankeさん 2014/11/16 03:57:47
- フェーダーヴァイサー
- ベームさん、
こちらの町も可愛いですね。電車アクセスもいいしぜひ行ってみたいです。フェーダーヴァイサーって言うんですね、土地により呼び方が色々あるみたいで面白いですね。ウィーンの方ではシュトゥルムって言うとオーストリア航空機内誌で見ました。季節ものですから飲めて本当にラッキーでしたね。玉ねぎケーキってあるのですね。あんまりでしたか。
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