2014/09/05 - 2014/09/05
10位(同エリア46件中)
ベームさん
9/5(金)、17日目。
フリッツラーの帰りにマールブルクに途中下車しました。
目的はただ一つ、聖エリーザベト教会のあの聖女エリーザベトに再会するためです。フランクフルトとフリッツラー間の鉄道路線を調べていると路線上にマールブルクがあるではありませんか。またとないチャンスです。2012年に訪れた時は予備知識が少なく、時間も十分ではなく不完全燃焼のまま後にした教会です。
で今回は聖エリーザベト教会だけに的を絞りました。聖エリーザベトは前回と同じように優しく私を迎えてくれました。
聖エリーザベト教会:聖エリーザベトを祀るべくその墓の上にドイツ騎士団(領主ヘッセン方伯も騎士団員でした)によりエリーザベト列聖後の1235年に建設が始まり1283年献堂。ドイツで最も古いゴシック建築の教会の一つ。
聖エリーザベト:ハンガリーの王女として生れる。1207~1231年。
14歳でチューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世と結婚、アイゼナハのヴァルトブルク城に住む。病人、不具者など弱者に慈悲を与え自らも清貧の生活を送った。
1227年、20歳の時夫ルートヴィヒ4世が十字軍遠征中に死去する。
未亡人となったエリーザベトは、その善行をよく思っていなかった姑とか夫の身内のものにヴァルトブルク城を追われる。
1228年マールブルクに移り住む。ここでも私財をなげうち貧民のための病院を建てるなど善行を重ねた。1231年24歳の若さで死去。
色々奇跡を行ったとするエリーザベト伝説が広まり、墓への巡礼者が絶えなかった。
1235年、死後わずか4年でローマ教皇グレゴリウス9世はエリーザベトを列聖(聖人と認める)した。
未亡人、病人、パン焼き職人の守護聖人。
写真は聖エリーザベトの立像。聖エリーザベト教会。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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フリッツラーからマールブルクへ。
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ヴァーベルン駅。
バス停アレー・フリッツラーから13:00のバスでヴァーベルン駅へ。
13:22発のICでマールブルクへ。 -
北ヘッセン交通企業体の車両。
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14:03マールブルク着。
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改装なったマールブルク駅舎。
2012年に来た時は工事中でした。 -
ラーン川を渡ります。
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バーンホフ通りを直進し突き当りを左に曲がるとエリーザベト教会が姿を現します。
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聖エリーザベトの墓の上に1235年ドイツ騎士団により着工、1283年献堂、塔の完成は1340年。80m。
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天国への入り口といわれています。
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入り口タンパンの聖母子像。
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中に入ります。
身廊。 -
身廊の高さ20m。
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側廊。
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入ってすぐ右にエリーザベトの祭壇があります。
1513年頃。 -
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死の床のエリーザベト。
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身廊の突き当り内陣の仕切り。
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仕切りにはバーラッハ作のキリスト磔刑像が掲げられています。
1931年。 -
エルンスト・バーラッハ:ドイツの彫刻家、画家。1870~1938年。
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側廊の左の壁の窪みにあるのが、
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美しい聖女エリーザベト像です。
再会を果たしました。 -
1470年頃フランス人の手によるものです。
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いつまでも見ていたく去り難いです。
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お顔の拡大。
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ヘッセン方伯の墓所。
目的を果たしたのでゆっくりと教会の中を見て回りました。 -
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聖ゲオルクと聖マルタンの祭壇。
1514年。 -
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中央祭壇。
内陣に入るのには入場料が要ります。 -
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内陣奥の中央祭壇。右にリッペ伯の墓。
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ステンドグラスは13~14世紀のもの。
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祭壇右、ここにも美しいエリーザベトの立像。
ルートヴィヒ・ユッペ作。1510年。 -
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絵葉書です。
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参考。
マティアス・グリューネヴァルト作「エリーザベト・フォン・チューリンゲン」。 -
リッペ伯の墓石。
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聖エリーザベトの神殿/聖遺物櫃。
1240年頃。 -
