2014/09/05 - 2014/09/05
144位(同エリア563件中)
ベームさん
9/5(金)、17日目。
旅も終盤になりました。今日からまた一人です。フランクフルト近郊の小さな町を巡ります。
今日はフランクフルトから日帰りで大聖堂の町フリッツラーへ行き、帰りにマールブルクに寄りました。
この町にはヘッセン州の4大聖堂の一つ聖ペーター大聖堂があります。それとフリッツラーの町、ともにその起源は聖ボニファティウスのある行為によるものでした。
723年、ゲルマンの異教徒をキリスト教に改宗させようとしていたボニファティウスはこの地で異教徒の神木オークの木/ドナー・アイヒェを切り倒し、異教徒を改宗させました。その後ボニファティウスがゲルマンの多くをキリスト教に改宗させることになる端緒でした。
724年、この切り倒した木を使いボニファティウスは教会を建てました。大聖堂の起源です。またこの年をフリッツラーの町の開基としています。
その後フリッツラーはカール大帝を始めフランク王国、東フランク王国の庇護のもと発展を続け、帝国会議もたびたび開かれるなど王国の重要な都市となります。
911年にはフリッツラーに根拠を持つコンラディン家のコンラートがフォルヒハイムの帝国会議で東フランク王国の国王になります。919年のフリッツラーでの帝国会議でザクセン大公ハインリヒ1世鳥刺王を国王に選出します。などなど。
1079年、フリッツラーは王国からマインツ大司教に寄進され以降1803年までマインツ大司教領となりました。
今人口僅か1万5千人ですが美麗な木組みの家が建ち並ぶ歴史のある町です。この地方はドイツ一のキャベツの産地で、街には世界一のザウアークラウト/酢漬けキャベツのメーカーがあるそうです。
写真は聖ペーター大聖堂。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フリッツラー、右上。フランクフルトの北120キロ。
フランクフルト~フリッツラー~マールブルク~フランクフルト。 -
ヘッセン州4大聖堂。
右上:フリッツラー大聖堂。
右下:フルダ大聖堂。
左上:リンブルク大聖堂。
左下:フランクフルト大聖堂。
大聖堂とは司教座が置かれ司教がいる教会のことで、建物が大きいということではありません。1人の司教が管轄する地域を司教区といい沢山のいわゆる普通の教会があります。一つの司教区は一つの国に匹敵しました。 -
7:18発のREで出発。
途中のギーセン駅。懐かしい駅です。2009年ここで乗り換えてヴェッツラーへ行きました。 -
ヴァーベルン駅着9:06。
ここでバスに乗り換え。 -
ヴァーベルン駅前。
人はいないしバス停は分からないしでいささか不安でした。 -
バスがやって来ました。フリッツラーまで行きます。
鉄道もありますがバスは町の中心まで連れて行ってくれます。 -
バスでは空いていたら必ず一番前に座ります。
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前方遠くの小高い町がフリッツラーかもしれません。
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フリッツラーのバスセンター、アレー・フリッツラーに到着。
9:50頃。 -
ローゼン塔。
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旧市街地の北端にバスセンターはあります。
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ローゼンガッセ。
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カッセラー通り。
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市壁の先にローゼン塔が見えます。
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横道。
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ローゼン・ガッセを行くとマルクト広場に出ます。
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マルクト広場にやって来ました。
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長方形の広場。
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広場は木組みの家に取り囲まれています。
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ローラントの泉。
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ローラントが町を守っています。
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ブレーメンのローラントさんに比べると大分歳を取っています。
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アドラー・アポテーケ/鷲薬局です。
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広場の先に大聖堂と市庁舎(左の建物)。
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フリッツラー市庁舎。
1109年。記録に残る官庁としてはドイツ最古。 -
1274年から市庁舎として使われる。1435年焼失、1441年再建。
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市庁舎。
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聖マルタンのレリーフ。1441年。
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自分のマントを切って貧者(実はキリスト)に与えるローマ軍団の兵士マルタン。
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大聖堂はあとでお邪魔します。
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ホッホツァイト・ハウス/結婚式の家。
1590年。町のお偉方の結婚式とか命名式などに使われました。1956年から市歴史博物館。
北ヘッセン地方で最も大きな木組みの家。 -
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ホッホツァイト・ハウス。
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隣に建つハウス・オルト。
1520年。富裕商人の家。市歴史博物館。 -
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説明を聞く団体客。
由緒ある建物のようです。よく見ると皆顔が反対を向いています。この建物の向かいにある結婚式の家の説明を聴いているようです。 -
ブルクグラーベンの端に立つグラウアー塔/灰色の塔。
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1274年。23有った見張り塔の内現存する10の塔の一つ。
高さ38m。現存する見張り塔としてはドイツで一番高い塔です。
灰色には見えませんが。 -
地図の左端です。
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塔の中。
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ここら辺り古い市壁が続いています。
向こに見えるのはグラウアー塔。 -
フラオエン塔。1360年。
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聖ペーター大聖堂にやって来ました。
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ヘッセン州の4大大聖堂の一つです。
他はフランクフルト、フルダとリンブルクの大聖堂。 -
