2002/06/27 - 2014/07/08
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gyachung kangさん
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今までどの国へ行っても記憶に残る美しいシーンがあり鮮明によみがえる思い出があった。そしてその中には時間が経過すればするほど輝きを増す旅もまた、ある。それは別格の旅だ。
2002年夏シリア・レバノンへの旅。
この旅は私を旅好きにすることを決定づけた。と同時に今は再び手が届かない旅にもなっている。
当時愛用していたコンタックスのカメラで撮影した写真の記憶。今だからちょっと思い出してみる。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 飛行機
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
当時、中東エリアへ入るためにはまだデュバイ便の乗り入れが無かったか始まったかという時期。翌年、私はイエメンに飛ぶために関空からエミレーツを初めて利用した記憶がある。
で、この時は迷わずアエロフロートでモスクワ経由をチョイス。正午に成田を立ち、シェレメチェボ空港で乗り継ぎ便を待つ。22時半頃のSU517でシリアの首都ダマスカスに向かった。
ナイトフライトで真夜中の月明りに照らされて海が黒々と横たわっていた。それが黒海であることを次の朝ホテルで地図を広げて気がついた。
ダマスカスには夜中の2時か3時に到着し、空港からタクシーを拾い、飛び込みでホテルにチェックインした記憶がある。そこは窓が無い部屋だった。だがこの時間ではもう打つ手はない。泣
翌日、向かったの有名なカシオン山。
聖書にも登場する山という理由だけで行ってみた。我ながら高純度のミーハーっぷりである。
ダマスカス市内を眺めて初日から旅愁に浸りまくる。笑 -
世界遺産ダマスカス旧市街に向かう。
そこはもう今まで見て来た世界とは別の景色。ヒジャブを被った女性が歩きロバとすれ違う。
目玉スポットは世界最古ウマイヤドモスク。古さの中に半端ない風格。
モスク界の老舗中の老舗だけのことはある。 -
ダマスカス市内にて水売りのおっちゃん。いでたちが隣国トルコの香り。
インドで痛い思いをした経験があり、この水は買わなったが、シリアで飲んだミネラルウォーターは超がつくほど美味かった。エビアンやボルヴィック、南アルプスの天然水が逆立ちしても勝てない、そんな味。 -
お買い物をするシリアのご婦人。ふくよかな女性が目についた。
ダマスカスは本当に静かな街で何の危険を感じることもなく初日から警戒アンテナを解除。リラックスして街歩きした。定時になるとアザーンの声が街中に響き渡る。
ご婦人の今を案じる。 -
市内で撮影した記憶。カメラを向けるとこの協力っぷり。子どもたちも明るくて開放的だった。カメラはアラビア語で確かスーラ。みんなスーラが大好きなようで。
この子たちの今も……祈りたい。 -
ダマスカスから東へ。
シリア砂漠の中にポツンとあるタドモールという街に向かう。
ここにはパルミラ遺跡がある。
ゼノビア女王が統治したローマ帝国時代の古代都市の遺構が突然蜃気楼の如く現れる。 -
巨大なベル神殿がまずあり、それに対座して恐ろしく整った四面門がそびえる。この後ろに列柱道路が延々1キロ以上続く。その先には小高い山とてっぺんに残る城跡。
これがパルミラ遺跡。
周りに砂漠。デイツが繁るオアシスのみ。他に何もない。
遺跡好きなら間違いなく恋に堕ちる。
一目惚れする。賭けてもいい。 -
列柱通り。ワンダホー。
東京に持って帰りたい。スカイツリーと交換してもいい。
いや交換してくれないだろう笑 -
シアターだ。観客席もアリーナ状に残っている。実際に今でもここで演劇をやるらしい。
-
丘の上に登る。この頃から高いスポットがあると必ず登るという今に至る旅癖がついた。なぜかって? It's there!
-
丘の上には城跡。名前はアラブ城。
名前が大雑把すぎるのが気になるが、嘘ではなくほんとーにアラブ城。
嘘だと思うなら確かめてみてもいい。
あの有名な黄色いガイドブックにも書いてあるよ。たぶん笑 -
今時の言葉で言う絶景。
あの向こうに見える砂漠をどんどん進むとイラクに辿り着く。
因みにこの時、2001年911のWTCビルテロ事件の後で米国がサダム・フセインを追い込んでいく真っ只中!であった。
当時のシリア政府(アサド政権)は静観していたが乗り合いバスの中で隣のシリア人グループが私に米国批判をハッキリと口にしていたことを覚えている。彼らの英語は私の100倍上手かった。
この後2003年3月に遂にイラクへの攻撃が開始された。 -
パルミラを後にして次に北上し、ホムスと言う街に向かう。
今ニュースに出てくる内戦の激戦地の街、あのホムスである。
乗り合いバスで街の入り口のヘンな場所で降ろされスーツケースを引っ張りながらホテルを探した記憶が蘇る。
ホムスのモスクはなかなか立派だった。 -
ホムスから50キロ西に砦がある。
クラック・デ・シュバリエ。アラビア語ではカラートスーンだったか?