聖エリーザベトの遺骨が納められていましたが、16世紀にヘッセン方伯が領邦の宗教をカトリックからプロテスタントに変えたとき聖遺物崇拝をやめさせる為他に移されて今は無いそうです。
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清貧を旨とした聖エリーザベトには似つかわしくない立派な櫃です。
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内陣から身廊を見る。
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聖エリーザベトの霊廟。
左に聖エリーザベトの墓所、中聖カタリーナの祭壇、右聖エリーザベトの祭壇。 -
左聖母マリアの祭壇、右聖エリーザベトの墓所。
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聖エリーザベトの祭壇。
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1300年頃。
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祭壇下部。
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祭壇下部中央。
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祭壇下部左の部分。エリーザベト伝説の一つ十字架伝説。
エリーザベトは病人を自分のベッドに寝かして看病していた。家来がエリーザベトの夫の方伯に「妃が男をベッドに連れ込んでいる」と注進した。方伯がベッドのカバーを剥ぐとそこにはキリストの十字架像が横たわっていた。 -
右の部分。
1236年、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世立会いのもとエリーザベトの棺が明けられている場面。
エリーザベトの頭部が遺体から外され聖遺物容器に移された。 -
聖カタリーナの祭壇。
15世紀初期。 -
キリストの周りには諸聖女たち。
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左聖母マリアの祭壇と右聖エリーザベトの墓所。
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聖エリーザベトの墓所。
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下部。
棺に横たわるエリーザベト。
周りにはキリスト、マリア、聖人たち、棺の側面にはエリーザベトが手を差し伸べた乞食とか不具者たちがお祈りをしています。 -
聖母マリアの祭壇。
1400年頃。 -
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マールブルクの夕べの祈りと呼ばれています。
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下部はピエタです。
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絵葉書。
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パイプオルガン。
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柱の聖母マリア像。
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聖エリーザベト。
バラの奇跡の伝説。
その地域一帯が大飢饉に襲われた時エリーザベトは城で作ったパンをこっそり持ち出し餓えた人々に与えていた。それは禁止されていることでした。
ある時スカーフにパンを隠し持ち出そうとしているところを夫に見付かり、それは何だと問われた。エリーザベトがスカーフを開けると中はバラの花でした。 -
ジッベン・アルター/一族(イエスの聖家族)の祭壇。
入り口を入った所のすぐ左にあります。 -
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元ヴァイマール共和国大統領ヒンデンブルク夫妻の遺骨をおさめた棺。
第2次世界大戦後ソ連軍の追及を逃れるためここに移されたそうです。
ヒットラーを登用した軍国主義者を聖エリーザベトと一緒に葬らないでください。 -
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去りがたい気持ちで教会を後にしました。
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振り仰ぐと教会は夕日を浴びていました。
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駅への途中日本の刀とか茶道具を並べている商店。
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招き猫もいます。
15:35の列車でフランクフルトへ。
良い一日でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- blumentalさん 2019/01/26 11:25:56
- 初めてメールを差し上げます。
- 初めてメールを差し上げます。内容のある充実した旅行記を度々拝見しております。また、私の数少ない旅行記に「いいね」を入れてくださり、ありがとうございます(旅行記を書き始めてまだ半年で、なかなか旅行記の数が増えません)。
さて、本旅行記ではマールブルクのエリーザベト教会の紹介があり、私自身が旅行記を書くにあたって、教会内部の様子を思い出すのに大変役に立ちました。予備知識のないまま写真を撮っており、自分の写真が何だったのかを確認できただけでなく、私の知らなかったことを多く知ることができ大変勉強になりました。
ところで失礼ながら1点だけ間違いを指摘させてください。本文31枚目の写真を「墓所の壁面。洗礼者聖ヨハネの祭壇。1512年。」と説明されていますが、この写真と32枚目は「一族の祭壇Sippen-Altar」であると思います。すでにどなたかが指摘されていましたらお許し下さい。
これからもよろしくお願いします。
- ベームさん からの返信 2019/01/26 20:57:44
- Re: 初めてメールを差し上げます。
- blumentalさん、
メッセージありがとうございました。
私も行ったことがあり、好きな町をblumentalさんも訪問されていて、楽しんで拝見させていただいています。ご夫婦での海外旅行羨ましいですね。当方は妻が飛行機の長旅が駄目なのと、一日3度米の飯がないといけないのでいつも一人旅でした。
ご指摘の件、有難うございます。後に出て来る一族の祭壇と同じでした。早速削除いたしました。ほかにもかってなまちがいの説明があると思います。ご遠慮なくご指摘ください。今後ともよろしくお願い申し上げます。
ベーム
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