大聖堂の前に聖ボニファティウスの像が建っています。
聖ボニファティウス:イングランドの宣教師だった。ゲルマンの地にやってきてキリスト教の布教に大いに功績がありマインツの大司教にまでなる。その功により聖人に叙せられた。672年頃~754年。
キリスト教の聖人の中で最も有名な聖人(と思います)で、ドイツ各地に像が建てられています。ドイツの守護聖人のひとりです。
WEBより。 -
聖ボニファティウスが斧を持っています。なぜ物騒な斧を持っているのか。
ボニファティウスは異教徒をキリスト教に改宗させるのに斧、力ずくでもってしました。斧でもって異教徒の信仰する神木、神殿などを切り倒し、ぶっ壊したのです。 -
723年、ボニファティウスはフリッツラーの地で異教徒の無知に乗じ、彼らの信仰するオークの木/ドナー・アイヒェを切り倒し叫びました。「どうだ、お前たちの聖なる木を切り倒しても何も起こらないではないか。神木なんて嘘っぱちだ!(とまで言ったかどうか)」。
怖れをなした異教徒は改宗しました。
この様なやり方で布教したボニファティウスをカトリック教会は偉い奴だ、と聖人にしたのです。
ドナー:北欧神話のトール。北欧ゲルマン地域で信仰されていた最も重要な神。
切株は切り倒した木、柱は打ち壊した神殿の柱でしょう。 -
ボニファティウスは独力で布教したのではありません。時のカロリング朝フランク王国の権力者の庇護のもとにいたのです。
異教徒をキリスト教化することは全ゲルマンの統一を目指すカロリング朝にとって、未だ服従しない異教徒対策として好都合だったのです。同床異夢だったかもしれませんが。
754年、フリースラント(今のオランダ、ドイツの北海沿岸地方)に布教中、神殿を壊された恨みで異教徒に殺されました。フルダの大聖堂に葬られています。 -
キリスト教が寛容の精神を持たなく、力でもって相手を倒すことは十字軍とか身内同士で争った宗教戦争でも窺えます。
斧を持った聖人像を建てるなんて、布教するのに力でもってよしとするキリスト教界の姿勢に疑問をもちます。そういえばキリスト自身も異教徒の神殿を壊していませんでしたっけ。壊したのでなく悪徳商人たちを追い出したのかも知れません。
近年バチカンでローマ教皇はカトリック教会が過去に異教徒を強制的に改宗させたことを含めて過去の過ちを贖罪したそうです。 -
異教徒の神木を切り倒すボニファティウス。
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同。
エアフルトの市庁舎の壁にかかっている絵です。どうだ、と威張っています。 -
聖ペトリ大聖堂。
1180年、後期ロマネスク建築。クリプタと地下の部分は1085年頃。
大聖堂とフリッツラーの歴史は723年の聖ボニファティウスのドナー・アイヒェの切り倒しに始まる。そのアイヒェの木材で最初の教会が造られた。 -
堂内。
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歴史ある大聖堂だけあって荘厳な雰囲気です。
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ピエタ。
13世紀。 -
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並んだ聖人の胸に穴が開いています。中にその聖人の聖遺物が納められているそうです。
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オルガン。
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回廊。
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全体の模型です。
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後方から。
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町は高台にあります。
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ドーム広場。
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マルクト広場に戻ってきました。小さな町です。
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テラスでワインを一杯。
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広場とその周辺をゆっくり見て回りました。
子供用補聴器の店。 -
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この家、前につんのめりそうです。
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マルクト広場。
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塔のある建物は小売商人のギルド・ハウスだったそうです。
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ゴシック風石の家/シュタイン・ハウス。
カッセラー通り。
パトリチア/都市貴族階級の家。1310年。 -
ギーセナー通り。
バスターミナルの方に向かいます。 -
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ミノリテン教会/E.V.市教会。
1237年。 -
現在病院です。
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大きな通りに出ました。
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裁判所がありました。
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バス停アムツゲリヒト・フリッツラー。
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朝到着したバスセンター、フリッツラー・アレーに戻りました。
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途中で見かけた家。
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バスの時刻表と路線図。
13:00のバスに乗り、ヴァーベルン13:22のICでマールブルクに向かいました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- merumoさん 2015/06/27 08:09:43
- 確かコメント書いたはずなのに…
- ベームさん
おはようございます。確か昨日の夜にコメント書いたはずなのにない??
また書き込みしますね。
いつも見ていただき投票もありがとうございます。
私も今回フリッツラーに行きました!まだ旅行記書いていないんですが。
ベームさんのように博識でも勉強家でもないのでほんとに街歩きのみです。
同じ町に行っても人それぞれ写すところが違うんですね。
私のみてないところもあり楽しませていただきましたし、
ヘ〜そうなんだと感慨を新たにしました。
ドイツといえばベームさんですね。これからも楽しい旅行記を書いてくださいね。
merumo
- ベームさん からの返信 2015/06/27 14:27:51
- RE: 確かコメント書いたはずなのに…
- merumoさん、
今日は、
メッセージ有難うございます。
少しずれていますが同じころドイツに行かれたのですね。天気はいかがでしたか、私の方はおおかた快晴に恵まれました。
merumoさんの旅程が私の2012年、2014年のと似ていますので興味深く拝見させていただいています。シュターデ、フリッツラーなどあまり日本人が行かない所に足を延ばしておられるので、仲間が出来たようで嬉しいです。
シュターデのFreilicht Museumは知りませんでした。本当に人により目を向けるものは違うのですね。
ゴスラー、マールブルクなどこれからの旅行記楽しみにしています。
ベーム
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