この砦は聖地奪回のためヨーロッパから遠征してきた十字軍が長らくこの地の拠点とした歴史深い城塞である。
私が訪れたあと、世界遺産登録になった。光栄である。 -
城塞の屋上部に登ってみる。
いかにも堅牢そうなガッチリとした構え。なんと4000人の十字軍兵士が駐屯した記録があるらしい。
そう言えば確かここではサウジアラビアから観光に来てるんだ、というアラブ人青年に話しかけられた。小綺麗な身なりで観光旅行に訪れることができる裕福な国サウジアラビアととにかく素朴一辺倒の国シリア。同じアラブ圏でも明らかな差があることを直感した記憶。 -
クラック・デ・シュバリエ観光を終え、バスに乗りいよいよ陸路レバノンへと向かう。
シリアとレバノンの国境で。これから検問と入国審査。 -
入国審査を行なう所は実はちょっとした掘っ立て小屋である。いいんかいココで?みたいな。
バスのドライバーが「ヤバン、キミが最初に受けなよ」と気を遣って優先してくれる。ヤバンとはアラビア語で日本である。
で、あっという間にポンとスタンプが押され無事終了。ややこしい質問一切無し。ヤバンブランドは最強である。
バスの同乗男性2人とアイスクリームを食べひと息つく。さあレバノン入国。 -
レバノン最初の滞在はタラブルス。
トリポリのほうが名前の通りがよいかも。ここの名所セントジル要塞にて。
背景のタラブルスの街並み感がこれぞ中東、といった趣き。 -
海に突き出た海岸の街ミナまで歩く。
ここのレストランで夕食。
あまり魚を口にしないアラブ圏ではフレッシュフイッシュは高級料理で値段は高い。
だが旅先で私は気分がいい場所ではお金は惜しまないことにしている。地中海を眺めながらオープンテラス席で魚料理。
なんという贅沢感。ただの塩焼きなんだけどね!笑 -
タラブルスから南に下る。次の滞在地、ビブロスだ。
ビブロスもダマスカスやイスラエルのジェリコと並んで世界最古の街と言われている。私はこういう世界最○とかに弱い。半端なく弱い。
街にはビブロス遺跡が残り世界遺産。
但し、紀元前18世紀とか昔昔過ぎて想像するのも難しいという困ったちゃんの世界遺産でもある。 -
確かKeep Outじゃなかったような。
だとしたら太っ腹過ぎるビブロス。 -
ビブロスで宿を取る。
名前はスールメールホテル。
和訳すると差し詰め、南海ホテルか。
工夫の微塵も感じられない名前だが、フランス語風になるとなぜかいい響きになるから不思議。ビブロス遺跡に合わせて石造りの外観。
US100ドルちょいだったと記憶しているがバルコニーから地中海を望む、この旅のベストホテル賞だった。 -
ホテルを出ると。すぐ先には地中海が広がっている。素敵。
-
海岸には地元のみなさん。彼ら、特に女性は肌の露出が許されないため泳ぐことはしない。
海を眺めるのだ。それが絵になる。これまた素敵。 -
海岸で、休日を楽しんでいるファミリーに遭遇。お弁当を持ってちょっとしたピクニックだ。
気持ちよく写真に応じてくれてこの笑顔。シリア人もレバノン人もフレンドリー感抜群である。
やっぱり彼らも誰一人海には入っていなかった。が、私はこの後泳いだ。この海を見たら泳ぐしかないですよ。 -
ビブロスでゆったりした時間を過ごし遂に首都ベイルートに入る。
ここはベイルートのコルニーシュ通り。広々とした道、椰子の並木に太陽が降り注ぐ。残念ながら東京にはない、この開放感。心底うらやましい。 -
ジャーン。出ました。鳩の岩。
ベイルートのシンボルである。
この左の岩の上から、地中海にジャンプイン!これを楽しむのがベイルートっ子の証。
でも、実際にはみんな飛び込みの構えに入ってからフリーズしてました。かなり長時間ね。 -
このベイルートからタクシーを捕まえてベカー高原のレバノン杉の森を分け入ったその先に世界遺産。
-
バールベックである。
あまりの巨大遺跡ぶりに驚くもよし。
呆れるもよし。貴方次第。
中東には3Pと呼ばれるパルミラ、ペトラ、ペルセポリスの三大遺跡があるけれど、名前がPで始まらないばかりにこの仲間に入れてもらえないバールベックがちょいと不憫に思えてくる。 -
世界中の巨石マニアのハートを鷲掴みにすること間違いなし。それがバールベック!
-
もうお腹いっぱい。でもまだ終わらないのがこの旅。
旅の最終訪問地はベイルートからさらに南の街、ティール。
ここも紀元前2800年に街の記録が歴史書に登場するとかの超絶の古代都市。
現存するローマ時代の遺跡が新しく思えてくるなんていったい……。 -
列柱が海まで続いている。実際、海中にも列柱の残骸が沈んでいる。花が綺麗なんだな。
-
ローマ時代の戦車競技場、ヒッポドロームのスタンド跡。
映画ベン・ハーの世界だ。 -
ここから南にあと15キロも車を走らせればあのイスラエルとの国境になる。
この旅の頃、街は平穏そのものだった。しかし平穏はあっけなく崩れさるもの。その時ティールの街は真っ先に標的になるかも知れない。 -
ベイルート。
現在のデュバイのように1970年代頃までは中東一の先端都市として外国からも訪問客を集めていたという。
イスラエルとの戦いを経て、内戦を終えて全てを耐え抜いて、再びこの時明るさを取り戻していた。
それを実際に目の当たりにして、なんだかかなり嬉しかった。 -
帰路はベイルート国際空港→モスクワシェレメチェボ空港。やはりド深夜便であった。
長い長い成田へのトランジットの待ち時間のあいだ、シェレメチェボの薄暗い売店でキャビアの缶詰をけっこうたくさん買い込んだ。もちろん本物のキャビアである。今はもう、売っていない。
あまりにも懐かしく忘れ去ることがないシリア・レバノンへの旅の巻、これにて終了。
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